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異論な人●お下げ髪 [people]

 キューポラのある街4.jpg

♪ 長いお下げ髪 あの娘のことさ
  あぜ道がえり いじめた娘だよ
  忘れはしない お下げ髪だよ
  別れのときに 何にも言えず
  お下げのリボンを 投げてった
  涙のつぶが 光っていたね
  これがこれが 恋ならば
  僕は僕は さびしいよ
  僕は今日も 今日もひとりぼち
(「長いお下げ髪」詞・曲:神津善行、歌:守屋浩、昭和37年)

先日、ある女性とすれ違ってギョッ(なんていわなかったけど)とした。

なぜかというと、その女性髪を三つ編みお下げにしていたから。

いまどき「お下げ」なんて流行りじゃないけど、さほど驚くことでも……と思うかもしれませんが、まだ話は途中。

髪の色は茶と白のまだら。茶に染めたものの、時間が経って地毛の白髪が少し混じってしまったのでは、と見受けました。
そうなんです、彼女は見たところ40代半ばから50歳あたり。つまり中年女性だったんです。

ファッションもなかなかで、ボヘミアン調のロングスカートにボアのついたバックスキンのコート。足元はロングブーツ。
自分のファッションに自信があるのか、さっそうと風を切って通り過ぎていきました。

しばらく前に60代とおぼしき女性の三つ編みは見たことがありましたが、その彼女の場合、ひとつにまとめた三つ編みでした。
今回のようにきれいに両肩に垂らしたお下げ髪はひさびさ。それも中年女性とは。

われわれの中高時代は、お下げの娘はさほどめずらしくはなかった。といっても決してマジョリティではありませんでしたが。

制服もセーラー服からジャッケト風のものに変わっていった頃で、それとともにお下げ髪も衰退していったように。
それでも、学校によってはセーラー服と三つ編みお下げを校則にしていたところもあったり(とくに女子高)。

高校時代のクラスにも、お下げ髪の同級生がいました。じつはこのブログを書いている途中で、その娘のことを思い出したのですが。

修学旅行で同じグループになり、列車の中で彼女が、わたしの肩に頭をのせて居眠りをしてしまったなんてことがありました。

もちろんわたしは、起こすなんて野暮なことはしません、目覚めたらどんな顔するのかななんてイタズラごころもあったりして。

そして、案の定目を覚ますと、何か不潔なものから逃れるかのように、パッとわたしから身を離したことを思い出します。その後、お互いに恋愛感情が芽生えたなんてこともなかったけれど、いま思えば、彼女のあの仕種、なんて純情だったことか。

その彼女の顔は思い浮かぶのですが、名前がでてこない(名簿も写真も手元にないので)。
でもあだ名は覚えている。あだ名といっても男子連中がカゲで言ってただけで、決して彼女の前で言ったりはしませんでしたが。

そのあだ名は「マンジュシャゲ」。
なぜかというと、彼女は丸顔で、お下げ髪、つまりマンジュウにお下げ、すなわち「マンジュシャゲ」。アホな高校生はいまも昔もです。

そうした「お下げ髪」ももはや「昭和の遺物」と化してしまったのでしょうか。ときおり昔の映像で見ることもありますが、昭和20年代から40年代にかけての流行歌にもしばしば登場します。では、そんな歌をいくつか。

「白い花が咲く頃」(岡本敦郎) 昭和25年
戦後、苦しいなりにどうにかこうにかひと息入れられた頃のヒット曲。初恋を偲ぶ歌で、白い花と初恋の相手をダブらせたところは戦前の「森の小径」にも通ずる。
元音楽教師の岡本敦郎のていねいな歌唱がこの叙情歌にぴったり。歌声喫茶の定番だったようですが、はたしていつまでうたわれる続けるのでしょうか。

ほかでも、26年には美空ひばり「おさげとまきげ」が、また32年には三橋美智也「お下げと花と地蔵さんと」があるし、津村謙「月夜の笛」(30年)にも「お下げ」がでてくる。

