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三つの歌●アメリカン・オールド・タイミー① [day by day]

霞ヶ関駅枯葉3.jpg

すっかり冬ですね。
今日は用事のついでに、新橋から霞ヶ関方面をブラブラ。
3年ほど前までは、毎月5、6回は通った道なのですが、わずかのあいだに様相がガラッと。というのはいささか大袈裟ですが、大きなビルが2つも変貌をとげていたり、たまに入ったビールのおいしい喫茶店が消えていたりと、大都会も刻々とその“相貌”を変えていることを実感しました。黄色に染まった銀杏並木は相変わらずでしたが。

では本題に。復帰してずっと邦楽が続きましたので、たまには洋楽も聴いてみたい。

洋楽といいましても、いささか広うございますが、この季節ですから……カントリーミュージックということに。春夏秋冬カントリーってね。

今回は、仕事が一段落ということもありまして、ホッとできるヤツを。
どんなのがホッできるのかといいますと、やっぱり昔の音楽というのか、古い歌がなんともノスタルジーを感じるわけでして。

で、思いつくまま選んだ三曲はカントリーといよりは、古い時代のアメリカンミュージック。もちろんカントリーシンガーにも頻繁にうたわれているものです。
では。

青い鳥が鳴いていた I Heard the Bluebirds Sing

はじめはラヴソングを。
君に初めて逢ったときも、教会で永遠の愛を誓い合ったときも、青い鳥のさえずりが聞こえていたね、という幸せソング。
どんなさえずりかって? そりゃ「クッククック」でしょう。

つくられたのは1952年といいますから、昭和でいえば27年、わたしも幽かに存在していた時代。そんなことはどうでも。
もともとデュエットソングとして作られ、その5年後には「谷間に三つの鐘が鳴る」でしられるブラウンズによって世に広められました。

まぁ、アメリカでのデュエットソングの定番。日本でいえば「ギンコイ」とか「トウナイ」(そんな略し方しません。東京ナイトクラブのことです)とかかな。

YOU-TUBEではジョン&ベバリーという知らないお二人さん。
なかなかいい雰囲気でして、ベバリーさんは倍賞の千恵子さんに似てらっしゃる。ジョンさんのほうは、リー・マービンかな、いやマルチェロ・マストロヤンニ……でもないし、クラーク・ケントが老けたような……。とにかくいつかどこかで見かけたような容貌でして。
いいなあ、ツインギターでのハーモニー。

マギー、若き日の歌を When You and I were Young, Maggie

つぎはもう少し古い歌。日本でいえばほぼ明治維新のころ。アメリカではゴールドラッシュ大狂乱時代あたりじゃないでしょうか。

若くして病死した妻への追慕のおもいをうたったもので、これもとてもノスタルジックで。
古き良き時代のアメリカの映像のBGMにつかわれることも多いようです。
また、聖者の行進が葬儀につかわれるように、デキシーランドジャズ風に演奏されてもこれまたぴったりきます。

YOU-TUBEでいろいろ探しましたが、音が悪かったり、いささかクラシックぽかったりと適当なものがなく、結局動画なしの音だけとなりました。
演奏も歌声もなかなか素朴でよいと思うのですが。ヘッドフォンで聴きいっていると胸にジーンときます。

やがていつの日か In the Sweet By and By

最後も以前とりあげた歌。もうネタ切れだね。
でも好きな歌なので、何度でも。

「たとえ別れがあろうとも、いつか天国の美しい水辺でまた逢えるでしょう」という内容で、讃美歌あるいはゴスペルとしてよくうたわれる歌です。

メロディーが美しくかつノスタルジックで、今回のコンセプトにはドンピシャ。
みつけたYOU-TUBEはこれまたまったく知らないバンド。
でもA Southern Gospel Revival というバンド名はいいですねえ。

録音もいいし、素朴な感じで、それでいてノリもいいし、キレもいいし。アメリカには無名でもいい雰囲気のバンドがたくさんあります。

今年も数えるところあと……、という時期になりました。
忘年会、掃除、賀状、定期健診などなど、やらねばならぬことはあまたありますが、最悪、年が明けてからでも、なんて。

ブログはあと1回やっておこうと思っていますが、できなかった場合のために、みなさま今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

 


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●12月2日 [day by day]

黄色いさくらんぼ.jpg 

母親が死んで丸2年たちました。

昨日は3回忌、入谷の寺へでかけました。
母は10数年前、父が死んだ直後から物忘れの頻度がたかくなり、脳血管障害から認知症に移行し、長い徘徊からやがて寝たきりになり、どうにか食事、排泄の世話も日常化でき、看護士さんから教わった床擦れの手当てもようやく慣れてきた頃、「もうおまえをゆるしてあげるよ」といわんばかりに亡くなったのでした。

死んだ当初は、介護のことなど思い出したくもなく、冗談半分に「この先、介護されるのはいいけど、もう誰かの介護は二度とごめんだ」などといっていましたが、2年経ってだんだん苦痛も和らぎ客観的に回想できるようになりました。

最近、テレビで認知症介護のドキュメンタリーをしばしば放映するようになってきましたが、いままでは見る気がおきなかったそうした番組も見れるようになりましたし。
「そういえば、オレもやったよな」「そうそう、あれがたいへんなんだよなぁ」「そうか、オフクロにもああしてやればよかったなぁ」
なんて思いながら。

母の歌というと、わたしの子供のころ、音程をはずしながら童謡や唱歌をうたっているのを聞いたぐらいで、青春時代、どんな歌手にあこがれ、どんな歌をくちずさんでいたのか、とうとう聞かずじまいでした。

そこで母と同じ命日の12月2日(1990年)に亡くなった昭和屈指の作曲家・浜口庫之助の名曲を5つばかりセレクトしてみました。

昭和34年(1959)、はじめてのヒット曲となったのが「黄色いさくらんぼ」。
半世紀以上前の流行歌としては画期的なお色気ソング。
たしかラジオでも放送自粛になったはず。

その同じ年に「僕は泣いちっち」という、これまたユニークな言葉づかいのヒット曲を送り出し、ハマクラの名前を世に印象付けたのでした。

その後も、西郷輝彦の「星のフラメンコ」、「星娘」などの青春歌謡、坂本九の「涙くんさようなら」やマイク真木の「バラが咲いた」でのフォーク調歌謡曲、さらにはザ・スパイダースの「夕陽が泣いている」ではグループサウンズにと、流行歌のトレンドでみごとにその存在感を発揮してきました。

そして、昭和40年代中盤から後半のアイドル歌謡時代 でも、にしきのあきらや、天地真理にヒット曲を提供し、50年代には「夜霧よ今夜も有難う」に代表される石原裕次郎、昭和の晩年である60年代には島倉千代子の「人生いろいろ」をつくり、まさに、昭和のヒットメーカーのひとりとして、その存在感を示しました。

演歌でもなく、ポップスともいえず、歌謡曲の枠から逸脱した、文字どおり「ハマクラ節」で、ファンを魅了したばかりでなく、多くのミュージシャンやその後の流行歌の世界に影響を及ぼした稀有なソングメーカーでした。

