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おかしな男 [books]


残念ながら邦画の場合、映像の断片は脳内スクリーンに残っていても音楽や歌が……。

それでも小林信彦氏の邦画ベスト100は、洋画以上に納得。

小津安二郎でいちばん好きな「麦秋」そして「東京物語」。

宮口精二、稲葉義男、千秋実といった脇役の存在感まで活かした黒澤明の「七人の侍」、そして「用心棒」。

短評で小林信彦氏が「最高傑作」といっている成瀬巳喜男の「浮雲」(同感です)。

新珠三千代の汚れ役もよかったけど、やっぱり芦川いづみが可憐だった川島雄三の「洲崎パラダイス 赤信号」。さらに同じ川島監督でフランキー堺の怪演がすべてだった「幕末太陽傳」。

吉永小百合の出世作だった浦山桐郎の「キューポラのある街」。不満なのは「私が棄てた女」がリスト外だったこと。
余談ですが、この小林信彦氏の本ではじめて知ったのですが、「私が棄てた女」のキャスティングをはじめ、浦山監督は、棄てる男に小林旭、捨てられる女に都はるみを考えていたとか。

この映画は小林トシ江演じる森田ミツの映画であり、それを捨てる男が小林旭はないですし、都はるみもありそでなしじゃないでしょうか。

ま、話を戻しまして、そのあとも春川ますみの東北女が最高だった今村昇平の「赤い殺意」。伴淳三郎と高倉健の刑事コンビが志村喬と三船敏郎コンビに匹敵するほど印象的だった内田吐夢の「飢餓海峡」と「宮本武蔵・一乗寺の決闘」。

中村錦之助ならばやっぱり加藤泰の「沓掛時次郎・遊侠一匹」。すぐ殺されちゃうけど渥美清も出ていたし、残念ながらメロディーも詞も覚えていませんが、ラストはフランク永井の歌でしたが、残念ながら歌詞もメロディも消去されております。。

そして87本目が、やっと歌が聴こえてきました。

昭和44年、西暦でいえば1969年の松竹映画。山田洋次監督の「男はつらいよ」、シリーズ第一作。

渥美清は東映の喜劇列車シリーズから、それこそ小林信彦氏の本のタイトルのように「おかしな男」ということでファンだったので、第一作から封切で観ておりました。

観たのはたしか新小岩、高校時代のクラスメートとだったと記憶しています。
わたしもつれも笑いました。とにかく笑いました。映画であれほど大笑いしたのはそれ以前に観たゼロ・モステル主演の「ローマで起こった奇妙な出来事」以来。というか、この2本だけ。

倍賞千恵子も中学以来のファンでした。似た子がいて…。それにロケーションも馴染みのある葛飾・柴又ときては観ないわけにはいきません。
ファーストマドンナの光本幸子がまた粋で、おいちゃんの森川信が昭和のコメディアンの片鱗を如何なく見せてくれて。

盆暮れの映画が楽しみになったのは、東映時代劇以来でした。

でも、心底面白かったのは第7作の「奮闘篇」くらいまで。マドンナが榊原るみでしたが、かのミヤコ蝶々扮する寅次郎の瞼の母出現の巻です。これは第1作につぐ傑作ではなかったでしょうか。

あとはもう正直、偉大なるマンネリに対する「お付き合い」というか「義理と人情で」といいますか、そんか感じで最後まで観つづけ、見納めました。

たしかに、その後の吉永小百合や浅丘ルリ子、松坂慶子といった美しきマドンナたちには楽しませていただきました。でもねぇ。

何度聴いても面白い落語と同じで、笑わせてくれるのですが、それ以上にこちらが期待してしまうものですから。
やっぱり、後の俳優さんには申し訳ありませんが、「おいちゃん」が変わってしまってからでしょうか。それほど森川信の存在は大きかった。

話は尽きませんので、おなじみの主題歌を。


言うまでもなく作曲は山本直純。
クラシック畑の作曲家ですが、映画音楽、流行歌、CMソングも少なくない。たとえば赤木圭一郎の「風は海から吹いてくる」、三浦洸一の「青年の樹」、クレージーキャッツの「学生節」、小沢昭一の「ハモニカ・ブルース」(小沢と共作)。CMならボニージャックスがうたった「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」とか。

作詞も西條、佐伯、星野、阿久と言われるぐらい(誰も言っていない)、ヒット曲メーカーだった星野哲郎。
古くは「夜が笑ってる」から「出世街道」、「三百六十五歩のマーチ」、「自動車ショー歌」、「みだれ髪」、「純愛のブルース」、「風雪流れ旅」まで数え上げたらきりがないほど。

そんな大家の作詞作曲にもかかわらず、聴きやすく、覚えやすい歌に仕上がったのは、山田洋次監督の注文だったのではないでしょうか。

特別名曲というほどの主題歌ではありませんが、この歌が聴こえてこなければ毎度毎度の「おもしろ咄」ははじまりません。

もうひとつつけ加えると、「男はつらいよ」では、毎回その時々のヒット曲がまるで、年代スタンプのように、挿入されていました。出演者の誰かが口ずさんだり、ラジオやテレビから聴こえてきたりという具合に。

第1作では北島三郎の「喧嘩辰」でした。寅とお嬢さんが競輪(オートだったか)で遊んだあとの食堂で、ラジオで流れていたような。そして、「デイト」の後のお嬢さんの家であるお寺の耳門での別れのシーン。握手の後、ほろ酔いのお嬢さんが千鳥足で口ずさむ。そのあと寅が楽しかったデイトの余韻に浸るように、深夜の近所迷惑かえりみず、小躍りしながらうたっちゃう。名シーンでした。

もうひとつ歌といえば、「とらや」の裏の印刷工場の職工たちがうたっていた「すいかの名産地」これも耳に残りました。
なぜ職工たちがうたっていたのかはわかりませんが、「すいかの名産地」はアメリカ民謡に日本語詞をつけたものです。

作詞は高田三九三という童謡作詞家で、オリジナルもつくりましたが、外国童謡の訳詞が有名で、「メリーさんのひつじ」や「十人のインディアン」などもそうです。

邦画編はこの1曲ですので、ずいぶん長くなりました。そろそろです。

このところ「男はつらいよ」の周辺がなにやら騒がしくなってきております。第50作ができるとか、NHKで寅の子供時代を描いたドラマが始まったとか。大阪生まれの「男はつらいよ」(つらいねんじゃないのかな)がはじまるとか。

それならば、いっそのこと本当の意味でのリメイク版「男はつらいよ」が見てみたい。その場合車寅次郎を誰が演じるかが最大の問題です。もちろんさくらさん、、おいちゃん、おばちゃんの演者も気になりますが。

渥美清に代わる寅さんはいないだろうなぁ、と思う反面、きっとあの「おかしな男」に迫りうる、あるいは超えてしまう役者がどこかにいるような気がするのですが。
とはいえ、はたして令和の若者たちにあの「おかしな男」の人情噺が通用するのだろうか。








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青い山脈 [books]



洋画に続いて、小林信彦氏が選んだ邦画100本の映画音楽を。


こちらは、洋画に比べてシンクロ度がかなり高い。観ている本数でみるとおよそ60%あまり。とりわけ昭和30年代から40年代初頭の作品については、そのショートコメントも含めてウレシクなるほど同期しています。

ところが、音楽となると……。
これはもちろん小林信彦氏のせいでもなんでもなく、リストアップされた映画のタイトルをみると映像は浮かんでくるのですが、その音楽がほとんど聞こえてこないのです。


とりわけ戦前の作品となると、昭和6年の初トーキー「マダムと女房」から19年の戦争映画「電撃隊出動」まで24本ありますが、観たのは、成瀬、溝口、黒澤作品などのちに名画座で観た6本。

しかし、そのいずれからも映画音楽はもちろん、挿入歌も聴こえてきませんでした。

考えてみれば、かつての日本映画というのは流行歌との「タイアップ作品」(旅の夜風のような)を別にすると、映画音楽そのものを、たとえばラジオで単独に流すとか、サウンドトラックとしてレコード化するということがほとんどなかったので仕方のないことではあります。


これは全滅か? と思いきや、わずかではありますが、主題歌が聴こえてくる邦画がありました。もちろんタイアップ作品ではありますが。

昭和24年、映画も歌も爆発的にヒットし、当時のすさんだ日本の社会に一筋の光明をもたらした(まだ未生だったので大げさに言ってます)かの映画。
そうです、石坂洋次郎原作の「青い山脈」です。


小林信彦氏は「この時代でしか成立しない民主主義讃歌」と短評しています。


一地方都市で町じゅうを巻き込んで起こった新旧対立の学園騒動。
たしかに戦後の新しい風が、旧き因習を吹き飛ばしていくという、昭和24年という時代をバックグラウンドとした映画ではありましたが、この映画が、のちの映画やテレビの「学園もの」のひとつのスタイルになるという普遍性も持ちえた映画であったことも間違いないのではないでしょうか。


その新しい青春物語以上に、敗戦間のない日本人に浸透していったのが、藤山一郎と奈良光枝のうたった主題歌「青い山脈」。

♪若く明るい歌声に と新時代謳歌の詞は戦前・戦後と昭和の歌謡曲の礎をつくった西條八十。代表作品は戦前の「東京行進曲」や「旅の夜風」。


ただ、この歌をつくる数年前まではいくつもの軍歌をつくり「鬼畜米英」で国民を煽っていたこともたしか。

それが、♪古い上着よさようなら 悲しい夢よさようなら
とその変り身の速さ。でもそれは西條八十だけではなく、多くの文化人、さらにいえばほとんどの国民がそうだったし、またそうでなければ生きていけなかったのだから仕方がないことなのかも。


それでも「青い山脈」が当時の人々に受け入れられ、70年近く経とうという現在もまだ歌い聴きつがれている(細々ではあるけれど)のは、

♪あこがれの 旅の乙女
♪かがやく峰の なつかしさ 
♪旅路の果ての その果ての 
♪みどりの谷へ 旅をゆく

という歌詞からも垣間見える、自由や民主主義という社会性よりも、日本人の不変的なかつ普遍的な心情に訴えてきたからではないでしょうか。とりわけ3度使われている「旅」がわが先輩方の抒情に、さらには旅情に突き刺さったからではないでしょうか。当時の閉塞された時代を考えればなおさら、
♪みれば涙が またにじむ
という心情だったのではないでしょうか。


あの印象的なイントロ(名曲はいつもそう)ではじまる曲についても。

明るいなかにも憂いのあるメロディーはやはり昭和を代表する作曲家・服部良一。
西條八十の詞が先にできていて、それを念頭に当時の満員電車の中で短時間のうちにつくったそうです。


戦後の服部メロディー、たとえばヒット曲の「東京ブギウギ」、「東京の屋根の下」、「銀座カンカン娘」のジャズ風、ポップス風の曲調に比べると、「青い山脈」は明るさがあるとはいえ、従来の歌謡曲の主流であるマイナー調。いささか違和感のある人も。


しかし、服部のスタンスが長調主体であったわけではありません。戦前ならば「別れのブルース」や「湖畔の宿」はじめ多くの短調のヒット曲をつくっています。

ただ戦後、もちろん戦前からの洋楽のさらなる影響もあるでしょうが、今後はもっと明るい曲をつくり日本の日本人の復興に貢献したいという思いがあって、明るい曲=メジャーチューン主体の曲、ということになったのでしょう。


余談ですが、この曲に唯一(かどうだか)反対したのが監督の社会派・今井正で、映像に音をシンクロさせるダビングにも来なかったとか。もしかしたら、〈もっと明るいメジャーの曲を〉と考えていたのかもしれません。にもかかわらず服部メロディーが採用されたのは、この歌が気に入っていたプロデューサー・藤本真澄の力が強かったから、といわれています。


もし監督の意向が通ったら映画はともかく、主題歌がこれほどの国民的な歌になったかどうだか。もっとすごい歌になっていたかも? それは誰にもわかりません。でも、今井正のあの映像、服部良一・西條八十のあの歌はとびきり素晴らしいものだったことは間違いありません。


昭和24年に公開(東宝)されたこの映画、主役の島崎先生が原節子、新子が杉葉子でした。どちらも近年亡くなられました。もちろん公開時、わたしはまだ生存しておりませんので、のちに、それも20年あまりのちに観ました。名画座で。


それより先に観たのが38年の日活によるリメイク版。こちらもリアルタイムで観たわけではなく、公開から数年遅れてからでした。こちらは芦川いづみ先生と吉永小百合生徒のコンビでした。

観たのは高校生ぐらいだったと思いますが、やはり「焼けあと」の記憶がない人間にとっては、いささかストーリーが「ちょっと昔の」、という印象を受けた記憶がありました。それでもあの島崎先生の可憐さには生意気なガキもイチコロでした。


もちろん主題歌も東宝作品と同じでしたが(ちなみに神戸一郎と青山京子のデュエット)、わたしにとって「青い山脈」といえば諸先輩には申し訳ないのですが、原節子でも杉葉子でも、池部良(良かったなぁ)でもなく、また吉永小百合でも、浜田光夫でもなく、まちがいなく芦川いづみなのです。


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パルプフィクション Pulp Fiction [books]


1994年、クエインティン・タランティーノ監督の作品。小林信彦氏 が選んだ99本目の洋画。

確かに観ましたが、いつ、どこで観たのかまったく覚えなし。


その 2年前の「レザボア・ドッグス」でタランティーノ初体験(デビュー作だものね)。
でもあの暴力シーンに辟易。でも、かの作品の一般的評価は良く、おのれの映画センスを疑うことに。でも、もう一度観ようとは思わなかったし、今でも残り少ない時間を費やそうとは思いません。


ただ、その時は起死回生といいますか、今度こそという思いでタランティーノ再挑戦で「パルプフィクション」を鑑賞した次第。


で、見終えての感想は、「なんともとっちらかった映画」。監督自ら「安っぽい話」といっているので、そうなのでしょうが。前作ほど嫌悪感はありませんでしたが、小林信彦氏のようにもう一度LD(もはや死語)で観たいとはこれまた思いませんでした。


といいますか、タランティーノとの相性がよくないことを再認識したわけで、三度目はないという結論に。したがって「キル・ビル」は観ていません。


ただキャラの濃い、ジョン・トラボルタ、サミュエル・J・ジャクソン、、ユマ・サーマン、ブルース・ウィルスといったキャストの印象だけは強かった……。


そんななかで印象に残ったのが、何曲も流れたポップス。小林信彦氏も音楽を評価しておりましたが、その点は大賛成。

半分近くは初耳の曲でしたが、スタットラーブラザーズのカントリーFlowers on the Wallがあったり、エレキインストのミザルーやサーフ・ライダーがあったり。どれもパルプミュージックではありますが、これがなかなかいい。


なかでもいちばん印象に残ったのが、エド・サリバンとモンローのまがい物が司会をするダンス大会で、トラボルタとユマが踊るシーンのバックに流れていた「ユー・ネヴァ・キャン・テル」You never can tell  。


映画では本家のチャック・ベリーではなく、アーロン・ネヴィルというシンガーだそうです。このフランス語を取り入れたロケンローは(この映画の影響かもしれませんが)、カヴァーというか、持ち歌にするシンガーが少なくなく、わが「女神」のひとりであるエミルー・ハリスもアルバムに入れております。


若くして一緒になった二人が、たいしたことはないけれど、それなりの時間を過ごしてきた。ま、これが人生ってもので、あんたにもいつかわかるさ。


というような内容の歌。なんだか遠い昔の無気力時代を思わせる歌詞とブギウギのリズムが、ロケンロー大好きのわたしを共振させてくれるのです。


あらためてロケンローというのはスゴイ。
50代はもちろん、60代だろうが、70代だろうが、80代だろうが、もしかしたら100歳を超えても人間のからだを操作してしまうのですから。耳からブギウギが飛び込んでくると、自然とからだが小刻みに揺れ始める。その高揚感を抑えることも、隠すこともできはしない。まさに露見老……。



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スティング The Sting [books]



小林信彦氏の「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」は氏が選んだ、洋画・邦画各々100作品をピックアップしてあるのですが、それは順位付けをしているわけではなく、年代順に寸評を添えて紹介しているのです。

その89本目1974年の作品(米公開は前年)がジョージ・ロイ・ヒル監督の「スティング」。

主演は「明日に向って撃て」(邦題はあきらかに「俺たちに明日はない」の便乗)からの再コンビのポール・ニューマンとロバート・レッドフォード。

ビリー・ザ・キッドを演じた「左ききの拳銃」から世界チャンプ、ロッキー・グラジアーノがモデルの「傷だらけの栄光」、そして「ハスラー」、「暴力脱獄」、「動く標的」、「引き裂かれたカーテン」と、ポール・ニューマンはわが「反逆のヒーロー」だったので、この映画は封切ロードショー(今はいいませんか)で観に行きました。

前回の「俺たちに明日はない」同様、こちらも大不況に見舞われたアメリカの1930年代が舞台の映画。

スティングとは「騙す」という意味があるようで、まさに詐欺師たちを主人公にしたストーリー。

詐欺といえば日本では高齢者を狙った「オレオレ詐欺」などが社会的犯罪として問題になっていますが、「スティング」の詐欺師たちがターゲットとするのは、暗黒街の極悪ボス、それも詐欺師の仲間を殺した復讐すべき相手。つまり観客は、「騙されて当然の人間」という免罪符のもとに、詐欺師たちに加担するのでした。詐欺師たちにシンパシーを感じ、かれらの芸術的トリックに快哉を叫ぶのです。

といっても、ロイ・ヒル監督が本当のターゲットにしたのは、もちろん「観客」なのです。観客たちは2時間あまりの話の中で、何度もその罠にはまり、「そうだったのか」「なんだ、そういうことか」「やられた」を連発するのでした。

わたしが最も「やられた」と思ったのは、このとてつもないトリックのキッカケをつくり、殺し屋に狙われているロバート・レッドフォード扮する若手詐欺師が、ナンパしてひと夜をともにしたレストランのレジ係の正体とその結末。

とにかく、痛快で後味スッキリの名作です。
やっぱりポール・ニューマンが良かった。「暴力脱獄」のあの“ガッツ”や、野心に燃えるかのハスラーが年を経て、シブ味のきいた粋な大人になったんだ、などと思わせてくれました。

さて、その主題歌はスコット・ジョプリンscotte joplinが奏でる「ジ・エンターテイナー」the entertainerや「メイプルリーフ・ラグ」maple leaf rag などのラグタイムピアノ。

もはや記憶が散逸する歳なので、正確には覚えていませんが、当時スコット・ジョプリンのアルバムを購入したのですが、それが「スティング」を見てからなのか、その前なのかはっきりしません。たしか、友人の家でスコット・ジョプリンのレコードを聴いて、「買おう」と思ったことは間違いなく、ただそれが、映画を観た後だったのか、前だったのか。

いずれにしても、当時デューク・エリントンやテディ・ウィルソン、レイ・ブライアントなどのジャズピアノが好きで聴いていたのですが、スコット・ジョプリンは、そういうものに比べてその旋律や音色がのどかで、なんともgood old days 感がたまりませんでした。

このラグタイムピアノも、前回の「俺たちに明日はない」の「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」同様、映画によって再認識、再評価された音楽であり、楽曲でした。

それが現在、なぜかJリーグや高校野球の応援歌としてしばしば耳にします。とりわけJリーグではスキャットで。
多分サポーターや高校野球の応援団、ファンは、元の曲など知らないで歌い、演奏しているのでしょうね。でも、いつ誰がこの曲を応援歌にしょうと目をつけたのでしょうか。いずれにしろ歌や楽曲が生き残っていくということでは、意味のあるこのなのでしょう。

そういえばこの「ジ・エンターテイナー」つい最近、TVCMで耳にしたような記憶があるのですが、空耳でしょうか。なにせ記憶が散逸してしまっておりますので。

とにかく、小林信彦氏も「ぼくも騙された」とその騙しのトリックを絶賛していた「スティング」はラグタイムピアノを聴きながら、いつかまた観たい映画でもあります。

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俺たちに明日はない Bonnie and Clyde [books]



続いての「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」からのスクリーンミュージックは1967年公開の「俺たちに明日はない」Bonnie and Clyde 。」

この映画によって、それまでのハリウッド大作路線から新感覚の若手監督による低予算映画、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」群の抬頭の幕が切って落とされました。

個人的にはこの時代が最も映画を観た時期でもあり、「俺たちに明日はない」から「イージーライダー」「真夜中のカーボーイ」「ワイルドバンチ」「スケアクロウ」「カンバセーション 盗聴…」「タクシードライバー」などをはじめアメリカン・ニューシネマの名作はほとんど観ました。

ちなみに上にリストアップした作品のうち、小林信彦氏がベスト100に入れていたのは、「俺たちに明日はない」以外では「ワイルドバンチ」だけでした。

「俺たちに明日はない」もひじょうにセンセーショナルな映画で、とりわけラストシーンが衝撃的で、ヒーロー、ヒロインが数十発の銃弾を浴びて殺されるというのは、後にも先にもこの映画だけではないでしょうか。

