三つの歌●瞳②ぬれる [day by day]
♪ぬれた瞳と ささやきに
ついだまされた 恋ごころ
きれいなバラには 棘がある
きれいな男にゃ わながある
知ってしまえば それまでよ
知らないうちが 花なのよ
(「麗人の唄」詞:サトウハチロー、曲:堀内敬三、歌:河原喜久恵または曽我直子、昭和5年)
前回もいいましたが、流行歌のフレーズで「瞳」がなんと多いことか。
とりわけラヴ・ソングには欠かせないキーワード。
そもそも、なぜ「瞳」がそれほど流行歌で多用されるのか。
それは、現実世界の人間同士のかかわりにおいて、瞳あるいは目の役割がとても大きいからでしょうね。つまり瞳は、人間のからだのパーツの中で口(声)や手足とともに極めてアクティブ、つまり動きのある部分だからではないでしょうか。
「目は口ほどにものをいい」なんて昔からいうほど、目には表現力がある。「目くばせ」とか「目礼」、あるいは「眼力」などとも。最近では「目力(めじから)」なんていいかたも。
また昔から「目は心の窓」などといって、目がその人の人格や心象を知る手がかりになるといわれています。人格については異論がないわけではありませんが、「目の動き」なんて言い方もあるように、目でそのときのその人の気持ちを読みとれる場合もあります。
まぁ、厳密にいうと、目が語っているというよりは、その周辺の眉毛だったり、まぶただったり、あるいは眉間、さらには口や頬など顔のほかのパーツとの“合わせ技”なんでしょうけど。
今回は瞳の邦楽をやろうと思うのですが、あまりにも多すぎるので、目のアクションに注目して絞ってみたいと思います。
では、目のインパクトのあるアクションといえば。
まずひとつは、最大の感情表現ともいえる泣く、涙を流すということ。
そのいちばんストレートな語彙は「ぬれる」でしょうか。
「瞳がぬれる」とか「ぬれた瞳」とか。
まあ、流行歌のセオリーとしては瞳がぬれているのは女で、それを見て動揺しているのが男。もちろん反対でもかまわないのですが。もしかしたら、J―POPなどではもはやそうなってるのかもしれませんが。
ではさっそく厳選(でもないかな)「ぬれた瞳」三曲を。
①麗人の唄 河原喜久恵
まずは戦前の歌。
冒頭で歌詞を紹介した「麗人の唄」。
これは波瀾万丈の生涯をおくった歌人・柳原白蓮をモデルとした映画「麗人」の主題歌。
原作はこの歌の作詞者、サトウハチローの父である作家・佐藤紅緑。
「きれいなバラには棘がある」とか「知らないうちが花」なんてフレーズは今でいう流行語となり、のちのちまでも使われることに。今はどうかしりませんが。
詞も当時としては最先端ですが、堀内敬三のタンゴ調の旋律もモダン。
堀内は作詞、作曲家であるとともに音楽評論家でもある。
とりわけ昭和初期の舶来流行歌や唱歌の訳詞ではいまもうたわれる名作を残しています。
とりわけ訳詞では「青空(マイ・ブルーヘヴン)」や「春の日の花と輝く」、「故郷の人々」など。また作詞でもっとも知られているのが「蒲田行進曲」。
戦前でほかには、これも好きな「緑の地平線」(楠木繁夫)でも。
♪ぬれし瞳に すすり泣く
と出てくる。そのほか「蛇の目のかげで」(日本橋きみ栄)や「青い背広で」(藤山一郎)などでも瞳はぬれている。
②明日は明日の風が吹く 石原裕次郎
♪ぬれた瞳は 夜霧のせいよ
これも昭和33年公開の日活映画の同名主題歌。監督の井上梅次が作詞をしている。
曲は音楽担当の大森盛太郎。ほかに裕次郎の「嵐を呼ぶ男」や赤木圭一郎の「激流に生きる男」など。
YOU-TUBEに出ている茶髪のホステスは前年「バナナ・ボート」で歌手デビューしブレイクした浜村美智子。まだ10代なのにあの貫禄。余談です。
それにしても裕次郎、デビュー2年目で、太陽にほえろのボスに比べなんと初々しいことか。この頃がいちばんカッコよかった。
同じ昭和30年代の「ぬれた瞳」はというと、
「湖愁」松島アキラ ♪ぬれた瞳を しのばせる
「北上夜曲」多摩幸子とマヒナ・スターズ ♪ぬれているよな あの瞳
「日暮れの小径」北原謙二 ♪ぬれた瞳で 頬よせて
などが。
③旅立ち 松山千春
♪わたしの瞳が ぬれているのは
昭和52年のデビュー曲で女歌。
この歌をはじめて聴いたのは、その頃みたテレビ番組で。
記憶はかなり薄いですが、たしか卒業を控えた北海道の高校生の生活を追った(セミ)ドキュメンタリー番組。たしかアイスホッケー部だったかな。
倉本聰が演出か構成だかで、BGMにしきりにこの「旅立ち」が流れていました。
恋しい男の首途を蔭ながら見送るという歌詞は、戦前の「明日はお立ちか」と変わらぬおとこ発の“ニッポン女性”大和撫子の歌。
松山千春の透明感のある歌唱と、フォーク定番のギターのアルペジオが印象的でした。
この少し前にヒットした「太陽がくれた季節」(青い三角定規)でも、
♪若い悲しみに ぬれた眸で
と。
しかし人間はどうして悲しいことがあると瞳がぬれるのか。
まぁいろいろ科学的な解釈はあるようですが、とにかく涙には悲しみをやわらげる効果があることは間違いないようです。
むかしは「男の子は人前で泣かない」なんて“文化”がありました。
♪……人形のように 顔で泣かずに 腹で泣け 「男なら」 (男のバーゲンセール?)
「いや、人前で泣かない、ガマンするっていうのは男ばかりじゃないよ」という声が。
そういえばこんな歌もあったけ。
♪涙じゃないのよ 浮気な雨に ちょっぴりこの頬 ぬらしただけよ 「カスバの女」
♪涙こらえて 夜空をあおげば またたく星が 滲んでこぼれた 「女の意地」
まぁ、むかしは男も女も、恥じらいとか我慢がいまより強かったということでしょうか、結論としましては。
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