おかしな男 [books]
余談ですが、この小林信彦氏の本ではじめて知ったのですが、「私が棄てた女」のキャスティングをはじめ、浦山監督は、棄てる男に小林旭、捨てられる女に都はるみを考えていたとか。
わたしもつれも笑いました。とにかく笑いました。映画であれほど大笑いしたのはそれ以前に観たゼロ・モステル主演の「ローマで起こった奇妙な出来事」以来。というか、この2本だけ。
ファーストマドンナの光本幸子がまた粋で、おいちゃんの森川信が昭和のコメディアンの片鱗を如何なく見せてくれて。
やっぱり、後の俳優さんには申し訳ありませんが、「おいちゃん」が変わってしまってからでしょうか。それほど森川信の存在は大きかった。
言うまでもなく作曲は山本直純。
クラシック畑の作曲家ですが、映画音楽、流行歌、CMソングも少なくない。たとえば赤木圭一郎の「風は海から吹いてくる」、三浦洸一の「青年の樹」、クレージーキャッツの「学生節」、小沢昭一の「ハモニカ・ブルース」(小沢と共作)。CMならボニージャックスがうたった「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」とか。
古くは「夜が笑ってる」から「出世街道」、「三百六十五歩のマーチ」、「自動車ショー歌」、「みだれ髪」、「純愛のブルース」、「風雪流れ旅」まで数え上げたらきりがないほど。
なぜ職工たちがうたっていたのかはわかりませんが、「すいかの名産地」はアメリカ民謡に日本語詞をつけたものです。
とはいえ、はたして令和の若者たちにあの「おかしな男」の人情噺が通用するのだろうか。
青い山脈 [books]
これはもちろん小林信彦氏のせいでもなんでもなく、リストアップされた映画のタイトルをみると映像は浮かんでくるのですが、その音楽がほとんど聞こえてこないのです。
そうです、石坂洋次郎原作の「青い山脈」です。
たしかに戦後の新しい風が、旧き因習を吹き飛ばしていくという、昭和24年という時代をバックグラウンドとした映画ではありましたが、この映画が、のちの映画やテレビの「学園もの」のひとつのスタイルになるという普遍性も持ちえた映画であったことも間違いないのではないでしょうか。
とその変り身の速さ。でもそれは西條八十だけではなく、多くの文化人、さらにいえばほとんどの国民がそうだったし、またそうでなければ生きていけなかったのだから仕方がないことなのかも。
♪かがやく峰の なつかしさ
♪旅路の果ての その果ての
♪みどりの谷へ 旅をゆく
♪みれば涙が またにじむ
という心情だったのではないでしょうか。
西條八十の詞が先にできていて、それを念頭に当時の満員電車の中で短時間のうちにつくったそうです。
パルプフィクション Pulp Fiction [books]
でもあの暴力シーンに辟易。でも、かの作品の一般的評価は良く、おのれの映画センスを疑うことに。でも、もう一度観ようとは思わなかったし、今でも残り少ない時間を費やそうとは思いません。
50代はもちろん、60代だろうが、70代だろうが、80代だろうが、もしかしたら100歳を超えても人間のからだを操作してしまうのですから。耳からブギウギが飛び込んでくると、自然とからだが小刻みに揺れ始める。その高揚感を抑えることも、隠すこともできはしない。まさに露見老……。
スティング The Sting [books]
やっぱりポール・ニューマンが良かった。「暴力脱獄」のあの“ガッツ”や、野心に燃えるかのハスラーが年を経て、シブ味のきいた粋な大人になったんだ、などと思わせてくれました。
多分サポーターや高校野球の応援団、ファンは、元の曲など知らないで歌い、演奏しているのでしょうね。でも、いつ誰がこの曲を応援歌にしょうと目をつけたのでしょうか。いずれにしろ歌や楽曲が生き残っていくということでは、意味のあるこのなのでしょう。
俺たちに明日はない Bonnie and Clyde [books]
