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三つの歌●希望 [day by day]

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♪生きていくことって 泣けてくるよね
 灯の家路に 迷う人には
 夢をけずられても  明日を夢見る
 恋に捨てられても 憎んじゃだめさ
 空を見上げて 涙ためて歩こう
 願いが叶う 星がみつかるように
 
 俺は希望商人 希望商人 幸せのひとかけらを
 喜劇の街へ 悲劇の街へ 売り歩くのさ
(「希望商人」詞:大津あきら、曲&歌:佐藤隆、昭和61年)

今日は寒かった。冷たい風も吹いて。ああいうのをチリ・ウインドっていうんでしょうね。

チリ・ウインドだからって、南米はチリの方から吹いてくる風でも、塵(ちり)を巻き上げて吹いてくる風でもありません。わかってますか。そうですか。

ではさっそく今日の“お題”を。
前回、最後に控えめな予告をした? とおり「希望」

昨年の暮れから、年明けにかけてしばしば見たり聞いたりした言葉です。
去年のことがあっての今年のはじめっていうこともあるけど、震災がなくたってなくちゃならない大切なもの、それが希望でしょうか。

われわれのような、マラソンでいえばとうに折返し点をすぎて、35キロ地点にさしかかろうという“たそがれ族”ならまだしも、若い人にはこの「希望」ってヤツがないと、楽しく生きてはいけない。

希望の形はひとそれぞれでしょうけど、ソイツがあるから、厭なこと苦しいことも耐え忍ぶことができる、そんなものじゃないでしょうか、希望って。たとえそれが幻であっても(そこまでいっちゃうことないか)。

だから流行歌のなかでも、「希望」はふんだんにちりばめられている。
                                       
希望の歌、希望の街、希望の道、希望の丘、希望の轍、希望の鐘、希望の虹、希望の匂い……。

それは、あの暗い戦争の時代から、現代に至るまで、連綿とうたい続けられているのです。まるでアヘン、いや清涼飲料水のように。

今年はなるべく能書きを短くしよう、そのぶん数をふやそう、というのが課題でして。
さっそく「希望ベスト3」ソングを。

「希望商人」佐藤隆
アルバム「日々の泡」のなかの1曲。
「マイ・クラシック」「カルメン」も好きだけど、この曲がいちばん。
はじめてラジオで聴いたときは「希望少年」なんて空耳をやってしまった。

この「希望商人」もそうだけど「マイ・クラシック」も「カルメン」も作詞は大津あきら
佐藤隆の歌は、松本隆、谷村新司、康珍化、竜真知子、岡田冨美子など作詞家陣百花繚乱だけど、なぜか大津あきらの詞に感応してしまいました。

大津はごぞんじの方も多いでしょうが、つかこうへい劇団の音楽を担当して名を挙げた人。
その後作詞家に転じましたが、21世紀をまたず、50歳をまたず、惜しくも病気で亡くなりました。
最大のヒット曲は中村雅俊「心の色」
徳永英明「風のエオリア」もいいな。

「希望商人」はコンセプトがシャンソンの「幸福を売る男」に似ているけど、それよりはもうすこし陰翳が強くて、「喜劇の街へ、悲劇の街へ……」とか「罪と罰を 拾い歩く」とか、作詞家のセンスがにじみ出ている。

「希望」岸洋子
われわれというか、もう少し広げて現在の50代、60代、70代の歌好きに「希望の歌といえば?」って訊ねたら、おそらく半分以上はこの「希望」をあげるんじゃないでしょうか。
昭和45年、西暦なら1970年。まさに激動の年で、この曲や詞にどこか哀調といいますか、翳りが感じられるのは、そうした時代を反映していたからでしょう。

なにしろこの歌のなかで「希望」はなかなか叶うことがない。
「希望」を探し求める旅はかなりハードで、つかみそうになると去っていってしまう。それでも希望探しの旅は続いていく、もしかしたら命が果てるまで続くのかもしれない、というようなニュアンスさえこの歌から感じとれます。

曲は彼女の初ヒット「夜明けのうた」と同じいずみたく。詞はいずみたくとコンビを組んでいた舞台演出家の藤田敏雄

「小さな日記」フォー・セインツと競作でしたが、ごぞんじのように岸盤が大ヒット。
ちなみに編曲は岸盤が川口真。フォー・セインツ盤はいずみたくの弟子? の渋谷毅
とにかく、いろいろなシンガーにカヴァーされている名曲。

ところで、この「希望」には前段、つまりそこへつながるもうひとつの歌があったことをご存じでしょうか。それが、「希望」三つの歌の最後の歌

「若者たち」ブロードサイド・フォー
「希望」の4年前、つまり昭和41年のヒット曲。
同名のテレビドラマの主題歌でした。山本圭、田中邦衛、佐藤オリエ、橋本功、松山省二の5人兄弟の貧しいけど純で熱いドラマでした。

曲を担当したのは黒澤明の「用心棒」など映画音楽を多くてがけた佐藤勝
流行歌では石原裕次郎「狂った果実」、「若者たち」の続編といわれた(ピンとこなかったけど)「昭和ブルース」(ブルーベル・シンガーズ)、「手紙」(由紀さおり)などを。

で、作詞は「希望」と同じ藤田敏雄。
この「若者たち」では、1番で
♪君の行く道は 果てしなく遠い……
と若者が歩んでいく人生が決してイージーではないことをうたっています。
それでも3番では、
♪君の行く道は 希望へと続く……
というように、それでも歯をくいしばって歩き続ければ希望の地へたどりつけると、流行歌の定番で終っています。

「若者たち」が希望を求めて歩き続けて4年、到達できたのか。
すでに述べたようにヒット曲「希望」では、相変わらず「希望探しの旅」を続けています。
これはブラックユーモアでもなければ、若者たちが「希望」をみつけられないのは、4年前よりさらにハードな季節に入ってしまったからということでもない。

これが真理である、カフカの「城」のように決してたどり着けないもの、それが「希望」なのだ。それでも人間はそれを追い求めていくしかないのだ。
とこの2つの歌で作詞者は言っているような気がします。

藤田敏雄はそのほか、「若者たち」が世に出る前の年に雪村いずみ「約束」や、当時世間を驚かせた吉展ちゃん誘拐事件で逃亡する犯人に対するメッセージソング「返しておくれ今すぐに」(市川染五郎、ザ・ピーナッツ)を作詞しています。

とにかく、若い人が希望をもてる日本であり、世界であってほしいというのは“ゴール”目前のわれわれにとって偽らざる気持でしょう。

では、自分を省みて己の希望は何だったのか、現在はどうなのかって考えると、わたしには暗澹たるものがあります。それでも負け惜しみをいわせてもらえれば、希望探しの果てしのない旅は、いまだ続いているのだ、と。ほんとかよ……。


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三つの歌●着物 [day by day]