1920年代に世間を騒然とさせた実在の銀行強盗団、バロウギャングズをモデルとしてつくられた。監督は「奇跡の人」のアーサー・ペン。

俳優はボスのクライド・バロウにウォーレン・ベイティ、恋人のボニー・パーカーがフェイ・ダナウェイ。ほかに後に大化けするジーン・ハックマンや、唯一アカデミー賞の助演賞を獲ったエステル・パーソンズやマイケル・J・ポラードらが名を連ねたが(ジーン・ワイルダーもチョイ役で)、当時知っていたのは「草原の輝き」で主演したウォーレン・ベイティだけ。

余談ですが、「草原の輝き」でもこの映画でも、また映画雑誌でも、当時の名前の表記は「ウォーレン・ビューティ」でした。

とにかく銀行強盗団が主役という破天荒なストーリーでしたが、観客の反感を霧消させ、共感を獲得するために、「大不況時代」「貧農を破産させる銀行は悪」というエクスキューズが仕掛けられたいた。そして、共感を得るためには、もっと核心的なボニーとクライドの「やむを得ないプラトニックラヴ」まで設定しておりました。

またスピーディーなストーリー展開とともに、クライドも兄のバックもCWモスも、そしてボニーもバックの彼女も、すべてが魅力的というか印象に残る演技をしておりました。

そしていよいよ本題の映画音楽です。

メインのサントラはブルーグラスの「フォギー・マウンテイン・ブレイクダウン」Foggy Mountain Breakdown。この映画のために作られたオリジナルサウンドではなく、従来からあったナンバー。

演奏はフラット&スクラッグスFlatt & Scruggs。とりわけ作曲者でもあるバンジョーのアール・スクラッグスが考案したスリーフィンガーピッキングによる早弾きが特徴の一曲。

バローギャングズが銀行を襲ったあとのポリスとのクルマとのカーチェイスにこの曲は妙に合っていました。

この映画のヒットで「フォギー・マンテイン・ブレイクダウン」も脚光を浴び、再評価され、ブルーグラスを代表する楽曲のひとつとなりました。

ふたたび余談ですが映画で取り上げれら再度ブレイクしたブルーグラスと言えば72年に公開された「脱出」(監督ジョン・プアマン、主演ジョン・ボイト)の「デュエリング・バンジョー」Dueling Banjos があります。このインストも54年につくられた曲。「脱出」もアメリカン・ニューシネマの傑作で、男が男に犯されるという衝撃シーンは、従来のハリウッド映画ではできなかったはず。

この映画で、さらにいえば「フォギー・マンテイン・ブレイクダウン」でブルーグラスファンになった日本人も少なくないはず。

個人的にも「俺たちに明日はない」は「真夜中のカーボーイ」(こちらの主題歌はやはりカントリー、ニルソンの「うわさの男」)と双璧のアメリカン・ニューシネマの傑作であり、名曲でありました。

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太陽がいっぱい Plein Soleil [books]




先日、アラン・ドロンがカンヌ映画祭で引退を表明したというニュースを見ましたが、まだ現役だったのかという思いと同時に、そういう時代になったのだなという感慨がありました。鮮やかな総天然色のスクリーンが時を経て、セピア色に色褪せ、やがて白くフェイドアウトしてしまうような。


小林信彦さんの「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」、今回のスクリーンミュージックは1960年に公開されたフランス映画「太陽がいっぱい」。この作品も何度も観ました。


この作品で主演のアラン・ドロンが日本で大ブレイク。今でいう「イケメン」の代名詞となりました。


この頃のフランス映画といえば、トリュフォー、ゴダール、レネをはじめとするヌーヴェルヴァーグの抬頭。観念的、難解な、よくいえば個性的な映画で日本の映画にも少なからず影響を与えました。


「太陽がいっぱい」の監督ルネ・クレマンはヌーヴェルヴァーグの面々よりもひと世代上の監督で、映画の本質であるエンターテインメントに徹した作品を創りました。


代表作はヴェネチアの金獅子賞を受賞した1952年の「禁じられた遊び」。この映画も戦争の悲劇が生んだ小さな恋の物語といったストーリーとともに、ナルシソ・イエペスのギターによる主題歌「愛のロマンス」が印象的でした。


「太陽がいっぱい」はピカレスク映画ですが、その最大の魅力は衝撃のラストでしょう。完全犯罪を成功させたと思い込んでいるドロンが、海辺のレストランのデッキチェアーに座り、ふりそそぐ太陽の光を浴びて、その達成感にしたりながら「太陽がいっぱいだ」とつぶやく。かなりブラックではありますが、いかにもフランス映画らしい粋でウィットの利いた結末でした。


もうひとつあの時代を象徴していたのは、殺人者と被害者との対照がでしょうか。ドロン扮する貧しい若者が、モーリス・ロネ扮する金持のボンボンのすべてを奪ってしまうというストーリー。


1960年といえば世界的な戦争が終結していまだ15年。急激な経済成長が始まっていたとはいえ、まだ多くの人が貧しかった。それはフランスも日本も同じだったのだと思います。


こうした「持たざる者」の「持っている者」への反撃が映画や文学のテーマになりえた、つまり貧しさが豊かな社会へ復讐するという構図の作品が成立した、そんな時代でした。1963年の黒澤明作品「天国と地獄」や62年の水上勉の小説「飢餓海峡」などがそうでした。


話を戻して、「太陽がいっぱい」といえば、ヒットの要素として欠かせなかったのが主題歌、つまりサウンドトラック。その憂いに満ちた旋律はドロン演じる野心のままに行動し、やがて破滅していく青年の心情を奏でるようで、多くの映画、洋楽ファンの琴線に響き、耳に残りました。


当時の洋楽ヒットランキングといえば、ラジオの「ユアヒットパレード」などがありましたが、ポップスとともにスクリーンミュージックが全盛で、この曲もナンバーワンになった(はずです)。まだビートルズ未満の話です。


主題歌の作曲はニノ・ロータ。イタリアの作曲家で、スクリーンミュージックでは1954年のフェリーニの「道」、68年の「ロミオとジュリエット」そして72年の「ゴッド・ファーザー」など、オールド映画ファンには今でもその旋律を聴くと、それぞれの思い出のシーンが甦るだろう数々の名曲を残しています。


ドロンはその後、ギャバンと共演した「地下室のメロディー」(これもラストが衝撃的な映画でした)をはじめ、「冒険者たち」「サムライ」「さらば友よ」など数多くの映画に主演しました。


ところでクールでどこか影があったドロンでしたが、「太陽がいっぱい」公開から数年後、スクリーンの中のあの冷徹な殺人者さながら、実生活のドロンがリアルな殺人被疑者として事情聴取(嫌疑不十分で不起訴)されるというスキャンダルが起きたことも衝撃的なことでした。


とはいえやっぱりオールド映画ファンにとってアラン・ドロンは当時のイケメンの代名詞であり、モテ男であったことは間違いありません。
ロミー・シュナイダー、ナタリー・ドロン、この映画で共演したマリー・ラフォレらと浮名を流したわけですから。そういえば何度も来日して、日本人の女優だかタレントともウワサになっておりました。


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女はそれを我慢できないThe Girl Can't Help It [books]



1956年のアメリカ映画。

これもリアルタイムではなく、のちに映画ではなくビデオで観ました。


おそらく観たのは70年代で、「アメリカン・グラフィティ」の影響で、遡行してみたわけです。


余談ですが、その「アメリカン・グラフィティ」が小林さんのベスト100に入っていないのはいささか不満。このへんがジェネレーションの違いということになるのでしょうか。


「女我慢」(ヘンな略ですみません)、がラブコメなのに対し、「アメグラ」は甘酸っぱい青春ドラマという違いがありました。もうひとつこの「ポップス映画」たちの大きな違いは「アメグラ」がすべてラジオから流れるBGMだったのに対し、「女我慢」はすべて「ご本人登場」。豪華さや、インパクトの強さでは圧倒的に「女我慢」で、小林さんもそのあたりを考慮したのかも。


プラターズ、ジュリー・ロンドン、ジーン・ビンセント、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、エディ・コクランと錚々たるメンバーが銀幕で歌います。


ただ、「オンリー・ユー」も「ビー・バップ・ア・ルーラ」も「ブルーベリー・ヒル」も「サマータイム・ブルース」もうたわなかった。

聞き覚えのあったのは、お目当てのリトル・リチャードのタイトル同名歌とジュリー・ロンドンの「クライ・ミー・ア・リヴァー」のみ。「アメグラ」の挿入歌はほとんど知っていましたけど。


主演のジェーン・マンスフィールドは高校生の頃モノクロの作品を一度見ました。(タイトルも内容も覚えていませんが)。友人ととにかくセックスシンボルを拝見しに行こう、ということだけで見に行ったものですから。


そのときの印象は、たしかにあのグラマラスボディに圧倒されました。テレビのプロレスでヘイスタック・カルホーンを見たときの驚きに似ています。ただモンローのエピゴーネンという思いもありました。


でもこの映画でのジェーンは“おバカ”なセクシーヒロイン上手に演じておりました。もしモンローが出なければ、もっと記憶される女優になれたのでしょうけど。


交通事故での痛ましい死は、日本の新聞でも報道され、読んだ記憶があります。
ジェーンの方が断然グラマラスだと思いますが、顔立ちはやっぱりモンローの方が好きですね。好みの問題ではありますが。

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クレメンタイン [the name]

映画音楽を。それも古いヤツを。


テキストは先日読んだ小林信彦の文庫本「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」から。オリジナルの単行本は2000年に刊行されている。


別に映画音楽が知りたくてこの本を読んだわけではなく、単純に小林信彦がどんな映画をリストアップするのか興味があったのですが。


小林信彦とわたしは、おおよそ20歳の隔たりがある。つまりキャリアが雲と泥なのだ。
内外映画のプロである小林信彦大先輩の選んだ200本のうち、若輩者のわたしはどのくらい観ているのか、そんなことにも興味がありました。


洋画は1925年の「チャップリンの黄金狂時代」から1996年のウディ・アレンの「世界中がアイ・ラブ・ユー」まで100本。
邦画は1931年の「マダムと女房」から1999年の「御法度」までの100本。


詳細に興味のある人は、読んでみてください。amazonやブックオフで入手できます。


で、わたしが観た洋画は約40%。野球だったら打率4割は驚異ですが、マニアックな映画を避けている(多分)ことを考えると微妙ですね。


そのうちスクリーンの映像とともに脳内蓄音機でミュージックが再生されたのは数本にすぎません。


まずは1946年公開の「荒野の決闘」my darling clementine もちろんリアルタイムではありません。多分70年代に名画座で観たのがはじめ。

これは「七人の侍」に匹敵するほど好きな映画です。旧い人間ですから西部劇と時代劇は“食べなれ”ていることもあり、いまだに大好物。


ご存知(でもないかも)アープ兄弟&ドク・ホリデイ対悪漢クレイトン一家とのOK牧場(実際は牧場ではなく、駐馬場?のような場所)での決闘です。なぜその牧場での撃ち合いが「荒野」になってしまったのかは不明ですが、その悪しき?邦訳は、その後も「荒野の七人」や「荒野の用心棒」、「荒野の1ドル銀貨」など西部劇で乱用されていきます。


クレメンタインはドクを追ってきた女性で、タイトルにもなっているくらいなので、ヒロインなのでしょうが、ドクの愛人の酒場女チワワのほうが存在感がありました。


ではスクリーンミュージックの話に。


この映画の主題歌my darling clemetine は冒頭とエンディングにも使われていますし、ワイアット役のヘンリー・フォンダも鼻歌でうたっていた(ような記憶があります)。ただこの歌は、映画「荒野の決闘」のために書かれたうたではなく、元来アメリカで伝承されていた歌なのです。


ちなみにこの映画が日本で封切られたのがアメリカ公開の翌年、昭和22年。まさに焼跡闇市のドサクサの中で公開されたようで、戦前戦後の事件を描いた坂東眞砂子のミステリー「ブギ・ウギ」にも通訳の主人公が日比谷の映画館で「荒野の決闘」を観る場面がでてきます。


日本公開当時、主題歌my darling clementine が日本の観客にどの程度インパクトを与えたかは知りませんが、それから10数年後、昭和も30年代に入って、日本のなかで突如親しまれる歌となります。それがなぜか「雪山讃歌」という山の歌になって。


初レコーディングしたのはダーク・ダックスで、当時の「歌声喫茶」ブームのなかで、この歌は若者のあいだに浸透していきました。


ところで♪雪よ山よ われらが宿り という日本語詞は登山家であり30年代の南極観測越冬隊長でもあった西堀榮三郎が戦前につくったものといわれている。つまり、「荒野の決闘」以前から日本では知る人ぞ知る歌だった、ということに。「宿り」なんておそらく今の若い人はつかわないだろうなぁ。


まぁ、「雪山讃歌」は「いとしのクレメンタイン」の替え歌といってもいいわけで、そういえばかの「穂高よさらば」も替え歌でした。ただこちらは洋楽ではなく、邦楽、それも軍歌でしたけど。


なおYOU-TUBEでの歌はブラウンズの歌唱でサントラ盤ではありません。






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Catfish John [memory]



なまずのジョンは、町を流れる川のほとりに住み着いたホーボー。

母さんは近づいちゃダメっていうけど、ぼくは彼のあとを着いていき、友だちになった。
そして、ジョンは彼が奴隷だったときのことなどいろいろな話をしてくれた。


そんな子どもの頃の思い出をうたったブルーグラスナンバー。


いまの日本だったら、「不審者」であるホーボーに着いていくなんてもってのほかで、友だちになるなんて命知らずもいいとこ、というのが社会の共通認識なのかも。

しかし、半世紀以上前にはそうではなかった。まぁ、リスクに対する意識が低かったともいえるけれど、得体のしれない人間とか変わり者はめずらしくなく、どこの横町にもいました。


そして、子どものなかにはそうした異形や異能の人間になぜか心惹かれて、まるで磁石にすいつく鉄釘のように近づいてしまう、ということがあるような気がします。志賀直哉の「小僧の神様」にもどこか似たような。


子どもの頃わたしは、「さすらいの少年」(そんなカッコいいものじゃない)でした。

よく川を渡って隣町まで行き、目的もなく歩き回っていました。


その隣町で友だちができました。どういうキッカケだったのか、まったく覚えていませが、その子は小学5、6年生の男の子。わたしは2年生だったのでお兄ちゃんです。


それからよく隣町の彼の家に遊びに行きました。部屋にあがった記憶はなく、小さな庭で空き缶で竹馬?をつくったり、縁側で自慢の根付けや蒐集している切手を見せてもらったり。夢中になるほどの時間や空間ではなかったのですが、なんだか居心地がよくしばらくは日曜日になると遊びに通っていました。


ある日、地元の兄貴連に原っぱへ来いと召集がかかり行ってみると、原っぱの彼方に隣町の悪ガキどもが10数人、こちらの人数と同じぐらいたむろしておりました。

戦争です。わたしは初体験。


やがて双方とも怒声をあげながら傍らの石を拾い、礫合戦が始まりました。


最年少のわたしは兄貴連の後で立ち尽くしていました。
それはその光景に圧倒されたからではなく、隣町の「兵士」のなかにあのお兄ちゃんを見つけたからでした。


兄貴連のひとりがわたしに向かい「お前もなげろ!」と怒鳴りました。
わたしは、しゃがみ両手で草を根ごと引き抜き、それを空に向かって放り投げました。


戦争は、礫合戦以上には発展せず、うやむやに終了しました。


その後わたしは、隣町のお兄ちゃんの家へ行くことはありませんでした。
あの「戦争」のさなか、お兄ちゃんがわたしに気づいたのかどうかわかりませんが、わたしにはその時、彼と目が合ったような気がしたのです。


小学2年にして、「恥」ということを知った日の記憶です。

この歌を聴くとそんなことを思い出します。

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●意味がなければスイングはない②歌謡曲 [books]

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村上春樹がジャズはもとより、クラシック、ロック、ポップスといったいわゆる洋楽に造詣が深いことはよくわかりました。

もっとも洋楽といっても日本流のジャンル分けでいうところのラテン、シャンソン、カンツォーネ等、ひとまとめにすればワールドミュージックについてはどうなんだろう、という思いはありますが。

それよりももっと関心があるのは、では日本の歌についてはどういう聴き方をしてきたのか、またしているのかということでしょうか。

著書「意味がなければスイングはない」の中で唯一チャプターにその名を連ねているのが、スガシカオ。

演歌はもちろん、歌謡曲のイメージも皆無の小説家は、Jポップにはいささか理解があるのかなと思いきや、あにはからんや。
その章「スガシカオの柔らかなカオス」の中で、Jポップについて「……あまり聴かない」、「……中身は〝リズムのある歌謡曲〟じゃないか」、「その手の折衷的な音楽がどうにも個人的に好きになれない」と散々な言いよう。

つまり、村上春樹のなかには「歌謡曲」という概念はあるようで、そのどうしようもないスタイルの音楽の延長線上にあるから、Jポップも唾棄すべき音楽(そこまで言っていない)なのだと。

ただ毛嫌い、食わず嫌いではなく、ときどきMTVやタワーレコードでJポップのチェックをしているんですよ、と弁明している。そしてたまに購入してもすぐに飽きて中古店へ売り払ってしまうなんて、ヒドイ話も。

そんななかで例外なのがスガシカオ。

スガシカオを聴くきっかけは、能動的なものではなく、予想どおりレコード会社から送られてきた「Clover」の試聴盤を手にしたことだそうです。
そしてその印象は「悪くないじゃん」。
とりわけ「月とナイフ」と「黄金の月」がお気に入りだとか。(はじめて聴きましたが、いずれもまったく違和感なしでまさに〝ムラカミ好み〟というイメージ)

それから、スガシカオが〝お気に入り〟になるのですが、その曲については、その音をきけば誰の作品かがわかるという「固有性」があるという。
残念ながらスガシカオを意識的に聴いたことがないので、理解できないのですが、音楽にかぎらず〝作品〟にとって固有性が大きな意味を持つという意見には賛同できます。

またその詞については、いくつかの作品をとりあげて、さすが作家だけあって頁をさいて饒舌に賛辞を送っています。
印象的な言葉のいくつかを並べてみると、
「流麗な歌詞ではない」、「リスナー・フレンドリーな種類の歌詞ではない」(この言葉はほかの章でもしばしばつかっている)、「微妙なごつごつさや、エラの張り具合」、「詩的というよりは、どちらかというと散文的なイメージ」。

また「独特の生理感覚とあっけらかんとした観念性が……柔らかなカオスのようなものを生み出す」(要約)、といい、それを「カタストロフ憧憬」、あるいは半ば冗談のように「ポスト・オウム」などと書いています。

引用されてる歌詞を読んだ後、村上春樹の解説を読むと読解力の乏しいわたしでも「なるほどなあ」と感心してしまう。たしかに引用されたスガシカオの詞は、音なしでそれだけを読んでも独特のイメージが伝わってきます。

しかし、数多あるJポップのの中にスガシカオと同レベルのミュージシャンがほかにいないのだろうか。断定的なことはいえませんが、たまたま村上兄の眼にとまらないだけで、いわゆる「ムラカミ好み」の日本人ミュージシャンほかにもいるような気がするのですが。
Jポップも詳しくはありませんが、メジャーでいえば山崎まさよしとか。

そのJポップ以下と思えるのが歌謡曲。
幼いころ、童謡・唱歌を聴いたり聴かされたはずですし、耳を塞がないかぎり歌謡曲だって聞こえてきただろうし。

「意味がなければスイングはない」の中に歌謡曲について具体的にふれたところが2か所ありました。いずれもシガスカオの章ですが。

ひとつは美空ひばりについて。
美空ひばりは歌謡曲・演歌嫌いが例外として引き合いに出す歌手です。
「でも、ひばりはいいよな、別格だよ……」なんて。

ところが村上兄はちがう。
彼が聴いたのはわたしが好きな「ひばりの渡り鳥だよ」や好きじゃない「川の流れのように」ではなく、ジャズ。
美空ひばりは何枚かジャズのアルバムを出しています。

村上春樹はもちろん意識的にひばりを聴いたわけではなく、シンガーが誰か明かされずに聴かされたそうです。
そしてその感想は「なかなか腰の据わったうまい歌手だな」と思ったものの、ときおり耳に刺さってくる「隠れこぶし」に辟易してしまう。

正直ホッとしました、予想どおりで。村上春樹が美空ひばりを絶賛なんかした日にゃ……。

もうひとつはかのグループサウンズ。村上春樹の世代であれば、まさにドンピシャ。

その感想は「こんなの、表面的なファッションが変わっただけで、中身はリズムのある歌謡曲じゃねえか」ということに。
まったくそのとおりです。
村上兄にとっては今聴こえてくるJポップも、むかし聴こえていたGSも本質的にはさほど違いがないようです。

ただJポップのスガシカオ的な存在がGSにもいました。
「タイガースだとか、テンプターズだとか……ほとんど興味が持てなかった。……ただしその中で、スパイダースというバンドだけは悪くないと思った」