では5曲を順不同で。

黄色いさくらんぼ(スリー・キャッツ)
記念すべきファーストヒット曲。
スリー・キャッツはハマクラさんが率いていたラテンバンドの女性ヴォーカルトリオ。たしか3人のうちひとりが1度目の奥さんになったんじゃなかったかな。
作詞はまさか(さもありなんかも)の星野哲郎。

恋の町札幌(石原裕次郎)
詞もハマクラさん。ノスタルジックな編曲は川口真。
「粋な別れ」もいいけど、裕次郎ではこの歌がベスト。

ちいさな恋(天地真理)
めずらしく安井かずみと組んだ一曲。天地真理では「想い出のセレナーデ」とともに好きな曲。
どうしているんでしょうか白雪姫は。

燃える大陸(渡哲也)
哲兄ィの主演映画主題歌。
フェヴァリットソングのひとつです。

みんな夢の中(高田恭子)
高田恭子は元関西のフォークシンガー。
この歌を好きな人はけっこう多い。亡くなった演出家の久世光彦が死ぬ間際に聴きたい曲というコンセプトで「みんな夢の中」というタイトルの本を書いていました。

12月はどこか死のにおいがつきまとう。

伯母さんつまり母の姉2人が死んだのも12月、そして私の尊敬していた大先輩が亡くなったのも師走でした。
まだ12月ははじまったばかり、除夜の鐘を聞くまでにもしかしてだれかが……。身近で可能性があるのは、あの人だろ、それにあいつも、もしかしてあの人だって……。
まてよ、他人のこといってる場合じゃない。
なことを、昨日お坊さんのお経を聞き流しながら考えていました。


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三つの歌●島倉千代子カヴァー [day by day]

shimakura.jpg

仕事がいちだんらくしたので、夜な夜なお千代さんのYOU-TUBEなど見ています。

付き合いが長かった(一方的のですが)だけ、喪失感がいまだ去りません。

先週のTVのニュースはお千代さんの訃報であふれていましたが、週が変われば誰も名前すら口にしなくなるのでしょう。あたりまえのことですが。

チヨニスト(そんな名称ないか)としては、せめてブログでその歌を流していきたいと思っております。

今回は前回すこしふれたのですが、彼女のカヴァーを。
ほかの歌手がお千代さんの名曲をうたうというものもいつかやりたいと思っていますが、今日はお千代さんが、カヴァーソングをうたうという趣向。

カヴァーアルバムはいくつか出しております。
カヴァーアルバムを出せるというのは歌のうまい証拠。

今回は三つの歌ということで三曲を厳選(でもないな)してみました。

●無法松の一生(度胸千両入り)

やっぱり古賀メロディーははずせません。
フェヴァリットソングということでは、戦前の「緑の地平線」や「人生の並木路」もいいのですが、彼女のオリジナル曲としては絶対ありえないだろうとう、昭和30年代につくられたこの歌を。

神野美伽や島津亜矢もうまいけれど、お千代さんがベスト。
そのそこはかとなく染み出てくる情念がすばらしい。村田英雄には絶対ない味。絶品。


●愛国の花

これは戦前の歌。
はっきりいって軍歌なので、その歌詞にいささか抵抗がないわけではありませんが、日本の女性を桜、梅、椿、菊と四つの花にたとえた詞はなつかしい。
なにより古関祐而のワルツがすばらしい。
クラシックの香りがただよう渡辺はま子もいいけど、お千代さんの可憐な歌唱も泣かされます。

●都会の天使たち

最後は、男運のわるかった(失礼なことを)お千代さんのために、デュエットソングを。
もっとオリジナルでもデュエットソングをうたってもらいたかったなあ。カママトトとーくがまたいいんだ。


前回、彼女の洋装が印象に残っているといいましたが、そんな画像がありました。
わたしのイメージとはかなり違っていましたが、それはそれでもうひとりのお千代さんが見れるということで、おまけということにしてみました。

ではまたいつか。


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●三つの歌 秋はフォルクローレ [day by day]

●三つの歌 秋はフォルクローレ

ウニャ・ラモス.jpg

ようやく秋になりました。
長時間歩いていても汗をかかないし、日向の道で建物の陰を探すこともないし。

秋は空が、青空が美しい。
そんな清涼な空を見ていると、脳内蓄音機から聴こえてくるのはなぜかは知らねどフォルクローレ。
「花祭り」や「コンドルは飛んでいく」に代表される南米の民族音楽。

 

そんなフォルクローレを3曲。今回はすべてインストで。

まずはじめは、昔よく聴いていたロス・インカスの「カラウアジョの思い出」
ロス・インカスはアルゼンチーノを中心とした民族楽団で、今はしりませんが、当時(っていつよ?)はヨーロッパで活躍していたとか。
「カラウアジョの思い出」の元歌はペルーの民謡で、カラウアジョとはペルーの村あるいは地域の名前だとか。

当時の(またですが)レコードの解説にはカラウアジョの場所は不明と書かれていました。誰も知らない「村」とは。
もしかしたら桃源郷なのかも。
そこへ迷い込んだ男が、まるで竜宮城の浦島太郎よろしく、悦楽の日々を過ごし、やがて生まれ故郷へ戻ったが、カラウアジョのめくるめく日々が忘れられず、再び訪ねてみたが二度とたどり着くことはできなかった。

そこで男は、カラウアジョの黄金の日々をいつまでも記憶に留めようと、旋律として残した。

なんて、空想を呼び起こすような曲です。チャランゴとケーナの調べが美しい。

2番目は、フォルクローレの代表的な楽器のひとつ、ケーナの1曲を。

ケーナといえば、日本ではウニャ・ラモス。
ウニャ・ラモスといえば彼の作でもある「灰色の瞳」ですが、今日はこれもファンにはおなじみの「忘却の種子」という曲を。

印象的なタイトルの意味はわかりませんが、ライナーノーツにはウニャとギタリスト、ラミレス・トーレスとの合作で、タキラリというリズムの曲だとか。ボリビアではダンス音楽としても人気だとも。

最後は、パラグアイを中心にフォルクローレで多用される楽器「アルパ」の演奏で。

日本のアルパの草分けといえば亡くなられたチコ本間。
「コモエスタ赤坂」や「別れても好きな人」で知られるロス・インディオスに在籍していました。ちなみに、ロス・インディオスは元来アンデス音楽のバンドだったそうです。

かの名作、名曲である「八月の濡れた砂」のイントロや間奏でアンニュイな雰囲気を醸し出しているアルパの調べはたしか、チコ本間の演奏だと記憶しています。

そのチコさんの弟子でいまや日本のアルパの第一人者といえるのが、ボリビア生まれのルシア塩満。

その代表的なフォルクローレといえば「鐘つき鳥」や「カスカーダ」。
ですが、ひねくれ者のわたしは「八月の濡れた砂」を聴いてみたい。
しかし、残念ながらYOU-TUBEにはない(彼女のCDには収められています)。

そこで、体操の白井健三クンには及びませんが、2回ひねりの荒業を。

その結果がジャズピアニストの松岡直也がつくった名曲「薔薇ホテル」

ところで、毎年秋口に香ってきたキンモクセイはどうなっているのでしょうか。
もう終わっている? これから?
それとも去年の夏に引っ越したので、今いるところがキンモクセイの匂わない環境なのかな。
どちらにしても、束の間の秋が来ていることには変わりはないのですが。


