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三つの歌●春風はブルーグラスにのって [day by day]

フラット&スクラッグスA.jpg

まだまだ春は続いております。
ここんところ上着を脱ぎたくなるような暑さ。
あの、うだるようなジトジト盛夏を予感させるような季節です。

思い返せば、去年のいまごろは何をしても虚しいような気がして、心穏やかならぬ日々が続いておりました。
1年前よりは安楽な時間を過ごせているとはいえ、やはり不安は解消されることはありません。

放射能はいまだ出続けているでしょうし、のど元過ぎればなんとやらで、一時ひろがった脱原発の風潮もいささか退潮ぎみで、再稼働やむなしという世論は静かに確実にふえつづけています。いいのかな。

わたしには、広島、長崎、第五福竜丸、そして福島と、チェルノブイリを除けば例がないほど放射能にいためつけられてきた日本が、持ち前の順応性によってまたも放射能のリスクを受け入れようとしている姿は、まるで“集団自殺”のように見えるのですが。

そうそう、こんなことを書くつもりではありませんでした。
ついつい愚痴が……。

どんな厭なことがあっても音楽はそれをひととき忘れさせてくれます。
現実逃避だろうが、アヘンだろうがかまわない。
やがて時がくればいやでも現実に向き合わなくてはならないのですから、暫しリッスン・トゥ・ザ・ミュージックで。

もういちど言います。まだ春が続いております。
春風にのって聴こえてくるのはブルーグラス

なんでブルーグラスが春なのか。
まぁ、能書きをいえば、あの軽快な音楽はこれから盛りに向かうシーズン、春にふさわしい。そもそも「ブルーグラス」、青草という言葉が春ではないですか。

それに以前「春風はブルーグラスにのって」という本を読んだこともありまして。やっぱりブルーグラスは夏でも秋でも冬でもなく、春なのです。

というわけで、ブルーグラスのフェヴァリットソングの2012年限定版で3曲ばかりお耳汚しをしてみたいと思います。

まずオープニングはいかにもという曲。
ブルーグラスのなかに「ブレイクダウン」というのがあります。
早弾きってことです。バンジョーだろうがフィドルだろうが、マンドリンだろうがとにかく演奏がめまぐるしいのです。

その代表的な曲が「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」Foggy Mountain Breakdown。
これはブルーグラスに興味がなくても知っている人が多い。

1960年代のアメリカン・ニューシネマ「俺たちに明日はない」につかわれていました。
ただこれは以前とりあげましたので今日はパス。

もうひとつブルーグラスのコンサートで頻繁に演奏されるブレイクダウンナンバーがあります。それが「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」。Orange Blossom Special

♪みかんの花が咲いていた
というのはノスタルジックな日本の童謡ですが、こちらの「オレンジの花」号は列車のこと。
「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」はバンジョーが中心ですが、こちらはフィドルが主役。
ということはブレイクダウンではなくて、ボウダウンになるのかな。
ほとんどインストで聴かせる曲ですが、歌詞もあり、その「オレンジの花」号には“オイラのいい人”が乗っている。だからもっとスピードをあげてやって来い、というわけ。

トラディショナルソングで多くのプレイヤーが演ってますが、やはりビル・モンローと彼のブルーグラス・ボーイズBill Monroe and His Bluegrass Boysの印象が強い。

きょうはヴェッサー・クレメンツVassar Clements をはじめトップクラスのフィドラーが終結したYOU-TUBEで。

続いて2曲目はこれも古い歌で、
「ディム・ライツ・シック・スモーク」Dim Lights, Thick Smoke and Loud Loud Music

フラット&スクラッグスFlatt & Scruggs が知られていますが、はじめて聴いたのは、バック・ライアンとスミッティ・アーヴィンBuck Ryan & Smitty Irvin盤。
バックはフィドラーで、スミッティはバンジョー奏者。

歌の内容は、紫煙たちこめ、カントリーミュージックが響き渡るホンキートンクに入り浸る男の話。
仕事が終わると、きまって酒場に足が向かってしまう。そして毎日ドンチャン騒ぎ、これじゃ嫁さんも来ないし、家庭なんて持てるはずはない。でもやめられねぇんだな、こんな生活が。この気持ち、アンタに分かるかな? わかんねぇだろうなぁ。
なんて話。

フラット&スクラッグス盤はペーソスあふれたバラード。しかしバック&スミッティのほうはもう少しテンポが軽快で、YOU-TUBEにはなかったけれど、こんな感じ
そういえば、カントリーロックのグラム・パーソンズGram Parsonsでも聴いたことがありました。

とにかくブルーグラスのなかでも哀愁たっぷりの好きな曲。

最後は、これまたブルーグラスでは有名な曲。
「転がり込むんだあの娘の腕に」Rollin' My Sweet Babys Arms

ブルーグラスのナンバーというよりカントリーの定番といったほうがふさわしい曲で、それこそレオン・ラッセルバック・オウエンスなども演っている。
「恋人の腕に抱かれて」なんて邦題もあるようで。
はじめて聴いたのはニュー・ロスト・シティ・ランブラーズThe New Lost City Ramblers 。

スタンレー・ブラザーズThe Stanley Brothers のラルフRalph Stanley の作(トラディショナルという説も)。
こちらも汽車が出てくる歌で、フィドルが見せ場をつくります。

恋人がやってきたら、きっとうれしくって抱きついちゃうよ、と汽車を待ちわびている男の歌。
しかし、彼女の両親からひどく嫌われているというありがちな設定で、結局自分はヘマを打って牢屋入り、その格子越しに他の男と歩いている彼女を見るという最悪の結末。

もはや何度もでてきましたが、最後にもう一度アール・スクラッグスEarl Scruggsを偲んで、ドク・ワトソンDoc Watsonとリッキー・スキャッグスRicky Skaggsを加えたスーパートリオで。


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三つの歌●春宵はラテン・ジャズにひたって [day by day]

レイ・ブライアント.jpg

ようやく暖かくなってきました。
とはいえ、朝晩いまだにストーブを点火しているのはわたしだけでしょうか。

しかし昼間の暖かさといったら、たいして良いことがなくても思わず頬がほころびるほど。

そんな心のどこかに余裕といいますか、無為な時間を受け入れる間隙ができたとき、音楽を聴きたくなります。

仕事を早めに切り上げ、夕食までにはいささか間のある薄暮。やっぱり音楽を聴こう。
では何を。

季節と関係があるのか否かはわかりませんが、時々あるジャンルの音楽を無性に聴きたくなることがあります。
それはたいがい、そのジャンルをしばらく聴いていなかったから。

で、今日ふと聴きたくなったのはラテン
サンバ、ソン、ボレロ、タンゴ、フォルクローレ、ルンバフラメンコ……。
……そうだな、ラテンもいいけどジャズもいい。
やっぱりモダンジャズ、いやスイングでもデキシーでも。

そうだ、いっそのこと「ラテン・ジャズ」なら1粒で2度おいしいかも。

ラテン・ジャズはラテンの名曲をジャズのアレンジで演奏したり、ジャズの名曲をラテン風味で演奏したり、はたまたラテンの味付けでつくられたジャズソング(その反対も)だったりといろいろ。
いまでもいうのかどうか知りませんが、アフロ・キューバンなんていったり。

数あるラテン・ジャズではありますが、本日の気分で選んだ3曲を。もちろんいずれもフェヴァリットソングではあります。

まず1曲目は、「クバノ・チャント」Cubano chant

オスカー・ピーターソンOscar Peterson をはじめいろいろなピアニストが演ってますが、作者でもあるレイ・ブライアントRay Bryant盤を。

1972年のモントルーで、オスカー・ピーターソンの代役としてこの「クバノ・チャント」をソロで聴かせ、いわゆるメジャーデビューしたのがレイ・ブライアント。

「クバノ・チャント」はアルバム「コン・アルマ」Con Alma の中の1曲。
アルバム・タイトルにもなっている「コン・アルマ」が「クバノ・チャント」か迷いましたが、やはり自作ということで後者を選択しました。ちなみにコン・アルマはアフロ・キューバンを代表するひとりディジー・ガレスピーDizzy Gillespie の作。