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昨日は成人式。

いやあ多かったですね女性の晴れ着姿。
今年は男の紋付き袴姿も例年より多かったけど。

きのうの朝、用事でコンビニへ行ったら、途中でこれから成人式へ行くとおぼしき女性の二人連れ(ひとりの晴れ着っていうのはあまり見ない)と遭遇。
「イイネ」なんてニヤついていたら、二人は立ち止り、何か話していたと思うや、ひとりが突然駆け足でいま来た道を戻って行きました。
多分、なにか忘れ物をしたのでしょう。

で、そのときの姿がスゴかった。
着物の裾を膝上あたりまでまくり持って、脱兎のごとく。

二十歳だもの。先日の話の「車中の化粧」と同じで“恥じらい”が身についてないんだね。

でも、その“あられもない姿”は理にかなっている。
友達を少しでも待たせまいと思ったら、全速力モードで行かないと。
それには通常の着物姿ではむり。

映画やテレビの時代劇ではそんなお嬢さん見たことないけど、実際には、たとえば悪漢に追いかけられた娘さんなんか、思い切り裾をまくって逃げたんじゃないかな。
昨日の朝の光景を見ながら、そんなくだらないこと考えました。

そして今日の「着物晴れ姿」はサッカーの年間女子最優秀選手に選ばれた澤穂希。

テレビでメッシとのツーショットを見て、あらためて「スゴイですね」と感嘆。

また、あの淡い感じのブルーの着物が似合ってたこと。多分スタイリストがいるんだろうけど、格調があって、最高のセレモニーにみごとにハマっていました。

しかし、着物っていうのはいいね、とくに男にとっては何とも色っぽい。
でも、たまに着るからいいんだろうね。愛好者もいるんでしょうけど、のべつ着物だったら、それほど目がいくことはないかも。
成人式に限らず、正月とか結婚式やパーティーとか、やっぱり「晴れの日に着るもの」なんでしょうね。

で、(ここからが本題)流行歌の世界で着物といえば、これはもう演歌。なんたってユニフォームみたいになってます。
だから反対に、ドレスや洋服で出てくると「オヤオヤ」(いまどき言う奴いない)なんて思ったり。

戦前の新橋喜代三、市丸、小唄勝太郎、赤坂小梅といった粋な姐さん方からはじまって、戦後でも榎本美佐代、神楽坂はん子、島倉千代子、五月みどり、最近亡くなった花村菊江、そして都はるみと着物シンガーはいました。

でも、ポップス系はもちろん、歌謡曲といわれた流行歌の世界で、着物は主流ということはなかった。むしろ戦後は「日本調」といういわれ方で傍流だったような。

それが昭和40年代に演歌というジャンルができると、着物が完全に主流に。
となると、逆に門倉有希とか森山愛子なんかの洋装派に目がいったりして。

それでは、相変わらずの独偏による「着物の姿の女性」が出てくる歌を三つ。

「恋人をもつならば」神戸一郎
昭和33年のヒット曲。神戸一郎はその前年に「十代の恋よさようなら」でデビューし、その甘いマスクと声で一世を風靡したシンガー。数年前にお亡くなりになりました。
作詞は当時の頂点にいた西條八十
2番がまさに和服姿。歌舞伎「与話情浮名横櫛」のお富さんを思わせる「黒襟姿に洗い髪」。
そんな粋な姐さんがホテルのバルコニーで酸漿を噛みながらリルケの詩集を読んでいるというのだから、これはまさに竹久夢二の世界。

余談ですが、YOU-TUBEの歌詞、聞書きをされたようで、かなり「空耳」が入っております。それがあまりにも頻繁なので、「お借り」しときながら申し訳ないのですが、笑ってしまいました。もしかしたら投稿したのは若い人なのかも。

「女ひとり」デューク・エイセス
永六輔・いずみたくの昭和40年の名曲。
1番が「結城に塩瀬の素描の帯」、2番が「大島つむぎにつづれの帯」、3番が「塩沢かすりに名古屋帯」。和服三態を帯までいれてみごとに“恋に憑かれた”女を表現しています。
なんていってるけど、「大島つむぎ」と「かすり」以外は、それぞれどんな着物なのかイメージできないのですが、とにかく上布であることはなんとなく。

「みだれ髪」美空ひばり
これも名コンビ、星野哲郎船村徹による美空ひばり、昭和最後の傑作。
1番の「赤い蹴出し」と3番の「春は二重に巻いた帯」がはっきりと“和女”をイメージさせます。こちらは“恋に疲れた”女のようで。
ところで美空ひばりという歌手は不思議で、たしかに着物も似合うけれど、ドレス姿でもステージに立つ。着物一辺倒というわけではない。
そこらへんにも、いわゆる演歌とは一線を画した「ひばり流」を感じてしまいます。

以上3曲、あたりまえですが、みんな昭和の歌。
J-POPにあるのかな和装の女性をうたった歌。探せばあるかもしれないけど……。
歌はともかく、たまには着物姿でうたってもらいたいね。

休養しちゃったけど、宇多田ヒカルの着物姿など見てみたいものです。
それで、「はしご酒」なんかをうたっていただいた日にゃ……。
まず無理だろうけど、……洒落でやってくれないかな、いつか。

今年はじめてのブログです。
去年よりもう少し数をふやしたいと「希望」しております。
本年もよろしくお願いいたします。


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三つの歌●立川談志 [day by day]

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だんしがしんだ。

有名な回文だけど、ほんとうになっちゃいました。

やっぱり淋しい。
小円遊、円楽、歌丸、小痴楽なんかを仕切っていた「笑点」の初期から見ていましたから。

でも、本業の落語は、個人的には圓生、小さん、志ん朝で止まってしまっているので、立川流については語るべき言葉もありません。

それよりもわたしが家元(談志)にシンパシーを感じるのは、彼が無類の歌好きだったこと。

彼は歌に関して三冊の著書がある(実際はもっとあるかもしれません)。

まず一冊目が「童謡咄」。
これはもちろん、彼が幼少のころから口ずさんでいたわらべ唄や唱歌(それらを童謡といっている)。

二冊目が「談志絶唱 昭和の歌謡曲」。
これもタイトルからわかるとおり、青年時代に聴きまくったという歌謡曲。もちろんいまでいえば懐メロ。

そして三冊目が「談志受け咄」。
これはたしか3人の深い交流のあった奇人をとりあげた内容で、その1人が今は亡き日本のカントリーの大御所・ジミー時田に関するものだった。

以上のジャンルからそれぞれ1曲とりあげ、立川談志への鎮魂歌としようと思います。

3冊ともどこかに積んであるのですが、探す時間もないので記憶と思い入れに頼ってピックアップしてみたいとおもいます。

まず、童謡。
これはかなり記憶が飛んでいます。
たしか談志の好きな歌に「冬景色」があったのはかすかに覚えています。
それよりも、彼が子供の頃、「とんぼ釣り」をしていた話が、わたしの体験と重なって印象に残っています。