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三つの歌●ボクシング [day by day]

②村田ロンドン五輪1勝.jpg

村田諒太がやってくれました。

準々決勝あたりから接戦続きで、運もありましたが、それを味方にするのもチャンピオンになる条件。

報道で繰り返されていますように、東京オリンピックの桜井孝雄以来、48年ぶりの金メダルで、銅メダルの清水聡ともども久びさにアマチュアボクシング界が盛り上がり、注目を集めています。

村田のなにが超快挙かというと、まずミドル級での優勝。
ミドル級はその名のとおり、世界では中量級なのですが、日本では重量級。
中量級は最もスピードと迫力が反映されるクラスで、体格的にも世界で最も層が厚い、つまり強豪がひしめいているといわれています。

日本人で、プロの世界であまたいる世界チャンピオンでも、ミドル級クラスになると数えるほどしかいないことでも日本人が中量級で頂点に立つことのむずかしさを証明しています。

もうひとつは桜井孝雄のように地の利をいかした地元開催ではなく、異郷の地での優勝ということ。
はじめに接戦といいましたが、試合を見ていて(みびいきは多少あるけど)ジャッジが村田というか東洋人に厳しすぎる傾向があるような気がしました。そのなかでの金メダルですからさらに価値がある。

かつての桜井孝雄はもちろん、ローマの田辺清、メキシコの森岡栄治を見てきた人間としては、まさか一度に二人もメダリストが誕生するとは考えも及びませんでした。

とにかく村田、清水の快挙はそれだけを“肴”にして一杯呑めるほどの“旨さ”でした。

それにしてもロンドン大会は過去最多のメダル獲得数だそうで、まぁ、大健闘といえるのではないでしょうか。ただし金が少なかった。
事前の識者の予想でもほとんどが10数個というもので、わたしも柔道であと3~4個を期待していました。

しかし、金メダル7個のうち6個までが格闘技というのもスゴイ、というか偏りすぎ。

日韓サッカーの3位決定戦で韓国選手の試合後の政治的デモンストレーションが問題になっていますが、ほぼオリンピックは何事も無く終了しました。
次のリオが待ち遠しい、って気が早すぎるか。

とにかく村田の快挙はひさびさにこの数日間心たのしくさせてくれる出来事でした。

その金メダルを祝して、今回はボクシングに関する歌を三つ。

日本でいえばまぁ、一番人気が「あしたのジョー」のテーマでしょうが、二番、三番が出てきません。
たとえばマニー・パッキャオのように歌うチャンピオンというのも日本ではあまり聞きません。
具志堅用高あたりCDを出しているような気もしますが、知りません。

唯一知っているのは伝説のボクサー・ピストン堀口が戦前にレコーディングした「リングの王者」という歌。何度か聴いたことがありますが、およそボクサーとは思えない(どんなイメージだ)やさしい声でした。作曲は売れっ子古賀政男。

そんなわけで邦楽はあまりでてきそうもないので、いくらか知ってる洋楽を。

洋楽でもっとも知られたボクシングミュージックといえば、なんといっても映画「ロッキー」のテーマ。いまだにスポーツ番組やバラエティで使われているぐらいポピュラー。ただしこれはインストなのでパス。

つぎに有名(だと思う)なのはサイモンとガーファンクルSimon & Garfunkelの
「ボクサー」 The Boxer

都会に出てきた貧しい青年の苦闘の日々と哀感を、打たれつづけながらもいまだ戦いをやめないボクサーにたとえて歌っている。
Lie la lie ……
というリフレインが印象的かつ象徴的。

1969年に発表された曲ですが、若者が都会に出てきて戦いつづける(負けることの方が多いのだが)という構図はいまも変わらないような気がします。

カヴァーするシンガーも多く、カントリーではエミルー・ハリスアリソン・クラウスなど女性がお気に入り。

次はボブ・ディランBob Dylan 。

ボブ・ディランのボクサーといえば、殺人容疑で投獄された元ミドル級ボクサー、ハリケーン・カーターの無実を訴えた「ハリケーン」Hurricane でしょう。
映画化もされ、この歌の力だけではないですが、その後ルビン・カーターは無罪釈放されています。

しかし、この歌は以前とりあげたので、今回はもうひとつのディランのボクシングミュージックを。
誰がデビー・ムーアを殺したか Who Killed Davey Moore

これまた「殺人」の歌ですが、「ハリケーン」のような犯罪ではなく、リングの中での「殺人」つまり「リング禍」をうたったもの。

1963年に行われた世界フェザー級タイトルマッチで起きた事故。
チャンピオンはアメリカのデビー・ムーア。チャレンジャーはメキシコのシュガー・ラモス。

どちらも日本でタイトルマッチを戦ったことのある名ボクサーです。

試合はラモスのTKO勝ち。
負けたチャンピオンはその後死亡。原因は最後の10ラウンドに挑戦者のパンチを受けてダウンし、そのとき後頭部をロープにぶつけたことといわれています。

ダウンを喫したムーアは立ち上がったもののグロッギー。にもかかわらず、レフリーは試合を続行。そのことも後日問題になりました。

とにかくこの世界戦での「リング禍」は社会問題となり、ディランも無視できず歌をつくったというわけでしょう。

その後、リングのロープが三本から四本になったり、硬いスチール製から緩衝性のある素材に変えたりと、ボクサーの生命を守る対策が講じられるようになりました。しかし、それでも「リング禍」が完全になくなったわけではありません。

三曲目も、やはり「ボクサーの死」にまつわる歌。

といってもこちらはリング禍ではなく、飛行機事故で死んだチャンピオンの歌。
チャンピオンはマルセル・セルダン。こちらも村田諒太やハリケーン・カーターと同じミドル級の世界チャンピオン。

うたったのは彼の恋人だったエディット・ピアフEdith Piaf 。
といえば御察しのとおり歌は
愛の賛歌 Hymne a  l amour

♪あなたの燃える手で わたしを抱きしめて
という越路吹雪の名唱、岩谷時子の名詞でしられています。
原詞は「天が落ちようと、地球が割れようと あなたさえ愛してくれれば かまわない」
「あなたのためなら 盗みだってするし 国を捨てたっていい」 というさらに激しいもの。

ピアフは、激愛していた恋人の死後、失意のなかでつくったといわれています。
マルセルの乗った飛行機はニューヨークで公演中のピアフに逢いにいくための便。ピアフが「迎えに来て」といったという話も。
ピアフの嘆きが大きかったわけは、そのことへの後悔があったからかもしれません。

でももし、マルセルが事故に遭わなかったら「愛の賛歌」は誕生しなかったかもしれない。
皮肉なことです。

最後にもういちど村田諒太選手の話題を。

どうしても気になるのが「プロ転向」。
かつてのメダリスト3人は、金メダルの桜井孝雄をはじめすべてプロの道を選んでいます。
3人ともプロで金メダルは獲れませんでしたが、好成績をのこしています。

で、村田選手にもそうした勧誘はこれからもあるはずで、契約金も億単位になるかもしれません。「プロ入り」すれば必ず世界チャンピオンになれると太鼓判を押す現役世界チャンピオンもいるほど。
ただ、村田選手にはいまのところ(これが重要)プロへ行く気はないようで、自分に続くアマ選手を育てたい、というのが希望だとか。

