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クレメンタイン [the name]

映画音楽を。それも古いヤツを。


テキストは先日読んだ小林信彦の文庫本「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」から。オリジナルの単行本は2000年に刊行されている。


別に映画音楽が知りたくてこの本を読んだわけではなく、単純に小林信彦がどんな映画をリストアップするのか興味があったのですが。


小林信彦とわたしは、おおよそ20歳の隔たりがある。つまりキャリアが雲と泥なのだ。
内外映画のプロである小林信彦大先輩の選んだ200本のうち、若輩者のわたしはどのくらい観ているのか、そんなことにも興味がありました。


洋画は1925年の「チャップリンの黄金狂時代」から1996年のウディ・アレンの「世界中がアイ・ラブ・ユー」まで100本。
邦画は1931年の「マダムと女房」から1999年の「御法度」までの100本。


詳細に興味のある人は、読んでみてください。amazonやブックオフで入手できます。


で、わたしが観た洋画は約40%。野球だったら打率4割は驚異ですが、マニアックな映画を避けている(多分)ことを考えると微妙ですね。


そのうちスクリーンの映像とともに脳内蓄音機でミュージックが再生されたのは数本にすぎません。


まずは1946年公開の「荒野の決闘」my darling clementine もちろんリアルタイムではありません。多分70年代に名画座で観たのがはじめ。

これは「七人の侍」に匹敵するほど好きな映画です。旧い人間ですから西部劇と時代劇は“食べなれ”ていることもあり、いまだに大好物。


ご存知(でもないかも)アープ兄弟&ドク・ホリデイ対悪漢クレイトン一家とのOK牧場(実際は牧場ではなく、駐馬場?のような場所)での決闘です。なぜその牧場での撃ち合いが「荒野」になってしまったのかは不明ですが、その悪しき?邦訳は、その後も「荒野の七人」や「荒野の用心棒」、「荒野の1ドル銀貨」など西部劇で乱用されていきます。


クレメンタインはドクを追ってきた女性で、タイトルにもなっているくらいなので、ヒロインなのでしょうが、ドクの愛人の酒場女チワワのほうが存在感がありました。


ではスクリーンミュージックの話に。


この映画の主題歌my darling clemetine は冒頭とエンディングにも使われていますし、ワイアット役のヘンリー・フォンダも鼻歌でうたっていた(ような記憶があります)。ただこの歌は、映画「荒野の決闘」のために書かれたうたではなく、元来アメリカで伝承されていた歌なのです。


ちなみにこの映画が日本で封切られたのがアメリカ公開の翌年、昭和22年。まさに焼跡闇市のドサクサの中で公開されたようで、戦前戦後の事件を描いた坂東眞砂子のミステリー「ブギ・ウギ」にも通訳の主人公が日比谷の映画館で「荒野の決闘」を観る場面がでてきます。


日本公開当時、主題歌my darling clementine が日本の観客にどの程度インパクトを与えたかは知りませんが、それから10数年後、昭和も30年代に入って、日本のなかで突如親しまれる歌となります。それがなぜか「雪山讃歌」という山の歌になって。


初レコーディングしたのはダーク・ダックスで、当時の「歌声喫茶」ブームのなかで、この歌は若者のあいだに浸透していきました。


ところで♪雪よ山よ われらが宿り という日本語詞は登山家であり30年代の南極観測越冬隊長でもあった西堀榮三郎が戦前につくったものといわれている。つまり、「荒野の決闘」以前から日本では知る人ぞ知る歌だった、ということに。「宿り」なんておそらく今の若い人はつかわないだろうなぁ。


まぁ、「雪山讃歌」は「いとしのクレメンタイン」の替え歌といってもいいわけで、そういえばかの「穂高よさらば」も替え歌でした。ただこちらは洋楽ではなく、邦楽、それも軍歌でしたけど。


なおYOU-TUBEでの歌はブラウンズの歌唱でサントラ盤ではありません。






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