2曲目は「ブルー・ボッサ」Blue Bossa。
これも1950年代のアフロ・キューバンを支えたトランペッター、ケニー・ドーハムKenny Dorham の作。
演奏としてはテナーサックスのジョー・ヘンダーソンJoe Hendersonで知られていますが、やっぱり春は? ピアノで聴きたい。

レイ・ブライアントも演っていてこれもなかなかですが、今回は数年前に亡くなったエディ・ヒギンスEddie Higginsで。
日本でも人気のエディですが、注目されるようになったのは90年代も後半。クセのないところが一般受けした、とも。

日本にもたびたび来ていて、日本人の奥さんがいたこともあるとか。

最期もボサノヴァで。
「リカード・ボサノヴァ」Ricado Bossa Nova。

これは日本でもかなり人気の一曲。このブログでも前に紹介しました。

日本ではまずイーディ・ゴーメEydie Gormeのヴォーカル(タイトルは「ギフト」The Gift )
で知られるように。
印象的なマイナー・チューンは、ブラジルのイタマラ・コーラックスIthamara Koorax、や日本の真梨邑ケイで聴いたことがあります。

演奏ではテナーのハンク・モブレーHank Mobleyがブルー・ノートの「ディッピン」Dippin' に収録しています。
個人的にはオルガンのワルター・ワンダレーWalter Wanderley 盤がポップでGOOD。なんでも渡辺貞夫との共演もあるとか。
そのほかバーニー・ケッセルBarney Kesselのギターもよく聴きました。

今回選んだYOU-TUBEもそのギターが聴ける一曲。
演っている「プリマベーラ・ラテン・ジャズ・バンド」Primavera Latin Jazz Band はよく知りませんが、2009年にアメリカ西海岸で結成されたとか。なかなか聴きやすくてごきげんです。
この曲は「TOCANDO JUNTOS」というアルバムの1曲で、ほかに「キャラヴァン」や「ベサメムーチョ」などが入っているようです。

ラテンを取り入れているのはジャズだけじゃありません。
日本のJポップでもそうですし、かつてのニューミュージックにもそうした楽曲がありました。さらにいえば音楽最先端ではもはや「昭和の遺物」視されている歌謡曲だってそう。

ラテン歌謡曲とはいいませんでしたが、ムード歌謡なんていってました。

このブログでも以前「ムード歌謡」をやりました。
そのキッカケとなりその頃全盛をほこっていたのがムーディ勝山氏。

あれから案の定(失礼……)、人気は凋落。
先日ブラウン管(じゃないっつーの)で久々に見ました。
おそらく新たなギャグで「夢よもう一度」という心境なのでしょう。

もともと顔が濃いのですから、いっそのことラテン系の漫才でも漫談でもやったらどうでしょうか。
すぐに踊っちゃうとか、「チャラチャッチャ チャラッチャ」を「キエンセラ」の旋律でやるとか。まぁ、とにかくラテン系で。

でも、ウケなければラテン系どころか流転系になっちゃうし、そしたらこんどこそお笑いをやめてガテン系にでも再就職しなくてはならなくなるかも。


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三つの歌●小学校 [day by day]

桜.jpg

♪ 子供の頃に 小学校で
  ヨイトマケの子供 きたない子供と
  いじめぬかれて はやされて
  くやし涙に くれながら
  泣いて帰った 道すがら
  母ちゃんのはたらく とこを見た
  母ちゃんのはたらく とこを見た
(「ヨイトマケの唄」作詞、作曲、歌:美輪明宏、昭和41年)

ようやく春らしくなってまいりました。

きょうは暖かかった。
午前中、出かけて駅へ行くと長蛇の列。

そうだ、きょうから新学期なのだ。
みんな定期を買うために並んでいるのだ。
なかには母親同伴の女の子、いや男の子もいた。

この行列は、用事をすませて戻って来た午後になっても続いていました。

それと昼下がり、小学校の前を通りました。
校門の前に多くの父兄と、胸に名札をつけた新入生が集まっておりました。
そうだ、入学式なのだ。入学式がとどこおりなく終ったところなのだ。

校庭に目をやるとみごとに開花した桜が。
この頃まで桜が散らずにあるのはほんとにめずらしい。

新入生と父兄をみて、少しおどろいたことが2つ。
ひとつは1年坊主たちが、みんな私服で男の子は帽子をかぶっていないということ。あたりまえだよね。
でもわれわれの時代は、学帽、白襟の制服、セミブーツというのが相場だった。堅苦しかったなぁ、靴なんて1日はいてそれっきりだった。

もうひとつは付き添いのご両親がとても若いということ。
これもあたりまえ。要はわたしが歳をとったということ。

わたしにもあった小学校の入学式。
そんなことを思い出させてくれた光景でした。

そこで「小学校」が出てくる歌を三つ。

まずは美輪明宏「ヨイトマケの唄」。当時はまだ丸山明宏といっておりました。

たしか当時始まったばかりの、テレビのワイドショーで初めてうたったのではなかったでしょうか。とにかくインパクトのある歌でした。

いまの人に「ヨイトマケ」なんていったってピンとこないでしょう、おそらく。
わたしの子供の頃はたしかにありました。ただ、この歌がうたわれた頃にはほとんど見なくなっていましたが。

この歌の中でうたわれている差別やイジメは、いまでも形は変われどもありますね。子供だからじゃなくて、人間の本質ですかね、でも。

2つ目はデューク・エイセス「おさななじみ」
♪小学校の運動会 君は一等 僕はびり……

六・八コンビの名曲ですね。
数年前から母親の介護のために小中を過ごした「地元」に戻ってきているのですが、まぁ幼なじみに会わないこと。
みんなどこかへ行ってしまったのでしょうか。まぁ、わたしもどこかへ行っていたのですけれど。

それとも、あまりにもお互いに変わり果ててすれ違っても分からなかったりして。
所在のわかるおさななじみもいるのですが、?十年のブランクがあって、わざわざ連絡をとるというのも、ちょっと……。

最後の「小学校」は迷いました。
熊倉一雄「ゲゲゲの鬼太郎」坂上二郎「学校の先生」か……。

どちらも好きな歌ですが、やっぱり洋楽をひとつ。

トム・パクストンTom Paxton がつくって、日本ではピート・シーガーPete Segger で知られるようになった「学校で何を習ったの」What did you learn in school today 。

政治家、指導者ばかりでなく、警察官、教師といった「権力」をも揶揄し、「ドイツと戦って勝利したように、僕らもいつかは……」という反語は強烈な「反戦歌」であり「反体制ソング」。

日本では高石ともや(岡林信康も?)が、
♪学校で何を習ったの かわいいおチビちゃん
とカヴァーしていました。

小学校時代……。
もし戻れるとしたら、こんどこそ先生や親に対して素直になろう、友だちとケンカするのもやめよう、好きだったあの子にしっかり告白しよう。

…………ヤダ、ヤダ。やめたやめた。
双六の振り出しに戻るみたいでイヤダ。
また50年間も人間やるなんて絶対にイヤダ。
誰が小学生になんか戻るものか。


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三つの歌●瞳⑤ウインク [day by day]

 ウインク.jpg

♪ピリピリして 昼下がりは 素肌に痛い
 缶のビール 飲み干すにも 陽射しがまぶしい
 ほんの少し 睫伏せて 
 ウインクだけ 受け止めると
 遠くばかりを 見てる
 ………………
 赤い爪を 空にかざし 僕とお前のシンフォニー
 そうさ言葉はいつでも 裏返し 吐息のなかで
 シシシ GOOD VIBRATION
(「バイブレーション 胸から胸へ」詞:島武実、曲:都倉俊一、歌:郷ひろみ、昭和53年)

最近耳の調子がおもわしくなく、まぁ老化現象だと思うのですが。とにかくまだ片耳だけですが、聞き取りにくくて。
それでも小さな声ではありますが、「まだやるのか」という罵声が……。