「長いお下げ髪」(守屋浩) 昭和37年
これも幼なじみとの初恋をうたったもの。
この歌を聴いていると、「そうだった、お下げにリボンを結んでいた娘がいたな」って想い出したり。
歌ではそのリボンが何色か説明していませんが、どうしても紺色なんですね、思い浮かぶのが。
作詞作曲は神津善行。中村メイコの旦那さん。といってもいまじゃ中村メイコを知らない人のほうが多い。きっと。
ほかにヒット曲としては、どちらも作曲のみですが、江利チエミ「新妻に捧げる歌」「星空に両手を」(島倉千代子、守屋浩)が。
また、美空ひばりとは懇意にしていて「髪」「夾竹桃の咲く頃」、「喜びの日の涙」、「さよならの向こうに」などを手がけています。

「明日があるさ」(坂本九) 昭和38年
いまじゃストーカー行為として忌み嫌われる「待ち伏せ」ソングで、なかなか告白できないけど、いつかきっと……、という思いがもてない若者(余計なことを)の共感を得て大ヒット。
その詞は青島幸男。傑作です。カントリーを思わせる旋律は「芽生えてそして」中村八大
もちろんヒットの最大の要因は陽性シンガーの坂本九。10年余り前にウルフルズなどがリメイク。でも当然なんだろうけどウルフルズでは「お下げ髪」は出てこない。とはいえ今後もなにかにつけてリバイバルしそうな「長生きソング」。

「夕笛」(舟木一夫) 昭和42年
「美少女好き」(嫌いな男いるのかな)西條八十、晩年の傑作。
西條が尊敬する三木露風が実体験から書いた詩「ふるさとの」がベースになっている。
曲は「東京無情」船村徹
当時のヒット曲の例にもれず映画化されていますが、観ていません。
時代は大正あるいは昭和初期の設定でしょうか。なら、お下げ髪、さもありなん。

この時代のいわゆる「青春歌謡」にはしばしば「お下げ髪」がでてきました。なにしろ日本最後の純情時代でしたから。
たとえば北原謙二「若い明日」「忘れないさ」三田明「ごめんねチコちゃん」などにも。

ところでYOU-TUBEの松原智恵子さん、似合ってますね、お下げ髪。
お下げの似合う、あるいは似合った女優といえば誰でしょうか。

「夏よお前は」(ベッツィ&クリス) 昭和45年
ポップス系で「お下げ」がでてくるのはめずらしい。といってもそもそも「お下げ髪」は舶来品ではあるのですけど。
ただ、なんでベッツィ&クリスなのかという疑問は残りますが。名曲です。
これも以前とりあげましたが(もうネタぎれ、使い回し大会状態)、作曲の井上かつおの最大のヒット曲は森山加代子「白い蝶のサンバ」。そういえば加代ちゃん、デビュー当時はお下げ髪だった。

話をはじめに戻しまして、道ですれ違った40代のお下げ髪、じつはつい最近も見かけました。それも意外なところで。でそのとき、彼女が何者なのかもわかってしまいました。

それは、わたしがいつも駅まで行く途中で横切る公園でのこと。
その公園の砂場で彼女は何人もの幼児と遊んでいたのです。
どうやら彼女は保母さんだったようです。

ほかにも数人の保母さんや保父さんがいましたが、みんな若者で年配者は彼女だけ。
もちろん、お下げ髪も彼女ひとり。

しかし、その働きぶりというのか、幼児の扱いは若い保母さんとまるで変わらない。
もしかしたらあの「三つ編みお下げ髪」は、若い人には負けない、わたしだってまだまだ若いんだ、という彼女の心意気の象徴なのかも知れないなんて、通りすがりに感じたり。


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異論な人04●Girl②金髪 [people]

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まぁ乗客ウォッチングのために電車に乗るわけではないのですが、ついつい。

というか、ふつうは電車に乗っている時間は“読書タイム”なのですが、最近夜ふかしがたたってか、“コックリさん”になってしまうことが多くて。

乗客ウォッチングしていると、なぜか眠気がスッと消えていくから不思議。
しかし、ウォッチングっていっても、ただ見てればいいってもんでもない。
あんまりジッと見てると、「何見てんだよ」って感じで睨まれたり。