個人的には彼がいうとおりアマチュアの世界にとどまってほしい。
今はそういうことはないでしょうが、桜井がプロ入りしたときはトラブル(アマだけですが)になりました。
やはり、アマチュアの世界でいつまでも褪せない「輝ける星」、伝説のボクサーになってほしいというのが願望です。

最近亡くなったオリンピックを三度制したキューバのステベンソンはアメリカからのプロへの勧誘を最後まで断り続けアマに徹しました。プロへ転向し、モハメド・アリとの試合が見たいというファン(わたしもそう)も多かったのですが、自分の意思をつらぬきました。それはそれでカッコよかった。

村田選手は現在、自身在籍した東洋大学の職員であり、同ボクシング部のコーチをしているそうなので、それを続けてほしい。そして有能な指導者になって次なるゴールドメダリストを育ててほしい。

聡明そうな奥さんには、キッチンの冷蔵庫に貼るポスターに「プロで世界チャンピオンになりました」などと書かずに、「金メダリストを育てました」という未来予想をしていただきたい。


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三つの歌●Three Country Girls [day by day]

connie smith.jpg

福原愛、石川佳純、平野早矢香の卓球三人娘は頑張ったね。はたして銅メダルが取れるだろうか、と思っていただけに銀は大健闘。

数日前のマラソン三人娘は残念(とはいえ予想通り)だったけど、アーチェリーでも早川漣、蟹江美貴、川中香緒里の洋弓三人娘が大殊勲をあげましたし。
世はただいま、幾たびかの「三人娘時代」をむかえております。んな、いいかげんなことを言ってはいけませんが。

ところで「東京の歌」もこれだけ続けると飽きます。
負け惜しみ気味でいえば、まだまだネタはあるんですけど。

ちょっと休憩して、きょうは「三人娘」がキーワード。

三人娘といえば元祖は美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの「ジャンケン三人娘」。
ちょっと古すぎるか。

なら、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりの「スパーク三人娘」。
たいして変わらない?そうか。

じゃ、小柳ルミ子、南沙織、天地真理の「アイドル三人娘」でどうですか。
ダメ? それじゃ、山口百恵、桜田淳子、森昌子の「花の中3三人娘」なんかは。

……もはやそういう時代ではないのかな。
最近聞かないものね、三人娘なんて。
AKBなんて48人(ちがう)だもんね。四十八人娘なんて……。

いや、正直「東京の歌」で歌謡曲ばかり続けてきたもので、ここはひとつ洋楽を“食して”みたいって気分でして。洋楽の三人娘ということで……。
ならはじめからいえばいいじゃないか、ってなもんですが、そこはお話の順序というのがあるわけでして。

とにかく洋楽を。
洋楽は洋楽でもこのクソ暑さにふさわしい洋楽といえばもうカントリーしかありません。(テキトーいってます)それもここではいつものカントリー・クラシックス。

あまたいるわが愛すべきカントリー娘のなかから2012年8月の冷房を止めたウダル暑さの部屋の中で厳選した三人娘を、三つの歌で。

まずはナッシュビルの大姐御といった貫禄充分のパッツィ・クラインPatsy Cline。
惜しくも30歳の若さで飛行機事故で亡くなりましたが、生きていればおそらくカントリーの枠にとどまらず、ポップスの世界でも世界を魅了する偉大なシンガーになっていたのではないでしょうか。

また現役時代は短期間ではありましたが、直接、間接にその影響を受けたシンガーもたくさんいました。ブレンダ・リーBrenda Leeとかk.d.ラングLang とかリアン・ライムスLeAnn Rimesとか。

そのヒット曲も数多く、とりわけ知られている(カントリーファンにですが)ところでは「ウォーキン・アフター・ミッドナイト」Walkin' After Midnight とか「アイ・フォール・トゥ・ピーセス」I Fall To Pieces、それにウィリー・ネルソンWilly Nelsonの「クレイジー」Crazy など。

ほかでは「色褪せし恋」Faded Love や「テネシー・ワルツ」Tennessee Waltz なんかもいいなぁ。

でも今回選んだのはセブン・ロンリー・デイズ」Seven Lonely Days。
「あなたに別れを告げられた日から一週間泣きっぱなしなのよ」
という失恋ソング。

オリジナルはわかりませんが、1954年にポップシンガーでラテンナンバー「火の接吻」Kiss of Fire のヒットで知られるジョージア・ギブズGeorgia Gibbsがうたっています。もちろんパッツィはその後。
カントリーではジーン・シェパードJean Shepardもうたっています。
やっぱりいちばんはじめに聴いたパッツィ盤がベスト。

2人目の娘は、チャキチャキの? ケンタッキーガール、スキータ・デイヴィスSkeeter Davis。
彼女も数年前に亡くなっています。

スキータといえばデュオグループ「デイヴィス・シシターズ」(実際の姉妹ではない)から1958年にソロデビュー、カントリーの殿堂グランド・オール・オープリーの常連となったシンガー。

なんといっても最大のヒット「この世の果てまで」The End of World はカントリーだけではなく、ポップスとしても世界的に知られています。
ほかでは「ラスト・デイト」My Last Date With You が泣かせます。
アン・マーグレットAnn Margret やコンウェイ・トゥイッティConway Twittyなど多くのシンガーのカヴァーも。

今回のセレクションではその2曲を差し置いて「アンダー・ユア・スペル・アゲイン」Under Your Spell Again 。
こちらも失恋ソングで、もういちどその魅力で僕を夢中にさせておくれよ、という
1959年のバック・オウエンスBuck Owens のヒット曲。

女歌にもアレンジできるナンバーで、前述のジーン・シェパードやシェルビー・リンShelby Lynne などがうたっていますが、個人的にはポップ感の強いスキーター盤がいい。

で、3人目のカントリー・ガールは、以前「その名は●コニー」のところでとりあげたコニー・スミスConnie Smith。
1941年インディアナ州エルカート生れで、御歳71歳。もちろん健在です。

彼女のデビュー曲であり最大のヒット曲は、コニーを発掘したカントリー・シンガー、ビル・アンダーソンBill Anderson が書いた「ワンス・ア・デイ」Once a Day 。全米カントリーチャートのナンバーワンに。

このときコニーは23歳で、なんと結婚をしていて子供もいたとか。
そんな若い主婦が一夜にしてメジャーのカントリーシンガーになれば、それこそ生活一変、トラブル、離婚と話はすすみそうですが、彼女はそうはならなかった。あくまで家庭をいちばんに考えていたから。

旦那さんに「歌をほめてくれるより、料理をほめてね」と言ったとか。
彼女の人柄がしのばれます。

「ワンス・ア・デイ」はフェヴァリットソングですが、今回はもうひとつの愛聴歌を。

1965年のアルバム[CONNIE SMITH]に入っていた「青いトランジスタラジオ」Tiny Blue  Transistor Radio 。これまたカントリーというよりはポップスといったほうがいい一曲。