いちおうこれで「瞳」は打ち止めにしようと思っていますので、最後のお付き合いを。

前回は「閉じる」でしたが、閉じたものは開く、開いたものは閉じるというのが万物の法則、人間の営みというものでして。………………。
まぁ、閉じたっきりそのままなんてことも、いずれ先には。でももうしばらくは、開閉運動をしなくてはなりません。

その開閉をすばやくやるのが「ウインク」。古い人は「めくばせ」なんていったり。

これは相手に対する沈黙の「合図」ですね。
合図だからって初対面の相手にはまずしない。
たとえば電車のシルバーシートに座っていた若者が、目の前に立った老人に「座りますか」という代わりにウインクなんかしない。したってわからない。

また顔見知りだからといって、会社の上司が女性の部下に「これコピーしてきてくれないか」と頼むのをウインクでなんかしない。セクハラで非難されるに決まっている。

まぁ、ふつうウインクが許されるのは親しい間柄の男女でしょうか。恋人とか夫婦とか。

ウインクもラヴソングが主流の流行歌にはしばしば出てきます。
その名もズバリ(古い言葉だ)、女性デュオのウインクもいましたが今回はスルー。

とはいえ演歌ではほとんど耳にしません。
ほとんどはポップス系。

というと戦前はつかわれなかったのかというと、そうでもない。
もちろん頻繁につかわれた形跡はないけど、ポツリ、ポツリと。

古いところでは昭和6年、松竹映画「女給哀史」の主題歌「こんな苦労はせぬ私」(青木晴子)の中に、
♪浮気男の ウインクに こんな苦労は せぬ私
と出てきます。誰かれかまわずウインクでナンパしようとする男に、心おだやかでないホステスさんの歌。

作詞はというと、クレジットには「松竹蒲田音楽部」となっています。
「文部省選定」じゃあるまいし、ウソでも個人名にしとけばいいのに。

だいたいこの時代にこういうポップというかモダンな語彙をつかうのは佐伯孝夫と、相場は決まっています。

実際昭和9年の「チェリオ!」(藤山一郎、小林千代子)では、
♪銀座は八丁 柳かげ ウインクの雨 キスの雨

同じく11年の「とんがらかっちゃ駄目よ」(渡辺はま子)でも、
♪……優しい君の ウインク無視して 居たって

と、やっぱりでした。

まぁ、「ウインク」そのものは、流行歌の中でそんなに新しい言葉ではない、ということをおさえておきつつ、本題の「ウインク」ソング三連発を。

「ウインク」時代は昭和50年前後、西暦でいうと1970年代から80年代。
アイドル歌謡全盛期。そこで三つの歌もそんな時代の歌を。

サザン・ウインド 中森明菜 昭和59年(1984)
♪いたずらぎみに 一瞬ウインクを 危険かしらね

南の島かどこかのホテルのプールサイド。ひとり旅らしい女に男たちの視線が集中する。
それほどいい女を中森明菜がうたっています。

こういうシチュエーションどこかにあったな。で、思い出したのが南佳孝「モンロー・ウォーク」。それもそのはず作詞はどちらも来生えつこ
「モンロー・ウォーク」は男の視線、「サザン・ウインド」は女の視線という違いはありますが。
そういえば「モンロー・ウォーク」でも、
♪気をもたせてウインク ないしょでとウインク
と連発していましたっけ。

曲は「スローモーション」、「セカンド・ラヴ」の来生たかおではなく玉置浩二

熱帯魚 岩崎宏美 昭和52年(1977)
♪ほろ酔いのピアニスト ウインクを投げて 愛のうたひいてくれた

ウインクをしてくれたのは彼ではなく、クラブかどこかのピアニスト。
だいたいむかしのジャズピアニストってアメリカかぶれ、いやアメリカナイズされていたから平気でキザなことできたんだろうな。いかにもいそう。

「熱帯魚」は岩崎宏美のなかでも五指に入るフェヴァリットソング。なんたって阿久悠―川口真のコンビだもの。恋に酔いしれる少女を熱帯魚にたとえる感性は阿久悠独特のもの。

このコンビによるヒット曲もいくつかありますが、ひとつあげるなら「円舞曲(ワルツ)」(ちあきなおみ)でしょうか。

バイブレーション(胸から胸へ) 郷ひろみ 昭和53年(1978)
上に詞をのせましたが、いまいち意味がわかわない。(流行歌ではめずらしいことではありませんが)。
ビーチ・ボーイズ「グッド・ヴァイブレーションズ」のようにトリップでもしてるのでしょうか。

作曲の都倉俊一は昭和40年代後半から50年代にかけてヒット曲を書きまくった作曲家のひとり。シンガーでいうと、山本リンダ、山口百恵、ピンクレディーの一連のヒット曲をはじめ、狩人、ペドロ&カプリシャス、フィンガー・ファイブなどに名曲を提供しています。郷ひろみではほかに、「ハリウッド・スキャンダル」が。

作詞の島武実はほかに音楽プロデュースをしたり、小説を書くギョーカイ人だそうで、作詞では「わな」(キャンディーズ)、「硝子坂」(高田みづえ)のヒット曲がある。

なお、郷ひろみは「モンロー・ウォーク」をカヴァー(タイトルは「セクシー・ユー」)していますが、歌詞が変えてあり、ウインクはしていない。

例によって残念ながら紹介できなかった「ウインク・ソング」を羅列しておきます。

「天使のウインク」松田聖子(尾崎亜美)
「CAT’S EYE(キャッツ・アイ)」杏里
「大学かぞえうた」守屋浩
「恋人がサンタクロース」松任谷由実
「天使のらくがき」ダニエル・ビダル
「燃えるブンブン」マギー・ミネンコ

ところで、戦前からあったというウインクですが、個人的なことをいえば、生まれてこのかた、自分からしたことはもちろん他人からされたこともない。
まぁ、色気のない人生といってしまえばそれまでですが、巷ではそんなに頻繁に飛び交っておるのでしょうか。

でも、されたらわるい気はしないでしょう。睨みつけられるよりはよっぽどいい。
といって、この先誰かにされるなんてことはまずありえない。
ならばせめて画像でもって、代のアイドルにウインクしてもらいましょうか。


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三つの歌●瞳④とじる [day by day]


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♪ 瞳とじれば 聞こえる声よ
わたしは逢いたい あの人に
夢を見ては 涙ぐむ
わたしの恋 だれも知らない

瞳とじれば 夕焼け雲よ
わたしは行きたい 故郷へ
幼い日の 心のまま
妹たち 浜辺で歌おう
(「瞳とじれば」詞:岩谷時子、曲:いずみたく、歌:倍賞千恵子、昭和39年)

泣くこと、涙を流すことも目や瞳の訴求力のあるアクションですが、もうひとつインパクトのあるしぐさが目を閉じること。

なぜ目をとじるのか。
眠いからだろうって。そりゃそうだ。睡魔にゃかてない。
まばたき? それもそうだけど。
♪嘘をつくとき瞬きをする癖が…… 「硝子の少年」KinKi Kids

なんて歌もあるけど、ふつう眠たくて目をとじたり、まばたきしたぐらいじゃ歌にはならない。

まばたきや睡魔に襲われなくたって人間、瞳をとじることがある。
もの想いにふけったり、何かに集中したり、記憶の路地に進入していくとき、あるいは現実を拒否したり、現実から逃亡するときなど。

たとえば、古いストーリーですが、長谷川伸は「瞼の母」。

生き別れの母を探しあてた渡世人・番場の忠太郎が、母親からゆすり・たかりと誤解され、追い返された道々で、「こうやって上の瞼と下の瞼をピタッと合わせりゃ、オイラにゃまだ見ぬおっ母さんの顔が……」と実母と逢ったことを悔やむセリフ。

瞳をとじて、10数年間記憶の中で育ててきた母親像を思い浮かべることで、辛い現実を忘れようという行為ですね。理屈をいえば。

この戯曲は「瞼の母」あるいは「番場の忠太郎」として三波春夫や真山一郎、あるいは中村美津子などで歌謡浪曲にもなっている。

つまり、眠くもないのに目をとじるとそこにはなんらかの理由があるわけで、そこにドラマが生まれるし、また流行歌にもなる。

まぁ、忠太郎さんにご足労願うまでもなく、通常は「瞳をとじる」というよりも「目をとじる」とか「瞼をとじる」という言い方のほうが正確で、流行歌の歌詞でもそのほうが多いかもしれない。