とりわけそれが女性、それも若い女性だと目が合っただけでも「なによ、このオヤジ」って顔をされかねない。
だから畢竟、見るのは同性、それも年配者になってしまいがち。

でも、たまには見たいよね、若い女の子を。

その少女を見かけたのは、そこそこ混んでる都営大江戸線の車中。
わたしは座席に腰掛けていて、両国駅で彼女は乗り込んできました。

まず髪はショートで鮮やかな金髪。
他の乗客が壁になって顔はよく見えませんでしたが、例によってマンガチックなどぎついつけ睫毛は確認。

服装は黒のミニのワンピースに白いブーツ。

異様な感じを受けたのは、背中に身の丈60センチほどのテディベアを背負っていたこと。
それも、正面をこちらに向けて。つまり少女とテディベアが背中合わせになっている状態。

で、ほかにはなにもなし。つまりバッグひとつもたない手ぶら。

連れもいなくて、ひとりぼっちなので、もしかしたら何かの撮影か、と思って周囲を見回しましたが、それらしき様子はなし。

結局、彼女はすぐに上野御徒町で降りてしまいました。

たしかにそのテディベアのインパクトは強かったのですが、こうした若さゆえの“衒い”っていうのは、ややもするとクサミになってしまったり。

それよりも記憶に焼き付いたのは金髪と黒のドレスのコントラスト。とりわけ金髪は、「ジス・イズ・ブロンド」といえるほど今まで見たことのない鮮やかな金色でした。

どうせカツラ(ウィッグっつーの?)か染めてるんであって、本モノじゃねえだろって?

そりゃそうです。
だいたい金髪なんてほとんど紛い物。
あのモンローだって、マドンナだってブロンディのデボラだってみんな染物ですから。

本モノの金髪なんて全人類の1~2%だそうで、そうはいない。
なのにハリウッドではウジャウジャいるような印象があるものね。

ということは、金髪に憧れるのは、東洋人、西洋人かんけいないのかも。希少価値という意味では鉱物の金すなわちゴールドと同じ。

しかし、あの金髪、西洋人にとっては金色とは認識していないんでしょうか。
ゴールデンヘアとはいわないものね。あくまでブロンドっていうし、ブロンド、イコール、ゴールドではない。

フォスターの「金髪のジェニー」はJeannie With the Light Brown Hair だから金髪ではなくどちらかといえば茶髪。

本モノ贋モノの見分け方はほかの毛を見ればわかるとか。
たとえばアンダーヘアもあるけど、そうは見れない。いちばん見分けやすいのは眉毛。
「ブロンディ」のデボラ・ハリーのように金髪なのに眉毛クログロっていうのは間違いなく贋モノ。
でも、眉毛だって染めることはできる。

もうひとつ、ブロンドと碧眼は対になっていることが多いとか。そういえばブルーアイズの比率も2%程度でした。
だからブロンドに青い目というのは、限りなく本モノに近いのでは。でも、今はコンタクトもあるけど。

まぁ、本モノでも贋モノでも見る分にはどちらでもかまいません。
ホームで見た少女のようにフンイキバッチリなら、日本人だって似合わなくはない。
年齢性別も関係ない。

ビートたけしだって、あれ金髪でしょ。内田裕也もそうだし、美輪明宏だって(あれは黄色かな)。
彼らは芸能人だから、っていうなかれ。
最近ふえてるんじゃないでしょうか、中年男の金髪。

先日、幼なじみと道でバッタリ。
はじめお互いにわからなかったけれど、最初に気付いたのは向うのほう。
「ずいぶん白くなっちゃったから、はじめわかんなかったよ」
だって。

そう、わたしの頭髪のことをいってるのです。
そういう彼の頭髪は短く、金色に染めていた。
「染めてんだ?」
と訊くと、
「ああ、いいもんだぜ、そっちも染めてみたら」
だって。

以前、知合いで白髪を黒く染めているヤツがいて、いっとき「染めようかな」って思ったことも。
でも、染めなかったのは、一度染めると常に染めずにはいられなくなることが目に見えているから。ヒゲそるのだって面倒くさいのに、髪の毛洗うたびに染めるなんて、トテモトテモわたしの性分ではムリ。

わたしのような無精な人間がやると、染め方もやがて中途半端に。先は金髪だけど根元は真っ白なんてこと。
だから染めるのはあきらめて、せいぜい帽子でごまかしておくのが無難でしょう。

そうそう、例の道でバッタリの金髪のせんせい、小中時代の同窓生。
中学時代は3年間ずっと同じクラスでした。
だからって3年B組じゃなかったですけど。

それでは型どおり、さいごに「少女」「金髪」の歌を。


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異論な人03●Girl①化粧 [people]