ハイスクール時代、彼から誕生日にプレゼントされた青いラジオにまつわる思い出。
恋は長く続かず、やがて新しい彼女をみつけて去っていった彼。
そんなときもラジオからは、彼と私が好きだったナンバーが流れていたっけ……。
なんていう胸キュン(古い!)ソング。

ライターはやはりビル・アンダーソン。

いやあ、泣けてきますね、この時代のカントリー・ミュージック。それもカントリー娘たちの哀愁にみちた歌声が胸にしみます。
カントリーの嫌いな方々には申しわけありませんが。
次回からはまた、せっせと「東京の歌」を“掘りつづけて”いきますので。

村田諒太は清水同様銅メダルが確定して、10日の準決勝へ。勝てば銀以上。
カッコいいボクサーだね。ミドル級っていうクラスもいい(いつもフライ、バンタムだもん)。

どこか赤木圭一郎の面影がある。
村田の試合を見ながらトニーの映画「打倒(ノック・ダウン)」を思い出してしまいました。

清水ともどももうワンランク、いやツーランク上の成績を期待しております。


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THANK YOU FOR SPLENDID SONGS [day by day]

都電の踏切町屋②.jpg

今日、6月10日は「路面電車の日」だそうだ。
日本初の路面電車が6月10日に走ったのかな、と思ったらそうではない。

日本の路面電車の嚆矢は京都電気鉄道で、明治28年の2月1日に開業している。
なぜ6.10なのかと思ったら、なんのことはない「路電」だから「6」(ろく)、「10」(てん)だって。笑点のシャレよりも笑えない(スミマセン笑点の師匠連さま)。

東京で唯一残っている路面電車が三ノ輪と早稲田を結ぶ都営荒川線。
久しく乗っていません。あの鉄道は、忙しないときや急いでいるときはだめ。気持ちに余裕があるときに乗るもの。
ということは、ここしばらく心に余裕がないということになる。嗚呼。

そうそう、路面電車の話ではなかった。
今日6月10日は、わたしの好きな流行歌の作曲家3人の命日なのです。
で、彼らの作品をYOU-TUBE(でなくてもいいけど)で聴き、在りし日を偲ぼうという趣向。いざ。

まずは、古賀政男、服部良一とともに昭和の三大作曲家といわれる吉田正。平成10年に亡くなっています。

吉田正といえば、元祖ムード歌謡といえる存在。
モダンで時流に乗ったメロディーラインで昭和30年代の都会のナイトライフやラヴアフェアーを再現してみせました。
ほかにも「いつでも夢を」に代表されるような明朗な青春歌謡や、「潮来笠」をはじめとした昔ながらの“股旅もの”も。器用ですね。

吉田正のデビューは「異国の丘」で、そのドラマチックな登場はウィキペディアでも見ていただくとして、ビッグヒットに結び付かなかった昭和20年代の作品を聴くと、歌謡曲の王道だった「古賀メロディー」のシッポが残っています。

それが昭和30年代に入って独自の吉田メロディーを確立していったのは、やはり戦後、洪水のように日本に入ってきたジャズ、シャンソン、ラテンなどの影響があったからではないでしょうか。

このブログでも頻繁にとりあげる吉田メロディーですが、今回は男女のデュエットを3曲。

デュエットといえば「東京ナイトクラブ」(フランク永井、松尾和子)「いつでも夢を」(橋幸夫、吉永小百合)が双璧でしょうが、今回はそれらをパス。

で、まず一曲目は「若い二人の心斎橋」(三田明、吉永小百合)
“吉田学校”の門下生・吉永小百合の相手役といえば、当時のビクターの若大将・橋幸夫ですが、ナンバー2の三田明にもこの歌や「明日は咲こう花咲こう」がある。
作詞は吉田メロディーに欠かせない相棒・佐伯孝夫
東京生まれでほとんど東京の街を書いていた佐伯にとって珍しく関西を舞台にした昭和39年の歌。

もうひとつ青春歌謡のデュエットを。
やはり39年に発売された「恋旅行」(久保浩、小川知子)
当時吉田正が凝っていたアメリアッチのリズム歌謡。昭和43年「ゆうべの秘密」でブレイクする小川知子の東芝に移籍する前のビクターでの吹き込み。
これも作詞は佐伯孝夫で「有楽町で逢いましょう」同様、企業(小田急鉄道)とのタイアップで作られた。この話は以前やりましたので、詳細は割愛。

3曲目は、もう少し大人の雰囲気で。お得意のムード歌謡。
女性が松尾和子というと、相手はフランク永井といいたいところですが、前述したように毎度毎度なもので、今回、和子さんに浮気してもらって、違う相手と。
「FA(エールフランス)機が呼んでいる」(松尾和子、藤田功)

昭和36年の作品ですが、なぜエールフランスなのでしょうか。
羽田への乗り入れはもう少し前に完了してますし、小田急同様タイアップだったのかも。外国ブランドがカッコイイといのは今も昔もです。

松尾和子の相手役の藤田功はのちに「夢は夜ひらく」を作曲(採譜)した曽根幸明の歌手時代のステージネーム。若い頃は不良だったようで、最近亡くなった安岡力也をビビらせたという芸能界最強伝説が残っている。

2人目は演歌。平成5年に亡くなった猪俣公章。55歳という若さで。

福島県出身で、その訛りになんとも愛嬌がありました。
上京して名門・開成高校から第二志望の東大医学部をめざしたが、古賀政男に弟子入りして、無事第一志望の作曲家になったとか。
古賀政男の弟子として、自分から頼んで大作曲家の楽譜の整理をしたとか。それが作曲家・猪俣公章のどれほどの“栄養剤”になったことか。

とにかく明朗闊達な性格で、酒と女と(バクチはポリシーでやらなかったと)演歌をこよなく愛したとその自伝に書いてあります。

作家として2曲目の「女のためいき」(昭和41年)が初ヒット。森進一のデビュー曲。
その3年後、初のミリオンセラーとなったのが「港町ブルース」

♪背のびしてみる 海峡を

ではじまる名作。作詞の深津武志は当時よくあった雑誌「平凡」の読者作詞コンクールの入選者。なかにし礼が補作詞している。

猪俣の死後、かれがよく通った銀座のクラブ「姫」の元ママであった作家の山口洋子が「背のびしてみる海峡を」というタイトルの本の中で彼の評伝を書いている。

山口洋子は作家になる前、作詞家として活躍したが、それをすすめたのが猪俣公章。ふたりが組んだヒット曲に「噂の女」(内山田洋とクール・ファイブ)、「一度だけなら」(野村将樹)がある。
なんでも、猪俣と山口洋子は遠い親戚にあたるのだとか。

その翌年に書いたのが藤圭子「女のブルース」
前年、「新宿の女」で衝撃的なデビューをした「不幸な少女」藤圭子の第二弾。

作詞は藤の師匠の石坂まさお
四行詩で一番は♪女ですもの が4度び繰り返される印象的な詞は猪俣が出したアイデア。前作を上回るヒットとなり、本格的な藤圭子ブームとなった。