続いての「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」からのスクリーンミュージックは1967年公開の「俺たちに明日はない」Bonnie and Clyde 。」
太陽がいっぱい Plein Soleil [books]
ロミー・シュナイダー、ナタリー・ドロン、この映画で共演したマリー・ラフォレらと浮名を流したわけですから。そういえば何度も来日して、日本人の女優だかタレントともウワサになっておりました。
女はそれを我慢できないThe Girl Can't Help It [books]
1956年のアメリカ映画。
ジェーンの方が断然グラマラスだと思いますが、顔立ちはやっぱりモンローの方が好きですね。好みの問題ではありますが。
●意味がなければスイングはない②歌謡曲 [books]
村上春樹がジャズはもとより、クラシック、ロック、ポップスといったいわゆる洋楽に造詣が深いことはよくわかりました。
もっとも洋楽といっても日本流のジャンル分けでいうところのラテン、シャンソン、カンツォーネ等、ひとまとめにすればワールドミュージックについてはどうなんだろう、という思いはありますが。
それよりももっと関心があるのは、では日本の歌についてはどういう聴き方をしてきたのか、またしているのかということでしょうか。
著書「意味がなければスイングはない」の中で唯一チャプターにその名を連ねているのが、スガシカオ。
演歌はもちろん、歌謡曲のイメージも皆無の小説家は、Jポップにはいささか理解があるのかなと思いきや、あにはからんや。
その章「スガシカオの柔らかなカオス」の中で、Jポップについて「……あまり聴かない」、「……中身は〝リズムのある歌謡曲〟じゃないか」、「その手の折衷的な音楽がどうにも個人的に好きになれない」と散々な言いよう。
つまり、村上春樹のなかには「歌謡曲」という概念はあるようで、そのどうしようもないスタイルの音楽の延長線上にあるから、Jポップも唾棄すべき音楽(そこまで言っていない)なのだと。
ただ毛嫌い、食わず嫌いではなく、ときどきMTVやタワーレコードでJポップのチェックをしているんですよ、と弁明している。そしてたまに購入してもすぐに飽きて中古店へ売り払ってしまうなんて、ヒドイ話も。
そんななかで例外なのがスガシカオ。
スガシカオを聴くきっかけは、能動的なものではなく、予想どおりレコード会社から送られてきた「Clover」の試聴盤を手にしたことだそうです。
そしてその印象は「悪くないじゃん」。
とりわけ「月とナイフ」と「黄金の月」がお気に入りだとか。(はじめて聴きましたが、いずれもまったく違和感なしでまさに〝ムラカミ好み〟というイメージ)
それから、スガシカオが〝お気に入り〟になるのですが、その曲については、その音をきけば誰の作品かがわかるという「固有性」があるという。
残念ながらスガシカオを意識的に聴いたことがないので、理解できないのですが、音楽にかぎらず〝作品〟にとって固有性が大きな意味を持つという意見には賛同できます。
またその詞については、いくつかの作品をとりあげて、さすが作家だけあって頁をさいて饒舌に賛辞を送っています。
印象的な言葉のいくつかを並べてみると、
「流麗な歌詞ではない」、「リスナー・フレンドリーな種類の歌詞ではない」(この言葉はほかの章でもしばしばつかっている)、「微妙なごつごつさや、エラの張り具合」、「詩的というよりは、どちらかというと散文的なイメージ」。
また「独特の生理感覚とあっけらかんとした観念性が……柔らかなカオスのようなものを生み出す」(要約)、といい、それを「カタストロフ憧憬」、あるいは半ば冗談のように「ポスト・オウム」などと書いています。
引用されてる歌詞を読んだ後、村上春樹の解説を読むと読解力の乏しいわたしでも「なるほどなあ」と感心してしまう。たしかに引用されたスガシカオの詞は、音なしでそれだけを読んでも独特のイメージが伝わってきます。