たとえば「目をとじる」ならば、「なにも云わないで」(園まり)とか、「昴」(谷村新司)、あるいは「あざやかな場面」(岩崎宏美)「チャコの海岸物語」(サザン・オールスターズ)などがある。
「瞼をとじる」なら、「春よ、来い」(松任谷由美)とか「時間よ止まれ」(矢沢永吉)が。

しかし、「瞳をとじる」というどちらかというと叙情的表現もないわけではなく、というより流行歌にはうってつけの言い回しともいえる。

これまで「瞳」で続けてきたということもあるし、再三いうように絞り込むためにも、今回は目や瞼ではなく「瞳」で。

実際「瞳をとじる」とか「とじて」という歌詞がでてくる歌はけっこうあります。
今回は、けっこう古い歌、西暦でいえば60年代の歌を三曲。

瞳とじれば 倍賞千恵子 昭和39年(1964)
昭和37年の「下町の太陽」が歌手デビューなので、その2年後の歌。40年には「さよならはダンスの後に」のヒット曲があり、ちょうどその間ということに。

作詞作曲の岩谷時子・いずみたくコンビといえば、その前に「夜明けのうた」がある。これは岸洋子がヒットさせる前に、当時いずみたくが情熱をそそいでいたミュージカルでつかわれた(さらにそれ以前にはテレビドラマで)1曲。

「瞳とじれば」も歌詞がドラマ仕立てで、どうもミュージカル用につくられた歌ではとおもわれます。昭和39年といえば、倍賞千恵子もいずみのミュージカル「夜明けのうた」に出演していた頃で、その中でうたわれ、レコーディングされたのかもしれない(確証はないけど)。

とにかくいずみたくらしい旋律の名曲です。ダンモ調のアレンジもGOOD。

ベッドで煙草をすわないで 沢たまき 昭和41年(1966)
♪瞳をとじて やさしい夢を あまいシャネルの ため息が

これまた岩谷―いずみコンビの名曲。
いまならどうということはないが、当時はかなりキワドイ“大人のうた”。
当時消防庁がキャンペーンソングにしようとしたとかしないとか。

いずにれしも“禁煙ファッショ”の現在では考えられない歌。

この歌について、何かで岩谷時子が「映画の挿入歌として書いた」という記事を読んだ覚えがあります。

岩谷時子はいずみたくのほかに、宮川泰、弾厚作(加山雄三)、筒美京平とのコンビでのヒット曲が数多くありますが、イニシャルがともに「I.T」ということで、殊更いずみたくが気に入っていたようです。
このコンビでのヒット曲のいくつかをあげると、
「太陽のあいつ」(ジャニーズ)
「恋の季節」「涙の季節」(ピンキーとキラーズ)
「太陽野郎」(バニーズ)
「いいじゃないの幸せならば」(佐良直美)
「貴様と俺」(布施明)

銀河のロマンス ザ・タイガース 昭和43年(1968)
流れるような バラの香り 瞳をとじて 甘えておくれ

3曲目も岩谷―いずみでいけばカッコついたのですが、そう人生甘くはない。
これはGSのゴールデンコンビ、橋本淳―すぎやまこういちの作。

デビュー曲「僕のマリー」からはじまって「シーサイド・バウンド」、「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」、「落葉の物語」、「銀河のロマンス」と初期はほとんど橋本―すぎやまコンビ。

タイガースはアイドルGSとしてはナンバーワン。やっぱりヴォーカル・沢田研二の存在大でした。もちろん、ピー、いやの存在もありましたが……。

それでは最後に不採用となった「とじた瞳」のいくつかを順不同であげときますので、気になる方はYOU-TUBEで探して聴いてみてください。

「真夜中のシャワー」ケイ・ウンスク
「あなたに逢いたくて」松田聖子
「ウェディング・ベル」シュガー
「ダンシング・オールナイト」もんた&ブラザーズ


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三つの歌●瞳③うるむ [day by day]

ビーバーズ.jpg 

♪涙こらえて歩いたね 風も冷たい別れ道
 幼い夢よ初恋よ WOOM WOOM さようなら
 白樺林をさまよい行けば 悲しく思い出す
 うるむ瞳に ゆれてた花の影
(「初恋の丘」詞:淡村悠紀夫、曲:大野克夫、歌:ビーバーズ、昭和42年)

前回に引き続き今回も「瞳」。もう少し泣いてもらいます。

泣くときに出るのは涙だけじゃなくて、声もでることが多い。
でもあまり大声で泣かれると興ざめで、反対に声を押し殺し黙って涙がひとすじ、というほうがジンときて、もらい泣きしたり。

涙が頬を伝わなくても、目にいっぱいたまるだけでも、対峙した人間にとってはグッと胸にせまるものがあります。泣く寸前の様子です。

そんな状態を流行歌では「瞳うるませて」とか「うるむ瞳に」なんてうたいます。
「うるむ」、若い人は「ウルウルする」なんていいますね。
漢字で書くと「潤む」。水分たっぷりの状態ですから、やがて瞼の外へポトリとこぼれ落ちて、泣くことになるんですね。

グッとこらえて落ちずに眼の中にとどまる場合は、どちらかといえば「うるむ」というよりは「にじむ」ではないでしょうか。

泣く寸前の表現、「うるむ」とか「にじむ」なんていうのは、英語にはない表現ではないでしょうか。英語だったらみんな“WET”でしょうから。
簡単便利といえばそうでしょうけど。めんどくさくなくていいですね、英語って。

まぁ、そんなことはどうでもいいのですが、今回はそうした「うるむ瞳」を。

戦前の歌をみてみると、さすが流行歌泣きまくっています。
その頻度たるや戦後より多いかも。
涙、涙にまた涙で、泣かなきゃ流行歌じゃないのか、と思うほど。

「涙する、涙にむせぶ、涙あふれて、涙かくして、涙うかべて、涙ぐむ、むせび泣く、すすり泣く、泣きぬれて」
とまぁ、よくもここまで。

たとえば昭和9年の同名映画主題歌「女の友情の唄」では、
♪仰ぐひとみに 湧く涙
ときわめてストレート。ちなみに作詞は当時の女学生のカリスマ、吉屋信子

というように、涙はウンザリするほどあっても「うるむ瞳」は見当たらない。
いつの時代でも流行歌には流行り言葉というのか、流行り口調というのか、そんなものがあるようで、戦前は「うるむ」という言葉があまりイケてなかったのかも。
とりわけ「うるむ瞳」あるいは「瞳がうるむ」という発想が、西條八十をはじめ、作詞家の諸先生にはなかったようです。

しかし日本語として「うるむ」という言葉は当然あったわけで、たとえば「涙でうるむ」という歌詞は以下のように時々でてきます。
「天国に結ぶ恋」四家文子 昭和8年
「曠野の彼方」松平晃 昭和11年
「泪で立てし日の丸よ」(筑波高)昭和13年

ということは「瞳がうるむ」のは戦後から。

涙にうるむ 「君待てども」平野愛子 23年
灯うるむ 「三百六十五夜」霧島昇、松原操 23年
うるむのは街の灯だったり、看板だったり、テールランプだったりと、なかなか瞳はうるまない。

その第一号かどうかは、そこまで詳細に調べたわけではないのでわからないですが、昭和37年、北原謙二がうたった「忘れないさ」に、
♪可愛いい瞳が うるんでた
と。作詞は「癪な雨だぜ」(守屋浩)「愛の山河」(奈良光枝)などがある三浦康照

そのあと、やはり青春歌謡の「潮風を待つ少女」(安達明)「哀愁の夜」(舟木一夫)ででてくる。
ほぼ同時期の、石原裕次郎浅丘ルリ子「夕陽の丘」では、「瞳」ではないですが、
♪目頭うるむ 旅ごころ
とうたわれている。ニアピン。