やっぱりですね。当時はGSをバカにする洋楽ファンが少なくありませんでした。そんな彼らが例外扱いするのが、メジャーではゴールデンカップスとか、スパイダースとかモップスとか。ですからスパイダースが〝ムラカミ好み〟なのは想像がつきます。

しかし、スパイダースといっても「全部ではない……」と書いています。
スパイダースのどの曲に感応したのか、具体的な曲名は書いていませんが気になります。
おそらくハマクラメロディーではないでしょう。
思い当たるのはビートルーズが滲んでいる「ノーノー・ボーイ」とか、どこかビーチボーイズが聴こえてきそうな「サマー・ガール」ぐらいでしょうか。
ふたつとも作曲はかまやつヒロシ。

ここまでくると、では和製フォークはどうなのか、ニューミュージックはどうなのか。具体的にいえば固有性で際立っている吉田拓郎や、多くの楽曲で従来の歌謡曲を否定している松任谷由実はどうなのかとても気になります。

さらにいえば日本でも特筆すべきポップス&ロックということで、桑田圭佑や矢沢永吉、あるいはミスター・チルドレンとかB'zはどのように聴こえているのか。
あるいはワールドワイドな歌謡曲といっていい「上を向いて歩こう」の評価はどうなのか。

これらも含め、唾棄すべき(おそらく)昭和30年代、40年代の歌謡曲はもちろん、彼が幼いころに聴いたであろう童謡・唱歌、テレビドラマの主題歌、アニメソング、CMソング等々、和風かつ多湿の「日本のうた」についてさらに訊いてみたい気がするのですが。


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●意味がなければスイングはない①アメリカン・フォークソング 後編 [books]

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世界陸上見てます。
サニブラウンはいいですねえ。
彼をみていると、むかし印刷会社で同僚だったまっちゃんを思い出します。
まっちゃんも黒人とのハーフで、中学時代は都大会で優勝するほどのスプリンターでしたが、ケガでリタイア。云十年前のこの季節、一緒に海へ行ったことなど、いまだに印象に残る男です。

サニブラウンは今夜準決勝だそうですが、〝大人相手〟なのでいささかキビシイでしょうが、何年かのちには彼らをしのぐスプリンターになっているんじゃないでしょうか。
メダルが期待できるのはやはり今日決勝が行われるやり投げの新井。どうでもいいけど。いえ銅でもいいですけど、できれば金、は無理でも銀を。

では本題に。

1950年代から60年代にかけてのモダンフォーク・ムーヴメントで欠かせないシンガーソングライターがいます。

第一人者といってもいいのではないでしょうか。
そうです、ボブ・ディランです(個人的にはピート・シーガーですが)。

「ノルウェイの森」のなかで、高校時代フォークバンドをやっていた書店の娘・緑のレパートリーのなかに「風に吹かれて」や「時代は変わる」あるいは「ライク・ア・ローリング・ストーン」はありません。

「くよくよするなよ」もディランとしてではなく、P.P.M.として聴こえてきます。

いったい、村上春樹がボブ・ディランに対してどういう思いでいたのか、気になります。

とはいえストーリーのなかにボブ・ディランが出てこないのでは、もはや「ノルウェイの森」から離れなければなりません。

村上春樹には音楽に関する著作がいくつかあります。
その一冊に雑誌の連載を2005年にまとめた「意味がなければスイングはない」という本があります。
これは彼のフェヴァリットミュージックをとりあげた(多分)本で、村上春樹の音楽的嗜好がある程度わかる貴重なエッセイといえます。

余談ですがジャズファンであればほくそ笑むような本のタイトルですが、〝ひっくり返す〟あたりがいかにもという感じです。

それはともかく、そのなかにたとえば「ミスター・タンブリンマン」や「フォーエヴァー・ヤング」あるいは「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」などは出てきません。
つまりボブ・ディランの曲はセレクトされていないのです。

「なんだ、まったく無視かよ」というと、そうではない。
ボブ・ディランについてふれたところがいくつかありました。

ひとつはブルース・スプリングスティーンについて書かれた部分。

名盤「リバー」のなかの1曲「ハングリー・ハート」をとりあげ、アメリカの下層社会に生きる人々の閉塞感、飢餓感を訴えるこの歌について、「……ロックンロール・ミュージックが、これほどストーリー性のある深い内容の歌詞を与えられたことが、その歴史の中で一度でもあっただろうか」と絶賛しています。

「あっただろうか」という半疑問を提示した直後、反論者を予想してかカッコつきで、
(ボブ・ディラン? 彼の音楽は最初からロックンロール・ミュージックとはいえないはずだし、ある時点でアクチュアルなロック音楽であることさえギブアップしなくてはならなかった、という事実を認識していただきたい。良くも悪くも)。
と続けられている。

こういう書き方は少なくとも好意的なミュージシャンに対してはしない。
つまり、『ディラン? んなもんスプリングスティーンと一緒にするなよ』
というふうに聞こえます。
ということは通俗的にいえば、村上春樹はボブ・ディランが好きではないのだということが推測できます。

もうひとつ、村上春樹のボブ・ディランに対する思いが感じ取れるところが、終章でとりあげた「ウディ・ガスリー」のところ。

ウディ・ガスリーは1930年代から40年代にかけて活躍し、ピート・シーガーをはじめ60年代の多くのフォーキー、とりわけプロテストソングをうたうシンガーやグループに大きな影響を与えた「教祖的」なフォークシンガー。

影響を受けたのはフォークシンガーばかりではなく、前述のブルース・スプリングスティーンもそのひとりで、以前ブログでもふれましたが、「トム・ジョードの亡霊」というガスリーへの賛歌を発表している。

このことは村上春樹の「意味がなければスイングはない」にも書かれていますが、トム・ジョードとはスタインベックの小説「怒りの葡萄」の主人公のことで、ガスリーは映画化された「怒りの葡萄」を見て「トム・ジョード」という歌をつくっています。

そこで村上兄はスプリングスティーンのガスリーへのオマージュを彼が「リベラル・ポピュリズム的な色彩を濃くしてきた」と肯定的に書いています。
そこでまた、その反面的要素としてディランを登場させます。

ディランもガスリーの影響を受けたミュージシャンであることにふれたあと、
「彼は結局途中でその政治的メッセージ性を希薄化し、具体的にいえばエレクトリック化することによって、より包括的なロックミュージックへと音楽の舵をとることになった。……」

と当時物議をかもしたディランの〝転向〟問題について(今は)一定の理解を示しつつ、当時は『「変節」とみる向きも多かった』と書いている。その文面からは村上兄もディランを非難した側ではなかったのかと推察されます。

そして、
「また、事実プロテスト・ソングという音楽の流れは、ディランの離脱によって―つまりその強力なシンボルを失うことによって―多かれ少なかれその命脈を絶たれてしまった」と糾弾に近い表現で、ディランの〝罪の重さ〟を綴っています。

ここまで読むともはや「そうか、やっぱり村上春樹はボブ・ディランが好きじゃないんだ」
ということがわかります。その嫌悪はよほど根深いのか、こうしたディランへの〝鞭打ち〟はもういちど出てきます。

ボブ・ディランよりはピート・シーガーに、ビートルズよりはストーンズに(これは余計ですが)、より〝忠誠〟を示してきたわたしとしましては、村上兄の気持ちもわからないではありませんが。

もちろんボブ・ディランのフェヴァリットソングはいくつもあります。
でも「風に吹かれて」はジョーン・バエズだし、「くよくよするなよ」はP.P.M.だし、「ミスター・タンブリンマン」はバーズだし……。
でもディランでなければという歌もたくさんあります。
「ライク・ア・ローリングストーン」とか「コーヒーをもう一杯」とか「天国の扉」とか。

それはともかく、だいぶ長くなってしまったので、そろそろ終止符を。

この本については、たとえば冒頭のジャズピアニスト、シダー・ウォルトンのこととか、まだとりあげたいことはありますが、いちばん印象に残ったのはやはりウディ・ガスリー。

なぜ村上春樹はウディ・ガスリーをとりあげたのか。
村上兄はその著書のなかでそのきっかけについて、新しい「評伝」を読んだことと、イギリスのシンガー、ビリー・ブラッグがガスリーの詩に新たに曲をつけたというCDを聴いたことをあげています。(わざわざ読んだり、聴いたりするというのは興味があったからだと思うのですが)

そのCDのことは、村上春樹が好きな歌に本業の訳詞で挑んだ「村上ソングズ」でもとりあげられています。この本はビートルズの「ノーホェア・マン」の訳詞は管理者から許可がおりなかったとか、めずらしくカントリーのグレン・キャンベルの曲がとりあげられていたりとか、なかなか興味深いのでいつかこのブログでも……と思いつつ、多分やらないだろうなぁという気分でいまはいます。

そしてもうひとつ、ブルース・スプリングスティーンからの影響をあげています。
わたしにはこれがいちばん大きいように感じられました。
ではなぜスプリングスティーンなのか、ということになりますが、そこまで掘り下げると彼のお気に入りの作家・レイモンド・カーヴァーのことも含め延々と駄文が続くことになってしまいます。ここはアメリカンフォークがテーマなので、いつか機会があれば(またですが)ということで。

で、「意味がなければスイングはない」のウディ・ガスリーでは、当時アメリカで出版された評伝を〝参考書〟に、神格化されすぎたフォークシンガーを、家庭を顧みない「社会的失格者」とか女好きとかその実像も紹介しいます。
といっても、ディランに対するような厳しい視点ではなく、全体的にはガスリーの功績や影響力に対して、シンパシーかつ好意的な内容となっています。

ガスリーファンとしては、村上兄のガスリー像を知ることができたこととともに、その温かい視線にホッとしております。

では、ガスリーの曲をひとつ。
もっとも知られている曲はガスリーを知らない音楽ファンでも聴いたことのあるだろう「わが祖国」でしょうが、代表曲といってもいい、村上兄の本でも紹介されている「砂嵐のブルース」Dust Bowl Blues を。

そして村上春樹には嫌われてしまったようですが、60年代を歌い、その影響力をその後の音楽シーンに残した功績はゆるがないボブ・ディランの曲もひとつ。
時代が変われば、人間の考え方だって変るんだよ。というディランの〝弁明〟を代弁する意味で、変節(失礼)する前の映像とともに「時代は変わる」The Times They Are a Changin' を。


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●ノルウェイの森②アメリカン・フォークソング 前篇 [books]

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1964年から65年にかけて、日本に巨大な洋楽台風がやってきました。
それも三つも。

それがエレキインストゥルメンタル、ビートルズ、フォークリヴァイヴァルの三つ。

いずれも大ブームとなり、その後の日本の音楽に大きな影響を残しました。

順番はどうだったかというと、アメリカではフォークブームのきかけといわれるキングストン・トリオの「トム・ドゥーリ―」が1958年、ベンチャーズの「急がば回れ」が1960年、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」が1962年ということになります。

日本ではどうだったのでしょか。

当時、トランジスタラジオを耳にあてて聴いていたわたしの印象では、僅差でフォーク、ビートルズ、ベンチャーズ(実際はアストロノウツが嚆矢ですが)の順番。
ただ、あれから半世紀を経た現在では、〝ほぼ同時〟ということで。

おそらくほぼ同年代の村上春樹兄も、こうした洋楽を聴いていたのだと思います。

ベンチャーズというか、日本では社会問題までに波及したエレキのインストについては、わたしの読んだ本の中ではふれられていなかったようです。
フォークソングについては、ビートルズほどではありませんが、わずかながら出てきます。

まあ、村上春樹のテリトリーはジャズ、クラシック、ポップスが主流なのでフォークソングの〝軽視〟は仕方のないことかも。まるで出てこないカントリーよりはましです。

そのフォークソングがはじめに出てくるのは、デビュー作の「風の歌を聴け」で、40章あるこの本の1頁にも満たない短いチャプターの中に。
その章は物語も終盤にさしかかり、書き手でもある「僕」がストーリーからはなれてひと息つくというコーヒーブレイク的な描写で、〈当時誰もがそうだったように、自分もクールに生きたいと思い、思っていることの半分も話さないようにした〉、というような話が書かれています。

その最後に、眠気を蹴飛ばしながらといいつつ以下のように書いています。
『……今、僕の後ろではあの時代遅れなピーター・ポール&マリーが唄っている。
 「もう何も考えるな。終わったことじゃないか。」』

ごぞんじのようにこのPPMの歌は「くよくよするな」
ボブ・ディランがつくった歌で、「天使のハンマー」や「500マイル」に比べると日本では人気上位ベスト10に入るかどうかというほどの歌。
個人的にはとても好きな歌で、ボブ・ディランより先にPPMで聴きました。

ようやく「ノルウェイの森」に。

主人公の僕(ワタナベトオルといいます)が、本命の彼女から、療養生活(精神の)にはいるからしばらく会えないという手紙を受け取ったあと、学園紛争一過のキャンパスで女の子から声をかけられます。彼女は主人公のことを、〈クールでタフなハンフリー・ボガードみたいなしゃべり方〉だといいます。
クールに振る舞うことがすっかい板についたようです。それはともかく。

彼女は書店の娘で、はじめて彼女の家に行ったとき、土産に持って行った水仙の花をみて、「七つの水仙」を口ずさみ、高校時代フォークグループで歌っていたことを話します。
「七つの水仙」は、日本ではキングストン・トリオ以上に人気を博したブラザーズ・フォアのヒット曲。彼らの日本での最初で最大のヒットは「グリーン・フィールズ」でした。

そして、なぜか近所に火事が発生しますが、二人は物干しでそれを見物します。それから彼女はギターを持ち出してフォークソングをいくつか歌いはじめます。

「レモン・ツリー」
「パフ」
「五〇〇マイル」
「花はどこへ行った」
「漕げよマイケル」

PPMのヒットパレードですね。「天使のハンマー」が抜けていますが。

わたしが高校へ入った時もオリエンテーリングで、軽音楽部がPPMのナンバーを披露してくれました。ギター、ウッドベース、女性ヴォーカルの変則的PPMでしたが。
女性ヴォーカルはマリー・トラバースとはうって変ってのショートカットでしたが、歌とともにその印象がいまも残っています。顔は忘れてしまいましたが。
とにかくまだ半分中坊だったので、「高校ってスゲェ…」と感嘆することしきりでした。

で、小説「ノルウェイの森」は暗い辛い話です。
当時この本を読んで、そののち村上春樹を読まなくなってしまったのはそのためです。

とにかく、自殺者が多い。当時はそういう言葉はまだ使われていませんでしたが、「病んでいる」人間が多く出てくるのです。
当然のごとく、自ら命を絶つ理由は明確に書かれていません。しかし、彼らが死を選ぶことに対して、読者はなぜか納得してしまうのです。

小説の中では〝生き残って〟いましたが、ビートルズをギターで弾き語りした元ピアニストの中年女性や高校時代フォークバンドにいた二番目の彼女、あるいは恋人を自死させた主人公が尊敬?する先輩、彼らいずれもが物語が終わって、いずれ自殺するのではないか、つまり主人公以外はすべて「誰もいなくなった」ということになるのではないかとすら思ったほどでした。

「ノルウェイの森」を20数年ぶりに再読しましたが、やっぱりその暗い、病んでいるという印象はかわりませんでした。
ただ、最初に読んだ時ほど引っかからなかったのは二度目ということもありますが、登場人物たちが、現代の、とりわけ若者たちに重なる印象があるからです。
以前は他所の世界の話だったのが、再読してみるとやたらリアリティが増している。
これはいまとなっては「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」のキャラクターたちにも感じられることです。

ということは、著者は30年も昔から、こうした現代を予見していたことになるわけで、そう考えると、村上文学の存在感が改めて浮かび上がってきます。
「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」と「ノルウェイの森」を比較すると、作家の変化・変遷が感じられます。全体に醸し出されているドライ感というかクール感が「ノルウェイの森」では薄くなっているような気がします。

それならばその後に書かれたいくつかの作品でも変化があるはずなので、もう一度村上春樹作品を何か読んでみようかなという思いにもなりました。読みたい本がほかにもあるので、果たして実行できるかどうか。

最後に好きなPPMをもう1曲。
ベストはジョン・デンバーが作った「悲しみのジェット・プレイン」なのですが、このブログで何度も聴いてきましたので、村上春樹流に知る人ぞ知る(マイナーだけどちょっとだけメジャー)という「ア・ソーリン」を。
イギリスのトラッドでクリスマスソング。題名は「魂(ソウル)」だとか。
日本でもオフコースやチューインガムがカヴァーしていました。

次回は「ノルウェイの森」からは離れますが、村上春樹をもう一度。さらにアメリカンフォークソングをもう一度聴いてみたいとおもいます。


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●ノルウェイの森①ラバーソウル [books]

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「ノルウェイの森」は村上春樹の5本目の長編小説で、「風の歌を聴け」のデビューから8年目の1987年に出版されています。村上春樹の著作のなかで最も売れた小説ともいわれています。

個人的には、デビューからの2作を読んでしばらくしてから、そのタイトルにつられてついつい読んでしまったという小説。

話はそんなにイケメンではなく(多分)、金持ちでもないのに、なぜかモテモテの主人公が真剣に二股ライフに身をついやすという、愛とセックスの青春ストーリー(ハルキストのブーイングが聞こえてきそうですが)。

期待を裏切らず、ページをめくってまず流れてくるのはビートルズの「ノルウェイの森」Norwegian Wood。

物語は、職業は不明だが、ドイツのハンブルグ空港に着いた主人公が、機内に流れる「ノルウェイの森」を聴いて18年前の過去・1969年を回想するというシーンがオープニング。

「ノルウェイの森」はビートルズ6作目のアルバム「ラバー・ソウル」の収録曲で日本では1966年に発売されています。
シングルカットされたのは「ノー・ホエアマン/消えた恋」で、またラジオからよく流れていたのは「ミッシェル」や「ガール」で、当時「ノルウェイの森」が話題になった記憶はありません。
むしろ村上春樹のベストセラー小説で再認識されたという印象が強い。

歌詞の内容は、
〈彼女をナンパして家に行き、ワインでしたたか酔って眠り、目が覚めたら彼女がいなかった。だからノルウェイ製のウッドでできたその部屋に火をつけてやった〉
というまるで放火魔じゃないかと突っ込みたくなるような、なんとも物騒な話。

森なんかどこにもでてこない。なんでも、レコード発売当時、担当者がNorwegian Wood(ノルウェイ製の木材)を「ノルウェイの森」と誤訳したのだとか。
ならば、もしこの「ラバー・ソウル」の1曲を「ノルウェイ製の家具」とかなんとかタイトリングしていたら、はたして村上春樹の「ノルウェイの森」が誕生したかどうか。
ほかの題名で出版されたとしても、かくほどベストセラーになりえたかどうか。
まぁ、そんなことはどうでも。

「ラバー・ソウル」は小説「ノルウェイの森」の7年前、デビュー2作目の「1973年のピンボール」にも出てきます。
それはまず、話半ばで主人公の「僕」と同棲していた双子の姉妹の3人でコーヒーを飲みながらLP「ラバー・ソウル」の両面を聴くという幸せな時間があり、またラストでも、姉妹が部屋を出て行ったあと、主人公がひとり、やはりコーヒーを飲みながら「ラバー・ソウル」聴くという透明な日曜日が描かれています。

まあ、1980年に書いた「1973年のピンボール」は7年後の「ノルウェイの森」の予告篇ということも。「ノルウェイの森」で主人公の恋人となる直子についても、短いエピソードででてくるし、彼女が死ぬことも予告されていますしね。
つまり「ノルウェイの森」は「1973年のピンボール」(「風の歌を聴け」も)の後編、いや年代的には、前篇になるわけです。

話を音楽に戻して、小説「ノルウェイの森」のなかで、楽曲「ノルウェイの森」は、冒頭シーン以外であと2度流れてきます。これはビートルズではなく、恋人が入院していた療養所で、ルームメイトだった中年女性のギターの弾き語りで。
もうひとつ付け加えれば、この「ノルウェイの森」は恋人が好きだった歌で、主人公が好きだったわけではありません。そういえば、「1973年のピンボール」でもLP「ラバー・ソウル」は主人公が買ったものではなく、双子の姉妹が買ったものでした。

とりわけラスト間際、恋人が死んだあと主人公と中年女性がふたりだけの弔いをするというシーン。その中年女性がビートルズを中心に50曲ものギター演奏をするのが子供っぽくっておもしろい。もちろんそのなかに「ノルウェイの森」も。

そのあとふたりは予想どおりベッドインするのですが、このあたりも70年代のヒッピー思考を象徴しているようで、ファンに支持される一因なのだろうと思います。

しかし、「ノルウェイの森」というタイトルはみごとですね。
その響きはとても詩的で、ラブストーリーにはもってこい。ビートルズというメジャーバンドのなかでも比較的マイナーな楽曲を選ぶあたりが村上春樹です。
これが「イエスタデイ」とか「レット・イット・ビー」では小説の題名として手垢がつきすぎていて、全然シャープではありませんからね。

