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青い山脈 [books]



洋画に続いて、小林信彦氏が選んだ邦画100本の映画音楽を。


こちらは、洋画に比べてシンクロ度がかなり高い。観ている本数でみるとおよそ60%あまり。とりわけ昭和30年代から40年代初頭の作品については、そのショートコメントも含めてウレシクなるほど同期しています。

ところが、音楽となると……。
これはもちろん小林信彦氏のせいでもなんでもなく、リストアップされた映画のタイトルをみると映像は浮かんでくるのですが、その音楽がほとんど聞こえてこないのです。


とりわけ戦前の作品となると、昭和6年の初トーキー「マダムと女房」から19年の戦争映画「電撃隊出動」まで24本ありますが、観たのは、成瀬、溝口、黒澤作品などのちに名画座で観た6本。

しかし、そのいずれからも映画音楽はもちろん、挿入歌も聴こえてきませんでした。

考えてみれば、かつての日本映画というのは流行歌との「タイアップ作品」(旅の夜風のような)を別にすると、映画音楽そのものを、たとえばラジオで単独に流すとか、サウンドトラックとしてレコード化するということがほとんどなかったので仕方のないことではあります。


これは全滅か? と思いきや、わずかではありますが、主題歌が聴こえてくる邦画がありました。もちろんタイアップ作品ではありますが。

昭和24年、映画も歌も爆発的にヒットし、当時のすさんだ日本の社会に一筋の光明をもたらした(まだ未生だったので大げさに言ってます)かの映画。
そうです、石坂洋次郎原作の「青い山脈」です。


小林信彦氏は「この時代でしか成立しない民主主義讃歌」と短評しています。


一地方都市で町じゅうを巻き込んで起こった新旧対立の学園騒動。
たしかに戦後の新しい風が、旧き因習を吹き飛ばしていくという、昭和24年という時代をバックグラウンドとした映画ではありましたが、この映画が、のちの映画やテレビの「学園もの」のひとつのスタイルになるという普遍性も持ちえた映画であったことも間違いないのではないでしょうか。


その新しい青春物語以上に、敗戦間のない日本人に浸透していったのが、藤山一郎と奈良光枝のうたった主題歌「青い山脈」。

♪若く明るい歌声に と新時代謳歌の詞は戦前・戦後と昭和の歌謡曲の礎をつくった西條八十。代表作品は戦前の「東京行進曲」や「旅の夜風」。


ただ、この歌をつくる数年前まではいくつもの軍歌をつくり「鬼畜米英」で国民を煽っていたこともたしか。

それが、♪古い上着よさようなら 悲しい夢よさようなら
とその変り身の速さ。でもそれは西條八十だけではなく、多くの文化人、さらにいえばほとんどの国民がそうだったし、またそうでなければ生きていけなかったのだから仕方がないことなのかも。


それでも「青い山脈」が当時の人々に受け入れられ、70年近く経とうという現在もまだ歌い聴きつがれている(細々ではあるけれど)のは、

♪あこがれの 旅の乙女
♪かがやく峰の なつかしさ 
♪旅路の果ての その果ての 
♪みどりの谷へ 旅をゆく

という歌詞からも垣間見える、自由や民主主義という社会性よりも、日本人の不変的なかつ普遍的な心情に訴えてきたからではないでしょうか。とりわけ3度使われている「旅」がわが先輩方の抒情に、さらには旅情に突き刺さったからではないでしょうか。当時の閉塞された時代を考えればなおさら、
♪みれば涙が またにじむ
という心情だったのではないでしょうか。


あの印象的なイントロ(名曲はいつもそう)ではじまる曲についても。

明るいなかにも憂いのあるメロディーはやはり昭和を代表する作曲家・服部良一。
西條八十の詞が先にできていて、それを念頭に当時の満員電車の中で短時間のうちにつくったそうです。


戦後の服部メロディー、たとえばヒット曲の「東京ブギウギ」、「東京の屋根の下」、「銀座カンカン娘」のジャズ風、ポップス風の曲調に比べると、「青い山脈」は明るさがあるとはいえ、従来の歌謡曲の主流であるマイナー調。いささか違和感のある人も。


しかし、服部のスタンスが長調主体であったわけではありません。戦前ならば「別れのブルース」や「湖畔の宿」はじめ多くの短調のヒット曲をつくっています。

ただ戦後、もちろん戦前からの洋楽のさらなる影響もあるでしょうが、今後はもっと明るい曲をつくり日本の日本人の復興に貢献したいという思いがあって、明るい曲=メジャーチューン主体の曲、ということになったのでしょう。


余談ですが、この曲に唯一(かどうだか)反対したのが監督の社会派・今井正で、映像に音をシンクロさせるダビングにも来なかったとか。もしかしたら、〈もっと明るいメジャーの曲を〉と考えていたのかもしれません。にもかかわらず服部メロディーが採用されたのは、この歌が気に入っていたプロデューサー・藤本真澄の力が強かったから、といわれています。


もし監督の意向が通ったら映画はともかく、主題歌がこれほどの国民的な歌になったかどうだか。もっとすごい歌になっていたかも? それは誰にもわかりません。でも、今井正のあの映像、服部良一・西條八十のあの歌はとびきり素晴らしいものだったことは間違いありません。


昭和24年に公開(東宝)されたこの映画、主役の島崎先生が原節子、新子が杉葉子でした。どちらも近年亡くなられました。もちろん公開時、わたしはまだ生存しておりませんので、のちに、それも20年あまりのちに観ました。名画座で。


それより先に観たのが38年の日活によるリメイク版。こちらもリアルタイムで観たわけではなく、公開から数年遅れてからでした。こちらは芦川いづみ先生と吉永小百合生徒のコンビでした。

観たのは高校生ぐらいだったと思いますが、やはり「焼けあと」の記憶がない人間にとっては、いささかストーリーが「ちょっと昔の」、という印象を受けた記憶がありました。それでもあの島崎先生の可憐さには生意気なガキもイチコロでした。


もちろん主題歌も東宝作品と同じでしたが(ちなみに神戸一郎と青山京子のデュエット)、わたしにとって「青い山脈」といえば諸先輩には申し訳ないのですが、原節子でも杉葉子でも、池部良(良かったなぁ)でもなく、また吉永小百合でも、浜田光夫でもなく、まちがいなく芦川いづみなのです。


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コメント 3

Ma-toshi

お久しぶりです。
私も、青い山脈を見たのは吉永小百合からです。
当時、この青い山脈をはじめ舟木一夫の「高校三年生」や三田明「美しい十代」などは、あまりに古く感じて、好きではありませんでした。
ちなみに、
by Ma-toshi (2020-01-09 20:34) 

Ma-toshi

すみません、長すぎたようですね。
ロケ地が地元だったことを書いたのですが。
by Ma-toshi (2020-01-09 20:42) 

MOMO

息切れして休養しておりました。

返事が遅れましてスミマセンでした。

お久しぶりです。

話の途中で休止してしまいまして、まだ続きがあるのです。

いずれ近いうちにと思ってますので、またよろしくお願いします。
by MOMO (2020-01-28 20:09) 

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