とんぼ捕りではなく、とんぼ釣りなのです。
もちろん細竿にモチ(鳥もち)をつけた「とんぼ捕り」もしましたが、「とんぼ釣り」が懐かしい。

年配の方はご存じでしょうが、「とんぼ釣り」とははじめにメスを捕まえ、それを糸で縛って竿の先につけ、空中で振り回しながら交尾のために寄ってくるオスを捕まえるという方法なのです。

そのとき、独特の節で“誘いうた”をうたうのです。
♪とんぼ来い チャンがいるぞ
というような。

のちのちわかった節は、「元禄花見踊」のはじめのメロディーでした。
「チャン」とはギンヤンマのメスのこと。これものちにわかったことでした。
子どもの頃は意味など知らずに口ずさんでいたわけで、それはとんぼを捕まえる呪文のようなもので、ギンヤンマでなくともうたっておりました。

はたして日本全国どこでもうたわれていたのかどうかはしりませんが、わたしが育ったところは、談志師匠の地元と比較的ちかい場所ではありました。

何十年も忘れていた「歌」を思い出させてくれたのが、まさに「童謡咄」でした。

そんなわけで1曲目は「赤とんぼ」を。

つぎに歌謡曲。これはやたらと詳しい。
それも家元が青春時代を過ごした昭和は20年代、30年代の歌。

すきな歌手なら、ヒットしなかった曲やB面だって知っている。知っているだけじゃなくて歌っちゃう。どんだけ流行歌に漬かってたんだろうと思うほど。
とりわけ、作詞家には詳しい。それだけ歌詞を読みこんだか、うたいまくっていたのでしょう、きっと。

ディック・ミネ、田端義夫など好きな歌手はあまたいたでしょうが、とりわけの贔屓がプライベートでも仲良しだったという三橋美智也
だから、談志→歌謡曲 となると 三橋美智也→「哀愁列車」
と連想してしまう。

したがって2曲目の歌謡曲は「哀愁列車」で。

そして最後はジミー時田。
どういういきさつかはしりませんが、とにかく大親友。
ジミーが亡くなったときには、たしか葬儀委員長を務めたはず。

ほんとうにカントリーミュージックが好きだったのか、ジミー時田が好きでカントリーを聴いていたのかはわかりませんが、立川談志がロイ・エイカフについて語っていたということも聞いたことはないので、ここはやはりジミー時田の歌を聴きながら家元を偲びたいと思います。

多くあるジミーの曲から談志師匠にある意味ふさわしい「ワイルド・サイド・オブ・ライフ」を。

初期の笑点のメンバーで残っているのは歌丸だけ?
さみしいことです。


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●ギリシャ [day by day]

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まだ由紀さおりの続き。

前回もいいましたが、“欧米でブレイク”だって。
アメリカはわかるけど、ヨーロッパも?

ニュースでは具体的な国として、今話題のギリシャの名前が。
なんでまたギリシャなのか。

思えば由紀さおりさん、「夜明けのスキャット」をヒットさせた1969年にギリシャを訪れています。
なんでもギリシャの音楽祭に出場するためで、そのとき「天使のスキャット」をうたい、最優秀歌唱賞を獲ったそうです。

当時、話題になった記憶がない。
なんでギリシャの音楽祭に出たのかも不明。
もしかして「夜明けのスキャット」ヒットのご褒美の海外旅行だったりして。たまたまそのスケジュールの中にギリシャ音楽祭があったから、「じゃ、ついでに出ちゃうか。入賞すればハクもつくし」なんて。

そんなことはないですよね。
しかし、これがイタリアのサンレモ音楽祭だったら、もうすこし話題になったのでしょうが。

しかし由紀さん、そんな外国の映画祭入賞なんて後押しがなくてももはや日本のトップシンガーになりつつあったのですから気にしませんよ、きっと。

“マクラ”はこれくらいにして。
とにかく40年以上も昔の話ですけど、そのとき由紀さおりの歌に魅せられたギリシャ人が少なからずいて、今回のヒットもそうしたひとたちの後押しがあったのではないでしょうか。あくまで推測ですが。

しかしギリシャ音楽。

フランスならシャンソン、イタリアならカンツォーネ、ポルトガルならファドという伝統的なポップスがありますが、ギリシャでは?
もちろん伝統音楽はあるのでしょうが、日本ではほとんど聞こえてきません。

それでもギリシャを代表するシンガーとしては、ナナ・ムスクーリNana Mouskouriがいるし、ジュルジュ・ムスタキGeorges Moustakiはギリシャ系のフランス人。

また、映画でも日本で知られた著名人が。

俳優ならば、のちに政界へ進出したメリナ・メルクーリ。(実は彼女しかしらない)
代表作「日曜はダメよ」や「死んでもいい」、「太陽が目にしみる」などなど。

監督では、「旅芸人の記録」や「永遠の一日」のテオ・アンゲロプロスでしょうか。

しかしわたしにとってギリシアの監督といえばコスタ・ガブラス
ほとんどフランスで活動していましたが、出身はギリシャ。

そして何よりも彼の代表作「Z」はギリシャの内紛を描いた作品。
ギリシャが軍事クーデターによって独裁政権を誕生させる“前夜”を描いた映画で、暗殺される政治家にイブ・モンタン。その真相解明に奔走するジャーナリストにジャック・ペラン、リベラルな判事にジャン・ルイ・トランティニヤンが扮していました。

公開は1969年といいますから、まさに「夜明けのスキャット」がヒットした年。

コスタ・ガブラスはその後「告白」、「戒厳令」と政治的三部作をつくるのですが、第一作ほどのインパクトはなかった。
その後、アメリカでもメガホンをとり、トム・ベレンジャーが白人至上主義のテロリストを演じた「背信の日々」などをつくりましたが、それもわたしの中では失速(「Z」のインパクトが強すぎたから)。

されど「Z」、アカデミーの外国映画賞を受賞するほど素晴らしい映画でした。
さらに、その音楽がまたよかった。メインテーマ以外でも、ラストシーン他で流れてい「愛のテーマ」[Yelasto Pedi](何と訳すのでしょうか)とか、ほかにも印象的なBGMがいくつもありました。

その音楽を担当したのがミキス・テオドラキスMikis Theodorakis。
元々はクラシック畑の人でしたが、ポップスや映画音楽でもギリシアでは知られた存在。

映画音楽では、前述のメリナ・メルクーリとアンソニー・パーキンスが共演した「死んでもいい」アンソニー・クインが気のいい男を好演した「その男ゾルバ」、さらにはアル・パチーノの初期の作品で警察の腐敗を暴こうとした警察官の物語「セルピコ」などが知られています。