では、「ラバー・ソウル」のなかから、この本に出てきたビートルズナンバーを3曲。

まずは「ノルウェイの森」
ワンナイトラヴに失敗した男の話と、村上春樹の乾いたラヴストーリーは非なるようでどこかで通底しているような気もします。

そして「ノーホエア・マン」
邦題は「ひとりぼっちのあいつ」。直訳では「行き場のない男」とか「居場所のない男」などと。アイデンティティをつかみきれない若者には共振できる詞かもしれません。作詞・作曲のジョン・レノンの若き日の己が姿だという説も。

さいごは「ミッシェル」
音階が下降していくイントロ・間奏が印象的でフランス語がでてくるめずらいい曲。シングルカットはされなかったけれど、マイナーな曲調もウケてヒットチャートの上位に入っていました。また日本ではスパイダースがカバーしていました。

ところで小説の主人公にはもうひとり恋人がいます。
大学のクラスメートで、本屋の娘。
ストーリーの中で彼女もまた、主人公の前で弾き語りを披露します。
なんでも彼女は高校時代フォークグループに入っていたようで、当時(60年代後半)のモダンフォークをいくつかうたっています。

というわけで次回は小説「ノルウェイの森」に出てきたフォークソングを中心に聴いてみようと思っています。こうでも予告しておかないと起動しないものですから。


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アメリカの心の歌①三つの歌 [books]

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今日、知り合いと神保町で会いました。

共栄堂でカレーを食べた後、ミロンガで珈琲を。
ほぼ月に一度、同じことをもう二十年以上繰り返しています。

わたしは今はまったく週刊誌を読みませんが、彼は毎週何冊か読んでいるようで、会うたびに新鮮な話題を紹介してくれます。おかげですっかり読んだ気になったりして。
ただ、去年でしたか秋元康が週刊誌のネタになったとき、「AKBってなんだい?」と逆に聞かれ驚いたことがあります。
いまどきAKBをしらない人間がいるなんて。

しかし、よくよく考えてみれば、年齢はわたしより少し上で、当然還暦は過ぎているのですから、そんなものに興味がなくたってちっとも不思議ではない。
反対に60歳過ぎて、アイドルに関心があるほうが変なのかも。
わたし、関心があるというほどではありませんが、何人か名前は知ってます。恥ずかしいのでいいませんが。

まあ、そんな芸能ネタには無知な知人なのですが、今日は安部首相のメディア戦略やかつての少年Aの新刊本について、どちらも批判的な話をしておりました。前者は同感。

ひとしきり話し終えると、バッグの中から一冊の本をとりだして、
「いま、これを読み直してんだ」
と。

ずいぶん古そうな本で表紙をみると「アウシュヴィッツへの旅 長田弘」と読めました。

「なんでまた?」
とわたしが問うと、
「だって、こないだ死んだじゃない長田弘」

……えっ? しりませんでした。
AKBの総選挙とやらで、サシハラがナンバーワンになったことは知っていても、長田弘さんが亡くなったことをしらなかったとは。
いかに社会への目配りが鈍くなってしまったことか。これは歳のせいじゃないな。

ごぞんじの方もいると思いますが、長田さんは詩人です。

残念ながらわたしは詩心がないので、長田さんの詩を読んだことがありません。

でもロングセラーとなっているエッセイの「ねこに未来はない」は以前読みました。、かつて猫好きだったわたしが「また飼ってみようかな」と思ってしまうほど、いかにも詩人らしい楽しい本でした。

正直いいますと長田さんの著書で読んだの2冊だけ。
もう1冊は20年余り昔に読んだ「アメリカの心の歌」。
この本を読んだがために、同じ作家の「ねこに未来はない」を読んでみようと思ったのでした。

この拙ブロで〝本に出てくるミュージック〟をやってみようかな、と思いついたのも実はこの「アメリカの心の歌」からの発想でした。

1990年代前半に書かれたこの本は1970年代以後のアメリカンポップス&カントリーのシンガーとそのうたわれた風景を描いたもので、当時のアメリカの音楽シーンを覗けるだけではなく、長田弘という詩人のアメリカンミュージックへの傾倒ぶりが感じられて、読んでいてとても楽しくなった1冊でした。

まあ、長田さんの死をしらずに片岡義男さんの「歌謡曲が聴こえる」をやっていたのですから間の抜けた話です。

しかし、今日しってしまった以上、〝予告編〟のようなかたちになりますが、「アメリカの心の歌」からミュージックを聴いてみたいという思いに。

初回は長田さんが、アメリカンミュージックの虜になったという3曲を。

「ハード・タイムズ」ボブ・ディラン
ボブ・ディランが主役ではなくて「ハード・タイムズ」がメイン。
というより、アメリカ音楽の父、スティーブン・フォスターの影響を長田さんは語っています。わたしも、カントリーのとっかかりはフォスターでした。
「ハード・タイムズ」はフォスターの数ある歌の中でも、とりわけポップスあるいはカントリーとしていまもうたわれている歌。この歌を聴くと高田渡の「生活の柄」を思い出します。

「アメリカ・ザ・ビューティフル」ウィリー・ネルソンほか
これは20世紀初頭、大学教授のキャサリン・ベイツによって書かれた詩に、サミュエル・ウォードが曲をつけたもので、アメリカの第二の国家ともいわれています。当然、アメリカ讃歌で愛国歌で、団結しなくてはならない時には不可欠な歌でしょうが、場合によっては束ねられてしまうようで、とても鼻持ちならない歌にもなります。
個人的には「ゴッド・ブレス・アメリカ」よりは好きですが。

「アメージング・グレイス」ジュディ・コリンズ
もう説明の必要がないほど日本でも多くの人に知られている歌。
しかし無条件に名歌ともいえない。たとえば、KKKも集会などでの愛唱歌としていましたし。歌に罪はないということでいえば、ヒーリング・ソングとして泣けるうたではあります。ほんとに多くのシンガーがうたっていますが、アメリカでポップスとして再評価のきっかけとなった女性シンガーでどうぞ。

この次はまた村上春樹に戻りますが、長田さんの「アメリカの心の歌」はいずれ近いうちに。

尊敬する兄貴を〝孤独死〟させてしまった愚かな弟のような心持ちになってしまい、仕事をほっぽらかして思わずブログをアップさせてしまいました。


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●風の歌を聴け/アメリカンポップス [books]

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小説のなかに音楽の話が出てくると、その小説の良し悪しとは別に親しみが湧くものです。それが、知っている音楽、さらにいえば好きな歌や曲だったらなおさら。

ただ、小説、とりわけ純文学的な作品では、ポップスや流行歌の歌手名はもちろん、曲名すらほとんど具体的には書きませんね。
わたしの知る範囲(たいしたことない)では、ポップスやジャズなど洋楽はいくらかありますが、歌謡曲はまずない。Jポップはどうなんでしょう。なにしろ、最近の小説はまるで読んでいませんので。

ではそんな数少ない小説から。
村上春樹の「風の歌を聴け」です。いかにもタイトルがそんな感じで。

村上春樹は年齢でいいますと、わたしより少し兄貴になりますが、ほぼ同世代。
毎年話題になる作家ですが、彼の音楽好きはつとに有名。
主にクラシック、ジャズ、ポップス&ロックですが。
とりわけジャズはジャズ喫茶で働き、大学を出てからは自らジャズ喫茶のオーナーになったほどのめり込んでいたようです。

「風の歌を聴け」は彼のデビュー作ですが、ほぼリアルタイムでわたしも読みました。
いちばんはじめに読んだのが2作目の「1973年のピンボール」。これはタイトルに惹かれて読んだのでした。

とにかく「翻訳臭」のする小説というのが第一印象でしたが、登場人物のドライな人間関係が新鮮でしたし、幻のピンボールマシーンを探すというミステリアスなエピソードが面白かった。
そして、ジャズ、クラシック、ポップスがまるでストーリー全編のBGMのように〝流れていた〟ことが読み応えのひとつでした。

そんな「1973年のピンボール」の読後感がよかったので、ひとつ戻って「風の歌を聴け」を読んだというわけです。

その「風の歌を聴け」は、1970年の一瞬の夏を描いたラブストーリーで、相変わらずの「翻訳臭」はあるものの、ドライな日常、ドライなセックスがまさに風のようでさらに心地よく、登場人物がやたら「うんざり」するのにはウンザリしましたが、ラブストーリーとしては「1973年のピンボール」よりも読後感がよかった。

そしてもちろん音楽も。
ラジオから、ジュークボックスから、家のレコードプレイヤーから村上春樹お気に入りのミュージックが絶え間なく流れ続けます。
もちろん、それはジャズであり、ポップスでありクラシックなのですが。

では、あまた聴こえてきた風の歌のなかから、共振したオールデイズをいくつか。

小説の中の好きなエピドードのひとつが、ラジオDJとのやりとり。
まるで映画「アメリカン・グラフィティ」のワンシーンのような。

映画では主人公がDJのウルフマン・ジャックに、一目ぼれした白のサンダーバードのブロンドへの伝言を頼むというストーリーですが、「風の歌を聴け」では、DJから主人公に電話がきて、「君にリクエスト曲をプレゼントした女の子が……」と伝えるという話。
それは高校時代の同級生で、彼は彼女からLPレコードを貸りたまま紛失してしまったということを思い出します。

彼女からのリクエスト曲というのはそのLP(「サマー・デイズ」)のなかの一曲、
「カリフォルニア・ガールズ」ビーチ・ボーイズ

そのあと主人公は同じレコードを買って彼女に返すべく、探すのだけれど、なかなか所在がわからない。当時の高校やクラスメートに問い合わせたり、やっと見つけた彼女の下宿先にも電話するのだけれど結局わからないまま。
で、結局彼はひとり部屋でそのビーチボーイズのLPを聴くっていうのがいいですね。

ちなみに「カリフォルニア・ガールズ」は小説のラスト間際、9年後の〝後日談〟にも出てきます。
主人公はいまでも夏になるとビールを飲みながら「カリフォルニア・ガールズ」の入ったLPに針を落とし、カリフォルニアのことを考えるのだと。

せっかくのビーチ・ボーイズなのでオマケをひとつ。
ここはロケンロールを。
「ファン・ファン・ファン」も捨てがたいですが、チャック爺さんの名曲「サーフィンUSA」を。

2曲目も、ラジオのDJが紹介するリクエストナンバー。
「フール・ストップ・ザ・レイン」クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル

「誰が雨を止めるのか」。一部ファンのあいだでは、雨がナパーム弾のことであり、ベトナム戦争に対する反戦歌だという話もありましたが、たしかCCR自身がそのことを否定したということだったような。
また「風の歌を聴け」が初めて雑誌に掲載された時は「フール・ストップ・ザ・レイン」ではなく、ストーンズの「ブラウン・シュガー」だったとか。
どうして変えたのだろう。まさか薬物のイメージがマズイということでもないだろうが。
しかし勝手なイメージですが、村上春樹とストーンズはシックリこないので正解だったかも。

とにかくヒット曲「雨を見たかい」もいいけど、こちらの「雨の唄」も耳に残るCCRの名曲です。
日本でもシングル盤として発売されました。
ついでですから、CCRもオマケの1曲をやはりロケンロールで。「フール・ストップ・ザ・レイン」のA面だった「トラヴェリン・バンド」を。

最後はエルヴィス・プレスリーを。

エルヴィスの曲は「風の歌を聴け」の中に2曲出てきます。どちらも好きな曲で、以前もリアルタイムで聴いたエルヴィスの曲ということで紹介しましたが、だいぶ前のことなので、2曲とも聴いてみようと思います。

まずは主人公の「僕」がはじめてのデートのことを回想するシーンで。
それはエルヴィスの映画を観にいった思い出で、その主題歌の訳詞が一部紹介されている。
例によって曲名や映画の題名はあえて記されていない(これが村上龍じゃなくて村上流)。
でも、その訳詞から曲は「心の届かぬラブレター」で映画は「ガール!ガール!ガール!」であることは、エルヴィスのファンならすぐにわかります。

もう1曲はやはりラジオのヒットパレードでリクエストされたという曲で、これも日本ではそこそこヒットした「グッド・ラック・チャーム」。
どんな霊験あらたかな(われながら古い)お守りよりも君こそが幸福の女神だ、というラブソング。日本でもザ・ピーナッツをはじめカヴァーされていました。

このブログを書くためにこの「風の歌を聴け」を再読して、当時は気づかなかったことやかつては受けなかった印象がいくつかありました。まあ、時を経た歳をとったということなのでしょう。
ただ、あらたなる親近感や違和感を含めて、昔よりは村上春樹という作家を自分なりに理解できたような気がして、読み直してよかったと思っています。慣れなんでしょうが「翻訳臭」もさほど気にならなくなりましたしね。

実は、村上春樹はあと1冊というか、1作品を読んだことがあるので、次回はその本と、そのストーリーの隙間に流れていた音楽を聴いてみたいと思います。なるべく早い機会にね。


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●歌謡曲が聴こえる⑥番外・純情篇 [books]

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片岡義男の「歌謡曲が聴こえる」もそろそろ終わりにせねばなりません。

まだまだ魅力的な素材はあります。

ベンチャーズがエレキブームを煽ったその10年以上前から、ステージでエレキギターでの弾き語りを看板とした田端義夫。
あのギターを胸高に抱いて、「オッス」といいながら♪なみのー せえのーせにいー 
とうたいだす独特のスタイルでファンを魅了しましたっけ。

また、日本での活躍が少なかったため、認知度もいまひとつでしたが、女優としてもアカデミーの助演女優賞をとったナンシー梅木。
ナンシー梅木については、ずいぶん調べているようで(他もそうですが)読みごたえがありました。俳優でアカデミー賞を受賞した日本人は彼女以外いまだいません。

ほかでは最もページをさいたと思われる、美空ひばり、そして片岡義男がほかの本で「歌謡曲の頂点」と表現した、ムードコーラスの嚆矢、和田弘とマヒナスターズのことなど。

しかし、この本を読み終えてなにか物足りなさを感じたことも事実。

もちろん、この本は戦後およそ20年あまりの歌謡曲を総花的に綴ったものではありません。
昭和37年、大学生だった片岡義男が、フェリーボート船中の歌謡ショーで見たこまどり姉妹の「ソーラン渡り鳥」にヒントを得て、焼跡間もない時代に向かってタイムトラベルしていったわけで、そこで彼によって掬いあげられた名曲の数々は、あくまで作家のセンスによるものです。

ですから、その時代時代をうたった歌手ということであれば、藤山一郎を、島倉千代子を、近江俊郎を、そしてなにより三橋美智也をとりあげてもおかしくありません。
なんとなく片岡義男は〝古賀政男の系譜〟が好きではないのかという疑問も残りますが、それらは彼の耳に〝聴こえなかった歌謡曲〟なのだから仕方ありません。

それでもこの曲だけは触れてほしかったという歌がひとつあります。
それは、「リンゴの唄」に匹敵する、あるいはそれ以上にかつて国民に愛された戦後の歌謡曲で、服部良一が曲を書き、西條八十が詞を書いた「青い山脈」

歌手は藤山一郎と奈良光枝のデュエット。これは戦前からの定番。
もうひとつ付け加えれば、これも戦前から主流だった映画とのコラボつまり主題歌として劇中でうたわれ、のちに巷で流行るというかたち。現在でも映画がテレビにかわっただけで、流行歌の販促としては欠かせない方法としていかされています。

昭和22年に石坂洋次郎が書いた「青い山脈」がいかにかつての日本人に愛されたかは、文庫本で版を重ねること100を越え、たび重なる映画化ということが物語っています。またその主題歌「青い山脈」がいかに国民の愛聴歌・愛唱歌になりえたかということを示す数字があります。

1980年 1位
2000年 40位
2007年 100位以下

これはテレビ局や文化庁が行ったいわゆる〝愛唱歌・愛聴歌〟アンケートにおける「青い山脈」のランキング。
歌に寿命があることは間違いありませんが、1949年に世に出た歌謡曲「青い山脈」が約30年を経た1980年でも国民的歌のナンバーワンとして存在していたことに驚かされます。それほど、その30年の時の流れがゆるやかだったということでしょう。
半世紀を経た2000年でも数十万か百万かは知らないが数多世に出た流行歌のうちの40位というのもスゴイこと。
しかし、その7年後には100位以内から消えており、おそらく100年経てば歌謡史には残っても一般的にはほとんど知らない・聴くことのない歌になってしまうでしょう。それが流行歌の寿命というものでしょうから。

とはいえ、そんな時代を大きく反映した歌について、片岡義男が「歌謡曲が聴こえる」のなかでなぜ、ひとこともふれなかったのか。
その真意はわかりませんが、彼の別の著書『「彼女の演じた役」原節子の戦後主演作を見て考える』の中で1949年に作られた「青い山脈」についても書いてあり、主題歌「青い山脈」についても、わずかですがふれています。

それによると「青い山脈」について「文句なしに傑作だ。」「ひとつの時代を背景にして……国民的なヒットソングとなった」と絶賛しています。
そして三番の「雨に濡れてる焼けあとの」という歌詞をとりあげ、「『青い山脈』という歌がどの時代のどうような人たちのものであるのか、誰の目にも明らかなように、宣言してある」と書いています。
そして最後に、この「青い山脈」を「国民的なヒットにするほど、人々は純情だった」と結んでいます。

「純情だった」ということは、もはや純情ではないということでしょう。
片岡義男のやはり音楽に関する著書「音楽を聴く」はジャズやポップスの洋楽を主体とした本ですが、3部構成のさいごに歌謡曲がとりあげられていて、その見出しが「戦後の日本人はいろんなものを捨てた 歌謡曲とともに、純情も捨てた」。

純情とともに捨てられたのは歌謡曲ばかりではなかったでしょうし、日本および日本人が発展・進化していくためには、それこそ「古い上着よさようなら」とばかり、とっかえひっかえ〝おニュー〟に袖をとおしていかねばならなかったのです。

昭和30年代なかば、ジャーナリスト・大宅壮一が言い、流行語となった「一億総白痴化」という言葉が思い出されます。
これは当時急激かつ爆発的に〝国民の友〟となったテレビ文化を揶揄したものですが、いまとなって考えれば、「一億総白痴化」ではなく、「一億総博士化」ではなかったのかと。
つまり、テレビから流れだす様々な情報は、たんにわれわれの知識欲を満たしただけではなく、実生活にとって便利なものとしても役立てられていきました。たとえそれが生活のパターン化であっても、それらの〝知識〟をもたないということは、〝無知〟とされたのです。われわれはテレビによって実体の伴わない〝にわか博士〟に仕立てられていったのです。
「一億総博士化」は現代において、さらにパソコンあるいはケータイ・スマホによってさらに進行しています。

片岡義男のいう捨てられた「純情」とは「白痴」あるいは「無知」と限りなくイコールだったのではないでしょうか。つまりわれわれはその純情と引き換えに多くの知識を、快適な生活を得たということなのでしょう。

片岡義男には「彼女の演じた役」のほかに、もうひとつ映画女優をとりあげた本があります。それが「吉永小百合の映画」という実にストレートなタイトルの一冊。

それならば1963年に浜田光夫と共演した「青い山脈」についても書かれているのではないか、と思いましたが、「青い山脈」についてはひと言もふれていません。
それもそのはずこの「吉永小百合の映画」という本、1959年の銀幕デビュー作「朝を呼ぶ口笛」から、女優開花した1962年の「キューポラのある町」までを取りあげたもので、63年の「青い山脈」は〝寸どめ〟されているのです。残念。わたしにとって「青い山脈」は原節子―杉葉子ではなく、芦川いづみ―吉永小百合なのですから。

それでは、昭和20年代前半の純情歌謡曲3連打を。

「東京の屋根の下」灰田勝彦
「青い山脈」が出る前の年、昭和23年につくられた歌。作曲も服部良一。どちらかといえばこちらのほうが服部メロディーといえます。この翌年やはり服部―佐伯コンビで「銀座カンカン娘」がヒット。
「なんにもなくてもよい」という歌詞がいかにも純情です。
昭和のあいだは「君さえいれば」とか「あなたひとすじ」なんて歌詞がまかりとおっていましたが、いまとなってはそんな無知な言葉は流行らない。

「さくら貝のうた」辻輝子 
作曲の八洲秀章はほかに「あざみの歌」、「山のけむり」などで知られる抒情作曲家。歌詞は八洲の初恋の相手を喪うという実際にあった純情物語をベースに友人の土屋花情が詞を書いたもの。
もともと戦前につくられたものですが、「青い山脈」と同じ昭和24年にNHKの「ラジオ歌謡」として小川静江によってうたわれました。レコード歌手となった辻輝子は声楽畑のひとで、のちにこの歌のプロデューサー的役割をはたしたといわれる山田耕筰と結婚しています。

「水色のワルツ」二葉あき子
「青い山脈」の翌年、昭和25年に発表されヒットした歌。
作曲は歌謡曲嫌いの高木東六。作詞は戦前なら「別れのブルース」、戦後は「愛のスイング」、「東京キッド」、「さよならルンバ」、「懐かしのブルース」など、ヒットメーカーとなった藤浦洸。30年代はNHKの「私の秘密」などのクイズ番組に出るなど一般的な知名度も高かった作詞家でもあります。
二葉あき子は戦前戦後を通じての人気歌手。そういえば戦前のヒット曲で「純情の丘」がありました。