こうしてみると流行歌において「瞳」はさほどうるまないのかな、なんて気もしてきたり。

そんななかでもようやくみつけた「うるんだ瞳」の三連発を。

初恋の丘 ビーバーズ 昭和42年
スパイダーズの弟分的存在だったのがビーバーズ。
元々はスリー・ファンキーズのバックバンドなどをやっていて、リードヴォーカルの早瀬雅男は、後期ファンキーズのメンバー。ほかではのちにフラワー・トラベリング・バンドに参加するギタリストの石間秀樹がいた。
ブルースハープなども駆使してヤードバーズが目標だったとか。

初恋の丘はデビュー曲で、作曲は兄貴分・スパイダーズのキーボード、大野克夫。作詞の淡村悠紀夫はビーバーズのドラマー。

個人的にはセカンドシングルの「君なき世界」のほうがサイケっぽくて好きだった。その作詞作曲はかまやつひろし

白い色は恋人の色 ベッツィ&クリス 昭和44年
♪あの人の うるんでいた 瞳にうつる

ごぞんじ、北山修、加藤和彦の名曲。
これもフォークソングっぽく、イントロのニルソン「うわさの男」を想起させるアルペジオが印象的。当時ギターを手にした人はこのツーフィンガーを練習したんじゃないでしょうか。

名曲だけにカヴァーされることも多く、本田路津子、アグネス・チャン、宏美・良美の岩崎姉妹、モー娘の市井紗耶香&中澤裕子などなどと。
すきなのは本田ヴァージョンで、編曲は石川鷹彦。ついでにいうとアグネスヴァージョンの編曲は本家の加藤和彦。オリジナルは加藤ではなく若月明人

ギャランドゥ 西城秀樹 昭和58年
♪その熟れた肌 うるんだ瞳
デビューが47年の「恋する季節」なので、12年目44枚目のシングル曲。

作詞作曲はもんたよしのり。セルフカヴァーもしているよう。

ギャランドゥといえば必ず“例の毛”が話題になる。
もちろんそういう意味ではないらしく、ではギャランドゥとはというと、空けてびっくりで意味はないんだそう。つまりデタラメ語なのだとか。

よくそんなんでヒットしたな、と思うけど、やっぱり曲がいいというのか、ヒデキのパワフルな歌唱とステージパフォーマンスのなせるワザなのでしょうか。
後進でヒデキの影響を受けたという日本人ロッカーが数多いというのも、わかるような気がする。

昨年また脳梗塞を発症したとか。難しい病気なので無理しないでほしいな。
「ヒデキ カンレキ!」にはまだ間があるけど、70才をクリアした内田裕也や、まじかのミック・ジャガーのように息長くうたってもらいたいシンガーだものね。

もうしばらく「瞳」が続きます。


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三つの歌●瞳②ぬれる [day by day]

麗人1930.jpg

♪ぬれた瞳と ささやきに
 ついだまされた 恋ごころ
 きれいなバラには 棘がある
 きれいな男にゃ わながある
 知ってしまえば それまでよ
 知らないうちが 花なのよ
(「麗人の唄」詞:サトウハチロー、曲:堀内敬三、歌:河原喜久恵または曽我直子、昭和5年)

前回もいいましたが、流行歌のフレーズで「瞳」がなんと多いことか。
とりわけラヴ・ソングには欠かせないキーワード。

そもそも、なぜ「瞳」がそれほど流行歌で多用されるのか。

それは、現実世界の人間同士のかかわりにおいて、瞳あるいは目の役割がとても大きいからでしょうね。つまり瞳は、人間のからだのパーツの中で口(声)や手足とともに極めてアクティブ、つまり動きのある部分だからではないでしょうか。

「目は口ほどにものをいい」なんて昔からいうほど、目には表現力がある。「目くばせ」とか「目礼」、あるいは「眼力」などとも。最近では「目力(めじから)」なんていいかたも。
また昔から「目は心の窓」などといって、目がその人の人格や心象を知る手がかりになるといわれています。人格については異論がないわけではありませんが、「目の動き」なんて言い方もあるように、目でそのときのその人の気持ちを読みとれる場合もあります。

まぁ、厳密にいうと、目が語っているというよりは、その周辺の眉毛だったり、まぶただったり、あるいは眉間、さらには口や頬など顔のほかのパーツとの“合わせ技”なんでしょうけど。

今回は瞳の邦楽をやろうと思うのですが、あまりにも多すぎるので、目のアクションに注目して絞ってみたいと思います。

では、目のインパクトのあるアクションといえば。
まずひとつは、最大の感情表現ともいえる泣く、涙を流すということ。

そのいちばんストレートな語彙は「ぬれる」でしょうか。
「瞳がぬれる」とか「ぬれた瞳」とか。
まあ、流行歌のセオリーとしては瞳がぬれているのは女で、それを見て動揺しているのが男。もちろん反対でもかまわないのですが。もしかしたら、J―POPなどではもはやそうなってるのかもしれませんが。

ではさっそく厳選(でもないかな)「ぬれた瞳」三曲を。

麗人の唄 河原喜久恵
まずは戦前の歌。
冒頭で歌詞を紹介した「麗人の唄」。
これは波瀾万丈の生涯をおくった歌人・柳原白蓮をモデルとした映画「麗人」の主題歌。
原作はこの歌の作詞者、サトウハチローの父である作家・佐藤紅緑。

「きれいなバラには棘がある」とか「知らないうちが花」なんてフレーズは今でいう流行語となり、のちのちまでも使われることに。今はどうかしりませんが。

詞も当時としては最先端ですが、堀内敬三のタンゴ調の旋律もモダン。
堀内は作詞、作曲家であるとともに音楽評論家でもある。
とりわけ昭和初期の舶来流行歌や唱歌の訳詞ではいまもうたわれる名作を残しています。
とりわけ訳詞では「青空(マイ・ブルーヘヴン)」「春の日の花と輝く」「故郷の人々」など。また作詞でもっとも知られているのが「蒲田行進曲」

戦前でほかには、これも好きな「緑の地平線」(楠木繁夫)でも。
♪ぬれし瞳に すすり泣く
と出てくる。そのほか「蛇の目のかげで」(日本橋きみ栄)「青い背広で」(藤山一郎)などでも瞳はぬれている。

明日は明日の風が吹く 石原裕次郎
♪ぬれた瞳は 夜霧のせいよ
これも昭和33年公開の日活映画の同名主題歌。監督の井上梅次が作詞をしている。
曲は音楽担当の大森盛太郎。ほかに裕次郎の「嵐を呼ぶ男」赤木圭一郎「激流に生きる男」など。

YOU-TUBEに出ている茶髪のホステスは前年「バナナ・ボート」で歌手デビューしブレイクした浜村美智子。まだ10代なのにあの貫禄。余談です。
それにしても裕次郎、デビュー2年目で、太陽にほえろのボスに比べなんと初々しいことか。この頃がいちばんカッコよかった。

同じ昭和30年代の「ぬれた瞳」はというと、
「湖愁」松島アキラ ♪ぬれた瞳を しのばせる
「北上夜曲」多摩幸子とマヒナ・スターズ ♪ぬれているよな あの瞳
「日暮れの小径」北原謙二 ♪ぬれた瞳で 頬よせて
などが。

旅立ち 松山千春
♪わたしの瞳が ぬれているのは

昭和52年のデビュー曲で女歌。

この歌をはじめて聴いたのは、その頃みたテレビ番組で。
記憶はかなり薄いですが、たしか卒業を控えた北海道の高校生の生活を追った(セミ)ドキュメンタリー番組。たしかアイスホッケー部だったかな。

倉本聰が演出か構成だかで、BGMにしきりにこの「旅立ち」が流れていました。

恋しい男の首途を蔭ながら見送るという歌詞は、戦前の「明日はお立ちか」と変わらぬおとこ発の“ニッポン女性”大和撫子の歌。
松山千春の透明感のある歌唱と、フォーク定番のギターのアルペジオが印象的でした。

この少し前にヒットした「太陽がくれた季節」(青い三角定規)でも、
♪若い悲しみに ぬれた眸で
と。

しかし人間はどうして悲しいことがあると瞳がぬれるのか。
まぁいろいろ科学的な解釈はあるようですが、とにかく涙には悲しみをやわらげる効果があることは間違いないようです。

むかしは「男の子は人前で泣かない」なんて“文化”がありました。
♪……人形のように 顔で泣かずに 腹で泣け 「男なら」 (男のバーゲンセール?)