なお、愛のテーマ[Yelasto Pedi]は、インストだけでなく、ギリシャの国民的歌手といわれるマリア・ファラントゥーリMaria Farantouri によってうたわれています。(YOU-TUBEは1974年といいますから、独裁政権が倒れ、民主化がなった直後のものだと思われます)

さらにこの歌、007の「ゴールド・フィンガー」をうたったシャーリー・バッシーShirey Basseyが「ライフ・ゴーズ・オン」Life goes onという題名でカヴァーしています。

当時持っていたシャーリー・バッシーのLPに入っていたフェヴァリットソングだったのですが、紛失。
CD化されているかと思って探してみましたが、みつからず。当時ダビングしたテープだけが残っていますがデッキが故障で聴けない状態。
そういう意味でもYOU-TUBEはありがたい。

さいごにもうひとつギリシャの映画音楽を。

「Z」の2年前につくられた「誘惑」という映画があります。
B級あるいはC級のラヴコメディという解説を読んだことがあるのですが……、ということはそうです、観ていないのですこの映画。

それでもなぜかサントラ盤を買ってしまいました。(おそらくラジオで聴いたのでしょう)
そもそも、B級映画のテーマがシングルレコードとして発売されるとは。で、わたしのように映画は観ないけど、音楽は聴きたいという人間が買ってしまうとは。
そうです、そんな時代があったのです。
ちなみに、前述したメリナ・メルクーリの「太陽が目にしみる」も“映画未見のサントラ買い”ってやつ。

で、この「誘惑」、ソウラ・ビルビリSoula Birbili という歌手がうたっているのですが、「Z」でもつかわれていた「ブズーキ」という弦楽器が印象的な音楽です。

ところでこのテーマ曲の作曲はてっきりテオドラキスだと思っていました。実際そんなようなことを本で読んだ記憶もあったので。

ところがインターネットで調べてみると、「誘惑」の音楽を担当したのは別人になっています。しかし、YOU-TUBEではテオドラキスのクレジットが入っているものもあります。
まぁ、調べつくしたわけでもないので、ここでは不明としておきます。

どなたか詳しい方がいらっしゃったら[Yelasto Pedi]の意味ともども教えていただければ幸いです。


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♪無理して腰をひねり [day by day]

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ついにやっちまいました。
いつかやるんじゃないかと懼れていたギックリ腰。椎間板ヘルニアなんていったりも。

20代で一度やらかしてから30数年、なんとか持ちこたえてきましたが、もはやポンコツ状態だったんでしょうね。メンテナンスなんてしなかったものなぁ。

覚えのあるみなさんがそうであるように、ちょっと重たいものを持ちあげて、からだの向きを変えようとしたとき、あの懐かしい「ボクッ」という音が腰のあたりから。

それでも、若いころと比べてからだの動きが緩慢だったせいか、もう一歩も動けないってほど重症ではなかったのが不幸中の幸い。
ただ運のわるいことに仕事のピーク時。

得意先に電話して事情を話し、残りの仕事を少し減らしてくれるように頼んでみました。懇意にしている担当者は電話の向こうで「マジかよ……」の連発。それでも「しょうがねえなぁ」と納得。

ホッとひと安心のわたしは、心でのガッツポーズもそこそこに(サボる理由がほしかっただけだね)、逆ムーンウォークという情ない摺り足状態で近所のドラッグストアへ。
そこで痛み止めの飲み薬と貼り薬を。

そしたら急に治った気になって、仕事が半分に減ったんなら夜からとりかかったって間に合う。昼間は遊んじゃえとばかり、病人であることをすっかり忘れ、生来のサボリ癖が。

やっぱり家で横になっていればよかったと気づいたのは駅の階段で(遅し)。ひとつ得た知識、「ギックリ腰は上りより、下りのほうがこたえる」。

それでも腰をかばいながら駅ビルで買物をし、そのあと近くのブックオフへ。
いい根性でしょ。なんでこれを仕事に使わないのか。わかっちゃいるけど……。

で、たっぷりサボって夕方近く家へ帰って来てびっくり。
こぼれんばかりのFAXの山。
〈なんだよ、仕事半分の約束じゃないか……〉

結局それから夕食もそこそこに、ほぼ徹夜で仕事をこなしました。
途中、両目にたまった涙は、あくびのせいばかりではなかったな。

座りっぱなしでの作業、これがまた腰にくるんだ。
そのときはいいけど、立ち上がるときときのあの激痛。自業自得。

翌日、担当者に電話して、
「仕事の量、少しも減ってなかったじゃないか」
とクレーム。
担当者いわく、
「なんだ、無理だったら、そう言ってくれればよかったのに。なんにも言ってこないから、ああ、なんとかなってるんだなって思って次々にFAX流しちゃったんだけど。でも、なんとかなったんだろ?」

そりゃ、そうだけど……。昼間外出してたなんて言えないし……。

そんなこんなでギックリ腰発症から1週間あまり経ちましたが、いまだ完治にいたらず。だましだまし生活しております。
いつどこで階段を踏み外すか、あるいはクシャミのとたんに、などと抱えた爆弾が破裂する様を懸念しながらも、ほとんど毎日のように徘徊しております。懲りないヤツ。

でもわるいことばかりではない。
当分のあいだは、重労働から解放されそう。
重たいものを持たなくてはならない情況でも、
「じつは、腰がコレなもんで……」
なんて言い訳しながら、他人に肩代わりしてもらったりね。

というわけで「近況」代わりに災難をブログにしてみました。

で、いつものように音楽でしめたいと思います。

ギックリ腰の歌なんてあるのかな。
「ギックリ」は思いつかないけど、「腰」はけっこうあります。

いちばん多いのは「すわる」動作をあらわす、「腰をおろす」とか「腰かける」といった歌詞。
「コーヒー・ショップで」(あべ静枝)
♪城跡の石段に 腰おろし 本を読み 涙する

「あの場所から」(Kとブルンネン他)
♪白いベンチに腰掛けながら 遊ぶ鳩を二人でみてた

などは懐かしいです。

ほかではさだまさし「檸檬」田原俊彦「恋=DO」、演歌なら北島三郎「尾道の女」に出てきますから、興味のある方はYOU-TUBEなどで聴いてみてください。

他では「腰が曲がる」とか「腰をのばせ」なんて爺むさい歌詞が出てくるのが、南こうせつ「うちのお父さん」中島孝「若者よ恋をしろ」

変わったところでは、「腰に手拭をぶらさげる」なんてのもある。ポピュラーなのが
♪腰に手拭ぶらさげて とストレートな「我が良き友よ」(かまやつひろし)ですが、友川かずき「生きているって言ってみろ」にも強烈なインパクトで出てくる。

でもやっぱり、ラブソングが主流の流行歌で「腰」といったら「女性の腰」のこと。それもセクシーな。

その代表的な歌が「モンロー・ウォーク」(南佳孝)
♪無理して腰をひねり ……じゃなくて、
♪無視して 腰をひねり 
でしたね。ほかにも♪腰にあてた手つきが 悩ましい なんて出てきます。