しかし、数多あるJポップのの中にスガシカオと同レベルのミュージシャンがほかにいないのだろうか。断定的なことはいえませんが、たまたま村上兄の眼にとまらないだけで、いわゆる「ムラカミ好み」の日本人ミュージシャンほかにもいるような気がするのですが。
Jポップも詳しくはありませんが、メジャーでいえば山崎まさよしとか。
そのJポップ以下と思えるのが歌謡曲。
幼いころ、童謡・唱歌を聴いたり聴かされたはずですし、耳を塞がないかぎり歌謡曲だって聞こえてきただろうし。
「意味がなければスイングはない」の中に歌謡曲について具体的にふれたところが2か所ありました。いずれもシガスカオの章ですが。
ひとつは美空ひばりについて。
美空ひばりは歌謡曲・演歌嫌いが例外として引き合いに出す歌手です。
「でも、ひばりはいいよな、別格だよ……」なんて。
ところが村上兄はちがう。
彼が聴いたのはわたしが好きな「ひばりの渡り鳥だよ」や好きじゃない「川の流れのように」ではなく、ジャズ。
美空ひばりは何枚かジャズのアルバムを出しています。
村上春樹はもちろん意識的にひばりを聴いたわけではなく、シンガーが誰か明かされずに聴かされたそうです。
そしてその感想は「なかなか腰の据わったうまい歌手だな」と思ったものの、ときおり耳に刺さってくる「隠れこぶし」に辟易してしまう。
正直ホッとしました、予想どおりで。村上春樹が美空ひばりを絶賛なんかした日にゃ……。
もうひとつはかのグループサウンズ。村上春樹の世代であれば、まさにドンピシャ。
その感想は「こんなの、表面的なファッションが変わっただけで、中身はリズムのある歌謡曲じゃねえか」ということに。
まったくそのとおりです。
村上兄にとっては今聴こえてくるJポップも、むかし聴こえていたGSも本質的にはさほど違いがないようです。
ただJポップのスガシカオ的な存在がGSにもいました。
「タイガースだとか、テンプターズだとか……ほとんど興味が持てなかった。……ただしその中で、スパイダースというバンドだけは悪くないと思った」
やっぱりですね。当時はGSをバカにする洋楽ファンが少なくありませんでした。そんな彼らが例外扱いするのが、メジャーではゴールデンカップスとか、スパイダースとかモップスとか。ですからスパイダースが〝ムラカミ好み〟なのは想像がつきます。
しかし、スパイダースといっても「全部ではない……」と書いています。
スパイダースのどの曲に感応したのか、具体的な曲名は書いていませんが気になります。
おそらくハマクラメロディーではないでしょう。
思い当たるのはビートルーズが滲んでいる「ノーノー・ボーイ」とか、どこかビーチボーイズが聴こえてきそうな「サマー・ガール」ぐらいでしょうか。
ふたつとも作曲はかまやつヒロシ。
ここまでくると、では和製フォークはどうなのか、ニューミュージックはどうなのか。具体的にいえば固有性で際立っている吉田拓郎や、多くの楽曲で従来の歌謡曲を否定している松任谷由実はどうなのかとても気になります。
さらにいえば日本でも特筆すべきポップス&ロックということで、桑田圭佑や矢沢永吉、あるいはミスター・チルドレンとかB'zはどのように聴こえているのか。
あるいはワールドワイドな歌謡曲といっていい「上を向いて歩こう」の評価はどうなのか。
これらも含め、唾棄すべき(おそらく)昭和30年代、40年代の歌謡曲はもちろん、彼が幼いころに聴いたであろう童謡・唱歌、テレビドラマの主題歌、アニメソング、CMソング等々、和風かつ多湿の「日本のうた」についてさらに訊いてみたい気がするのですが。
●意味がなければスイングはない①アメリカン・フォークソング 後編 [books]
世界陸上見てます。
サニブラウンはいいですねえ。
彼をみていると、むかし印刷会社で同僚だったまっちゃんを思い出します。