「いや、人前で泣かない、ガマンするっていうのは男ばかりじゃないよ」という声が。
そういえばこんな歌もあったけ。
♪涙じゃないのよ 浮気な雨に ちょっぴりこの頬 ぬらしただけよ 「カスバの女」

♪涙こらえて 夜空をあおげば またたく星が 滲んでこぼれた 「女の意地」

まぁ、むかしは男も女も、恥じらいとか我慢がいまより強かったということでしょうか、結論としましては。


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三つの歌●瞳①洋楽 [day by day]

アメリカン・グラフティ1974.jpg

They asked me how I knew my true love was true,
I of course replied, something here inside cannot be denied.

They said someday you’ll find all who love are blind,
When your heart’s on fire, you must realize,
Smoke gets in your eyes.

So I chaffed and then I gaily laughed,
To think that they could doubt my love,
Yet today, my love has flown away,
I am without my love.

Now laughing friends deride tears I cannot hide,
So I smile and say when a lovely flame dies,
Smoke gets in your eyes.
([SMOKE GET'S IN YOUR EYES]lylics by OTTO HARBACH, songs by JEROME KERN, 1933)

前回(ずいぶん昔だ)、「ひとみちゃん」を考えているとき、ひとつ気づいたことがありました。
それは、名前の「ひとみ」ではなく、「瞳」という言葉が流行歌の世界でいかに乱発、いや頻発されているかということ。流行歌の王道として「瞳」は欠かせない。

♪その娘の やさしい 瞳の中に…… 「星に祈りを」(ブロードサイド・フォー)とか、

♪長い髪の少女 孤独な瞳…… 「長い髪の少女」(ゴールデン・カップス)とか。

タイトルでも「2憶4千万の瞳」(郷ひろみ)「君のひとみは10000ボルト」(堀内孝雄)なんかがありますし。

そこで、ハタと。しばらく瞳を何回かやってみようと。ネタ切れの昨今、これでしばらくいけるなんて。

とはいえ、瞳については過去に「黒い瞳」「青い瞳」「茶色の瞳」などをやってますので、今回は無色といいますか、とにかくタダのトリンドルではなくて、ただの瞳を。

まずは久しくやっていないので洋楽から。

古今東西、異性の瞳に胸がキュンとするのは同じなようで、洋楽でも瞳が出てくる歌はじつに多い。それを三つに絞るのはキビシイ。
明日になれば気分でまた変わるでしょうが、とりあえず今日好きな「瞳」のでてくる洋楽3本立てということで。

まずは「煙が目にしみる」SMOKE GETS IN YOUR EYES。
これはご存じのかたも多い、洋楽のなかでもかなりノスタルジックな歌。
1950年代にプラターズがうたって大ヒット。

煙が目にしみるっていっても、サンマを焼いてたり、焚き火をしているわけじゃないんです。恋人に去られ、胸に燃え盛っていた愛の火が消え、くすぶりあがる煙が身に、いや目にしみる、というハートブレイクソングなのです。

ジェローム・カーンの旋律が素晴らしい。
元はマーチ調だった(聴いてみたい)曲を、1933年、ミュージカルの「ロバータ」で使用する際、オットーの詞に合わせてスローに変えたという1曲。
ヴォーカルならプラターズ以外でも、サラ・ヴォーン、メル・トーメ、ダイナ・ワシントン、ジョー・スタッフォード、ナット・キング・コールと錚々たるメンバーがレコーディングしている。それほどの名曲。

ノスタルジックでムーディーな曲だけに、映画でもしばしばつかわれている(んじゃないでしょうか)。

わたしが覚えているのは2作品。
まずはジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」(1973年)。
オールデイズのヒットーパレードといった名作でした。
卒業式のダンパでスティーヴとロリーが踊るシーンでのBGM(YOU-TUBEでは長いですから3分すぎあたりからどうぞ)。
以後、日本でもディスコのチークタイムにはこの曲がよく流れるようになったとか。

もうひとつはスピルバーグの「オールウェイズ」(1989年)
これはメイン・テーマといっていいほど流れていました。
なぜかこの作品の主役も「アメ・グラ」と同じリチャード・ドレイファス。
事故で死んだ男が、恋人の新しい恋のために奮闘するというせつない“ゴースト・ストーリー”。

お話も良かったですが、当時観たわたしは、勇気をもって? 出演した天使役のオードリーに観劇、いや感激した覚えがあります。

とにかく別れを予感させるラヴシーンにはもってこいの曲でした。おそらくこれからもいろいろな映画でつかわれるのではないでしょうか。それほどエヴァグリーンな曲でも。

そうそう余談ですが、ゴースト・ストーリーといえば、「オールウェイズ」が劇場公開された年1989年には、やはり「生き返り話」の「フィールド・オブ・ドリームズ」が公開されています。そして翌年には極めつけの「ゴースト ニューヨークの幻」が。

つまり80年代末から90年代にかけて、日本でいえば平成初年、世はゴースト・ブームだったのです。これはハリウッドが仕掛けたものなのか。
いや、実はこれ日本発なんです。

「オールデーズ」が封切られる前年、すなわち1988年に日本映画「異人たちとの夏」(大林宣彦監督)が公開されているのです。これも山田太一が1987年に書いた小説が原作のゴースト・ストーリー。
それを観たスピルバーグが……。なんてことはないでしょうが。

余談が余計。もはや予定の3分の2を越してしまったので、急げマイケル。

2曲目はカントリーで「星をみつめないで」DON'T LET THE STARS GET IN YOUR EYES。

内容は、故郷を遠く離れた男が、恋人に「星をみつめないでおくれ」「月に心を奪われないでおくれ」「夜の恋なんて朝になれば色あせてしまうものさ」とうったえかけるもの。
つまり、浮気をせずにオイラのことを待ってておくれ、というヤキモチ焼きの男の歌。

テキサスのディスクジョッキー、スリム・ウィレットSLIM WILLET の自作自演が1952年のこと。なんでも朝鮮戦争へ出征した兵士が国の恋人へあてた手紙をヒントにつくられた歌だとか。

その後、スキーツ・マクドナルドSKEETS McDONALDがヒットさせて一躍有名に。ほかでもジョージ・ジョーンズGEORGE JONES、レッド・フォーリーRED FOLEY、ジョニー&ジャックJOHNNY & JACK など、多くのカントリーを中心としたシンガーたちがうたうように。

しかし、この曲を全米に知らしめたのは、カントリーシンガーではなく、かのペリー・コモPERRY COMO の大ヒットによって。カントリーナンバーがポップスにアレンジされて大ヒットするというのは、レイ・チャールズ「愛さずにはいられない」I CAN'T STOP LOVING YOU や先ごろ亡くなったホイットニー・ヒューストンWHITNEY HOUSTONの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」I WILL ALWAYS LOVE YOU をあげるまでもなく、よくあること。

恋人を寝盗られないようにと願う歌にしては、かなり明るい歌でして。国民性か。

最後の選曲は少々迷いました。
イーグルス「偽りの瞳」LYIN' EYESもいいな。けどカントリーはすでに1曲とりあげたし。
ビリー・ホリデーBILLY HOLLIDAY の「ゼム・ゼア・アイズ」THEM THERE EYES もごきげんだし、しっとりしたエラELLA FITZGERALD の「エンジェル・アイズ」ANGEL EYES も捨てがたい。
幅広い世代に人気のR&B「君の瞳に恋してる」CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU LIVE もいいし、オールディーズだったら「片目のジャック」BALLAD OF THE ONE EYE JACK なんてのもあったり。

でもやっぱりこれだ。「アニヴァーサリー・ソング」ANNIVERSARY SONG 。

アメリカでは知られた結婚記念日ソングで、ここでも以前とりあげたことがありましたっけ。
もともとはクラシックで、イヴァノヴィッチIVANOBICの「ドナウ河のさざなみ」DANUBE WAVE。

アル・ジョルスンAL JOLSONからはじまって、ビング・クロスビーBING CROSBY、ディーン・マーチンDEAN MARTIN、ダイナ・ショアDINAH SHORE、パット・ブーンPAT BOON、アンディ・ウィリアムスANDY WILLIAMS、コニー・フランシスCONNIE FRANCISなどなど多くのシンガーにうたわれている。ということは、それだけで名曲といえるのでしょう。

この歌で瞳が出てくるのは、以下の部分。

The world was in bloom there were stars in the skies
Except for the few that were there in your eyes.