ほかではサザン・オールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」でも、
♪胸さわぎの 腰つき

♪細い腰 あわせ揺れるのよ
というのは「め組のひと」(ラッツ&スター)

ほかにもエルヴィスをカヴァーした「ロカ・フラ・ベイビー」(佐々木功)でも♪腰をふる と出てきますが、YOU-TUBEにはありませんでした。

というわけで、久々のブログもようやくエピローグまでたどりつきました。

それにしてもヘルニア。
いまだ痛みがとれず漢方薬のお世話になっています。歳ですね。
みなさんも、とりわけわたしのように人生マラソンの折返し点をとうに回ってしまった方々はくれぐれもご注意を。

そうそう、漢方薬をのんでいるといいましたが、なんでもこうした腰痛緩和に効能がある食べ物があるとか。(バレバレ?)
そうです、チョコレートです。
ギックリマン・チョコ。
ただし、女性には効果がないとか。ウソばっか。


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三つの歌●エルヴィス・プレスリー② [day by day]

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You know I can be found,
 sitting home all alone,
 If you can't come around,
 at least please telephone.
 Don't be cruel to a heart that's true.
 
Baby, if I made you mad
 for something I might have said,
 Please, let's forget the past,
 the future looks bright ahead,
 Don't be cruel to a heart that's true.
 I don't want no other love,
 Baby it's just you I'm thinking of.
([DON’T BE CRUEL] written by OTIS BLACKWELL,1956)

前々回の「エルビス・プレスリー①」で、内田裕也「悲しき悪魔」をカヴァーしたといいましたが、今回はエルヴィスのpart2として、日本人のカヴァーを。
もちろん厳選3曲。三つの歌ですから。

エルヴィスのカヴァーといえば、その第一号が小坂一也で、曲は彼をいちやく有名にした「ハートブレイク・ホテル」。昭和31年のこと。

♪恋に破れた若者たちで いつも混んでるハートブレイク・ホテル
という有名な訳詞は、彼の師匠でもある服部レイモンド

ほかでは、「監獄ロック」、「ラヴ・ミー・テンダー」、「冷たくしないで」をカヴァーしています。いずれも日本語をまじえて。

「ハートブレイク・ホテル」と「監獄ロック」は平尾昌章もカヴァーしているし、「ラヴ・ミー・テンダー」はミッキー・カーチスが。
また、ミッキーはほかに「ブルー・スウェード・シューズ」「フール・サッチ・アズ・アイ」も。

平尾、ミッキーとくれば、近年亡くなった山下敬二郎「アイ・ニード・ユー・ラヴ・トゥナイト」

そのほかでは、容姿が似ている? ところから和製プレスリーなどといわれたのが佐々木功ほりまさゆき
佐々木は「GIブルース」、ほりまさゆきは「ロカ・フラ・ベイビー」などを。

「GIブルース」のカヴァーでナンバーワンだったのは坂本九で、かまやつひろしもレコーディングしている。

またエルヴィスのカヴァーは男性シンガーとは限らない。
女性陣では、浜村美智子が「監獄ロック」を、雪村いづみが「ラヴ・ミー・テンダー」をそれぞれカヴァーしている。

おもしろいのは「グッド・ラック・チャーム」
男では聴いたことがない(でもいるかもしれない)が、女性ではザ・ピーナッツと梅木マリが競作している。

わたしの持っている音源だけでも以上のとおり。
おそらくその数倍はカヴァーされているのではないでしょうか。

それではメイン・イベントに。

① ハートブレイク・ホテル 宇崎竜童
エルヴィスがデビューし、日本に上陸した頃、宇崎竜童はおそらく中学生か高校生。もっとも“吸収力”のある頃で、影響を受けたことは大いに想像できる。
歌唱はお世辞にもうまいとは思いませんが、ボディアクションを含めたパフォーマンスというかノリが、いかにもエルヴィスフリークって感じがします。

ほかにもメドレーで「監獄ロック」、「ブルー・スウェード・シューズ」、「ハウンド・ドッグ」など数曲をうたっているYOU-TUBEがあるので、聴いてみたい方は探してみてください。

② 好きにならずにいられない 桑田佳祐
1961年の映画「ブルー・ハワイ」の挿入歌。
全米2位のヒット曲。日本では70年代に入って再ブレイクしてからヒットしたような印象があるのですが。

フランスのクラシック「愛のよろこび」(ジャン・ポール・マルティーニ)が本歌で、ナナ・ムスクーリもうたっている。

それにしても桑田佳祐、うまいね。彼のスタンダード・ジャズも聴いたことがあるけど、びっくりするほどうまかった。さほど個性をださずサラッとうたっているのにね。

 冷たくしないで 矢沢永吉
1997年、エルヴィスの没後20年を記念してロンドンのウェンブリーで行われたロックコンサート「SONGS & VISIONS」(トリビュートではありません)にアジア代表として参加したときのもの。
1997年から[HARTBERAK HOTEL]の1956年まで、ヒット曲で遡るというコンサート。ボンジョビやロッド・スチュアートも出ていました。

この模様は矢沢を中心にリハーサルを含めてNHKがドキュメントしていました。
見た人もいると思いますが、リハーサルでワイヤレスマイクの調子がおかしく「なんで俺のだけ?」って永ちゃんが苛立っていたのがおもしろかった。

そして歌い終わり袖に引っ込んできたとき「勝ったな!」とひとこと言い放ったのが印象的でした。
「勝ち負け」、それほど矢沢永吉のなかでプレッシャーと「本場がなんぼのもんじゃい」という気負いがあったのだなと感じた次第。

ところで歌は。
これがYOU-TUBEをごらんになればわかるとおり、最高。

コアなファンではないので、永ちゃんのカヴァーなんて聴くのが初めて(数年前だったが「砂に消えた涙」をやってましたね)。それもエルヴィスとは。

よっぽど練習したのか、以前からうたいこんでいたのか。
とにかくロッドなんかよりはるかにイカしてました。

またパフォーマンスも本場だからと媚びずに日本でやるように。
それがイギリス人にどう映ったかはわかりませんが、心意気やよし。

あれをきっかけに世界進出とはなりませんでしたが、YAZAWAの力量が世界に通ずるものだということが証明されました。

いまとなっては、ボンジョビやロッドが何をうたったのかほとんど忘れています。覚えているのは永ちゃんのこの歌と、好きなk.d.ラング[I WILL SURVIVE](オマケです。これがまたカッコよかったんだ)だけ。

ウェンブリーのコンサートの模様は永ちゃんの著書「アー・ユー・ハッピー?」の文庫版に少しだけ書いてあります。
ただ、残念ながらなぜ[DON’T BE CRUEL]を選曲したのか(主催者のリクエストかも、そうだとしたら、あれほどのパフォーマンスはそれはそれでスゴイ)、そして永ちゃんとエルヴィスの接点は「いつどこで」という疑問への回答は書いてありませんでした。