まっちゃんも黒人とのハーフで、中学時代は都大会で優勝するほどのスプリンターでしたが、ケガでリタイア。云十年前のこの季節、一緒に海へ行ったことなど、いまだに印象に残る男です。
サニブラウンは今夜準決勝だそうですが、〝大人相手〟なのでいささかキビシイでしょうが、何年かのちには彼らをしのぐスプリンターになっているんじゃないでしょうか。
メダルが期待できるのはやはり今日決勝が行われるやり投げの新井。どうでもいいけど。いえ銅でもいいですけど、できれば金、は無理でも銀を。
では本題に。
1950年代から60年代にかけてのモダンフォーク・ムーヴメントで欠かせないシンガーソングライターがいます。
第一人者といってもいいのではないでしょうか。
そうです、ボブ・ディランです(個人的にはピート・シーガーですが)。
「ノルウェイの森」のなかで、高校時代フォークバンドをやっていた書店の娘・緑のレパートリーのなかに「風に吹かれて」や「時代は変わる」あるいは「ライク・ア・ローリング・ストーン」はありません。
「くよくよするなよ」もディランとしてではなく、P.P.M.として聴こえてきます。
いったい、村上春樹がボブ・ディランに対してどういう思いでいたのか、気になります。
とはいえストーリーのなかにボブ・ディランが出てこないのでは、もはや「ノルウェイの森」から離れなければなりません。
村上春樹には音楽に関する著作がいくつかあります。
その一冊に雑誌の連載を2005年にまとめた「意味がなければスイングはない」という本があります。
これは彼のフェヴァリットミュージックをとりあげた(多分)本で、村上春樹の音楽的嗜好がある程度わかる貴重なエッセイといえます。
余談ですがジャズファンであればほくそ笑むような本のタイトルですが、〝ひっくり返す〟あたりがいかにもという感じです。
それはともかく、そのなかにたとえば「ミスター・タンブリンマン」や「フォーエヴァー・ヤング」あるいは「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」などは出てきません。
つまりボブ・ディランの曲はセレクトされていないのです。
「なんだ、まったく無視かよ」というと、そうではない。
ボブ・ディランについてふれたところがいくつかありました。
ひとつはブルース・スプリングスティーンについて書かれた部分。
名盤「リバー」のなかの1曲「ハングリー・ハート」をとりあげ、アメリカの下層社会に生きる人々の閉塞感、飢餓感を訴えるこの歌について、「……ロックンロール・ミュージックが、これほどストーリー性のある深い内容の歌詞を与えられたことが、その歴史の中で一度でもあっただろうか」と絶賛しています。
「あっただろうか」という半疑問を提示した直後、反論者を予想してかカッコつきで、
(ボブ・ディラン? 彼の音楽は最初からロックンロール・ミュージックとはいえないはずだし、ある時点でアクチュアルなロック音楽であることさえギブアップしなくてはならなかった、という事実を認識していただきたい。良くも悪くも)。
と続けられている。
こういう書き方は少なくとも好意的なミュージシャンに対してはしない。
つまり、『ディラン? んなもんスプリングスティーンと一緒にするなよ』
というふうに聞こえます。
ということは通俗的にいえば、村上春樹はボブ・ディランが好きではないのだということが推測できます。
もうひとつ、村上春樹のボブ・ディランに対する思いが感じ取れるところが、終章でとりあげた「ウディ・ガスリー」のところ。
ウディ・ガスリーは1930年代から40年代にかけて活躍し、ピート・シーガーをはじめ60年代の多くのフォーキー、とりわけプロテストソングをうたうシンガーやグループに大きな影響を与えた「教祖的」なフォークシンガー。
影響を受けたのはフォークシンガーばかりではなく、前述のブルース・スプリングスティーンもそのひとりで、以前ブログでもふれましたが、「トム・ジョードの亡霊」というガスリーへの賛歌を発表している。