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またしても電車中での目撃談。

別に電車中限定ではないのですが、「異論な人」を見る機会は電車中が多くなる。

それはわたしが電車によく乗るということもありますが、見知らぬ、それも数多の人びとと狭い空間を共有するはめとなる電車中では、ついついやることがなくなり、ついつい「異論な人」探しをしてしまったり。

2人とか3人で乗車すれば、話をしていればいいですが、1人ではそうはいかない。
たまに1人でも喋っている人もいますが、ふつうは無言の行。

とはいえなにもしないというのも、それはそれで苦痛なことで。
乗客のみなさんたいがいなにかをやっている。
では、なにをやっているのか。

いちばん多いのは最近なら、ケータイやゲーム。次が古典的な新聞、雑誌、本を読むこと。

ほかでは意外に多いのが「居眠り」(実は個人的には最近コレばかり)、それと週刊誌の中吊り広告をはじめ、車中の広告を読み漁る。最近はニュースや映像もあって、そこそこ暇つぶしにはなる。

ほかでは、仕事。プレゼン用かなにかの書類のチェック、あるいは校正、なかにはノートパソコンでブラインドタッチを披露している人もいたり。

また、立って吊皮につかまっている人では、ぼんやり窓外の景色を眺めているというのも多い。

先日見かけたのが、化粧。

これは時々みかけます。
しかし、こないだのはスゴかった。

午前十時過ぎころで、満員ではないけど、立っている人もそこそこという車中。
わたしが乗り込んだときも空席はなく、吊皮につかまり(こういう情況ではまず眠くならない)、「今日もスカイツリーは霞んでいるやろか」などと窓外をたしかめたあと、視線を落とすと座っていたのは今風の少女。
歳のころなら十八、九。

まさに“工事中”いや“作業中”(同じか)でありました。
すでにマンガチックなケバケバしいつけ睫毛は装着ずみで、左手に小鏡、右手に細い筆のようなものを持ち、さらに目に装飾をほどこしております。

ジッと見続けるわけにもいきません(許されればそうしたかったけど)ので、外の景色8分に少女2分という割合で視線を送っておりました。

目的地までは10駅あまり。時間にして20数分。
結局少女は、わたしが電車を降りるまで、いや多分降りたあとも化粧を続けていました。
口紅を塗ったり、鼻のわきにカゲをつけたり、頬やおでこを光らせたり……。

そうして少女は、下車する頃にはみごと変身して、さっそうと職場にあらわれるのでしょうね。

想像するに、わたしが乗車する前からすでに“工事”ははじまっていたのですから、最初はおそらく素面。しかしスゴイ時代になってますね。部分的なメイク直しは時たまみかけますが、彼女のような「車中フルメイク」は初めて。

寝坊してしまったのか、これが少女の日課なのかはわかりませんが、とにかく素顔から完成までの工程を、電車中とはいえ公衆の前で披露したのですからその度胸たるや。
テレビ番組風にいえば「電車中、全部見せますワタシの化粧AtoZ」てなことに。

電車中の化粧については、本もでているくらいで顰蹙をかっているようです。
とりわけ年配者、それも男性がお怒りのようです。

「ヤマトナデシコが、あゝ嘆かわしい」「あの奥ゆかしき女性やいま何処」
ってな具合でしょうか。

同性はどう思ってるんでしょうか。
一般論はわかりませんが(推測するに年配女性も眉を顰めているのでは)、以前読んだ本で中年のジェンダーの方々が対談しておりまして、その中ではたしか、「どこで化粧をしようが勝手」とかの女性の蛮行、いや品行を擁護しておりました。というより、彼女たちの矛先は、そうした行為を攻撃する男どもに向けられていた、というふうに読みとれました。

ついでにいうと、そうしたジェンダーの彼女たちが自身の化粧に無頓着だったり(余計なことを)。

わたしは、「“公前”で化粧する少女」たちにモノ申そうという気はサラサラありません。

大いに歓迎というと、同性から袋叩きにあいそうですからそこまではいいませんが、普段見れないものをジックリ(とはいかないんだけれど)見れるから、それはそれで暇つぶしにはなるのではないかと。