とにかくいままで見た日本人のエルヴィスのカヴァーの中では、何度もいうけど最高。


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三つの歌●二葉あき子 [day by day]

二葉あき子.jpg

♪黒髪 風に なびかせて
 夕日に 歌う アヴェマリア
 乙女の夢は アマリリス
 花のこころを 知るや君
(「純情の丘」詞:西條八十、曲:万城目正、歌:二葉あき子、昭和14年)

またしても訃報です。

昨日、追われるように「エルヴィス」をパソコンに打ち込み、遅い夕食を食べながら夕刊を開くと、二葉あき子さんの訃報が載っていた。

次回もういちど「プレスリー」をやるつもりだったのですが、変更して二葉あき子さんを偲びたいと思います。

彼女の全盛期は戦前から昭和20年代半ば頃あたりでしょうか。
もちろん、昭和30年代に歌謡曲に目覚めたわたしは、その頃を知りません。

それでもナツメロ歌手として、そうした類のテレビ番組で拝見してはいました。
また、いにしえの本には、彼女がいかにビッグスターだったかということが書かれておりました。
戦前では、渡辺はま子、高峰三枝子、ミス・コロムビア(松原操)、李香蘭らと肩を並べる人気歌手だったようです。

二葉さん(本名・加藤芳江)は広島生まれで、昭和20年8月6日の原爆を投下された日、偶然にも慰問団として故郷を訪れていたという。
そして、「その瞬間」は列車で移動中で、トンネルの中だったという幸運。
もし、もう少し列車の出発が遅れていたら、名曲「水色のワルツ」はほかの誰かがうたうことになっていたかもしれない。

そんなエピソードが、戦後苦しめられたヒロポンの話や処女喪失の話などとともに、彼女の自叙伝「人生のプラットホーム」に書かれている。

では、三つの歌を。

① 「純情の丘」作詞:西條八十、作曲:万城目正、昭和14年
この頃の歌謡曲は映画とリンクしていて、この歌も松竹の「新女性問答」という映画の主題歌。乙女チックな詞はいかにも西條八十らしい。

作曲の万城目正は、昭和流行歌の大作曲家で、戦前なら「旅の夜風」(霧島昇・ミス・コロムビア)、戦後なら「リンゴの歌」(並木路子)、「この世の花」(島倉千代子)、「あの丘越えて」(美空ひばり)で知られている。
昭和30年代に高石かつ枝がカヴァーしている。

② 「水色のワルツ」作詞:藤浦洸、曲:高木東六、昭和25年
歌謡曲嫌いの作曲家・高木東六唯一のヒット曲。それでもこの曲以外、美空ひばり池真理子らに数曲書いている。
昭和歌謡史に残る名曲でカヴァーする歌手も多い。

格調高い詞は、淡谷のり子の「別れのブルース」「東京キッド」など美空ひばりの初期の歌を書いた藤浦洸。昭和30年代はNHKの「私の秘密」などにも出演していたタレント作詞家。

③ 「なつかしの歌声」詞:西條八十、曲:古賀政男、昭和15年
服部良一のタンゴ、「夜のプラットホーム」とどちらにしようか迷いましたが、やはり古賀メロディーをとりました。
この曲は藤山一郎とのデュエットで、後年は彼のソロとしてうたわれることが多かった。
昭和40年代だったか50年代だったか、東京12チャンネル(地デジ化のいまは違うのかな)のナツメロ番組のテーマミュージックとして使われていたような記憶が。

高木東六ではないですが、歌謡曲が嫌いだった父親が、何気なく口ずさんでいるのを子供だったわたしは、聞きのがさず、記憶に強く刻んでおいた。
そんな思い出のある曲です。

二葉あき子さん、96歳といいますから大往生です。
ご冥福をお祈りいたします。


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三つの歌●エルヴィス・プレスリー① [day by day]

elvis presley01.jpg 

 You look like an angel
 Walk like an angel
 Talk like an angel
 But I got wise
 You're the devil in disguise
 Oh yes you are
 The devil in disguise
 
 You fooled me with your kisses
 You cheated and you schemed
 Heaven knows how you lied to me
 You're not the way you seemed
([(YOU’RE )THE DEVIL IN DISGUISE] ,written by GIANT, BAUM, KAYE,1963)

仕事はとうに一段落したのに、まあエンジンのかかりのわるいこと。
しょうがないよな60年も乗ってんだから。

怠けているあいだに、いろいろな人の訃報をききました。
音楽関係でも、原田芳雄、ジョー山中、日吉ミミ……。

原田芳雄のときは涙がこぼれそうになりました。親父の葬式でも泣かなかったのに。
もはや精神も老化したということでしょうか。

原田さんはひと回り以上年上なのですが、同じ地域で育ったということもあり、昔から他人とは思えない感情を抱いておりました、勝手に。
映画なら、つかこうへいの「寝盗られ宗介」。歌なら藤竜也・エディ藩コンビで「中上健次」がでてくる「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」

ジョーのいないニューイヤー・ロック・コンサートは味気ない、多分。
数年前に出した、ミッキー吉野「ムーチャ・クーチャ」は良かった。

ジョー山中さんはボクシングでグリーンボーイの経験があり、テレビを見ていたら出棺のとき、親友のカシアス内藤が先頭で棺を支えていた。64歳は若い。

日吉ミミさんも64歳だった。
私生活はしりませんが、画面からはどことなく幸薄そうな印象を漂わせていました。
そんなイメージからか寺山修司が詞を書いた「人の一生かくれんぼ」はフェヴァリットソング。

人間は死ぬために生きているのですから、仕方のないことなのですが。
で、今日8月16日はエルヴィスELVIS PRESLEY の命日。

亡くなったのは1977年。昭和でいうと52年、34年前ということに。

歌謡界ではピンクレディーにキャンディーズの全盛期。
加えて山口百恵に桜田淳子、岩崎宏美といったアイドル百花繚乱。

男では沢田研二のひとり勝ちで、バンドなら世良公則&ツイスト。
ほかでは中島みゆきがブレイクの兆し、松山千春が「旅立ち」でデビュー。

テレサ・テンが日本に上陸したのもこの年でした。

当時はそれほど感じなかったけれど、今になってみるとエルヴィスの42歳というのは信じがたいほど若すぎる。

もちろんエルヴィスはリアルタイムで聴いていますが、デビューから大ブレイクした1950年代は知らず、60年代に入ってから。
楽曲でいうと、「GIブルース」G.I. BLUESとか「グッド・ラック・チャーム」GOOD LUCK CHARM、あるいは「心の届かぬラブレター」RETURN TO SENDERあたり。