このことは村上春樹の「意味がなければスイングはない」にも書かれていますが、トム・ジョードとはスタインベックの小説「怒りの葡萄」の主人公のことで、ガスリーは映画化された「怒りの葡萄」を見て「トム・ジョード」という歌をつくっています。
そこで村上兄はスプリングスティーンのガスリーへのオマージュを彼が「リベラル・ポピュリズム的な色彩を濃くしてきた」と肯定的に書いています。
そこでまた、その反面的要素としてディランを登場させます。
ディランもガスリーの影響を受けたミュージシャンであることにふれたあと、
「彼は結局途中でその政治的メッセージ性を希薄化し、具体的にいえばエレクトリック化することによって、より包括的なロックミュージックへと音楽の舵をとることになった。……」
と当時物議をかもしたディランの〝転向〟問題について(今は)一定の理解を示しつつ、当時は『「変節」とみる向きも多かった』と書いている。その文面からは村上兄もディランを非難した側ではなかったのかと推察されます。
そして、
「また、事実プロテスト・ソングという音楽の流れは、ディランの離脱によって―つまりその強力なシンボルを失うことによって―多かれ少なかれその命脈を絶たれてしまった」と糾弾に近い表現で、ディランの〝罪の重さ〟を綴っています。
ここまで読むともはや「そうか、やっぱり村上春樹はボブ・ディランが好きじゃないんだ」
ということがわかります。その嫌悪はよほど根深いのか、こうしたディランへの〝鞭打ち〟はもういちど出てきます。
ボブ・ディランよりはピート・シーガーに、ビートルズよりはストーンズに(これは余計ですが)、より〝忠誠〟を示してきたわたしとしましては、村上兄の気持ちもわからないではありませんが。
もちろんボブ・ディランのフェヴァリットソングはいくつもあります。
でも「風に吹かれて」はジョーン・バエズだし、「くよくよするなよ」はP.P.M.だし、「ミスター・タンブリンマン」はバーズだし……。
でもディランでなければという歌もたくさんあります。
「ライク・ア・ローリングストーン」とか「コーヒーをもう一杯」とか「天国の扉」とか。
それはともかく、だいぶ長くなってしまったので、そろそろ終止符を。
この本については、たとえば冒頭のジャズピアニスト、シダー・ウォルトンのこととか、まだとりあげたいことはありますが、いちばん印象に残ったのはやはりウディ・ガスリー。
なぜ村上春樹はウディ・ガスリーをとりあげたのか。
村上兄はその著書のなかでそのきっかけについて、新しい「評伝」を読んだことと、イギリスのシンガー、ビリー・ブラッグがガスリーの詩に新たに曲をつけたというCDを聴いたことをあげています。(わざわざ読んだり、聴いたりするというのは興味があったからだと思うのですが)
そのCDのことは、村上春樹が好きな歌に本業の訳詞で挑んだ「村上ソングズ」でもとりあげられています。この本はビートルズの「ノーホェア・マン」の訳詞は管理者から許可がおりなかったとか、めずらしくカントリーのグレン・キャンベルの曲がとりあげられていたりとか、なかなか興味深いのでいつかこのブログでも……と思いつつ、多分やらないだろうなぁという気分でいまはいます。
そしてもうひとつ、ブルース・スプリングスティーンからの影響をあげています。
わたしにはこれがいちばん大きいように感じられました。
ではなぜスプリングスティーンなのか、ということになりますが、そこまで掘り下げると彼のお気に入りの作家・レイモンド・カーヴァーのことも含め延々と駄文が続くことになってしまいます。ここはアメリカンフォークがテーマなので、いつか機会があれば(またですが)ということで。
で、「意味がなければスイングはない」のウディ・ガスリーでは、当時アメリカで出版された評伝を〝参考書〟に、神格化されすぎたフォークシンガーを、家庭を顧みない「社会的失格者」とか女好きとかその実像も紹介しいます。