二人を包む満天の星。世界にある99パーセントの星が輝いている。そして、残りの1パーセントは君の瞳の中に……

こんなこと言えるのはやっぱり欧米人ですね。東洋系、いや日本人にはとても言えない。
いや、いました日本人でも。あの人が。

♪君の 瞳は 星と輝き……

なんてうたってたものね。


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KBA48 [day by day]

競馬.jpg

♪ねらった大穴 見事にはずれ
 頭カッときて 最終レース
 気がつきゃボーナスぁ スッカラカンのカラカラ
 馬で金もうけ した奴ぁないよ
 分かっちゃいるけど やめられない
 ………………
(「スーダラ節」詞:青島幸男、曲:萩原哲晶、歌:ハナ肇とクレージー・キャッツ、昭和36年)

某日、駅から自宅への帰路で、

♪…………
♪ガンガンなってるMUSIC……

……いけねぇ、ヘンな歌うたってしまった。

歌のタイトルどおり、あんだけラジオや有線で聴かされりゃ、鼻歌も出ようってもんよ。
誰も聞いてなかっただろうな……。

なんてことが。
スゴイですね、AKB48

恥ずかしくって書かないけど、わたしだって何人かの名前はいえる。

んじゃ、ここでAKB48について語り、曲をYOU-TUBEにリンクさせるのかというと、そうではない。だいいちそう詳しくは知りませんし。

実は、はじめてAKB48という名を新聞で見たとき、思わず「AKB」を「KBA」と見間違えてしまして。なぜなら「KBA」は以前よくつかっていたもので。

では「KBA」とはなんぞや。
「AKB」のエリアは秋葉原ですが、「KBA」は関東では府中、大井、中山、船橋などといえば賢明な(いや逆かな)方は推察できるとおり、競馬のこと。

大昔かなり競馬にのめりこんでいたことがありまして、その周辺で糊口をしのいでいたこともあったり。そのときメモにしろ原稿にしろ「競馬」はすべて簡略に「KBA」と記しておりました。

それから仕事からも離れ、熱も冷め(微熱はありますが)て現在に至っておりますが、そんなことから折しもフィーバーとなった「AKB48」を読み間違えてしまったというわけ。

で、今回はAKB48ファンには申し訳ないですが、「KBA」の話。

馬の歌なら戦前の軍歌の「愛馬進軍歌」やわらべ歌で、♪おうまのおやこは でなじみの「おうま」や♪ぬれた仔馬のたてがみに の「めんこい仔馬」、戦後なら流行歌の「達者でナ」(三橋美智也)や「あの丘越えて」(美空ひばり)がすぐ思い浮かびますが、今日は競馬の歌。

JRAのTVコマーシャルでもみられるように、日本で競馬が始まったのが約150年前。幕末というから驚き。

ということは、戦前にも……と思って調べてみたらありました。
もっとあったのかもしれませんが、判明したのは以下の2曲。

「競馬小唄」 詞:西條八十、曲:松平信博、歌:小唄勝太郎 
「競馬の唄」 詞:西條八十、曲:橋本国彦、歌:四家文子

「馬の娘」いや、「島の娘」の大ヒットでしられる勝太郎は、当時競走馬を何頭か所有していた馬主だったとか。
いまでも、いますよね芸能人で馬主が。最近(でもないか)でGIを獲ったのが歌手の前川清。たしかコイウタという牝馬でした。

それと上の2曲、作詞はいずれも西條八十
かなりの競馬好きだったのかな、と想像できますが、西條八十が馬主だったとか、馬券を買っていたなんて話、あまり聞かない。
まぁ、将棋をまったく知らなくても「王将」(村田英雄)という大ヒット曲を書くのですから、問題ないでしょう。
どっちにしろ2曲とも聴いたことなんてありません。

で、戦後。
最もヒットした競馬の歌、というより競走馬の歌といえば、「さらばハイセイコー」(増沢末夫)でしょうか。
実際の馬が流行歌になってしまうというのもスゴイが、その主戦ジョッキーがうたってしまうというのもスゴイ。

かの三冠馬、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、オルフェーブルらがいかに強くても歌になったという話は聞かない(なっているかもしれないけど、一般には届いていない)。

たんに強いだけでは歌にならない。多くの人が耳を傾けてはくれない。
そこにはドラマがなくては。
ハイセイコーにはそれがありました。

ハイセイコーは中央競馬生え抜きの競走馬ではなく、公営競馬出身で、中央に転厩してきた馬。
公営競馬は中央に比べるとその能力はワンランクもツーランクも劣るという馬たちによるレース。中には“草競馬”なんていう人もいるぐらい。

そういう馬のなかにも時折、ものすごい成長力をみせる馬がいます。ハイセイコーもそうで、そうした馬たちは中央へ移籍し、最強の馬場で勝負することになります。のちのオグリキャップもそうでした。

そこで、ハイセイコーのように中央馬を尻目にGⅠホースになってしまうのですから、競馬ファンだけでなく一般人までが応援したくなったり。
なにせ日本人は“成り上がりストーリー”が好きですから。
とりわけ、馬券負け組の競馬ファンはなおさら。

曲のヒットの要因のひとつには、猪俣公章の軍歌調のメロディーにもありました。当時の日本人、軍歌好きだったものね。

この「さらばハイセイコー」を凌ぐ(多分)売り上げを記録したのがソルティー・シュガー「走れコウタロー」

これはまったくの架空の馬・コウタローがダービーで勝って穴をあけるというコミックソングで曲はカントリー調。日本ではなぜかカントリー調というとコミックソングやドタバタ劇のBGMにつかわれていた、いや、いる。

馬名がバンドメンバーの山本コウタローからとったことはあまりにも有名。
20数年後、アニメ「みどりのマキバオー」に馬名を変えてつかわれていた。

ほかでは、競馬場がでてくる歌としてユーミン作の「中央フリーウェイ」忌野清志郎「競馬場で会いましょう」、作詞の青島幸男がギャンブラーの真理をみごとについた「スーダラ節」(ハナ肇とクレージー・キャッツ)があります。

また、曲は聴いたことがありませんが、大月みやこがうたう「競馬人生」というのがあるそうです。

馬いはなしに すぐ乗せられて
いつも怪我する お人好し
あなた見てると ジョッキージョッキーするわ
だからわたしが この手綱
強く引いたり ゆるめたり

という詞は現役のダービージョッキーだった小島太(現在は調教師)。

ところでKBA48の「KBA」が競馬だということはわかってもらえたと思いますが、では「48」はなんなのか。

これを「フォーティエイト」と読んではいけません「よんはち」もしくは「よんぱち」と読みます。

そうです競馬の出目、買い目なのです。だから「KBA48」。

「4」は大昔、有馬記念を4のゾロ目で獲って以来の、わたしのラッキーナンバー。
「8」は枠連しかなかった当時、統計的にも連対確率の高かった枠番。
迷ったときの「4―8」ということでよく買っていました。結果はともかく。

競馬予想のポイントは人それぞれです。
過去の実績、当日の仕上がり・気配、展開、ジョッキーなどなど。
わたしも以前は競馬新聞と首っ引きで何時間もかけて赤ペンを走らせていました。
しかし、某馬券師が語っていたように、いきつくところは出目。

何をやっても的中しないのであれば、賽の目に賭けたくなるのは人情。
賽の目といっても、ただの運否天賦ではない。
サイコロが転がって出る目を読むのです。
それはその日が何月何日か、からはじまって、当日の目の出方、前レースの出目などなどで買い目を決めるのです。

まぁ、いわゆるケントク買いなのですが、そんなに馬鹿にしたものでもありません。
出目、すなわち数字には「数霊」といって独特の動きや流れがあるらしい。

えっ? ならば、その「数霊」とやらで儲かっているのか、って?