昭和40年代後半からはじまったのが天地真理南沙織、小柳ルミ子に代表されるアイドル歌謡。曲調は演歌というよりポップスだが、猪俣にもそんな路線の依頼が。

デビュー曲が散々だった香港の新人、テレサ・テンの本邦二曲目。
猪俣いわく「コニー・フランシスの線」(そうかな?)という「空港」は大ヒット。
その後、4年あまりの間に、テレサのために数曲書いたがまったくヒットしなかった。そのうちテレサが、レコード会社を変わってしまい、ふたたび猪俣と組むことはなかった。

ほかにも水原弘、五木ひろし、弟子の坂本冬実、マルシアなどにヒット曲を提供していますが、もうひと方とりあげなければならないので、また後日ということで。

最後は中村八大。平成4年、61歳でした。もう20年、早いもんです。

中村八大もこのブログでは“相棒”だった永六輔ともども、何度もふれてきましたし、曲もとりあげてきました。

もはや聴きあきたという感もなきにしもあらずですが、今回はしぼってNHKTV「夢で逢いましょう」の「今月のうた」で紹介された八大・六輔作品を三つピックアップしてみます

かのコーナーから生まれた名曲といえば、唯一ワールドワイドでヒットした日本の流行歌「上を向いて歩こう」(坂本九)ほか、レコード大賞獲得の「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)「ウェディング・ドレス」(九重佑三子)などがありますが、今回こうしたヒット曲はパス。ここではあまりとりあげる機会のなかった名曲を。では。

「故郷のように」(西田佐知子)
西田佐知子が八・六作品をうたうなんて、こうした企画ならではでしょう。
彼女のノンビブラートの澄んだ声がこの曲にふさわしい。
この曲はマーチなので、曲調が似ているというわけではないですが、なぜか彼女の「エリカの花散るとき」を連想してしまいます。

「若い涙」(ジャニーズ)
いずみたく
「太陽のあいつ」と並ぶ初代ジャニーズの名曲です。

もくろんだわけではないですが、これもマーチ。
曲を聴いているだけで、ステージで躍動していた4人の姿が彷彿としてきます。

いまだ勢い衰えないジャニーズグループですが、この初代ジャニーズやフォーリーブスが暗黙の了解のごとく“無視”されているのは、なにか違和感が。
一部のメンバーとのトラブルが原因なのでしょうが、やっぱり大芸能プロダクションの歴史なのですから、元メンバーとしてテレビやイベントに出てきてもいいような気がしますが。

「芽生えて、そして」(越路吹雪)
これも名曲です。
残念ながら越路吹雪盤のYOU-TUBEがなかったので、菅原洋一盤で。
今となっては菅原盤で聴いたことのある音楽ファンのほうが多いかもしれませんが。

永六輔の詞は、愛は愛でもどちらかというと“人間愛”といったイメージが強いのですが、この歌はまごうことなき男女の愛。
永さんのラヴソングとしてはこの歌がベストではないでしょうか。

それにしても改めて感じるのは、中村八大という作曲家のスゴさ。
幅が広いというのか、奥行きが深いというのか。たいしたエンターテイナーです。

今回もずいぶん長くなってしまいました。
それにしても三者三様の作曲家。彼らの遺してくれた流行歌はわたしにとって死ぬまでエヴァグリーン。(あたりまえだね)
でも、うらやましいですね、肉体は滅んでも彼らの創造したものがわたしをはじめ多くの他人を楽しませてくれるのですから。
最後お三方にこういいたい。 Thank you for splendid songs.


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三つの歌●ラテン歌謡曲 [day by day]

浜口庫之助.jpg

先日、スカイツリーがオープンした夜、40年来の友人2人と久々に会い、楽しい時間を過ごしました。

もうこの歳になると、つき合いで呑むのはいやだ。気をつかいながら呑むのはいやだ。

やっぱりお互いの長短を知り合った気の置けない同輩と呑むのがいちばん。
そうなるとどうしても相手は限られてしまう。それでもいいんだ。

しかし今考えると、タイムリーなスカイツリーの話、その少し前の天体ショーの話はおろか、原発再起動から消費税UPからAKBから、NOWな話は何ひとつ話題にならなかった。完全に時代から取り残された還暦越えの3人でした。

それはともかく、そのうちのひとりが無類の歌謡曲好き。
その日も、
「いま、サイコーなんが『夜明けのブルース』、五木ひろしのな。知らないの? 今度聴いてみろよ、ワイルドだぜ」
などとのたまっておりました。

とにかく学生の頃、われわれがやれ「吉田拓郎」だ、「井上陽水」だとほざいているなか、
♪コモエスタ セニョー コモエスタ セニョリータ
とうたっていた男なのですから。

その「コモエスタ赤坂」は昭和43年、ロス・インディオスによってうたわれた曲。
ロス・インディオスといえばいまは亡きシルヴィアをまじえての「別れても好きな人」が知られていますが、グループ名からもわかるとおりもともとはラテン音楽を中心にしたバンド。

メンバーで、やはり惜しくも亡くなったチコ本間さんはアルパの第一人者だった。たしか「八月の濡れた砂」のバックでアンニュイ感を漂わしていたアルパの音色は、チコさんによるものだったと。

そうなんです、昭和30年代から40年代にかけて、ロス・インディオスやロス・プリモスあるいは東京ロマンチカなどのラテン系のバンドが歌謡界に進出して、ビッグヒットをとばすというシーンが何度かありました。
そしてそうしたラテンテーストの歌謡曲はムード歌謡などと呼ばれていました。

そもそも日本に最初に入ってきたラテン音楽、ラテンリズムはタンゴで、これは本場アルゼンチンからではなく、フランス、ドイツなどヨーロッパ経由(日本限定でコンチネンタル・タンゴなどといってました)。
そして日本のタンゴ・シンガーといえば関種子。昭和6年の日本初のタンゴ調歌謡曲「日本橋から」「雨に咲く花」などをうたっています。

また1930年前後には世界的にルンバが流行り、歌謡曲でも由利あけみ「ルンバ東京」「長崎ルンバ」、「広東ルムバ」などが嵐の前ののどかな日本の繁華街に流れていましたっけ(見てきたような……)。

というようにラテン風歌謡曲は戦前からつくられていましたが、今回は戦後限定で比較的ポピュラーな3曲をピックアップしてみました。

戦後のラテンといえばまずマンボ。
昭和でいうと24年ごろメキシコ、アメリカで流行り始め、26年には日本に上陸、翌27年にはかの「お祭りマンボ」(美空ひばり)がヒットします。

しかしマンボがさらにブームとなるのは昭和30年代にはいってから。
31年には創始者のひとりであるペレス・プラドが来日。
そんななかでヒットした和製マンボが、
東京アンナ(歌:大津美子、曲:渡久地政信、詞:藤間哲郎)

豊橋市出身の大津美子は「東海のひばり」と呼ばれるほど少女時代からの歌上手で、作曲家の渡久地政信について昭和30年、キングレコードからデビュー。そのとき17歳。
「東京アンナ」は第二弾。
当時かなりヒットしたようで、実現しませんでしたが、アメリカのアーサ・キットがこの歌を聴いて、ぜひ共演したいといったとか。

マンボではじまった戦後昭和のラテン歌謡は、30年代に殷賑を極めます。
それは都会調歌謡曲、そしてムード歌謡と呼ばれるようになります。
その中心にいたのが作曲家の吉田正