粉が飛び散ったり、香料が強すぎなければ、怒るほどのことではないのではというのが、わたしの本音。

もうひとついえば、やはり衆目での化粧は「恥ずべきこと」「慎むべきこと」という通念があるようで、実行しているのはほんのマイノリティ。ほとんどの少女たちは我慢(たぶん)しているんでしょう。

したがって、かの少女たちにもやがて歳とともに「社会的羞恥心」というのが植えつけられ、電車中の化粧をしなくなるはず。
意図的に反社会的行為を遂行しょうという強い意志をもった例外的人間はいるとしても。

つまり、電車中の化粧は「若気の至り」なのでありまして、それに顔をしかめる「大人」がいるのもこれまた当然ということなのでしょう。

それが証拠に、二十代後半とか三十代以上の女性で、電車中で化粧をしている女性というのはまず見かけませんから。
まぁ、歳とともに化粧に対する執着心がうすれてくるってこともあるでしょうけど(もう少しガンバッても、という思いがなくもないけど)。

では最後に、70年代の「少女」の歌、そして「化粧」の歌を。


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●異論な人②ホリデイ [people]

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東京には意外と知らない鉄道があるもので、東武亀戸線もそのひとつ。

浅草から足利、伊勢崎と群馬県の主要都市へのびる東武伊勢崎線と交差する「曳舟駅」から終点の「亀戸」まで途中駅が5つ、10分足らずという短い路線。車両が2輌連結というのも東京の路線ではめずらしい。

終点の亀戸餃子、いや亀戸天神で知られる亀戸駅は総武線もあって、利用客はほぼそっち。
わたしも年に数回ほどしか乗ったことはなく、朝夕のラッシュ時はもちろんないのですが、昼間はいつでもゆったり座れるほど空いている。

最近では車窓から至近のスカイツリーも眺められるので、一度乗ってみませんか、ってすすめるほどでもないか。

まあ、そんな地味な鉄道ですが、つい最近も乗る機会がありました。

座席に腰をおろし、見るでもなく車内に眼をやっておりました。
最近、寝不足なのか、電車内で本を読み始めると、1頁もすすまないうちに瞼が重たくなってきて……。ときにはバシャッと本が床に落ちた音で目が覚めたりして。

そんなわけで、バッグから本を取り出す気にもなれません。

電車はひとつ目の「小村井駅」に着きました。
パラパラと 乗りパラパラと 降りる客
なんて川柳をひねっている場合ではありません。

で、乗ってきたひとりの客に目がクギづけ。
すらっとした体型。
デニムの短パン(昔はホットパンツなんていったよね。いまはなんていうの? とにかく超短めの半ズボン)から伸びた長い素足。その先は踝がかくれるほどの短い黒のブーツ。

上はピッチリした白のブラウス。襟はワイドで、ノースリーブ。もちろん裾は外。

顔にはサングラス。これも最近多い昔でいうところのフレームの大きい「アラレちゃんメガネ」。それも白フチ。

さらに紺の野球帽を反対かぶり、その上にもうひとつフチが黒の「アラレちゃん」メガネをのせている。

手には信玄袋のような小さなひも付きの袋をなぜか2つ手首にひっかけていて、足元には洒落たデパートの紙袋を置いている。

車内はガラガラだというのに、その御仁座らず、ドアの傍に立って単行本を読んでいる。

わたしがファッションやブランドに明るければ、もう少し気の利いたレポートができるのですが、悲しいかなグッチもサッチも知らないもので。

とにかく、その後の駅で乗ってきた客がいちように視線を送るほど目立つというか、キバツというか、キチガ、いやバチガイというか、そんな服装でした。

まぁ、渋谷や青山あたりなら、とりたてていうほどのファッションではないのでしょうが、なにしろ墨田区ですから。東武亀戸線ですから。(関係者の方スイマセン、悪気はないんですよ)

わたしだって、ファッショナブルといわれる街へはイヤイヤながら、仕事でしょっちゅういってますから、亀戸線で見かけた服装などそうびっくりするほどのものではありません。それが女性なら。

そうなんです、そのデニムの短パンの御仁はオトコなのです。

しかし、最近は男だって、ミニスカートこそ履きませんが(ロングだって履かないよ、フツウ)、ノースリーブのブラウスに短パン姿なんて、特筆するほどのファッションでもありませんよね。それが二十歳前後の若い男なら。