その後、60年代末から70年代にかけて「ビバ・ラスヴェガス」で再(といっていいのか)ブレイクしますが、それから10年もたたずに亡くなってしまいました。

生きていれば、第三の、そして第四の「エルヴィス・ブーム」が来たかもしれません。
しかし、40歳はシンガーとして峠を越えたあたり。このあと坂を下っていく前に“結末”を迎えたことは、「伝説化」という意味からも、それはそれで良かったのかもしれません。

ヒット曲でいうと1956年の「ハートブレイク・ホテル」HEARTBREAK HOTELから70年代の「バーニング・ラヴ」BURNING LOVE まで名曲は数知れず、
その中から3曲を選ぶのは正直至難。

そこで、曲はもちろん好きだけど、それをカヴァーしたシンガー(カヴァーでなくオリジナルもあるけど)あるいは編曲も含めたカヴァー曲そのものがカッコイイ歌を選んでみました。

「ハウンド・ドッグ」HAUND DOG 1956
「ブルー・スウェード・シューズ」BLUE SWEDE SHOESもそうだが、エルヴィスのヒット曲そのものがカヴァーというケースも少なくない。
この歌もまたそうで、オリジナルはブルースシンガーのビッグ・ママ・ソーントンBIG MAMA THORNTON

子どもの頃、4歳年上の遊び友達、谷井くんが、印象的な歌い出し、
You ain't nothin' but a hound dog
だけを何度も執こいほどうたっていたのを思い出します。

「監獄ロック」JAILHOUSE ROCK 1957
カヴァーの難しさは、オリジナルに忠実にうたえば「真似」だし、自分の個性を前面に出してうたうと、暴走、脱線というケースに陥りやすい、ということ。
しかし、稀にオリジナルを越えてしまうような素晴らしいカヴァーもある。

たとえば、村田英雄の「人生劇場」とかフランク永井の「君恋し」とか。

たとえが古すぎる?

じゃ、岩崎宏美の「すみれ色の涙」とか、ロス・インディオス&シルビアの「別れても好きな人」とか。
まだまだ古い?

とにかくそういう強力なカヴァーがときにはでてくるもので、ブルース・ブラザーズBLUES BROTHERS のうたった「監獄ロック」もそのひとつ。
まあ、映画のインパクトが強かったということもありますが。

「悲しき悪魔」(YOU’RE )THE DEVIL IN DISGUISE 1963
つい最近聴いたような気もしますが。
この曲は上の2曲とちがって、オリジナルをリアルタイムで聴いた曲。
1963年、昭和38年といえば、日本ではカヴァーポップスの全盛期。
この「悲しき悪魔」を誰がカヴァーしていたのか、残念ながら記憶がない。
そこで調べてみると、どうやらかの内田裕也がカヴァーしている(ふつう1曲に複数人がカヴァーするので、ほかにもいたかもしれない)。

残念ながら内田裕也の「悲しき悪魔」は聴いたことがない。
彼は「ラスヴェガス万才」もレコーディングしているので、当時はエルヴィスファンだったのかもしれない。

YOU-TUBEはクリス・アイザックCHRIS ISAAK とリアン・ライムスLEANN RIMES。
デュオというのもおもしろいし、男の色気と女の色気がぶつかっているのがなんともイカしている。

数年前まで原宿の「ロックンロール・ミュージアム」の前にあったエルヴィス像も、閉店とともに撤去されてしまった。
その後の「彼」の消息は知らなかったが、今回ネットで調べてみたら神戸のハーバーランドに移転したとか。

本場メンフィスにある彼の聖地「グレイスランド」への訪問客も近年減っているらしい。
昨年はさいたまスーパー・アリーナにあった「ジョン・レノン・ミュージアム」も閉館になっているし、時節の移り変わりで仕方のないこととはいえ、寂しいことです。
でも、今日、日本のそこかしこでエルヴィスを偲ぶショウがおこなわれていたのではないでしょうか。


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三つの歌●六月 [day by day]

チェリッシュ・海の見える部屋.jpg

六月をタイトリングした歌といえば……。
ザ・ピーナッツ「ジューン・ブライド」しか思い浮かばないなぁ。
しかも、ヒット曲というほどではないようで、YOU-TUBEもない。

ビッグ・イヴェントもなければ、祝日もない。ほんとに「梅雨」以外はなんもない六月。

だから歌もない。
なんてことはなくて、六月の歌はそこそこあるんです。ただ知らないだけ。

多いのは「雨」の歌。やっぱり。
「六月の雨」という歌をうたっているのは、松山千春、小椋佳、谷村有美などがいて、矢沢永吉にも「六月の雨の朝」がある。

でも、五月も「五月雨」で「雨」だったし、また雨かよ。雨はもうたくさんだよ。という気分もありますので。
雨の降らないスカッとした(言い方が旧い)六月の歌を。

トップバッターは(言い方が旧い・以下省略)、チェリッシュ
チェリッシュといえばウエディングソング「てんとう虫のサンバ」があるので期待できます。「六月」が出てくるのは「海の見える部屋」

♪二人で暮らした 海べりの部屋を 出て行くの 六月の朝に

って別れの歌でした。それも結婚あるいは同棲していたカップルが別れるというのだから決定的。
六月といえば冒頭でもふれましたがジューンブライドなんだけど、離婚もそこそこ多いのでしょうか。
ある統計によれば、結婚も離婚も多いのは年度末の3月。日本人らしいといえばらしい。
離婚に関していえば、六月は十一月に次いで2番目に少ない月だとか。
まぁそんなことはどうでも。

「海の見える部屋」はチェリッシュのピークを過ぎた時期の歌。作曲はムード歌謡の帝王・吉田正でしたが、ヒットするまではいきませんでした。でも、けっこう好きな歌。

お次は。
荒木一郎。……あゝ、なんとなく空もようが……。雨かな。よくて、曇り空。
これが加山雄三だったら、さんさんの太陽に雲の影だに見えない青空、ってことになるんだけど。

とにかく歌は「君に捧げるほろ苦いバラード」。もうタイトルからして鬱陶しかったり。

♪六月の空をみれば まぶしすぎる僕だよ

荒木一郎の場合は「六月の空」。
でも、「まぶしすぎる」といってますから、雨ではない。
明るい曇り空というのもありますが、快晴、青空という可能性も。

しかし「君に捧げるほろ苦いバラード」そのものは暗い、梅雨空のような歌です。
やっぱり恋人との別離をうたっています。今度は男の側から。
その別れもどこか死別のような。そして、彼も後追いをしそうな。そんな雰囲気をただよわせた歌です。

とチンパンジー、いや一般人(古典的ボケ)は思ってしまうのです。
ところがこの歌の「君」とはどうやら荒木氏が飼っていた愛猫のことらしい。
そういえば彼の「愛しのマックス」も愛犬をうたった歌だとか。