彼のヒット曲で、いまだデュエット曲の定番になっている「東京ナイトクラブ」(歌:フランク永井、松尾和子、詞:佐伯孝夫、昭和34年)もスローマンボ。
そしてその翌年にやはり吉田、佐伯、フランク永井のトリオでヒットしたのが、

「東京カチート」
当時、日本でも人気だったナット・キングコール「キサス・キサス・キサス」「グリーン・アイズ」などのラテンポップスをヒットさせていました。そのひとつが「カチート」。
そこからヒントを得て吉田正がつくったのがこの「東京カチート」。

ラテンのリズムに歌謡曲の旋律が融合して典型的なラテン歌謡になっています。
また、「もはや銀座じゃないだろう」と、赤坂をロケーションとした佐伯孝夫の先見性。このあと「赤坂」はムード歌謡の聖地となっていきます。

吉田正といえばラテン歌謡曲の代名詞のような存在ですが、もうひとりラテン歌謡曲を語るうえで欠かせない作曲家がいます。それが浜口庫之助

浜口庫之助、通称ハマクラさんは、戦前からラテンやハワイアンのバンドマンを生業としていて、戦後はラテンバンドを率いると同時に、ソロ歌手としても昭和28年から3年連続でNHK紅白歌合戦に出場しています。
紅白ではいずれも洋楽をうたっていますが、29年には「セントルイス・ブルース・マンボ」というスゴイ歌をうたっている。
残念ながら聴いたことはないが、まぁ、「セントルイス・ブルース」をマンボにアレンジしちゃったのでしょう。(あたりまえだよ)

作曲家に転向したのは34年、その第一作の「黄色いサクランボ」(スリー・キャッツ)は大ヒット。子供だったわたしも訳もわからず「わーかいむすめは うっふん」などと真似ていましたっけ。
これもまさにラテンの匂いのする一曲。

その後、「僕は泣いちっち」、「バラが咲いた」、「夕陽が泣いている」、「星のフラメンコ」、「涙くんさよなら」、「夜霧よ今夜も有難う」などヒット曲を連発していきますが、なかでもラテン歌謡にふさわしいと思う一曲は、
粋な別れ(歌:石原裕次郎)

裕次郎のオリジナルはイントロをはじめとして聞こえるリズムがリズムの宝庫、キューバの「ソン」のよう。かの「タブー」などもそうですね。
では、オマケにボサノヴァにアレンジしたハマクラさん自身の歌も。

裕次郎の名曲でもありますが、ハマクラさん屈指の傑作だと思っております。
和風の無常観を想起させる詞ですが、これまた「粋」という和風の言葉を合わせることでダンディズムさえ感じてしまいます。
「和洋折衷」にこころがけたハマクラさんにふさわしいラテン風味の歌謡曲。

さいごになりましたが、また愛すべきシンガーが亡くなりました。
尾崎紀世彦さん。カントリー出身ということもあり親近感がありました。
70歳前とは、未練が残ったでしょうね、残念です。

尾崎さんを偲んで彼の歌を2曲。
まずは、今回のブログに合わせて最もラテンぽいカヴァー曲、スペイン産の「太陽は燃えている」

もう1曲は、彼の原点、GSのワンダース時代の歌を。
「マサチューセッツ」や「ロック天国」といった洋楽や「白いブランコ」、「風」といった和製フォークのカヴァーをうたっていましたが、数少ないオリジナルからYOU-TUBEにあった「赤い花びら」を。
昭和43年の楽曲で、橋本淳―筒美京平のゴールデンコンビ作。

尾崎さんのご冥福をお祈りいたします。


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三つの歌●ラテンJポップス [day by day]

チューブA.jpg

ダルビッシュはスゴイ。
開幕から早くも6勝。順調にいけばシーズン20勝はいきますね。

テレビで見ていて、日本でのときほどの圧倒的な球の威力は感じられないけど、変化球はいいし、なによりも強運。

あとは今日は負けたけどヤンキースの黒田もローテ入りで頑張ってる。今年は少し防御率がよくないけど。

新人では青木も川崎も岩隈もいまひとつだなぁ。青木、川崎はなかなかチャンスがめぐってこないのが気の毒。とりわけ青木は常時使ってもらえれば、いい成績残すと思うんだけど。
岩隈は中継ぎで実績をあげつつあるので、しばらくは中継ぎ、抑えでいくしかないかも。

そう考えると鳴り物入りで入り、その期待に応えているダルビッシュはたいしたもんです。

イチローも去年今年と、年齢による衰えのようなものを感じちゃう。当然だよね。12年間ケガもせず、ほぼ出ずっぱりでプレイしてきたんだから。もはや記録にも記憶にも残るメジャーリーガーになったのだから、あとはいつ引退するのかなんて余計なこと考えてしまったり。やめどきがむずかしいね、あのくらいの大打者になると。

松井はどんなんでしょうか。
個人的には誰よりも好きなプレイヤーですが、果たしてレイズでメジャーに上がれるかな。
上がってもレギュラーはキビシイかもしれないな。
すべてはあのヤンキース時代の左手首骨折から歯車が狂っちゃた。
あれさえなかったならシーズン40ホーマーも……、なんて考えてもしょうがないけど。
しかし、アスリートにとってケガはほんとにコワイ。

とにかく今年はダルビッシュを見ているだけでメジャーはおもしろい。毎回の記者会見もクールで自己分析が巧みでいいね。

ブログの「まくら」をスポーツにしたわけではないけど、今回もそんな話になってしまいました。まぁ無難ですし。

今回は前回の続きで、調子に乗って日本のラテン味の歌を3曲ピックアップしてみました。
まずはポップス、すなわちJポップで。

最近のJポップはチンプンカンプンですが、ちょっと(どころじゃないかもしれない)前のならいくらか耳に残っている。

ただラテン系といっても、前もふれましたがスローなボサノヴァやボレーロもありまして、たとえばボサノヴァなら丸山圭子「どうぞこのまま」とか、森山良子「雨上がりのサンバ」とか、ズバリ研ナオコ「ボサノバ」などがありますが、今回はもうすこしノリのよいサンバ系をポップ、じゃなくてホップ、ステップ、ジャンプの勢いでYOU-TUBEにつないでみたいと思います。

さよならイエスタデイ(TUBE)
チューブといえば「夏歌キング」ですが、ひところラテン系、とりわけサンバ系の歌も意図的にうたっていました。「あー夏休み」とか「純情」とか「花火」とか「恋してムーチョ」とか。
その代表的な歌がサンバのアレンジの「さよならイエスタデイ」。「あー夏休み」の翌年、1991年発売。

チューブについてさほど詳しいわけではありませんが、この「さよならイエスタデイ」はいわゆる「女歌」。ほかにあるのかな女歌が。

とにかく情熱的な歌で、ヒロインは彼と別れてから「数え切れない男と夜をともにして……」というからいま話題の二股男か、三又又造かといくらいスゴイというかコワイ女。

輪舞曲 (松任谷由美)
ユーミンも時々ラテン系をやらかしてくれます。
「真夏の夜の夢」がそうだし、「埠頭を渡る風」もそんな感じです。

そんななかでもモロ、サンバのリズムをつかっているのが「輪舞曲/ロンド」。
1995年発売で、ユーミン27枚目のシングルだそうです。

輪舞曲(ロンド)がラテンというわけではなく、ロンドとは音楽の形式(詳細はウィキペディアあたりで)のこと。
ザ・ピーナッツの名曲「恋のロンド」はラテン系じゃないものね。