そうなんです、その帽子反対かぶり、ダブルサングラスの男は、その顔の表情(とりわけシワ)から、どうみてもわたしより年上、つまり60代後半、ややもすれば70代とお見受けした次第なのです。

サングラスに隠された顔は、やや面長で「ゆうちゃん」に似ていました。
日ハムの斎藤佑樹かって? まさか。
じゃ、石原裕次郎かって? いえいえ、言ったでしょ「面長」って。そう、伊藤雄之助ですよ。え? 知らない? そうか。

でも文庫本に眼を落して、うつむいている感じはなんとなく、ミシェル・ボルナレフを連想させました。

彼が何者なのか、また、何処へ行くのか、興味はありますが深追いは禁物。

かのミシェル氏、終点で降りると、さっそうと総武線の改札方面へ歩いてきました。わたしなんかよりもはるかに若々しい歩調でした。
新しい発見は、彼の帽子のマークが「B」で、これはまごうことなくMLBは「ボルチモア・オリオールズ」のそれ、ということでした。

では最後にいつものように音楽を。

やはり、かの「先輩」にちなんでミシェル・ポルナレフMichel Polnareffを。
とはいっても知っているのは「シェリーに口づけ」Tout, tout pour ma chérieと「愛の休日」Holidaysぐらい。

「愛の休日」の原題はホリデイズ。
ホリデイズ、あるいはホリデイという歌はけっこうあるようで、マドンナグリーンデイなどもうたっています。
しかし、われわれの世代ではミシェル・ポルナレフもいいけど、やはりビージーズBee Geesじゃないでしょうか。これは名曲ですね。

ところでミシェル氏、あの改札へ消えていったときの歩き方、うしろ姿から受ける印象は、もしかした、こっち系、いやあっち系のひとかもしれないって気がしました。服装見れば想像つくだろって話もありますが。

でもいつだったかテレビで、オカマと女装趣味は違うんだというようなことをやってました。彼がどちらだったのかはわかりませんが、他人がどう思うとわが道を行くという思いは伝わってきました。

世の中男と女のふた通り。“中間”といわれるひとだって、厳密にいえばどちらかにわかれてしまう。
そうであるならば、誰にだって程度の差はあれ“転換願望”があるんじゃないでしょうか。

「じゃあ、おまえは女装できるか?」って?
いやあ、それはちょっと……。
でも、陽水じゃないけど、人生が二度あったとしたら、来世では、女じゃなくてやっぱり男でこの世に現れたいけど、今度は女装趣味のある男がいいな。


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異論な人01 雪駄とニュースペーパー [people]

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わたしはよく電車に乗ります。
だからといってよくいう「鉄ちゃん」ではありませんが。

JR、私鉄なんでも乗りますが、できたら外の景色の見える鉄道がいい。
最近すきなのは、総武線、常磐線、京成線、そして東武伊勢崎線。

と並べれば、察しのつくひとがいるかもしれませんが、すべてスカイツリーの見える路線なのです。ほかにもありますが。

ところで、見知らぬ同士が狭い空間に同乗するという電車中では、ほんとに様々なことが起こりますし、まさにいろんな人がいます。

つい先日、京浜東北線(この車窓からもスカイツリーが見えます)で西川口方面(昼間ですから)へ行ったときのこと。
田端駅から電車に乗り込むと、目の前の四人掛けのシートに3人が座っていました。
ドア側にわたしよりちょい年上の大柄な紳士(ネクタイしてましたので)。奥側に女性がふたり。
わたしはその紳士と女性の間に座らせてもらうことに。

女性は眠っているようでしたので、その紳士に会釈して腰をおろしました。
ところがその紳士の足がいささか、いやかなりワイドになっておりまして、わたしは膝を合わせ、なおかつ隣の女性の足にくっつかんばかりの状態に。

目的駅までは10数分ありますので、ちょっとキツイなと思ったので、その紳士に
「すみません、あの、もうちょっと……」
と遠慮がちにいったところ、いい終らないうちに察したのか、
「こっちはいっぱいだよ、隣につめてもらえよ」
とご立腹の様子。

どうやらワイドになってる足幅には気づいていないようなので、
「いえ、そうではなくて、その足をもう少し狭めていただけませんか……」
というと、その紳士
「なに言ってんだ、そんなに広げちゃいなだろ」
と語気を荒げながら、20センチばかり徐々に足幅を狭めてくれました。