甘いメロディーもいいけど、デキシー風のアレンジが素晴らしい歌です。

2曲終わって、どうも六月の空はすっきりしません。
そして最後の三曲目。これも「六月の空」がうたわれています。

曲は「G線上にひとり」、うたうのは森田童子
もう、名前が出た時点でアウト。明るい歌なわけがない。

♪何にもいわない 六月の空は 僕の好きな 水色です

まぁ歌の「明暗」はともかく、いいですね、いつもながら彼女の歌詞。みずみずしくって。
深刻にならず、さりとてディープで儚い孤独をうたうのが上手。
解説するのは野暮だけど、六月の空の色が灰色ではなく、かといって青でもなく水色というのがいい。ただの水色ではなく、僕の好きな水色というのがまたいい。シツコイか。

この歌、森田童子ベストコレクション「僕たちの失敗」のなかの一曲なのですが、若草恵の編曲も格調があってすばらしい。

それでも「水色」ですから、六月の空はようやく晴れました。
えっ? 「空は晴れてもこころは闇だ」って?
またずいぶんいにしえのセリフを。いまどきの人にわかりますか、この名セリフは吐いた人(実在の人物じゃありませんよ)。

美樹克彦じゃないかって?
残念でした、それは「どんなに空が晴れたって それが何になるんだ…………バカヤロー」です。


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三つの歌③雨―邦楽篇 [day by day]

裏切りの街角.jpg

毎日毎日しょぼしょぼと降っております、雨が。
なんでも日本では3日に2日はどこかしらで雨が降っているのだとか。
東京でいえば、数字的にはほぼ1週間に2日は雨となるそうです。
実感ではもっと少ないけど、けっこう降ってます。量はともかく。

ほんとに多い雨ですけど、いにしえの人々はそんな雨にいろいろな名前をつけています。
ちょっと降ってすぐに止む雨が「にわか雨」とか「通り雨」。
それが秋から冬にかけての冷たい雨だと「時雨」(しぐれ)。
夏の夕暮れに降れば「夕立」。

短時間に大量に降る雨は「驟雨」。「篠突く雨」なんて言い方も。
長い時間をかけて降るこまかい雨なら「小糠雨」(こぬかあめ)。
ほかにも季節によって「春雨」だとか「秋雨」だとか、いまの時期なら「梅雨」や「五月雨」(さみだれ)。

邦楽でも「雨」は歌謡曲にしろポップスにしろ“王道”。
「雨か涙か、涙か雨か」っていうぐらいよく降ってます。

あまり多すぎて目移りしちゃうので、ここは絞って季節からいってもふさわしい「五月雨」を。

J-POPでもいくつかあるようで、YOU-TUBEで聴いてみましたが、最近耳がわるくなったのか、何をいっているのかわからなかったのでパス。

パスしたのはいいけれど、意外とない「五月雨」。

聴き覚えのある「五月雨」は小林旭「五月雨ワルツ」伊勢正三のアルバム「北斗七星」におさめられた「五月雨」、そしてYOU-TUBEではじめて聴いたふきのとう「五月雨」

なかでもフェヴァリットなのが「五月雨ワルツ」。ただ、残念なことにYOU-TUBEにありません(以前はあったんだけど)。

では伊勢正三かふきのとう、となるのですが、どちらもあえて取り上げるほど好きではないし、思い出もありません。
それならばと、歌詞のなかにでてくる「五月雨」を探してみたら、ちょうど3曲ありました。

うんと古い歌なら、昭和12年の御座敷ソング「蛇の目のかげで」(きみ栄)に、
♪あきらめしゃんせと 五月雨が
 濡れて待つ身に 降ったとさ
とでてきますが、これはほとんどの人の耳になじみがないのでパス。

ひとつめは、フェヴァリットソング。
「裏切りの街角」甲斐バンド 昭和50(1975)年
これはつい最近「ハスキーヴォイス」のところで取り上げました。初ヒットとなった彼らのセカンドシングル。

この歌をはじめて聴いたのは30数年前。
そのときの情景はなぜかはっきり覚えています。

印刷工場で働いていたある日のこと。残業をしているとラジオからこの歌が。
はじめて聴く曲だったので「誰だ、これ」と誰にいうでもなく言葉を吐くと、同僚の松ちゃんが「ショーケンだよ」とわけ知り顔で。

なるほどあのハスキーヴォイスは紛れもなくと、納得。
ところがその後ラジオから頻繁に聞えるようになり、甲斐バンドの「裏切りの街角」と判明。
「松ちゃんのヤロウ……」

つぎは、フォークの範疇に入るのでしょうか。
「通りゃんせ」佐藤公彦 昭和47(1972)年

「裏切りの街」がヒットした昭和50年は、ユーミンやグレープが登場し、それまでの“フォーク”が“ニューミュージック”に変わりはじめた頃。
その3年前の47年は、よしだたくろうのデビューが象徴するように、それまでの反戦も含めたメッセージを前面にだしたフォークソングがラブソングに変わっていった時代。

童謡のタイトルそのままの「通りゃんせ」は、和風というか、万葉の匂いまでただよわせたトーチソング。
女歌で、シンガーもユニセックスを感じさせたケメこと佐藤公彦。
ある意味フォークの過渡期であり、百花繚乱のなかに咲いた不思議な歌。

それから数年後にやってくる抒情派フォークを先取りしていたといえなくもない。

ラストは、これ。
「初恋」村下孝蔵 昭和58(1983)年

近年亡くなりましたけど、これまた「踊子」と並んで名曲です。
いっちゃなんですが、村下孝蔵、ビジュアル的には極めてインパクト小。
七三分けの短髪にネクタイとまるでサラリーマン。
小太りで面相もいまでいうイケメンとはお世辞にもいえない。

それがひとたびうたいだすと、自作の美しいメロディーにふさわしい美声と華麗なギターテクニック。
このギャップが魅力でした。
ほら、クラーク・ケントだって普段はさえない新聞記者だったものね。

いま考えると、あれが村下さんの個性だったんだなとわかります。
もし多くのミュージシャンがそうだったように、長髪、ジーパン、あるいは見栄えのいい派手な衣装だったら、さほど印象に残らなかったかも。

とにかく歌だけで勝負した数少ないシンガーソングライターでした。

それにしても五月の雨が「さみだれ」とはね。
五月では、五月の蠅が「うるさい」で、五月の女が「さおとめ」だもんね。
ほかにも五月の病(やまい)で「ノイローゼ」なんて、いわないか。ふつう「ごがつびょう」だよね。

では五月生れの子、すなわち五月の子、「五月子」は?
そうです、ご想像どおり「めいこ」ですね。むかしは「ごがっこ」なんていうのもあったけど。

ではもうひとつ、五月の馬つまり「五月馬」は?
「めいば」つまり「名馬」だろうって?
残念でした「ダービー馬」でした。
やられちまったよ、昨日は。


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