歌に寿命はありますが、延命策はカヴァーされること。
「青い山脈」も多くの歌手がカヴァーしています。

それでは最後にそのカヴァーを演歌歌手アイドルグループで。


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●歌謡曲が聴こえる⑤再会 [books]

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前回のフランク永井の歌でカラオケでいまだにうたわれている歌ナンバーワンといえば「東京ナイトクラブ」でしょう。多分。

「東京ナイトクラブ」はごぞんじのとおりデュエット曲で、その相手は松尾和子。
フランク永井についてふれたので、同じビクター所属で同じ元ジャズシンガーの松尾和子にも。

まぁ、片岡義男の著書「歌謡曲が聴こえる」ではフランク永井に続いて松尾和子についても書かれていますので、引き続きということなのですが。
とにかく松尾和子もまた戦後の歌謡曲を語るうえで欠かせない歌手であることは、間違いありません。

「歌謡曲が聴こえる」の中でもフランク永井の「煙草」のようなヴァースで、松尾和子の話がはじまります。

それは著者・片岡義男が「ジャズと生きる」という本を読んだことが発端。

「ジャズと生きる」はわたしも以前読んだことがありますが、世界的ジャズピアニストであり作・編曲家でありバンドマスターでもある穐吉敏子の自伝。
日本ではじめてアメリカでのレコードデビューしたピアニストであり、かのバークリー音楽院で学んだはじめての日本人でもある。


「ジャズに生きる」は今年80歳を優にこえている彼女が60代のときに書いた自伝で、20代で単身アメリカに渡り、ジャズを極めようとする女性のある意味〝奮闘記〟ですが、彼女のアイドル、マイルス・デイヴィスをはじめ、バド・パウエル、オスカー・ピーターソン、ジョン・ルイスらトップジャズメンとのドラマチックな交流、またプロのジャズピアニストであるにもかかわらず、想像以上の経済的な困窮、さらには実感的人種差別、あるいは日本人ジャズメンとのギクシャクした関係など、とても読み応えがあり、かつ彼女の人となりが感じられるとても正直な自伝という感想を抱きました。

この本を読んだ後、片岡義男は穐吉敏子のレコードを現代から過去へと遡って聴くということを試みます。こまどり姉妹からはじまった歌謡曲もそうですが、その執拗なまでの探究心には感服します。
そして穐吉敏子のレコードで最後に聴いたのが1963年に発売された「魅惑のジャズ」という1枚。
それは「恋人よ我に帰れ」、「ラ・メール」、「枯葉」などのスタンダードからなるアルバムなのですが、1曲だけ聴き覚えのある歌謡曲が含まれているころに気づきます。それが吉田正のつくった「再会」

片岡義男は、その〝異曲〟が気になり、それならばオリジナルである松尾和子の「再会」を聴いてみようと思い立つのです。

そして中古レコード店で松尾和子のアルバムを買い求め、針をおとしたとき、1960年代が甦ったといいます。
当時の東京の喫茶店やバーでは、松尾和子のLPが〝必需品〟だったことを思い出すのです。

残念ながら遅れてきた〝歌謡曲ファン〟だったわたしは、喫茶店やバーで松尾和子の歌を聴いたことはありませんが、そうした〝近過去〟の光景は容易に想像できます。
とくにバーに流れる歌謡曲としてフランク永井ともども松尾和子のレコードはもってこいだったのではないでしょうか。

余計なことをつけ足せば、60年代も後半になると、「女の意地」、「赤坂の夜は更けて」、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」など鈴木道明のメロディーがナイトライフの〝アクセサリー〟として加えられていきます。

片岡義男はフランク永井同様、松尾和子も高く評価しています。
だからこそ著書でとりあげたのでしょうが、抑制のきいた歌唱には品がある、と記しています。

それでは、フランク永井と似たような不幸せな最後だった松尾和子の3曲を。

まずは、とっかかりとなった「再会」

松尾和子もビクター所属で、この「再会」も作詞・作曲は佐伯孝夫・吉田正の黄金コンビ。
スローなワルツの吉田メロディーは哀愁たっぷりだし、松尾和子の歌唱は片岡義男がいうように、抑制がきいていて見事に〝待つ女〟を演じています。

そしてなによりも佐伯孝夫の歌詞がすばらしい。
「海より深い恋心」とか「鴎にもわかりはしない」とか「再び会える日 指折り数える ああ 指先に夕陽が沈む」など、ドラマチックなストーリーのなかに、当時としてはとてもインパクトの強いフレーズがちりばめられています。

片岡義男が聴いた松尾和子のベストアルバムの1曲目がその「再会」で、最後が「誰よりも君を愛す」だったとか。そして著者はこの「誰よりも君を愛す」が松尾和子の最高傑作だとしています。
なので2曲目はこの歌を。

これまた吉田正お得意の和製ブルースで、松尾和子は独特の〝ため息ヴォイス〟で歌のテーマを十二分に表現しています。
作詞は「月光仮面」の作者で近年亡くなった川内康範。
歌謡曲の作詞としては、ほかに「恍惚のブルース」「骨まで愛して」「伊勢佐木町ブルース」「花と蝶」「おふくろさん」などが。

歌は和田弘とマヒナスターズが女性ヴォーカルをフューチャするという、その後定着していく〝マヒナスタイル〟となっていて、「黒い花びら」に続く第二回の日本レコード大賞に選ばれています。

「再会」と「誰よりも君を愛す」は松尾和子のベストソングの双璧として妥当でしょう。では最後の、3番目の曲目は。

「お座敷小唄」や「銀座ブルース」もいい。どちらも「誰よりも……」同様マヒナとユニットを組んだ曲。
フランク永井とのデュオ、「東京ナイトクラブ」や「国道18号線」も捨てがたい。

カヴァーでも聞き入ってしまう曲がいくつもあります。
片岡義男が著書の中で頁をさいて書いていた「熱海ブルース」。オリジナルは昭和14年に由利あけみがうたっています。
ほかにも鈴木道明の「女の意地」、いずみたくの「ベッドで煙草を吸わないで」、平岡精二の「爪」なんかも。

そうした、歌もいいのですが、やっぱり最後は松尾和子の歌謡曲の原点ともいえるデビュー曲「グッド・ナイト」を。

やはり佐伯―吉田コンビの作品
「誰よりも君を愛す」と同じ和製ブルース調ですが、歌詞は佐伯孝夫にしては単調。
それでも
♪グッナイ グッナイ スイーハー グッナイ はあたらしかったし、
♪忘れられなくなっちゃった も印象的なフレーズでした。

片岡義男は「誰よりも君を愛す」がベストと書いていますが、わたしにとっての松尾和子はやっぱり「再会」。

その「再会」は高校時代のガールフレンドが教えてくれた歌で、ポップな感じの彼女と暗い歌との落差に意外な印象を受けたことを思い出します。
また、昔、ある用事で作詞をした佐伯孝夫の夫人と同席したことがありまして、そのときすでに佐伯孝夫は亡くなっていましたが、夫人が思い出話のなかで「再会」がいちばん好きだ、というようなことを話してくれたことも記憶の片隅にのこっています。

たぶん、「再会」は男性より女性のほうが好む歌なのかもしれません。


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●歌謡曲が聴こえる④有楽町で逢いましょう [books]

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フランク永井が亡くなってから、もう10年余りが経ちます。

彼もまたオールド歌謡曲ファンにとっては忘れられないシンガーでしょう。

片岡義男の著書「歌謡曲が聴こえる」にもフランク永井について、10数頁にわたって書かれています。

それは、平成27年の日本において、絶滅が危惧されている煙草の話がヴァースになって、レコードジャケットのフランク永井は煙草を手にしていたというプロローグに入っていくというかたちで。

そして片岡義男がまずとりあげた曲が、国産初のフィルター付き煙草・ホープが発売された昭和32年と同じ年に世に出た、と著書のなかで書かれている「有楽町で逢いましょう」。
著者はフランク永井の最初にして最大のヒット曲かもしれないとも書いています。異議なし。

ではフランク永井の3曲を。

まずは片岡義男がはじめにあげた「有楽町で逢いましょう」

この歌のできたいいきさつは知る人ぞ知るで、「歌謡曲が聴こえる」にもその一部が書かれているし、ウィキペディアにも載っているので割愛。
有楽町という銀座の入り口は、もともと東京では大都会の代名詞のひとつでしたが、この歌が流行ったことで、それこそ東京へなぞ行ったことのない地方の人びともその存在を知ることになりました。

個人的にも印象に残る曲で、小学校へあがったばかりのわたしが、「なんで同じ歌ばかりが聴こえてくるんだろう」と最初におもったのがこの「有楽町で逢いましょう」。それほどラジオや、出はじめのテレビから流れていた歌謡曲だったのでしょう。

作詞は佐伯孝夫、作曲は吉田正。ともにビクターレコードの専属で、当然フランク永井もビクター専属の歌手。当時はそういう時代でした。

曲調はいわゆる和製ブルースで、ビル、、ティールーム、ホーム、デパート、シネマ、ロードショーとカタカナ言葉を駆使した詞は〝憧れの都会〟をイメージさせましたし、なによりも「あなたとわたしの合言葉 有楽町で逢いましょう」という詞が新しいラブソングとして歌謡曲ファンの気持ちに強く浸透しました。

それまで主流だった戦前から戦後にかけての、古賀政男や西條八十に代表される歌謡曲とは一線を画す新しい歌謡曲が誕生したのです。
そうした歌謡曲は都会調歌謡曲、さらにはムード歌謡と呼ばれました。

流行歌は時代によってつくられ、また変えられていくものですが、昭和32年、敗戦・焼跡から復興した日本と日本人によってつくられた曲だともいえます。

片岡義男は「歌謡曲が聴こえる」の中で、「有楽町で逢いましょう」以外に好きな曲として、「夜霧の第二国道」、「羽田発7時50分」、「霧子のタンゴ」、「東京しぐれ」、「大阪ぐらし」、「こいさんのラブコール」をあげています。

その中から2曲目は「こいさんのラブコール」を。

「有楽町で逢いましょう」の翌年、昭和33年にリリースされた曲。
これも和製ブルースですが、作曲はビクターの大野正夫。フランク永井では「大阪ぐらし」もそうですし、ほかでは吉永小百合にもいくつか楽曲を提供しています。かの「奈良の春日野」もそう。
詞は石浜恒夫。芥川賞候補にもなった作家で、「大阪ぐらし」も石浜の作品。ほかでは三浦洸一の「流転」、アイ・ジョージの「硝子のジョニー」などを書いています。

個人的にはなんとも大阪弁が新鮮でした。その後すぐテレビで放映された「番頭はんと丁稚どん」と重なって強く印象に残っています。

最後の1曲はわたしのフェヴァリットソングを。

二村定一のカヴァー「君恋し」、幻のステーションをうたった「西銀座駅前」、ラテンブームにのってつくられた「東京カチート」、作詞家・宮川哲夫の傑作「公園の手品師」など好きな歌はいくつもありますが、思い出がはりついた一曲は「好き好き好き」

やはり佐伯―吉田コンビの曲で、当時としてはかなり強烈なタイトルでした。

当時小学校の低学年だったわたしでしたが、放課後は〝赤土〟と呼ばれた広場での野球が最上の遊び。毎日、上は中学生から下はわたしのような小学生までが入り混じっての激闘が繰り広げられていました。不思議な時代でした。

ある春の日、そんな〝球友〟のひとりである中学3年生の兄貴が自転車でやって来て、うしろの荷台に乗れといいます。映画に連れて行ってくれるというのです。ふだんからやさしくしてくれる兄貴なので、返事代わりに荷台に飛び乗りました。

二人乗りで風を切っているなか、聴こえてきたのはハンドルを握る兄貴の鼻歌。
♪好き 好き好き 霧の都 東京

ひとしきり歌うと、兄貴は前を向いたまま誰にいうともなく楽しそうに話をしはじめます。耳をそばだてると、なんでもどこそこへ就職が決まったとか、さらに定時制高校の試験にも受かったとか。
そのときのわたしには、それがそんなにうれしいことなのか実感することはできませんでしたが、年を経るとともにあの兄貴のうかれた声を理解できるようになりました。
それとともに兄貴が〝教えてくれた〟「好き好き好き」がその幸せな記憶とセットで聴こえてくるようになりました。

ほんとうに多くの歌謡曲ファンに生活の潤いを与えてくれたフランク永井ですが、決して幸福とはいえなかった晩年が返す返すも残念です。
彼の多くのヒット曲はいまだに多くの歌手によってカヴァーされますが、語り草になっているあのソフトでツヤのある低音で聴いたファーストインプレッションを超える「有楽町で逢いましょう」や「好き好き好き」をいまだ聴いたことがありません。

♪フランク永井は低音の魅力 神戸一郎も低音の魅力 水原弘も低音の魅力……

3人とももはやいませんが、彼らの歌謡曲はわたしの脳内蓄音機でいつだって再生することができます。


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●歌謡曲が聴こえる③霧笛が俺を呼んでいる [books]

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今日は雨も降っているし、気分がのらないので休日にしました。

そこでようやくブログを書くことにしました。では。

片岡義男は「歌謡曲が聴こえる」の中でトニーこと赤木圭一郎にふれている。

片岡義男とトニーはともに昭和14年(1936)生まれ。学年は早生まれの片岡が1級上だが、まさに同世代。

前々回でもふれましたが、片岡義男が歌謡曲に興味をもったのは大学4年生の昭和37年(1962)。
その2年前に赤木圭一郎の代表作ともいうべき日活映画「霧笛が俺を呼んでいる」が劇場公開されている。

つまり、片岡義男が映画主題歌も含めた歌謡曲には無関心だった頃に封切られた映画で、その当時の映画のポスターを見た彼は一緒にいた友達に軽口をとばした、というエピソードがその著書に書かれている。
それほど、歌謡曲さらには日本映画には関心がなかったということなのだろう。
ちなみに、片岡義男が歌謡曲を掘り下げていった年、赤木圭一郎は撮影所の事故で亡くなっている。21歳だった。

片岡義男が映画「霧笛が俺を呼んでいる」を観たのは40年後の2004年のことだという。ただ、同名の主題歌は蒐集していた歌本から知っていたようで、7インチのレコードを探したがみつからなかった、ということもその著書に書いてある。

ちなみに片岡義男がその著書でしばしば書いている「7インチ」のレコードとは、当時の言葉でいえばシングル盤のことで、LP盤に対して便宜的にEP盤と呼んでいた。
ただ実際のEP盤とはLP盤よりコンパクトで、シングル盤より多くの楽曲が録音されたレコードのことで、たしかにシングル盤と同じ直径7インチ(17センチ)で、4曲あまり録音されたレコードがあった。

余談はさておき、著書のなかで片岡義男は「霧笛が俺を呼んでいる」について、不条理なストーリーの映画はともかく主題歌は「いい歌だ」と書いている。

トニーのファンとしては片岡義男が同世代の役者・赤木圭一郎についてどういう印象を抱いているのか知りたいところだが、残念ながらそのことについてはふれていない。

赤木圭一郎について書かれた部分はわずか4頁足らずだが、そのなかで最も興味を惹いたのが、片岡義男がのちに中古レコード店で入手したという、赤木圭一郎のソノシートの話。
なんとそのレコードに録音されていた1曲がハンク・ウィリアムズの「ウェディング・ベルズ」というカントリーなのだと。

もちろんトニーのカントリーなど聴いたこともないし、そんなレコードがあることすら初耳。ただ片岡義男によれば、それはハンクの原曲をバックに自宅でトニーが簡易録音したものだという。それでもその失恋ソングを聴いてみたい。

おそらくまだ10代のトニーが、当時一部若者に人気だったカントリー&ウエスタンを聴いている姿を想像すると、本名の赤塚親弘という「若者」の姿がもう少し、はっきりと見えてくる。

では、赤木圭一郎の歌謡曲を3曲。

まずはじめは、片岡義男がとりあげた「霧笛が俺を呼んでいる」

映画もそうですが、歌も赤木圭一郎のもっともポピュラーな作品。日活デビュー間もない吉永小百合が親友の妹役で出ている。
「霧笛」とはもともと文字どおり霧で視界不良になった海で、主に灯台から航海中の船に向けてその位置を知らせるために発する信号音のことなのだが、この映画の場合、出航の合図に発する音としてつかわれている。厳密にいえば「汽笛」なのでしょうが、映画や音楽は厳密を求めていないので、それはそれでいいのでしょう。余談ですが。

2曲目は、「流転」
これは片岡義男がのちに聴いた赤木圭一郎のベスト盤CDの中に入っていなかった1曲で、前述したソノシートに入っていたということで著書に書かれている。

ちなみにこれは当時起きたリバイバルソングブームにのってレコーディングされた1曲だが、さほどヒットはしなかった。オリジナルは戦前の昭和12年に公開された股旅映画「流転」の主題歌。、当時の人気シンガー・上原敏が歌っている。
もちろん映画がトニー主演でリメイクされたということはなく(観てみたいが)、なぜこの歌を吹き込んだのかは不明。片岡義男は、トニーがこの歌の良さを理解できる最後の世代ではないかと書いている。いずれにせよ、トニーが好きだった歌という想像はできる。

原曲と比較してみるとわかるとおり、トニー盤はスローなブギウギにアレンジされ、彼の数少ないレコーディング曲のなかでも、異色であり出色な歌謡曲となっている。わたしはトニーや片岡義男よりひと回り下の世代だが、この歌の良さは理解できます。

最後の曲は、「歌謡曲が聴こえる」には書かれていませんが、わたしのフェヴァリットソング「トニーとジョー」を。

劇画的日活アクションのエッセンスを凝縮したというべき1曲。
拳銃無頼帖シリーズの4作目「明日なき男」の挿入歌。
歌は、トニーの「早撃ちの竜」と宍戸錠の「コルトの錠」の掛け合いになっている。
ちなみにトニーの役名はシリーズ2作目以外は「竜」だが、ジョーは1作目から「銀」、「五郎」、「謙」と変遷をとげ、ようやく最後に「錠」に落ち着いている。
当時は男のデュオもほとんどなかったし、まして主役と仇役の掛け合いというのもめずらしかった。

「霧笛が俺を呼んでいる」には吉永小百合も出ていましたが、いわゆる「相手役」は小百合さんではなく、芦川いづみ
芦川いづみについて、片岡義男は「歌謡曲が聴こえる」の中で「ついで」として、彼女がナイトクラブで歌う場面と歌唱がレコード化されていないのでレアだというようなことを書いている。
残念ながらそのシーンは覚えていませんが(YOU-TUBEでみつけました。でもほんとうに彼女の歌唱なのだろうか、以前CDでなにかの歌を聴いたことがあったけど、「あまり……」という印象でした。これほど上手ならもっとたくさんレコーディングしてもよかったのに)、わざわざ最後に芦川いづみにふれるということは、片岡義男もあの映画で彼女の魅力にぞっこんだったのではないかと想像してしまいます。
であるならば、原節子、吉永小百合に続いてぜひ芦川いづみを丸ごと一冊書いていただきたい。女優三部作として。


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●歌謡曲が聴こえる②青空 [books]

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♪ 赤いリンゴに くちびるよせて
  だまって見ていた 青い空

今日は素晴らしい青空でした。公園のさくらも三分四分。
街の様子は大きく変わっても、青い空は70年経っても変わらない。
でも、その果てしない青を見ていた70年前の日本人たちの気持ちは、平成の現代人よりははるかに幸福感に満ち溢れていたのではないでしょうか。

片岡義男の「歌謡曲が聴こえる」にも書かれていましたが、このサトウハチローの書いた「リンゴの唄」、実は戦争中に書かれていたということ。
モノトーンに塗り込められた戦時中に、かくも色彩鮮やかな歌詞をよく書けたものです。当然のごとく、国家の検閲により不許可となったようですが。

それが詩人の執念で、戦後日の目をみることになったのですが、まるで終戦を予測していたようなこの歌詞は、いっそう輝いて聴こえてきます。

今回注目したいのは「赤いリンゴ」ではなくだまって見ていた「青い空」のほう。

この歌に色は赤と青の2色しかでてきませんが、それなのに歌のイメージはとてもカラフルです。このふたつの色で戦争が終わった幸福感と、多くのものを失ったけれど明るく前向きに生きていこうという強い気持ちがうたわれています。

とりわけ「青い空」あるいは「青空」は、戦後の歌謡曲のなかで幸福感、充実感のキーワードとして多用されていきます。
ではその青空ソング3曲を。

青春のパラダイス 岡晴夫

「リンゴの唄」と同じ敗戦まもない昭和21年に世に出た歌で、マイナー調ですが、その歌詞(空は青く)とともに戦後の幸福感や青春の躍動感が伝わってきます。
片岡義男の「歌謡曲が聴こえる」にもたびたび出てくるこの曲ですが、うたった岡晴夫は、戦前からの歌手。戦後になって大ブレークしました。「啼くな小鳩よ」とか「憧れのハワイ航路」……いつ聴いてもいいなぁ。
女性人気ということでいえば、この岡晴夫、近江俊郎、田端義夫が三大男性若手人気シンガーではなかったでしょうか。(まだ未生のくせに適当なこと言ってます)