……………………。


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三つの歌●絶望 [day by day]

黒の舟唄.jpg

♪忘れられないけど 忘れようあなたを
 めぐり逢うときが ふたり遅すぎた
 愛の炎は消し 暗い絶望だけ
 胸に抱きしめて 僕は生きてゆく
 だけど もしも ここにあなたが
 いたなら 駆け寄り すぐに抱くだろ
 あなたを 連れ去り 逃げていきたい
(「許されない愛」詞:山上路夫、曲:加瀬邦彦、歌:沢田研二、昭和47年)

食事のあと、テレビもつまらないので音楽を聴きながらブログを書いてます。

60年代のカヴァーポップス。いまミコちゃんの「子供ぢゃないの」が終って、ミッチー・サハラ「夢見るシャンソン人形」が流れてきました。あらためてきくとミッチー・サハラ、歌が上手ですね。フランス語もきれいだし。

ではおっぱじめます。

希望を抱くのが人間ならば、絶望するのもまた人間。
ならば、「希望」の次は「絶望」で。
まあ、よくいえばバランス感覚、ふつうにいえば思いつきということ。

しかし「絶望」、かなりキツイ言葉です、なにせ望みを絶ってしまうのですから。決定的です。字面もななんとなく、書きたくないし、見たくもない単語です。

だからマス・メディアでもあまり頻繁にはつかわない。

たとえば、山の遭難で数週間が経過したとしても新聞の一般紙やテレビの報道では「絶望」とは書かないし、コメントしない。
常識的に考えれば「絶望」であっても、1%の可能性があれば、やはり使わない。その家族への配慮もあるでしょうし。

「絶望」という言葉をいとも簡単につかうのは、スポーツ新聞や週刊誌。
はたして山の遭難で「絶望」という言葉をつかうかどうかはわかりませんが、スポーツ、芸能のエンタメ系ニュースではしばしば見るし、耳にする。

それでも、たとえば
「××投手 左アキレス腱断裂 今季の出場絶望的」
などのように絶望ではなく「絶望的」と「的」をつけてインパクトを抑えたり。
さらに遠慮がちになると「絶望的か」なんて小さな「か」をつけたり。

それほど「絶望」という言葉には悪魔的な“文字霊”が宿っている。

だから流行歌では、あまり使われない。
かといって全然ないわけじゃない。だけど、「希望」に比べるとはるかに少ない。

すぐに思い浮かぶのはゴールデン・カップス「絶望の人生」
これは[I got a mind to give up living]というブルースをカヴァーしたもの。
マモル・マヌーがヴォーカルをとっています。

そして、前向きになんか生きたくはない、過去と向かい合ってメソメソしたいんだと、先頭を走る者のシンドさをうたった岡林信康「絶望的前衛」

さらに絶叫的絶望的絶唱音頭は、サンボマスター「絶望と欲望と男の子と女の子」

もひとつあげるなら暗く消えてしまいたかった灰スクールの頃をうたった奥田美和子「絶望の果て」「二人」というアルバムの中の曲で、その中の「青空の果て」も詞がやや異なるけど旋律は同じ絶望ソング。この2曲を含め全13曲のすべてを柳美里が作詞している。そりゃ、暗くもなろうさ。絶望もしようさ。

と以上ピックアップした4曲は、ポピュラリティーがないとか、いまいちピンとこないなどの理由で、「三つの歌」としては選外。
というより、他にとりあげたい歌があったということ。では。

絶望グッドバイ(藤井隆)
平成14年というから昭和歌謡ではないけれど、なにしろ作者が松本隆筒美京平だから昭和の香りが芬々。ちなみにこのコンビのヒット曲はあまたあって、「東京ララバイ」<中原理恵)、「セクシャル・バイオレット№1」(桑名正博)、「スニーカーぶるーす」(近藤真彦)、「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)などなど。

で、この「絶望グッドバイ」は彼女との別れに絶望する彼という設定。
その悲しみがあまり伝わってこないのは、ダンサブルなアレンジが原因かも。
松本隆の詞も「僕のズック靴いつも躓く」なんて、どうでもいいことを入れてくるから気になって悲しみが薄れてしまうのかも。
それほど絶望して取り乱しているのだ、といわれればそうとも思えるけど。

だいたい平成の時代に「ズック靴」はないだろう。
そういうところとか、谷川俊太郎や寺山修司の名句をシレッとつかってみたりしているところが個人的には気に入っています。

許されない愛(沢田研二)
やっぱり「絶望感」を出すにはバラードでなけりゃ。
これは不倫にピリオドを打つという流行歌の定番「あきらめ節」。なるほど絶望感は出ています。
その詞はいずみたくグループの山上路夫。暗い旋律はワイルドワンズの加瀬邦彦
そしてなによりも、沢田研二の「泣き節」がその絶望感をより高めています。役者やのぉ。

昭和47年のヒット曲で、その翌年にやはり加瀬邦彦が今度は安井かずみと組んでつくった「危険なふたり」でレコード大賞をとることに。

個人的にはそのふたつの曲の間につくられた、やはり安井・加瀬コンビの「あなたへの愛」が沢田研二のベストソングなのですが、絶望のかけらもないラヴソングなので、いつかまた、ということで。

ところで、奥田美和子の歌ではないですが絶望の果てとは。
そうです自ら命を絶ってしまうこと。つまり最も大きな絶望。
去年もそうだったようですが、毎年3万人もの自殺者がでているとか。

その自殺が出てくる、あるいはほのめかす歌もいくつかあります。
たとえば、「このまま死んでしまいたい」とうたう「アカシヤの雨がやむとき」(西田佐知子)
自殺者がふえているという新聞記事を“引用”した「傘がない」(井上陽水)
そして、まさにこれから自殺しようとしている女性を主人公にした「帰らざる日々」(アリス)
さらには貧しさと世間に絶望しての道行き、「昭和枯れすすき」(さくらと一郎)など。

しかし、ここでの三つ目の歌は、また別の意味で世を儚んでいる歌を。

マリリンモンロー・ノーリターン(野坂昭如)
「この世はもうじきお終いだ」と、末法思想のお題目のようにはじまる昭和46年の歌。
歌手・野坂昭如絶頂の頃。ほかにも「バージン・ブルース」とか「終末のタンゴ」、「黒の舟唄」、「花ざかりの森」などいい歌がいくつもありました。

これらの歌はすべて桜井順の作詞作曲(作詞は“能吉利人”のペンネームで)。野坂と桜井は三木鶏郎グループ「冗談工房」の仲間。

それにしても、この歌のヒントになっているのがマリリン・モンローが主演し主題歌をうたった「帰らざる河」であることはもちろん、この歌そのものももはや忘れられているのではないでしょうか。
野坂さん、脳梗塞に倒れながらも、いまだ健筆をふるっているとか。

しかし、あらためて考えると、希望があるから絶望するんだな。
希望が大きければ大きいほど、絶望も深くなる。
だとすれば、希望なんかもたなければ、絶望することもない。
だけど、やっぱり希望がないと生きていけない。おもしろくない。

そう考えると、「希望」を抱くにしても、ささやかで小さいもののほうがいいのかも。
せいぜい中ぐらいで、決して大きな希望などいだかない方がいい。「ちっちぇい奴だ」などと、他人からどんなに詰られても。
これを「希望中小」といったりする。

いつまでたってもシリアスになりきれないわたしです、許してやってください。

いま、流れているのは斎藤チヤ子「失恋の海」。なにしろ80数曲、5時間弱ランダム設定のMDなので、まだ当分聴いていられます。では。


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