この歌はどうやら結婚披露パーティで、踊る幸福な花嫁(不幸な花嫁っているのかな、いるな、多分)の心情をうたっているようで、そのダンスがサンバなのかどうかは不明。

キ・サ・ラ恋人(石川セリ)
さいごは1984年のこの曲を。

曲の冒頭からしばらくはそうな風でもないけど、サビから曲調がガラっと変わっていきなりラテン調に。ルンバフラメンコっていうんでしょうか、よくジプシーキングスで聴けるようなリズム。ポルノグラフティ「アゲハ蝶」もそう。

なんでもサントリーのコマーシャルソングだったでそうですが、80年代というのはもっともテレビを見ず、音楽を聴かずの時代でしたので記憶にありません。
なので「キ・サ・ラ恋人」を聴いたのは、たしかその後、石川セリのベスト盤か何かで。

その曲と詞を書いたのがかしぶち哲郎。
「はちみつぱい」から「ムーンライダース」のドラマーとして在籍していて、中原理恵をはじめアイドルシンガーにたくさんの曲を提供しています。

石川セリはいわずもがなの井上陽水夫人。
というよりわれわれの年代にとってはデビュー曲の「八月の濡れた砂」のカリスマシンガーという印象。
エキゾチックな顔とつぶやくような歌唱が印象的でした(まだ現役だよ)。
個人的には70年代の「ガラスの女」や、そのB面の「うしろ姿」をよく聴きましたっけ。

そのうち石川セリ、石川ひとみ、石川さゆり、石川秀美、石川進などなどで「その名は●石川」なんてやってみようかな。

余談はさておき、ここまできたら次回は「ラテン歌謡曲」をやらねば。
いつになることやら、ですが。


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三つの歌●ラテン・ポップス [day by day]

S・スティルス.jpg

オリンピックが近づいております。
今年からの新種目、女子ボクシングは注目してます。

何度かテレビで試合を見ましたが、馬鹿にしていたわけじゃないけど、そのレベルの高さにびっくり。アマもプロも。

ただ「しずちゃんフィーバー」は疑問。
前回のアジア大会で韓国の高校生(彼女は優勝はおろかメダルさえ獲っていない)に一蹴されてもまだマスコミの熱さめやまずだもの。

五輪出場の条件が世界選手権ベスト8だそうだけど、なんでも世界各国から40人とか50人とかがエントリーしているらしく、まず無理だろうなぁ。勝負の世界だから何が起こるかわからない、とはいえ。まだフライ級の箕輪選手(彼女は強い)のほうが可能性がある。

あたりまえだけど試合というのは相手があるもので、何人ぐらいが出場するのかとか、どういう強豪がいるのか、という重要な情報はいっさい無視して、ひたすらしずちゃん情報だけを流し続けるテレビ、新聞。少なくともまともなスポーツの情報じゃないね。まさに芸能情報のノリだもの。

ふだん地味なアマチュアボクシング連盟は、これぞ宣伝のチャンスとばかり、そうした「芸能報道」(大手新聞社まで)にのっかっちゃった。賢いね。

ようやく終焉した「猫ひろしフィーバー」もそうだけど、マスコミはなんで実力の伴わない選手を話題づくりのためだけに「いざ、オリンピックへ」などと大げさに煽り騒ぐのかなぁ。これらの騒動を苦々しく思っているアスリートは少なくないと思うんだけど。

と、まぁ軽~くジャブでウォームアップしておいて、いざ本番の音楽へ。

前々回、三つの歌として「ラテン・ジャズ」をやりましたが、これがすべて演奏のみ、ヴォーカルなし。
「どこが歌なんや」とセルフツッコミをしつつ、失地回復をと再びラテンを。

まぁひとくちにラテンといいましても、サンバやサルサなどの激しいリズムのものから、情熱的なタンゴやルンバ、郷愁的なボサノヴァやボレーロ、あるいはフォークロアなど幅広いのですが、あくまでアレンジと雰囲気を重視しつつ、今回はポップスで三つ選んでみました。

コパカバーナCopacabana(バリー・マニロウ)

1978年のヒット曲。日本でもそこそこ流れていました。
コパカバーナはブラジルはリオにあるリゾートビーチらしい(当然いったことがない)が、この歌にうたわれている「コパカバーナ」はニューヨークのナイトクラブのこと。

そういえば日本にも昔、赤坂にナイトクラブ、コパカバーナがあった。
日本人で、のちにインドネシアの大統領夫人になったデヴィ夫人が勤めていたことでも知られている。

ストーリーは恋に落ちた踊子のローラとバーテンダーのトニーの悲しき恋の物語。
銃声がしたり、クラブが血の海になったりと、ノリのいい歌にしてはけっこう凄惨。

スウェイSway(マイケル・ブーブレ)

キューバ生れのチャ・チャ・チャをベースにメキシコで生まれた「キエン・セラ」が本歌。
1950年代に、ポップスにアレンジされて、ディーン・マーチンローズマリー・クルーニーらによって知られるようになった。

日本では昭和30年代のラテンブームで、トリオ・ロス・パンチョスなどがうたっていたおなじみの曲。したがって「スウェイ」というよりは「キエン・セラ」のほうが通りがいい。
日本盤もアイ・ジョージ、坂本スミ子はもちろん、水原弘ザ・ピーナッツ、新しいところでは(でもないか)小野リサで聴ける。小林旭「キエンセラ・ツイスト」なんてのもある。

近年では映画、アメリカ版「シャル・ウィ・ダンス」でプッシーキャッツ・ドールズPussycat dolls がうたっていたようだし(観てません)、カナダのマイケル・ブーブレもファーストアルバムに入れていました。

パナマ Panama(スティーヴン・スティルス)

これは前のふたつにくらべるとかなりマイナーな歌。
スティーブン・スティルスはロックファンにはいうまでもないだろうが、バッファロー・スプリングフィールドから、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュと組んだCS&N、さらにはニール・ヤングを加えたCSN&Yで活躍したロッカー。

この歌「パナマ」は、アメリカの少年が異境の地パナマで初体験をするというストーリー。いつもながらフランク・ザッパというか、大雑把な説明。

スティルス自身、父親の仕事の関係で子どもの頃パナマに住んでいたというから、実話なのかもしれない。

パナマはご存じのとおり、北米と南米をつなぐ、パナマ運河のある国で、音楽事情はなじみがありませんが、ペレス・プラードやトリオ・ロス・パンチョスなどで日本でも知られているボレーロ、「ある恋の物語」Historia de un amorはパナマ産。

「パナマ」はギタリストでもあるスティルスの音楽性の幅広さを感じさせるノスタルジックなフェヴァリットソング。

やっぱりラテンはいいなぁ。
日本人のラテン好きは戦前のタンゴブーム(ドイツ経由が多かったけど)まで遡る。
となればやっぱり、日本のラテン系、つまりラテンJポップやラテン歌謡曲なんかも聴いてみたい気がしてきました。


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