作曲はバンドマスターだった福島正二、作詞はのちにビクターの専属となり、三浦洸一の「落葉しぐれ」や40年代になって青江三奈の「長崎ブルース」や「池袋の夜」を書いた吉川静夫。

そのほか昭和20年代前中半の“青空ソング”には「黒いパイプ」(二葉あき子、近江俊郎)、「かりそめの恋」(三條町子)、「ニコライの鐘」(藤山一郎)、「別れの磯千鳥」(近江俊郎)などがあります。それから8年後、ようやく戦後脱却の兆しが見えてきた昭和29年に発表された、対照的な印象の青空ソング2曲を。

高原列車は行く 岡本敦郎

岡本敦郎のまるで教科書のような歌唱は、音大出身で音楽教師のキャリアありということならうなづけます。デビュー曲も唱歌としてもうたわれたNHKのラジオ歌謡「朝はどこから」。

25年にはその後、「うたごえ喫茶」でも人気レパートリーとなる「白い花の咲く頃」がヒット。
しかし、彼の最大のヒット曲はこの「高原列車は行く」。

この歌の空は「明るい青空」。
その下には緑の牧場があり、カラフルな花束がある。また、白樺林や山百合、さらには緑の谷間に、五色のみずうみまで登場する。黒や灰色は出てこない。
まさに若さと躍動感に満ちた青春讃歌。

この歌が巷に流れていたころ、わたしは生存しておりました。
しかし当時の流行歌はヒット曲になればなるほど“寿命”が長かった。2年3年は平気でラジオから聴こえていました。
わたしが聴いたのはおそらく昭和も30年を過ぎてからだと思います。
それも下品な替え歌で(結構気に入ってマイレパートリーにしておりました)。

昭和29年といえば、あとすこしで学者に「もはや戦後ではない」と言わしめた頃。
だからこそ、こんなディスカヴァージャパンのさきがけの様な歌が大ヒットしたのでしょうか。レジャーブームが到来するにはあと数年を要するわけですが、もはやその兆しがあらわれていました。

当時の旅行といえば、飛行機、マイカーは論外でほとんど汽車。
運よく旅人となった野郎どもは、その車窓の向こうに田園風景が広がると、無意識に「牧場の乙女」を探していたのではないでしょうか。そして、花束なんかを期待しちゃったのではないでしょうか。余計なことを言ってしまいました。

東京ワルツ 千代田照子
最後の青空ソングにも花束がでてきます。
ただし、牧場の乙女が摘んで束ねた爽やかなものではなく、高価な花の数々をセロファンで包んだ商用。花の香りとともにちょっと欲望の香りもただよっていたりして。
それもなぜか道端に投げ捨てられ、さらに夜の雨に打ちひしがれているという理由ありの花束。

3曲目の「青空ソング」は「高原列車」とは趣の異なる、大人のムードの名曲。

「東京ワルツ」は何度もとりあげているので、重複をさけますが、全体には戦争がほぼ一昔前になってしまった時代の、東京のナイトライフがうたわれています。

ただ、夜とはいえこの歌もやはり、その色彩は鮮やか。
燃える夜空 ネオン 花束 七色の雨 キャバレーの虹の灯 青い靄 星空
という具合に。

そして「青空」は2番に出てきます。
場所は丸の内あたりのオフィス街。彼はサラリーマン、彼女BGでもちろん恋人同士。
そんなふたりが、昼休み、頬寄せあいながら事務所の窓から外の青空を眺め、今度の休日のことかなんかを話し合っているというシーン。

1番、3番のナイトライフに挟まれて映画の回想シーンのような2番がとても利いています。ちなみに2番の歌詞に出てくる「ビル」、「窓」、「広場」は当時の都会をあらわすキーワード。

最後にまたまた図々しくマイ・フェヴァリット「青空ソング」を。

ちょっとイレギュラーになりますが昭和15年、つまり戦前の歌を。
まだ戦火が激しくなる前で、こんな純情ソングがありました。
「森の小径」は「東京ワルツ」と同じ若いふたりの物語。
「東京ワルツ」ではいささかアプレ感もありまして、若いふたりは周囲にはばかることなく頬を寄せて青空を見ております。

一方「男女席を同じうせず」時代のふたりは、触れるか触れないかの肩を寄せるのが精いっぱい。彼女は涙ぐみうつむいているだけ。彼は胸苦しくなって青い空を仰いだ。という遠く懐かしい初恋ストーリー。ハワイアンが泣かせます。


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●歌謡曲が聴こえる①リンゴの唄 [books]

並木路子.jpg 

久々に音楽関連の本を読みました。

昨年11月に出た「歌謡曲が聴こえる」という片岡義男の新書本で、2012年から月刊誌に連載したものの加筆訂正版だとか。

片岡義男は、愛読者ではないけれど、過去に何冊か読んだことはある。
片岡流解釈でビリー・ザ・キッドの半生を描いた「友よ、また逢おう」、長距離トラックの運転手など、いまだアメリカを彷徨っている男たちの短篇集「ロンサム・カウボーイ」、それに自伝的音楽論という印象のエッセー「音楽を聴く」など。

その「音楽を聴く」にも歌謡曲は章をもうけて書かれていましたが、今回の「歌謡曲が聴こえる」は、その歌謡曲限定版だなと思って購入したわけです。

実際に読んでみると、思ったとおり、片岡義男の自伝的歌謡曲論でした。

意外だったのは、彼が予想をうわまわるほど、タイトルどおり歌謡曲を聴いていたということ。それもわたしも好きな昭和20年代から30年代の豊潤な歌の数かずを。
年齢でいえばわたしよりひと回り上なのですが、テリトリーはほぼ重なります。

ただ、「歌謡曲が聴こえる」で書かれているように、彼の歌謡曲への傾注は20歳過ぎ、大学生の頃だというからいささか奥手。
それは、前著「音楽を聴く」を読めばわかるが、彼の守備範囲はジャズでありスタンダードなのだから当然といえば当然。

そのきっかけが、夏休みのフェリーの上でみたこまどり姉妹の「ソーラン渡り鳥」だったというのも興味深い。
若き片岡義男の凄いところは、それから歌謡曲の最新ヒット集のような簡易楽譜のついた歌本とEPレコードを買い始めること。それもバックナンバーを求めて過去へと遡っていくこと。
今風にいえば「ハマってしまった」ということなのでしょう。


最近とみに〝歌謡曲〟を聴きたい気分になっておりますので、片岡義男がこの本でとりあげた歌謡曲のいくつかを、その時代を反映したほかの歌謡曲、あるいは独断のマイフェヴァリット歌謡曲をまじえつつ紹介してみたいと思います。

まずは敗戦直後、昭和21年に発表され大ヒットし、いまだに終戦の解放感を象徴する歌だといわれている。並木路子の「リンゴの唄」

片岡義男はこの歌がたんに明るいだけではなく、どこかもの悲しい旋律に注目し、「リンゴ」が戦争で死んでいった子供たちを象徴している、つまり子供たちを亡くした親たちが解放感のなかにも悲しみをたたえてうたったものというふうに書いています。

サトウハチローの歌詞は70年後の今からみれば特筆すべき言葉がちりばめられているわけではないけれど、当時のひとたちにとっては声を出して歌いたくなるような歌詞であり、また曲であったのでしょう。
見方をかえれば、そんな他愛のない歌すら口ずさめない暗黒の時代が何年も続いていたということ。

この曲の大ヒットの要因のひとつとして考えられるのは、モチーフが「りんご」だったこと。
当時、りんごといえばみかんと並んでの国民的果物。
国民のほとんどが目にし、口にすることのできた果物。それが歌によって擬人化されたことによって、敗戦ニッポンのアイドルと化したのではないでしょうか。
まあ、当時の食糧事情を考えると、誰もがそう簡単に口にできたとは思えませんが、食べられないのならば、せめて歌ででも……、とかね。

それだけ国民的フルーツですので、戦後「りんご」をうたった歌はいくつも作られました。
昭和27年には「リンゴ追分」(美空ひばり)や「リンゴの花は咲いたけど」(コロムビア・ローズ)もありました。

さらに昭和30年代に入ると「リンゴ=故郷」というイメージで、「望郷」という当時の時代的雰囲気を反映して、「りんご」の歌がいくつもつくられ、ヒットしました。
そんな中から2曲を。

まずは20年代後半から30年代にかけて一世を風靡した三橋美智也の歌。
代表曲は31年に大ヒットした♪都へつみだす 真赤なリンゴ という「リンゴ村から」ですが、ここでも何回かとりあげていますので、今回はその翌年に発売された「リンゴ花咲く故郷へ」を。

もう1曲はこれも昭和30年代前半の人気歌手・藤島恒夫が歌った「お月さん今晩は」
こちらは望郷歌とは反対に、都(いまどき言わないよね)へ出て行った恋人に思いを寄せるという歌。当時はこういう歌もたくさんありました(「僕は泣いちっち」とかね)。

演歌でも、流行歌でもなく歌謡曲。まさしく歌謡曲でした。

最後にオマケで、わたしの好きな「りんご」の歌を。
昭和35年の作で、作曲は狛林正一、作詞は西沢爽。
好きな人はわかるかもしれませんが、小林旭のかの名曲「さすらい」のコンビによってつくられた純正歌謡曲です。

なんですかこのグルーヴは。歌謡曲っていいなぁ。


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●二の字二の字の…… [day by day]

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雪でした。

昨日の予報でそういっていたので、今日は出かけずに家で猫のように丸くなっているつもりでした。

とはいっても、月末。銀行などいかねばならないところもあるので。
午後から雪はやむような予報でしたが、早いうちに用事を済ませてしまおうと、午前中雪降る中を、久々のゴム長履きででかけました。

歩いて片道10分程度。往きは通りをとぼとぼと。クルマ通りも少なめとはいえ、たまに物流トラックや、デイサービスの送迎ミニバスなどが。
まだシャーベット状態とはいえ、足元はかなりおぼつかない。
そんなわけで、帰りはいささか遠回りになりますが、駅前からえんえんと続く公園を通って帰ることに。

あたりまえだけど、公園には人っ子ひとりもいないどころか、いつも見かけるハトやカラスの連中も退避中で姿なし。
それでも雪降る公園を往くのはなかなか気分がいい。
遊具やベンチも雪化粧だし、野球グラウンドも一面の白。

家に近づいたところで、いつもの通路ではなく、野球グラウンドやテニスコートと違って周囲にフェンスのない、ゲートボール場を横切って行くことに。

さすがに午前といっても10時をすぎていたので、処女雪というわけにはいかず、何人かの足跡がグラウンドを横切っていました。
なるべく前人未踏の場所を選んで歩き、やがてグラウンドを渡りきるところで、ふとわが足跡を振り返ってみたい衝動に。

今さら、とも思いましたが、別に振り返ったって石になってしまうわけでもなし、人影もないので歩みを止めてさらりと振り返ってみました。

なんのことはない雪上の足跡がはるか向こうから続いています。それは真っ直ぐではなく、微妙に蛇行しています。ブレながら死出の旅をつづける己が人生のようで。なことはどうでも。

振り返って自分の足跡を観るなんて、初めてかもしれません。まぁ、雪の日だからこそできることで。

家に帰ってからは一歩も外へでずに、このブログを書くことをはじめ、普段の仕事に忙殺されなかなかできなかったことでもして、過ごそうと考えています。

そんな「初体験」で思い出したのが「雪上の足あと」FOOTPRINTS IN THE SNOWという曲。
お察しのとおりカントリーというか、ブルーグラスです。
ビル・モンローやフラット&スクラッグスの演奏で知られています。

雪が積もると今は亡き彼女のことを思い出すという、追憶ソング。

雪の積もる日にはじめて彼女を見た
そして、雪の上のその小さな足あとに自分の足跡を重ねるように、彼女を追いかけた……

ロマンチック(死語かな)ですね。
ブルーグラスというと、ドタバタ劇(これまた死語か)のBGMにつかわれるぐらい賑やかな印象がありますが、こうした純情男の心情をうたったものがよくある。

1曲だけではもの足りないので、もうひとつ。
雪がバックグラウンドとなったブルーグラスといえば、このブログでも何度もまるで押し売りのように紹介しているエミル―・ハリスの「雪に映えるバラのように」ROSES IN THE SNOW。

 

こちらも死んでしまった恋人への追憶ソング。
もちろんエミルーがうたっているので、天国へ行ってしまったのは彼のほう。

幸福な冬のある日 ふたりで雪の上にそっと置いた燃えるようなバラの花が忘れられない というラブソング。

やはり2曲より3曲のほうが「すわり」がいいので、さらにもう1曲。
雪の歌が思い浮かばないので別の歌を。
[FOOTPRINTS IN THE SNOW]での悲劇のヒロインの名前はNellie なので、ネリーの歌を。

いくつかありますが、追憶の歌が続いたので最後は明るい歌がいいですね。

ネリーと出会ったんだ! ネリーと出会ったんだ!

と麗しの女神と出会えた喜びを爆発させているのがカントリー・ジェントルメンなどで聴ける「ダイナおばさんのキルティング・パーティ」AUNT DINAH'S QUILTING PARTY([SEEING NELLIE HOME]というタイトルでとりあげる場合もある)。

今年はじめてのブログ。
今月は無理かな(1月からかよ)って思っていましたが、雪のおかげでアップすることができました。

今年は昨年よりいくらか時間がとれそう(とる!)なので、カラオケとブログの回数をふやしたいと思っています。
読んでいただいているみなさま、遅ればせながら今年もよろしくお願いいたします。

 


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●明日は選挙だ、準備はOK? [day by day]

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どうすっかな……。
まったく今回ほど腰が重い選挙はない。

テレビや新聞の報道では、自民党大勝の予想。場合によっては単独三分の二なんて話も。
そういわれちゃうとなぁ。

わが国のトップは何を考えているんだか。
予め勝つとわかっている戦いを、あたかも雌雄を決する局面のように叫ぶスタンドプレイ。

まあダメ押しというのか、状況がわるくなる前に、アベノミクス、集団的自衛権、エネルギー政策等、すべて己が青写真を遂行できる環境を強固なものにしてしまおうという魂胆。
あとで、状況が変わっても土台はびくともしない、そんな体制をつくってしまおうというのだろう。

そんなのに付き合っていられますか?
というような風潮で、投票率の低下は目に見えている。

とくに若者の棄権率の高さが報道などでいわれている。
若者の投票率の低さはいまはじまったことではないのだけれど。

「ちゃんと食えてるし、好きなことできてるし、今がいいんだからいいじゃん」
そんな若者ばかりではないと思うけれど、周囲をみているとそうした「選挙? 関係ないっしょ」っていう若者がマジョリティのように思える。

バランスを逸した過ぎた偏りは「独裁」を生むわけで、それを許すことは、やがて将来、そのツケを払わされることになる。そのことを覚悟しておかなければならない。

最後に何か歌を。

若者たちの意識にとても悲観的なものを感じて、未来予測的に松山恵子の「だからいったじゃないの」でもとも思いましたが、いろいろな意味でこんな歌をYOU-TUBEから引っ張ってきました。

さあ、明日は何をおいても投票へ行こう。
とまあ、自分を叱咤しているわけなのです。


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●カラオケで抒情歌 [day by day]

ビルマの竪琴195602.jpg

忘れてしまわないように、抒情歌をもう一度。

子どもの頃に覚えた歌っていうのは、どれもこれもフェヴァリットソングです。

前回あげた歌以外でも、思いつくままに書きつらねると、

ふるさと
椰子の実
朧月夜
故郷の廃家
みどりのそよ風
みかんの花咲く丘
海(♪松原遠く)
花嫁人形
春の日の花と輝く
雨(♪雨がふります雨がふる)
灯台守
花(♪春のうららの)
叱られて
しゃぼん玉
旅愁
赤とんぼ
故郷を離るる歌
あの町この町
この道
カチューシャ
行商人
埴生の宿
追憶
夏の思い出
小さい秋みつけた
夕日(♪ぎんぎんぎらぎら)
おお牧場はみどり
おおブレネリ
静かな湖畔
別れ  (♪さらばさらば わが友)

キリがないのでこの辺で。
タイトルはやたら出て来るのにね。

で、こうした歌を聴いたときに懐かしい歌詞、旋律とともに甦ってくる映像があります。
いちばん多いのは、小学校、中学校の音楽の授業風景。
当時の級友の顔もあるし、先生も昔のままで浮かんでくる。
「行商人」なんか、校庭のフォークダンスの光景が。

だいたいは合唱としてうたった歌。
ソロでうたうこともなくはなくて、教室ではなくて家や外ではときどきうたってました。
憶えているのは、小学校の帰り道。

小学校1、2年は大田区に住んでいたのですが、3年になって寅さんの町・葛飾区へ引っ越しました(柴又ではなかったけど)。
とにかく驚いたのが、鉄の町からいきなり一面の田園風景。まるでテレポートした気分。堆肥の匂いには慣れるまで少し時間がかかったけれど、風景は新鮮で楽しかった。白鷺が飛んでたり、青大将が飛び出したり。かえる、どじょう、雷魚、ザリガニなんかうじゃうじゃ。おおげさじゃなくて近くの川で泳いでたヤツもいた。昭和30年代の東京の話。

で、小学校の話。普通の通学路もあったけど、下校のときなど田んぼのあぜ道を通って帰るのが好きでした。いい気分でね。友だちと遊ぶ予定がないときはたいがいひとりで帰るわけで、そんなときよく歌をうたってました。
その頃はすでに歌謡曲にも目覚めていましたが、よく口をついて出たのが抒情歌。
前回とりあげた「故郷の空」とか「椰子の実」とか「我は海の子」とか。
今考えるともはや味わうことのできない素晴らしい時空間でした。とりわけ春とか秋とか気候のよい時期はまさに至福の時だった(ような気がします)。

特定の友だちを思い出す歌っていうのもある。
たとえば「みかんの花咲く丘」は、小学校時代、病気がちであまり学校に来なかった女の子。とくに好きだったということはなかったけれど、なぜかこの歌を聴くと、上品でおとなしかったその子のことが思い出される。まあ、そんなことも。

想い出ばなしはこのへんにして、今回も抒情歌を4曲。

抒情歌を聴くなら、××児童合唱団や、安田・由紀姉妹、あるいは鮫島有美子、倍賞千恵子の美声が定番です。が、今回は健さんのことがまだ尾をひいていますので、古えの映画人がうたったものや、映画のなかでうたわれたものを。

まずは「月の砂漠」
うたうのは、これも懐かしい森繁久彌。
この人は独特の「森繁ぶし」で多くの抒情歌をレコーディングしています。
いちばん好きなのは「水師営の会見」なんだけど、これは抒情歌というより軍歌に近いからやめときました。

つぎは「埴生の宿」
市川崑監督が2度にわたって映画化した「ビルマの竪琴」のなかでつかわれていました。
YOU-TUBEはいささか長いので、「水島、一緒に日本へ帰ろう」のクライマックスで流れる「埴生の宿」だけを聴きたい人は、8分45秒あたりからどうぞ。

3曲目は「仰げば尊し」
アメグリカン・グラフィティにさきがけて全編童謡・唱歌で彩られた名作映画といえば木下恵介監督の「二十四の瞳」。
これも何度か?リメイクされていますが、やはり高峰秀子の大石先生に尽きます。
「仰げば尊し」はYOU-TUBE「埴生の宿」の中でも聞けましたが、何度聴いてもいいでしょう。

さいごは、能書きなしで、これまた懐かしき役者・小沢昭一の熱唱を(ハモニカもいいよ)。

とにかく、忘れないためにも、老化防止(なるかな)のためにも、たまには童謡・抒情歌をうたったり、聴いたりしたいと思うのですが。

聴く分にはどこかにあるだろう音源を引っ張り出してデッキに放り込めばよいのですが、うたうとなると……。
部屋の中でひとりでうたうっていうのも、寒々しいものがありますし。
かといって、カラオケで演歌やムード歌謡が交錯するなか、「次、春の日の花と輝く」なんて言えないものなあ。「引き潮」間違いなしだものね。
♪春の日の花と輝く……
ん、今度やってみっか。


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●抒情歌でてこい [day by day]

人生劇場・飛車角と吉良常196802.jpg


先日用事があって電車で郊外へ向かっていたときのこと。

降りたことのない駅に電車が止まり、ドアが開き、降りる人も乗る人もないまま、数分でドアが閉まり……。とその直前に、発車を知らせるチャイムが。

その聞き覚えのあるメロディーに思わず耳をそばだてた。
唱歌の「牧場の朝」。

電車が動き出すと、わたしは脳内カラオケで「牧場の朝」をうたい始めた。
♪ただいちめんに たちこめた まきばのあさの きりのうみ
 ぽぷらなみいきいに うっすらと…………

あれっ。そのあとが出てこない。メロディーはわかっているのに歌詞が出てこない。いくら考えても何一つ出てこないのだ。

それから3つめの目的の駅で降りた。
目的の場所までは徒歩で15分程度。その間、ひたすら好きな唱歌をうたいまくった。
もちろん人通りがあるので、脳内カラオケでだが。