わたしは、目的を達成したので、バッグから本を取り出しページをめくりはじめました。笑いを噛み殺しながら(わたしも悪い人間だ)。

その紳士はそのあとふた駅目でおりてしまったのですが、その後もちょっとした出来事が。

ドアの傍に立っていた男子高校生が急にしゃがみこんでしまいました。
電車中でしゃがんでいる若者はめずらしくないので、わたしは気にもしませんでしたが、よく見ている人はいるもので、わたしの向かいに座っていた40代とおぼしき婦人が、
「ここに座りなさい」
と声をかけて立ち上がりました。

高校生は頭をさげて座席にすわり、うなだれてぐったりした様子。熱中症か貧血か。

すると彼の横に座っていた、幼児をかかえた若い女性がバッグからジュースのペットボトルを取り出し、彼に差し出しました。
彼はふたたび頭をさげて、ペットボトルの蓋をあけ、勢いよく飲みはじめます。
まさに「力水」だったのか、若者は見違えるほど元気に。

そしてバッグから財布を取り出し、硬貨をその女性に差し出しました。
女性は笑顔で「受け取り拒否」。彼はみたび頭をさげて、硬貨を財布に戻し、またジュースをラッパ飲みしはじめました。

わたしは、その光景を見たあとすぐに到着した駅で下車してしまいましたが、そのあと彼が電車を降りるまでに、あと2回頭をさげたことは想像できます。

とまぁ、電車に乗っていると実に様々なことがあるという話で。

ここまでが前フリっていうんですから我ながらイヤになってしまいます

じつはやはり京浜東北線でのことなんですが、もう少し前の話。

午後で、上りの車中はガラガラ。
わたしはいつもどおり座席にすわって古い本を読んでおりました。だいたい電車中は読書タイム。半分はそれが目的でもあるのです。

しかし、向かいのドアの前に立ち外の景色を見ている男がどうも気になります。

うしろ姿しか見えませんが、歳のころなら60代後半、わたしにとったら兄貴分といった感じ。
背丈は5尺3寸、そこまで古くいうことないな。まぁ、160センチ足らず。
髪の毛は白髪まじりの大工刈り。
白のTシャツと半ズボンから出た手足は赤銅色でなおかつ逞しい。
足元はずいぶん履きこんだとおぼしき雪駄。

一見して職人、いや半纏を着せれば江戸前の鳶の親方ができあがろうという様子。

深川や浅草あたりに行くと、こういう鯔背(いなせ)なおじさんはよく見かける。

濃い眉毛にドングリ眼、鼻は厚くて高くて頬はふっくら。というのはわたしのイメージで、車窓から景色を眺めている兄貴の顔は見えません。。

電車中ではあまりみかけない様子の人。
だから目がいったのですが、しばらくしてあることに気づき、さらにその兄貴が気になってしまったというわけ。

それは半ズボンの尻ポケットに突っ込んだ新聞。
となると、すぐ思いつくのが競馬新聞。
きょうは平日。浦和で競馬があるわけでもない。
さらによくよくみるとその新聞、なんと英字新聞。

鳶職人とニュースペーパー、このギャップはおもしろい。
そうなるとどうしても見たいのが御面相。まさか、英字新聞の「理由」は訊けませんが。たんなるハッタリだったりして……。なことないわな。

で、さいわい、わたしと同じ乗換駅で下車。
ところが足が速い。
乗り換えの清算をしているうちに、とうとう見失ってしまいました。

まるで結末寸前にフィルムが切れて中断した映画のようで(いまどきないよ)。

しかし、つまらない結末で終るよりは、「余韻」が残って、「鯔背な兄貴の物語」は、より「名作」としてわたしの記憶に残ったのかも。

では、今回はギャップが強烈だった新聞紙の歌を。
ただの「新聞」ならば山田太郎の「新聞少年」とか、
♪今朝来た 新聞の 片隅に 書いていた
という井上陽水の「傘がない」などいくつかあります。とりわけ友部正人はわたしが知っているだけで「ストライキ」「大阪へやって来た」「公園のベンチで」と3つの歌に出てくる。

しかし「英字新聞」となるとなかなか。
それでも思いついた邦楽洋楽、合わせて2曲をどうぞ。


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