といっても、ディランに対するような厳しい視点ではなく、全体的にはガスリーの功績や影響力に対して、シンパシーかつ好意的な内容となっています。
ガスリーファンとしては、村上兄のガスリー像を知ることができたこととともに、その温かい視線にホッとしております。
では、ガスリーの曲をひとつ。
もっとも知られている曲はガスリーを知らない音楽ファンでも聴いたことのあるだろう「わが祖国」でしょうが、代表曲といってもいい、村上兄の本でも紹介されている「砂嵐のブルース」Dust Bowl Blues を。
そして村上春樹には嫌われてしまったようですが、60年代を歌い、その影響力をその後の音楽シーンに残した功績はゆるがないボブ・ディランの曲もひとつ。
時代が変われば、人間の考え方だって変るんだよ。というディランの〝弁明〟を代弁する意味で、変節(失礼)する前の映像とともに「時代は変わる」The Times They Are a Changin' を。
●ノルウェイの森②アメリカン・フォークソング 前篇 [books]
1964年から65年にかけて、日本に巨大な洋楽台風がやってきました。
それも三つも。
それがエレキインストゥルメンタル、ビートルズ、フォークリヴァイヴァルの三つ。
いずれも大ブームとなり、その後の日本の音楽に大きな影響を残しました。
順番はどうだったかというと、アメリカではフォークブームのきかけといわれるキングストン・トリオの「トム・ドゥーリ―」が1958年、ベンチャーズの「急がば回れ」が1960年、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」が1962年ということになります。
日本ではどうだったのでしょか。
当時、トランジスタラジオを耳にあてて聴いていたわたしの印象では、僅差でフォーク、ビートルズ、ベンチャーズ(実際はアストロノウツが嚆矢ですが)の順番。
ただ、あれから半世紀を経た現在では、〝ほぼ同時〟ということで。
おそらくほぼ同年代の村上春樹兄も、こうした洋楽を聴いていたのだと思います。
ベンチャーズというか、日本では社会問題までに波及したエレキのインストについては、わたしの読んだ本の中ではふれられていなかったようです。
フォークソングについては、ビートルズほどではありませんが、わずかながら出てきます。
まあ、村上春樹のテリトリーはジャズ、クラシック、ポップスが主流なのでフォークソングの〝軽視〟は仕方のないことかも。まるで出てこないカントリーよりはましです。
そのフォークソングがはじめに出てくるのは、デビュー作の「風の歌を聴け」で、40章あるこの本の1頁にも満たない短いチャプターの中に。
その章は物語も終盤にさしかかり、書き手でもある「僕」がストーリーからはなれてひと息つくというコーヒーブレイク的な描写で、〈当時誰もがそうだったように、自分もクールに生きたいと思い、思っていることの半分も話さないようにした〉、というような話が書かれています。
その最後に、眠気を蹴飛ばしながらといいつつ以下のように書いています。
『……今、僕の後ろではあの時代遅れなピーター・ポール&マリーが唄っている。
「もう何も考えるな。終わったことじゃないか。」』
ごぞんじのようにこのPPMの歌は「くよくよするな」。
ボブ・ディランがつくった歌で、「天使のハンマー」や「500マイル」に比べると日本では人気上位ベスト10に入るかどうかというほどの歌。
個人的にはとても好きな歌で、ボブ・ディランより先にPPMで聴きました。
ようやく「ノルウェイの森」に。
主人公の僕(ワタナベトオルといいます)が、本命の彼女から、療養生活(精神の)にはいるからしばらく会えないという手紙を受け取ったあと、学園紛争一過のキャンパスで女の子から声をかけられます。彼女は主人公のことを、〈クールでタフなハンフリー・ボガードみたいなしゃべり方〉だといいます。
クールに振る舞うことがすっかい板についたようです。それはともかく。