♪われは海の子 白波の ………… 松原に 煙たなびく とまやこそ わがなつかしき 住処なれ

白波のあとが出てこない。とりあえず飛ばして、「住処なれ」と1番を歌い終えてダ・カーポ。しかし2度目も、「白波の」まででフリーズ。これはおかしい、へんだ。

♪狭霧消ゆる湊江の 舟に白き朝の霜 ただ水鳥の声はして いまださめぬ …………

なんだっけ、最後のフレーズ。だめだ出てこない。
それからさらに何曲かうたってみたが、完璧にうたえた歌はたったの1曲だけだった。
老化とはいえ、たいへんなことになってしまった。

もちろん用事をすませて、家へ帰り、抜け落ちた歌詞を調べてみた。
「牧場の朝」の続きは 
♪ポプラ並木の(「に」ではなかった)うっすりと(「うっすら」ではなかった) 黒い底から勇ましく 鐘が鳴る鳴る カンカンと

「我は海の子」の欠落した歌詞は「さわぐ磯辺の」だった。

そして「冬景色」一番のさいごは「岸の家」。それだけではなく、「舟に白き」ではなく「舟に白し」だったし、「いまださめぬ」ではなく「さめず」だった。嗚呼。

どんなに親しんだものでも使わなくなれば消えてしまうということだろう。唱歌もたまには聴いたり歌ったりしなければ忘れてしまうということだ。

高倉健さんの訃報を聞いたのはその翌日だった。

その日行われていた日米野球もサッカー国際試合もすっとんでしまった。

それから数日間、テレビではほとんどのチャンネルでエピソードと独自の映像で健さんを偲んでいた。
同じ映像、同じナレーションを何度もリピートしている。それでも飽きもせず画面に見入ってしまう。健さんが動き、健さんが喋ればなんでもいいのだ。何度でもいいのだ。
しばらく前から流れていた健さんのCMも相変わらずやっている。
そのたびに、手を休めて画面をみつめてしまう。

80歳を超える齢であれば、もはや大往生という言葉もあながち間違いではないのだろうが、健さんに関しては、ビートたけしが言っていたように「死ぬことが信じられない」という思い。
不死身ではあるまいし、いつまで生きれば納得できるのかといわれると返事に困るが、とにかく高倉健の死は信じられないのだ。死ぬはずがないのだ。勝手だけど。

追悼とか偲んでということではなく、これからしばらく健さんの映画を観ようと思う。いまでも時々渥美清を観るように。
「網走番外地」、「残侠伝」、「侠客伝」、「飢餓海峡」はもちろん、好きな「駅 ステーション」、「居酒屋兆治」、「ホタル」……、まだ見ていない小百合さんとの「動乱」とか「海へ」とか「四十七人の刺客」とか。

そう考えるとなんだか楽しみになってくる。さすがだな、死んでもなおわれわれを楽しませてくれるのだから。

さいごに、健さんにかかわる歌を何か。
「唐獅子牡丹」や「網走番外地」、「男の裏町」などのもち歌もいいけど、健さんが好きだった歌がいいな。

といってもプライベートをあまりあからさまにしない健さんなので愛唱歌、愛聴歌についてはよくわからない。
よくいわれるのが、カントリーでも歌われている「ミスター・ボージャングルズ」
いい歌だよね。歌詞がちょっと映画「ショーシャンクの空に」を連想させるような。
なんでも、高倉健のドキュメンタリーで健さんの好きな歌ということで、何かのシーンのバックに流れていたとか。

また、健さんに関するある本に、中国へ行ったときに「夜霧のブルース」に出てくる四馬路(すまろ)へ行ってみたい、というようなことが書いてあった。
ということは、かなり「夜霧のブルース」が好きで口ずさんでいたであろうことは想像できる。この歌は健さん血気盛んな16歳のとき、ディック・ミネによって歌われた。
ディック・ミネは戦前戦後にかけてその「男くささ」で日本男児を魅了した歌手だった。もしかすると健さんもファンだったのかもしれない。

ほかでは、いま流れているCMのBGMにつかわれている井上陽水の「少年時代」も健さんの好きな歌だとか。

いずれにせよ、きっと、たくさんの映画を観ていたのと同じようにたくさんの歌を聴いていたのだろう。

ただ、わたしがふと知りたいなと思ったのは、健さんが幼いころに口ずさんでいたであろう童謡や唱歌、つまり抒情歌。
人並みにマザコンであった健さんのことだから、きっと好きなお母さんからいろいろ歌を教えてもらっていたのではないでしょうか。

また、終戦直後、旧制から新制に切り替わった高校時代、戦前とはちがって遠慮することなく音楽の時間に内外の溢れんばかりの抒情歌を習い、かつ歌ったのではないでしょうか。

では健さんがどんな抒情歌を好み、口ずさんでいたのか、それを教えてくれる本や雑誌を目にしたことがないので、特定することはむずかしい。

ただひとつ、もしかしたら、と思える映画のワンシーンを思い出した。

「ホタル」という特攻隊で生き残った男が空に散った親友の妻と一緒になるという話で、そのなかで、健さんがその親友が好きだったという歌をハーモニカで吹くシーンがあった。
それがスコットランド民謡の「故郷の空」。

どうやら吹き替えではなく、健さん本人が吹いていたようだ。

ある本に、ハーモニカを吹くシーンにあたってプロのレッスンを受けるように監督かプロデューサーから健さんに話があったようだが、健さんは「この主人公はきっと習ったのではなく独学で習得したのでしょうから」と言ってひとりで練習したというようなことが書いてあった。

ということは、おそらく選曲は戦前からある曲で、健さんが吹きやすい、つまりよく耳になじんだ曲ということで、自ら提案したのではないか。短時間で習得するにはそうした愛唱歌がいちばんいいのだから。

まあ、そんな勝手な想像で「故郷の空」を選曲してみました。
少年時代の健さんが、どんな状況でどんな顔してこの「故郷の空」をうたっていたのか、想像してみると、なんとなく嬉しくなってくる。

実は、冒頭で書いた脳内カラオケで唯一歌い切れた曲がこの「故郷の空」でした。


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その名は●小百合 [the name]

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「さゆり」といえば、100人中100人が「吉永小百合」を思い浮かべるのでは。
いや、最近はアイドルや政治家にもさゆりさんがいるようなので、97人くらいかもしれない。いや、もっと少ないかな。
いずれにしても、過半数以上圧倒的に「吉永小百合」であることは間違いない。

ちなみに、「小百合」という名前は、吉永小百合がブロマイドの売り上げランキング1位になった昭和30年代後半あたりから、増えつづけていったといわれている。ほんとだろうか。そういえばわたしの子どもの頃、同級生に「さゆり」ちゃんはいなかったし、大きくなっても、同年代のさゆりちゃんに会ったことがないし、それまでの女優や歌手の「さゆり」さんも知らない。

その吉永小百合といえば、いま彼女主演の映画「不思議な岬の物語」が封切られている。
モントリオール映画祭で2部門で受賞したり、小百合さんの初プロデュース作品ということでも話題になっている。

わたしはサユリストではないけれど、すばらしい女優ですね。
「キューポラのある町」から、「青い山脈」、「愛と死をみつめて」、「男はつらいよ 柴又慕情」などなど銀幕の小百合さんを観てまいりました。
ただ、「愛と死……」以前の作品は、封切りで観たわけではなく、のちに名画座で。しょうがないよね、年齢不足だったのだから。

それでも、その「愛と死……」や渡哲也と共演した「愛と死の記録」や「白鳥」あたりまではいわゆる“青春もの”のイメージが強く、寅さん映画に出てきたときは、あまりにも「お姉さん」になっていていささか違和感を覚えた記憶が。

あの山田洋次特有の観ていて恥ずかしくなるような演出はちょっと気の毒だったけど。
それでもアンアン三人娘の陽気なシーンと、小説家の父親(宮口精二が柴錬みたいでよかった)との折り合いの悪さ、というコントラストがさすが山田洋次。
小百合さんは、そうした普通の女性を上手に演じていました。
「キューポラのある町」や「青い山脈」で見せた、潔癖で気の強い、生硬な少女は成長をとげ、すっかり大人になっていました。

そうした大人の小百合さんも魅力的だけれど、わたしにとっての吉永小百合は、やっぱりときには激しい感情をあらわにし、ときには鋭い眼光で不正を糾弾する、そんな少女なのです。

そんなわけで、彼女の主演・プロデュース映画が成功することを願いつつ、歌い手としても「レコード大賞受賞歌手」である彼女の、若かりし頃の歌を三曲。

●キューポラのある町

「キューポラのある町」は童話作家・早船ちよの原作を映画化したもので、昭和37年の公開。浦山桐郎の初監督作品でもあった。
監督には主人公の少女・ジュンにこだわりがあり、吉永小百合のイメージではなかったとか。
また、彼女は撮影前に盲腸炎の手術をし、退院翌日にクランクインで、いきなり土手の上を走るシーンがあり、OKが出るまで何度も走ったというようなエピソードが浦山桐郎の評伝に書いてあったのを思い出しました。
そんなこともあって、会社の意向で仕方なく売出し中の人気女優を起用した浦山桐郎だったが、撮影がすすむうちに吉永・ジュンにのめりこんでいったようだ。それほど17歳の少女は女優として魅力的だったのだろう。

作品はこの年のキネ旬2位。ブルーリボンでは作品賞、新人監督賞とともに、彼女は17歳という若さで主演女優賞を受賞。大器の片鱗を印象付けた。

わたしが観たのは残念ながら昭和も40年代に入ってから。しかしこんな主題歌などスクリーンから聴こえてこなかったけど。
それもそのはず、じつはこのレコード「キューポラのある町」は映画「続・キューポラのある町」の主題歌なのである。
公開は第一作から3年後の昭和40年。

作詞作曲は「いつでも夢を」の佐伯孝夫・吉田正。ビクターの黄金コンビである。
歌詞の「あなたたち」が流行歌の詞としては新鮮で、なぜか耳に残ります。

●光る海

「キューポラのある町」の翌年、つまり昭和38年の主演映画の主題歌。
原作は戦前から、とりわけ昭和20年代、30年代の青春小説の神様・石坂洋次郎。
「乳母車」、「陽のあたる坂道」、から「若い川の流れ」、「あじさいの歌」、「あいつと私」、「青い山脈」など日活はたいへん世話になっている。

吉永小百合も「青い山脈」をはじめ、「寒い朝」、「草を刈る娘」、「赤い蕾と白い花」、「若い人」、「雨の中に消えて」、そして「光る海」と何本もの石坂映画で主演をつとめている。

ちなみに小百合さん、「キューポラのある町」から「光る海」までの1年間に15本の映画に出演している。すべて主演ではないけれど、これはスゴイ。また日活がいかに吉永小百合に期待していたかがわかる。
レコードは翌39年の1月にリリースされたもの。

やはり吉田―佐伯コンビで。
いかにも当時の青春歌謡といった感じ。小百合さんの若い声を聴いているだけでジンときます。この歌、ファンにはけっこう人気のようです。

●若い歌声

最後はデュエットで。
デュエットといえば橋幸夫。
いまさらですが、「いつでも夢を」のレコード大賞コンビ。

「いつでも夢を」はいい歌です。
佐伯孝夫の菩提寺には墓碑にその歌詞が刻まれているとか。
個人的には「再会」のほうが好きだけど、歌詞の中に『監獄の壁』が出てきちゃまずいものね、モニュメントとしては。

そんな「いつでも夢を」もいいけれど、吉永―橋のデュオではほかにもいい曲があります。
♪下町も山の手も…… の「若い東京の空の下」もいいけど今回は「若い歌声」を。

これは38年11月というから、光る海の前にリリースされた歌。
やはり吉田―佐伯コンビ。しょうがないよね、この時期のビクターの主戦コンビですから。

ただ、これは映画ではなく、TBSのテレビドラマ「いつでも歌を」の主題歌。
どことなく「いつでも夢を」に似ているのは、柳の下を狙った制作側の意向があったのでしょうか。
間奏に入るセリフもなつかしい。
当時はこういうパターンがけっこうありました。
橋幸夫のナレーションでは、思わず「えっ、子連れ狼?」なんて立ち上がったり、……ウソですけど。

小百合さん、若いころから歌もそこそこ上手ですよね。なによりも声がいいし。
だいたい、日活の女優陣というのは松原智恵子さんにしても、芦川いづみさんにしてもあまり上手じゃない。そんななかでは浅丘ルリ子さんと双璧でしょうね、レコード化に耐えうる“歌う女優”ということで。

そんな小百合さんですが、なんだか引退の声が漏れ聞こえております。ほんとかな。
でも来年大台の○歳でしょ。とてもそうは見えないけど。どうみても50代前半(いいすぎかな?)だものね。

それにしても、女優さんの身の引き際は難しい。原節子のように40代になったばかりで引退するスターもいるし。芦川いづみや叶順子(大映)などは30歳そこそこで銀幕から去ってしまったし、反対に岡田茉利子や若尾文子、有馬稲子らは○歳を超えてもなお、女優業現役に執着している。役者魂っていうのか女優魂っていうのか。

彼女たちの考え方、生き方それぞれということなのでしょうが、齢を重ねたなりの役があるのでしょうが、正直、小百合さんにはプロデューサー業に専念していただきたい、という勝手な思いがあります。


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三つの歌●演歌・女篇 [day by day]

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やっぱりダメだったか。

逸ノ城の新入幕優勝ならず。
「大相撲を嘗めんなよ」
と相撲の神さんがいっているようで。

それにしても、さすが白鵬。
インタビューの端々に「ちょっと待ってくれよ、どれだけの超新星か知らないけど、オレと対等な扱いは失礼じゃないか。まだまだ……」というような自信がのぞいておりました。

しかし、逸ノ城がとてつもない素質を秘めた力士であることに異を唱える相撲ファンはいないでしょう。
あの強面が、相撲に勝って花道を下がるときに付き人に対してみせる笑顔が、なんとも純で好青年。
できることなら、あのまま髷を結わずにザンバラをトレードマークにしてもらいたい。無理だけど。

とにかくどれだけ早く横綱になれるか楽しみ。

では本題に。

今回は前回に続いて演歌。今度は女性歌手で。

3曲というか、3人を選ぶのがひとくろう。
年功序列でいけば、大月みやこだとか二宮ゆき子だとか三沢はるみもいますが、フェヴァリットで選べば、八代亜紀、ちあきなおみ、そして都はるみの3人でしょうか。
“四つの歌”ということなら藤圭子を加えたいのですが、いずれまたということで。

まずは都はるみ。
ヒット曲の多いこと。あたりまえだけど。
でも、石川さゆりもそうだけど、ベテランになるにつれて、人生だとか、文芸作品風だとか“大袈裟”な歌が多くなるのがカナシイ。やっぱり男と女の恋物語でいいんじゃないでしょうか、流行歌は。

ですから、はるみ節もサブちゃん同様初期の歌がいい。
「レモン月夜の散歩道」なんていいなぁ、と思ったのですが、YOU-TUBEで探したら全部シロウトさんのカヴァー。
たしかに上手な人もいるけど、やっぱりカンベンしてもらいたいんすョ。

それで“第二希望”の「さよなら列車」
昭和20年代後半から30年代にかけての歌謡曲黄金時代を髣髴とさせる昭和41年のヒット曲。

そうそう、あの頃は日本各地を列車が走り回っておりました。
当時列車といえば煙モクモクの蒸気機関車のこと。ディーゼルもあったけど、そんじゃ絵にならない。

岡本敦郎の「高原列車は行く」、春日八郎の「赤いランプの終列車」、そして三橋美智也の「哀愁列車」と恋に、別れに似合うんだな列車が、また。

作曲は師匠の市川昭介。
作詞はゴジラ映画の脚本家でもあった関沢新一。
関沢さんは元祖「鉄ちゃん」で、後年は鉄道カメラマンとして、また蒸気機関車の専門誌の編集長として異彩を放っていたとか。
作詞家としてヒット曲も多く、いくつかあげてみますと「ダイナマイトが150トン」、「皆の衆」、「柔」、「学園広場」「泣いてたまるか」など(歌手省略)。
都はるみではほかに、「涙の連絡船」や「アラ見てたのね」が。

2人目はちあきなおみ。

もう完全引退なのでしょうね。
ナオミ・キャンベルじゃなくてなおみカムバックは、もはやナオミの夢のようで。

わけのわからないことを言ってないで、歌を。
「黄昏のビギン」や「夕笛」なんかのカヴァーも捨てがたいのですが、やっぱりオリジナルで。
ちあきなおみ=演歌でいいのでしょうが、なんとなくポップスの香りがしますね。
昭和44年のデビュー曲「雨に濡れた慕情」はそうでもないけど、そのあとの「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」なんかそういう感じ。

で、選んだのは「喝采」でレコード大賞を獲った翌年、昭和48にリリースした「夜間飛行」。作詞・吉田旺、作曲・中村泰士の「喝采コンビ」。
中村泰士の曲って「心のこり」(細川たかし)もそうだけど、どこかバタくさい。元ロカビリアンだからでしょうか。
この歌もサビのあたりからそんな感じです。
夜の飛行機で恋人とから遠ざかっていくという設定も当時としては新鮮でした。

さいごは八代亜紀。

この人もヒット曲数多あるけれど、ピカイチといえばやっぱり「舟唄」。定番だね。

♪お酒はぬるめの燗がいい 肴はあぶった烏賊がいい
これ一番。
♪店には飾りがないがいい 窓から港が見えりゃいい
これが二番。

「飾りがないがいい」って日本語ではない。
飾りがない方がいい、とか、飾りがないのがいいっていう意味で、旋律に合わせるのならば「飾りがなくていい」でしょうが、流行歌に文法は必要ない。

作詞の阿久悠はわざと「の」を省いて「ひっかかり」をつくっているのですね。
これは阿久悠独自のテクニックではなく、流行歌詞ではしばしばつかわれる手法。
たとえば昭和13年に世に出た曲で、戦後村田英雄にカヴァーされた「人生劇場」(作詞・佐藤惣之助)でも、
♪やると思えば どこまでやるさ
と「どこまでも」の「も」を省略している。
でも、流通してしまえばコッチのもの。誰もが「どこまでやるさ」と口ずさむのだから。

流行歌ってそういうラフなところがいいんですよね。

そうです、舟唄でした。

もうこの名曲についてあれこれいう必要はないでしょうが、ひとつだけつけ加えておくならば、この歌をさらに名曲たらしめたのが、映画「駅 ステーション」(監督・降旗康男、脚本・倉本聰、出演・高倉健、倍賞千恵子ほか)だったということ。

残念ながらYOU-TUBEは、かのシーンではありませんでしたが、大晦日の夜、倍賞千恵子の営む一杯飲み屋で高倉健の胸に背中を預けながら、二人だけでテレビの紅白を見るというシーン。
テレビではまさに八代亜紀が「舟唄」をうたいはじめるところ。

名シーンでしたね。日本映画史上に残るラブシーンでしたね。
さくらさん、じゃなくて倍賞さん、健さんが刑事だって知らないんだよね。
ラストがまた切ないんだ。未見の人のためにいわないけど。

最後にふたたび大相撲の話。
栃ノ心もやりました。15戦全勝の十両優勝は把瑠都以来だそうです。来場所は幕内復帰なるのかな。

あとは今場所気力体力とも最低だった服部に頑張ってもらって、今場所2ケタ勝利で、来場所初の三役入りが期待される長身・勢とともにまずは大関を獲ってほしい。

勢は相撲甚句の名人のようで、先日テレビ東京の歌番組に出て、懇意にしている山本譲二の「みちのくひとり旅」と琴風の「まわり道」をうたってました。
琴風ほどじゃなかったけど、上手でしたね。
でも、歌のうまいお相撲さんて、せいぜい大関どまりなんだよなぁ。増位山にしろ琴風にしろ。
服部くん、くれぐれもレコーディングなんてしないでね。


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三つの歌●演歌 [day by day]

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洋楽ばかりを聴いていると、無性に邦楽が恋しくなるんだなあ。

で、久しぶりに邦楽をと考えましたが、さてどういう歌を。

金木犀が匂い、曼珠沙華や朝鮮朝顔がチラホラの秋です。ならば秋にふさわしい歌でもと考えましたが、なぜか演歌を。

というのは、最近時間をみつけては、CDをパソコンに取り込んでいるのですが、こないだその作業をしつつ聴いたのが北島三郎の2枚組ベスト。
大御所になってしまったサブちゃんの歌は、いまいちピンときませんが、初期の「なみだ船」や「兄弟仁義」、「帰ろかな」、そして「函館の女」をはじめとする「女シリーズ」。
改めて聴くといいですねえ。まぁ、「風雪流れ旅」まででしょうか。

映画にたとえると黒澤明のようなもので、「七人の侍」、「用心棒」、「野良犬」、「天国と地獄」などは素晴らしかった。しかしそれも「どですかでん」までで、あとの作品はちょっと……。というのと似ている。