彼女は書店の娘で、はじめて彼女の家に行ったとき、土産に持って行った水仙の花をみて、「七つの水仙」を口ずさみ、高校時代フォークグループで歌っていたことを話します。
「七つの水仙」は、日本ではキングストン・トリオ以上に人気を博したブラザーズ・フォアのヒット曲。彼らの日本での最初で最大のヒットは「グリーン・フィールズ」でした。
そして、なぜか近所に火事が発生しますが、二人は物干しでそれを見物します。それから彼女はギターを持ち出してフォークソングをいくつか歌いはじめます。
「レモン・ツリー」
「パフ」
「五〇〇マイル」
「花はどこへ行った」
「漕げよマイケル」
PPMのヒットパレードですね。「天使のハンマー」が抜けていますが。
わたしが高校へ入った時もオリエンテーリングで、軽音楽部がPPMのナンバーを披露してくれました。ギター、ウッドベース、女性ヴォーカルの変則的PPMでしたが。
女性ヴォーカルはマリー・トラバースとはうって変ってのショートカットでしたが、歌とともにその印象がいまも残っています。顔は忘れてしまいましたが。
とにかくまだ半分中坊だったので、「高校ってスゲェ…」と感嘆することしきりでした。
で、小説「ノルウェイの森」は暗い辛い話です。
当時この本を読んで、そののち村上春樹を読まなくなってしまったのはそのためです。
とにかく、自殺者が多い。当時はそういう言葉はまだ使われていませんでしたが、「病んでいる」人間が多く出てくるのです。
当然のごとく、自ら命を絶つ理由は明確に書かれていません。しかし、彼らが死を選ぶことに対して、読者はなぜか納得してしまうのです。
小説の中では〝生き残って〟いましたが、ビートルズをギターで弾き語りした元ピアニストの中年女性や高校時代フォークバンドにいた二番目の彼女、あるいは恋人を自死させた主人公が尊敬?する先輩、彼らいずれもが物語が終わって、いずれ自殺するのではないか、つまり主人公以外はすべて「誰もいなくなった」ということになるのではないかとすら思ったほどでした。
「ノルウェイの森」を20数年ぶりに再読しましたが、やっぱりその暗い、病んでいるという印象はかわりませんでした。
ただ、最初に読んだ時ほど引っかからなかったのは二度目ということもありますが、登場人物たちが、現代の、とりわけ若者たちに重なる印象があるからです。
以前は他所の世界の話だったのが、再読してみるとやたらリアリティが増している。
これはいまとなっては「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」のキャラクターたちにも感じられることです。
ということは、著者は30年も昔から、こうした現代を予見していたことになるわけで、そう考えると、村上文学の存在感が改めて浮かび上がってきます。
「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」と「ノルウェイの森」を比較すると、作家の変化・変遷が感じられます。全体に醸し出されているドライ感というかクール感が「ノルウェイの森」では薄くなっているような気がします。
それならばその後に書かれたいくつかの作品でも変化があるはずなので、もう一度村上春樹作品を何か読んでみようかなという思いにもなりました。読みたい本がほかにもあるので、果たして実行できるかどうか。
最後に好きなPPMをもう1曲。
ベストはジョン・デンバーが作った「悲しみのジェット・プレイン」なのですが、このブログで何度も聴いてきましたので、村上春樹流に知る人ぞ知る(マイナーだけどちょっとだけメジャー)という「ア・ソーリン」を。
イギリスのトラッドでクリスマスソング。題名は「魂(ソウル)」だとか。
日本でもオフコースやチューインガムがカヴァーしていました。
次回は「ノルウェイの森」からは離れますが、村上春樹をもう一度。さらにアメリカンフォークソングをもう一度聴いてみたいとおもいます。