というわけで、今回は演歌を3曲。

といいつつ、実は演歌はさほど好きではない。でも「演歌」と聴いただけで顔をしかめる洋楽あるいはJポップ一辺倒の音楽好きほど、嫌いでもない。

そもそも演歌とは昭和でいえば40年代前半に定義されたいわば流行歌では“新参者”。歌手でいったら都はるみや藤圭子あたりから。
だから、彼女たちよりデビューの早かった北島三郎は当初、演歌歌手とは呼ばれていなかった。流行歌手、あるいはたんに歌手っていってたかな。

だからよく某NHKの司会者や民放懐メロ番組のMCが「演歌は日本人の心のふるさと」などといっておりますが、あれはウソくさい。
ではどんな歌が日本人の心のふるさとになりうるのか……。
若年層がどうかという懸念はありますが、やっぱり「赤とんぼ」や「ふるさと」、「我は海の子」、「仰げば尊し」、「故郷の空」に代表される唱歌じゃないんでしょうか。
「故郷の空」なんてスコットランド民謡だもの。
そんなアチラの歌まで望郷歌にしてしまう、この日本人の懐の深さというか雑さ加減。

そろそろ本題に。

まずはやっぱり、とっかかりのサブちゃんこと北島三郎御大の歌を。
はじめにも言ったように好きなのは初期の歌。
いろいろありますが、ベストは「喧嘩辰」

昭和39年といいますから東京オリンピックの年にリリースされた1曲。
「兄弟仁義」や「帰ろかな」が40年ですから。それより早いヒット曲(ではなかった)。

東映映画「車夫遊侠伝 喧嘩辰」の主題歌で、主演は内田良平、相手役は桜町弘子。監督がまた「遊侠一匹」の加藤泰ときて、サブちゃんも脇役で出演、していたらしい。ということはつまり見ていないのです。

じっさいこの歌、さほどのヒット曲ではなく、私が知ったのはその5年後。
かの「男はつらいよ」第一作の中で。
こんな名シーンとともに忘れられない歌となりました。

誰が選曲したのでしょうか。山田洋次監督か、寅さんか、はたまたほかのブレーンか。個人的には渥美清が、と思いたいのですが。

渥美清につきましては、とりあげたい歌もありますのでいずれまた。

2曲目は堀内孝雄の「カラスの女房」

アリスが好きだったわけでも、演歌に転向した堀内孝雄のファンというわけでもありませんが、なぜかたそがれているこの歌はたまに聴きたくなります。

カラスの女房ってどんな意味なのか、いまいち不明ですが、「女房」っていうのがいかにも演歌っぽい。戦前には「うちの女房には髭がある」なんて歌もありましたが、「女房きどり」、「時代屋の女房」、「恋女房」、「あねさん女房」と演歌御用達のキイワード。
Jポップじゃまずつかわれないものね。

荒木とよひさの意味不明の歌詞もいいけど、堀内孝雄の曲もいい、それに川村栄二のアレンジもなかなか。
ちなみにこのアレンジャー、堀内孝雄のほかに、チョー・ヨンピル、キム・ヨンジャ、ケイ・ウンスク、前川清、門倉有希などの演歌歌手の曲をてがけていますが、中村雅俊の「心の色」や加藤登紀子の「百万本のバラ」もそう。

この歌は競作で、中澤裕子盤も負けず劣らずいいですね。というか、ほとんどの女性演歌歌手にピッタリ合いそうな歌です。

最後は琴風の「まわり道」

この歌をカラオケで熱唱するオヤジは結構いる。
わたしも、カラオケではたまに演歌をうたいたくなりますが、この曲は恥ずかしくてダメ。
またヘタクソにその気になってうたわれるのも閉口。

やっぱり本家か、うたの上手な演歌歌手のカヴァーで聴きたい。
いまでいえば誰でしょうか、最近の歌手はあまり知らないのですが、女性歌手では無理だし、森進一や五木ひろし、あるいは前川清でもないし、氷川きよしでは絶対ないし、冠二郎とか新沼謙治あたりかな、聴いてみたいのは。ちょっと目線を下げまして……。

でもやっぱり本家を超えるカヴァーはなさそう。
この歌の魅力は、琴風の見事な歌唱と天才・三木たかしのメロディーですからね。
なかにし礼の詞はちょっと時代がかって恥ずかしい。
この2人の合作といえば、黛ジュンの「夕月」が思い浮かびます。

そう、琴風といえば、いま大相撲がスゴイ。
人気を盛り返しています。わたしも毎日のようにチラチラと見ております。

新星・服部、新大関・豪栄道の話題もありますが、今場所の主役はなんといっても超新星、新入幕で1横綱2大関を破り、100年ぶり?の新入幕優勝も見えてきた逸ノ城。

とにかく強い。
十両時代にテレビで見て、その大きさと強さにびっくりしましたが、これほど早くヒーローになるとは。
双葉山の現役時代は知りませんが、吉葉山―鏡里の時代からの「相撲ウォッチャー」(ホントかよ)としては、大鵬に匹敵するほどの強さだと感じています。

問題はあの巨体。好きだった把瑠都もそうでしたが、巨漢はしばしばヒザを傷める。
大昔でいえば大起とか大内山とか(知らないよね)。

それさえなければ来年中には横綱、というほどの勢いであり、実力であります。
明日(もう今日です)の白鵬戦は、今年一番の“大一番”でしょう。風前の灯だった相撲協会だけに、ここぞとばかりに盛り上げますね。いいことです。

それ以外でも、40歳で勝ち越した旭天鵬、大怪我で長期休養を余儀なくされながら今場所連続十両優勝を果たした栃ノ心、同じく1年以上の休養から先場所序の口、今場所序二段と、連続優勝した濱口という2人のカムバックストーリなど、話題にことかかない今場所です。
とりわけ小結までいきながら幕下まで転落した栃ノ心は、先場所逸ノ城に勝って十両優勝している。 

ただ、逸ノ城も栃ノ心も外国人力士。
もはや3横綱すべてモンゴル人でインターナショナル化した大相撲で、それはそれで仕方がないけど、正直いえば「いでよ! 純日本人!」の思いも。

まわり道でもいいからさ、誰か日本人横綱になってよってば。


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三つの歌●アメリカン・オールドタイミー② [day by day]

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まったく、これが夏かと思うほど日照の少ない八月が終わろうとしています。
とうとう「夏の歌」はやりそこないましたが、生きていればまた来年があります。

いま面白いのはロシアでやっている柔道の世界選手権。
日本は男女ともに2つずつの金メダルを獲って好調だが、ニューカマーとして印象的だったのが銀メダルを獲ったふたり。

女子70キロ級のヌンライ華連と男子100キロ超級の七戸龍の2選手。
とりわけ七戸選手は、現時点での絶対王者で世界選手権5連覇中のリネール(フランス)に指導ポイントで惜敗。後半、大内刈りで王者を横転させたがポイントにはならず(「効果」のあった時代なら勝っていた)、そのままタイムアップ。
予選からほとんど短時間で相手を一蹴していたリネールとフルタイム戦っただけでもスゴイ。
ともにハーフというヌンライ華蓮、七戸龍のふたりは23歳ということでも共通している。今後が楽しみ。
なにかと負のイメージの多かった柔道だけに、明るい材料です。

スポネタはこのへんにしまして、本題に。
柔道の歌でもいいけど、「柔」(美空ひばり)、「柔道一代」(村田英雄)、「姿三四郎」(姿のり子)、「柔道一直線」(桜木健一)ではちょっと……。そうなると……。
何もないときは好きなカントリー、アメリカンミュージックになっちゃいます。

以前やったアメリカの古い音楽の第二弾ということで。
まずはこの歌。

「うかつな愛」Careless Love

ほんとに多くのシンガーに歌われているオールアメリカンの愛唱歌。もちろんどんなジャンルでも。
たとえばジャズならビリー・ホリデーやダイナ・ワシントン。ポップスならローズマリー・クルーニーやヘレン・メリル、コーラスならミルズ・ブラザース。カントリーならエディ・アーノルド、ブルーグラスならビル・モンローなど。ブルーズならベッシー・スミスやジャニス・ジョプリンがいるし、もちろんピート・シーガーやジョーン・バエズらフォーキーたちも。

歌詞は様々ですが、タイトルからもわかるように失恋歌。去って行った元恋人を怨み、己を罵り、「なんて日だ!」と小峠のように嘆いている(そんなことはないけど)。

この歌がつくられたのは1920年代はじめ。
ブルーズマンのW・C・ハンディによってつくられた。ハンディは「セントルイス・ブルース」の作者としても知られている。
純然たるオリジナルというわけではなく、アパラチア地方の古謡をベースにつくったとか。
ということはマウンテンミュージックと同じルーツなので、ほかにも似たような歌があるかもしれない。

つくられた当初は「ケアレス・ラヴ」ではなく「ラヴレス・ラヴ」という題名でレコーディングされている。
YOU-TUBEは、作者ハンディとサッチモの「ラヴレス・ラヴ」で。
なお、この「ラヴレス・ラヴ」、戦前、まだアメリカ音楽が“敵性音楽”ではなかった昭和10年(1935)、「ミルク色だよ」というタイトルで中野忠晴とコロムビア・リズムボーイズがレコーディングしている。(おそらくミルズ・ブラザーズを手本としたのでしょう)

中野忠晴、いい歌手でした。戦後は三橋美智也や松島詩子のヒット曲を手掛ける作曲家として活躍するが、戦前はジャズソングのみごとなクルーナーでした。
もっと評価されていい歌手です。
では、2曲目を。

「古い十字架」Old Rugged Cross
オールド・ラグド・クロスは1912年伝道師であり、教会の歌唱指導者だったジョージ・ベナードによってつくられたゴスペル。
愛する家族が眠る古くいかつい十字架。跪くたびに苦しみと後悔を覚える十字架。
やがていつか、わたしが彼らのもとへ行くときまで、この十字架を慈しみつづけていくだろう。
そんなゴスペルは、1950年代に入って多くのカントリーシンガーにうたわれることになります。カントリーばかりでなく、ジャズやブルーズシンガーにも愛され、セントルイス・ブルースやセントジェームズ病院のブルースのように葬送曲としてデキシースタイルで演奏されることも。
そうしたジョージ・ルイスに代表されるデキシーのインストもいいけれど、ヴォーカル入りもなかなかのもの。

アラン・ジャクソンは現代のカントリーミュージックシーンを代表するひとりで、ジョージア出身の56才。1988年に本格的にデビューしている。
幼いころ両親の影響でゴスペルを聴いていただけあって、このての歌はお手のもの。いい声ですね。イケ面だし。

最後はこの曲。
「非情な海」Deep Blue Sea

イギリスのトラディショナルソングを、モダンフォーク全盛の60年代はじめにウィーバーズやオデッタがレコーディングしたもの。
ピート・シーガーも単独でレコーディングしている。わたしが初めて聴いたのもピート盤。

いわゆる「海の歌」SEA SONG のひとつで、その多くは航海に出た恋人の船乗りとの悲しい別れをうたったもの。
また、そうしたセイラーズストーリーは、しばしば遭難という悲劇をともなうことがある。

この歌でも恋人の船乗り・ウィリーは荒れ狂う波にのまれてしまう。
そんな恋人を銀のショベルで穴を掘り、金の鎖とともに埋葬してあげよう、とうたっている。そうすれば、輝く太陽の下、きっと彼は帰ってくると。

これも好きな歌ですが「藍色の海に出た船乗り」Sailor on the deep blue sea も似たようなテーマです。

例によって単純なメロディーと歌詞。
若いころ覚えた歌ですが、40年以上経ったいまでも、何かの折に突然口をついて出てくることがあります。
こういうのが愛唱歌なのでしょうね。というよりメロディーも詞も単純だからでしょう。

ところで最初の「ケアレス・ラヴ」の話ですが、なんとなく聞き覚えのあるメロディーではなかったでしょうか。
カントリーではよく耳にするメロディーラインがつかわれています。

日本でも似た歌があります。
似ている曲

編曲もカントリーっぽく、コード進行などはほとんど同じですね。
まあ、“狭い音符の世界”ですからこの程度の類似では“盗作”にはあたらないのでしょうが。

柔道世界選手権の最終日は団体戦。
日本の結果は……、ニュースには目をつぶり、耳をふさいで深夜のテレビ放送をみるぞ。

 

 


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●ラテンミュージック 後編 [noisy life]

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トリオ・ロス・パンチョスの出身国・メキシコ。
近くはないけど、遠くもないという微妙な国のような気がします。

観光的にも、マチュピチュとかガラパゴス、イースター島のような世界的観光スポットがありませんし。近年話題になっているのはカンクンビーチくらいでしょうか。

日本との付き合いは明治の半ばには通商条約が結ばれているというから、中南米では古い。
日本が本格的に“鎖国解除”した第二次世界大戦後になると、文化・スポーツの交流が活発になっていきますが、ロス・パンチョスの存在がジワジワ浸透していったのが、20年代後半。30年代に入って、ラテンブームが起きたことは前回述べましたが、個人的にはスポーツでのメキシカンの活躍が印象に残っています。

昭和30年代の花形スポーツといえば、相撲、野球、ボクシング。これが三大(プロ)スポーツ。それに新興のプロレスを加えて“スポーツ四天王”。

相撲は当時まだ“鎖国状態”だったので、メキシカンが“日本上陸”したのはプロレス、ボクシング、野球。

なかでも、もっともはやく来襲を受けたのがプロレス。
記憶ではジェス・オルテガとエンリキ・トーレスがいた。実態はチカーノだったのですが、“メキシコ出身”と称されていた。
オルテガは力技の肥満レスラー、トーレスは筋肉質の技巧派とスタイルは異なるものの、二人とも顔つきはあきらかにシャープ兄弟のような白人ではなくラテン系でした。力道山がいたころの話。

“本物”のメキシカンが来日するのは昭和40年代後半から50年代にかけてで、覆面レスラー、ミル・マスカラスが華麗なるメキシコプロレス(ルチャリブレ)のブームを起こしました。わたしの知り合いは覆面の販売で大儲け(いや小儲けぐらいかな)してました。

ボクシングではなんといってもバンタム級のジョー・メデル。
昭和36年に初来日して、日本の強豪をことごとく粉砕し、とりわけ日本のエース、関光徳とファイティング原田をロープに追い込まれながらカウンターでKOしたことから“ロープ際の魔術師”の異名をとった。
それでも、同時代にエデル・ジョフレというブラジルのいまだに語り継がれるスーパーチャンピオンがいたため、世界の頂点には届かなかった。
ただ、日本での人気はジョフレ以上で、「あしたのジョー」の外国選手のモデルにもなっていたのではないでしょうか。

メキシコはボクシング王国で、カント、サルディバル、オリバレス、チャベス、サラテ……と世界チャンプのなかのチャンプが何人もいました。

野球もボクシング、サッカーほどではないが、アメリカが近いのでにプロがある。
3Aクラスということで、日本では話題にもならない。メジャーへ行った最高の出世頭はドジャーズで剛腕をふるったフェルナンド・バレンズエラでしょうか。
彼もメキシカンリーグ出身。野茂がメジャーデビューするひと昔前のこと。

日本では知名度の薄いメキシカンリーグですが、昭和40年代(記憶も薄い)だったと思いますが、シーズンオフに来日して日本の単独チーム(たいがいは巨人)や混成チームと10数戦たたかったことがありました。

当時、野球のシーズンオフというとほぼ2年に1度の割合で、メジャー球団が来日し、本場のプレイ(当然ケガをしないよう7、8割の力で)を見せてくれていた。なので、その年は「えーっ、メキシカンリーグかよ」ってガッカリした記憶があります。
資料がないので不確かですが、それでも日本軍はトントンか、負け越しという印象があるのですが。約半世紀前のレベルじゃしょうがないか。

まぁ、昭和30年代、日本とメキシコはそこそこスポーツでの交流があったという話を、薄れゆく髪ではなくて記憶を、脳内古ガレージから引っ張り出して記してみました。

それでは、前回の続きで、トリオ・ロス・パンチョスの面々から“教えてもらった”ラテンの名曲を3つ。

●ベサメ・ムーチョ
日本ではトリオ・ロス・パンチョスのうたったこの歌でラテンブームが始まった。
ときは昭和28年のこと。西暦でいえば1953年。

ところがこの歌はメキシコの女性ソングライター、コンスエロ・ベラスケスが1941年に発表したもので、その数年後にはアメリカでもヒットしている。
それどころか、日本でもロス・パンチョスに火がつく3年前の昭和25年に黒木曜子がレコーディングしている。
ビッグヒットとはならなかったが、そこそこラジオでは流されていたようで、憶測するならば、黒木曜子の先鞭があったからこそ、ロス・パンチョスの大ヒットが生まれたのかもしれない。もしかしてだけど、もしかしてだけど。

もはや知られていることではありますが、「ベサメ・ムーチョ」は「もっとキスして」という意味で「あなたを失うのがこわい だからもっと抱きしめて、キスして」とそれはもう情熱的。

YOU-TUBEでいろいろ探してみましたが、なかなかベストなものが。
以前、ダニー・アイエロがヒップホッパーとコラボしたものをこのブログで使用しましたが、あれは結構気に入っていました。
今回探していて、同じ俳優でジーナ・ロロブリジータ版があったのには驚いた。現在はおそらく80才に近いと思われますが、動画は60代のころの姿。
歌がうまくて、音がよければ使いたかったのですが残念ながら……。
で、やはり音重視ということで、プエルトリカンのホセ・フェリシアーノに。

●キエン・セラ
これぞトリオ・ロス・パンチョスのヒットによって、世界的に広まった名曲。
1953年にメキシコの作曲家パブロ・ベルトラン・ルイスによってつくられました。

その数年後にはアメリカで「スウェイ」というタイトルでディーン・マーティンやローズマリー・クルーニーがヒットさせ、ラテンのスタンダードとして定着していくように。
最近(でもないかな)ではマイケル・ブーブレがカヴァーしたり、映画のアメリカ版「シャル・ウィ・ダンス」でつかわれたり。

日本でも愛唱されている曲で、アイ・ジョージ、坂本スミ子はもとより、水原弘、ザ・ピーナッツ、渡辺マリ、小林旭などがうたっています。小野リサのアルバムにも。

YOU-TUBEは「フレンチ・ラティーノ」というユニットのチャチャチャで。
編曲がGOOD。

●ある恋の物語
これもワールドワイドなラテンの名曲。
1955年というから昭和は30年、♪あ~かく咲くはな あおいいはあな~ と「この世の花」で島倉千代子がデビューした年。
その年、パナマのカルロス・アルマランがつくり(権利を買っただけで、作者は別という説もあるそうだ)、それがのちにメキシコに渡り、ロス・パンチョスの歌唱によって大ヒットとなったという名曲。

内容は愛する恋人を亡くした男の嘆き節。
あなたは私の生きがいだった、あなたを愛することだけがわたしの生きている証だった。
それなのになぜ神はこれほどわたしを苦しめるのか……

至極の愛をうたったラヴソングとして、日本ばかりでなく世界的にも愛聴愛唱されている歌。

YOU-TUBEはザーズというこちらもフランスのシンガー。
まぁ、フランスもラテン系ですからね。
それにしても素晴らしいですね。歌唱も表現力も。それに加えてアコースティックのギターとベースのみの演奏がクール。YOU-TUBEめぐりをしているとときどきこうしたスゴイ動画にゆきあたることがあります。

「昔は良かった」をやたら連発するのはどうかという気もしますが、昭和30年代はほんとにラテン音楽が輝いていた。いえ、輝いていたのはラテンばかりではなく、シャンソンだって、カントリーだって、ハワイアンだって眩いばかりの光彩を放っていましたが。

そのひとつの光景をNHK紅白歌合戦でみることができます。

「ある恋の物語」が誕生してから4年後の1959年、昭和でいえば34年。その年の大晦日に行われた紅白歌合戦で中原美紗緒が「ある恋の物語」をうたっています。
さらに藤沢嵐子が「ベサメ・ムーチョ」を、宝とも子、有明ユリ、藤崎世津子の3人娘が「シェリト・リンド」を、というように、この選曲をみても、この年いかにラテン音楽が巷に流れていたかを物語っています。

さらに翌35年の紅白でもなんと、紅組の有明ユリ、沢たまき、小割まさ江、高美アリサの4人が、ふたたび「ある恋の物語」をうたっています。
もうひとつ付け加えれば、この年、アイ・ジョージが「ラ・マラゲーニア」で紅白初出場。

まぁ、あの頃のようにはいきませんが、ラテンのエッセンスはいまの音楽にも受け継がれているようでして、現代の流行歌やポップシーンにときどき登場しますよね。

えー、思いつくところでいうと、……「黒猫のタンゴ」に、……「くすりルンバ」に、「だんご三兄弟」に……、ってこれじゃちょっと淋しいか。

トリオ・ロス・パンチョスということになれば、どうしても「おまけ」をやらねばなりません。メンバーのチューチョ・ナバロがつくったオリジナル。もしかして日本人(昔のですけど)がいちばん好きなトリオ・ロス・パンチョスの曲ではないかという一曲を最後に。


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