三つの歌●絶望 [day by day]
♪忘れられないけど 忘れようあなたを
めぐり逢うときが ふたり遅すぎた
愛の炎は消し 暗い絶望だけ
胸に抱きしめて 僕は生きてゆく
だけど もしも ここにあなたが
いたなら 駆け寄り すぐに抱くだろ
あなたを 連れ去り 逃げていきたい
(「許されない愛」詞:山上路夫、曲:加瀬邦彦、歌:沢田研二、昭和47年)
食事のあと、テレビもつまらないので音楽を聴きながらブログを書いてます。
60年代のカヴァーポップス。いまミコちゃんの「子供ぢゃないの」が終って、ミッチー・サハラの「夢見るシャンソン人形」が流れてきました。あらためてきくとミッチー・サハラ、歌が上手ですね。フランス語もきれいだし。
ではおっぱじめます。
希望を抱くのが人間ならば、絶望するのもまた人間。
ならば、「希望」の次は「絶望」で。
まあ、よくいえばバランス感覚、ふつうにいえば思いつきということ。
しかし「絶望」、かなりキツイ言葉です、なにせ望みを絶ってしまうのですから。決定的です。字面もななんとなく、書きたくないし、見たくもない単語です。
だからマス・メディアでもあまり頻繁にはつかわない。
たとえば、山の遭難で数週間が経過したとしても新聞の一般紙やテレビの報道では「絶望」とは書かないし、コメントしない。
常識的に考えれば「絶望」であっても、1%の可能性があれば、やはり使わない。その家族への配慮もあるでしょうし。
「絶望」という言葉をいとも簡単につかうのは、スポーツ新聞や週刊誌。
はたして山の遭難で「絶望」という言葉をつかうかどうかはわかりませんが、スポーツ、芸能のエンタメ系ニュースではしばしば見るし、耳にする。
それでも、たとえば
「××投手 左アキレス腱断裂 今季の出場絶望的」
などのように絶望ではなく「絶望的」と「的」をつけてインパクトを抑えたり。
さらに遠慮がちになると「絶望的か」なんて小さな「か」をつけたり。
それほど「絶望」という言葉には悪魔的な“文字霊”が宿っている。
だから流行歌では、あまり使われない。
かといって全然ないわけじゃない。だけど、「希望」に比べるとはるかに少ない。
すぐに思い浮かぶのはゴールデン・カップスの「絶望の人生」。
これは[I got a mind to give up living]というブルースをカヴァーしたもの。
マモル・マヌーがヴォーカルをとっています。
そして、前向きになんか生きたくはない、過去と向かい合ってメソメソしたいんだと、先頭を走る者のシンドさをうたった岡林信康の「絶望的前衛」。
さらに絶叫的絶望的絶唱音頭は、サンボマスターの「絶望と欲望と男の子と女の子」。
もひとつあげるなら暗く消えてしまいたかった灰スクールの頃をうたった奥田美和子の「絶望の果て」。「二人」というアルバムの中の曲で、その中の「青空の果て」も詞がやや異なるけど旋律は同じ絶望ソング。この2曲を含め全13曲のすべてを柳美里が作詞している。そりゃ、暗くもなろうさ。絶望もしようさ。
と以上ピックアップした4曲は、ポピュラリティーがないとか、いまいちピンとこないなどの理由で、「三つの歌」としては選外。
というより、他にとりあげたい歌があったということ。では。
①絶望グッドバイ(藤井隆)
平成14年というから昭和歌謡ではないけれど、なにしろ作者が松本隆に筒美京平だから昭和の香りが芬々。ちなみにこのコンビのヒット曲はあまたあって、「東京ララバイ」<中原理恵)、「セクシャル・バイオレット№1」(桑名正博)、「スニーカーぶるーす」(近藤真彦)、「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)などなど。
で、この「絶望グッドバイ」は彼女との別れに絶望する彼という設定。
その悲しみがあまり伝わってこないのは、ダンサブルなアレンジが原因かも。
松本隆の詞も「僕のズック靴いつも躓く」なんて、どうでもいいことを入れてくるから気になって悲しみが薄れてしまうのかも。
それほど絶望して取り乱しているのだ、といわれればそうとも思えるけど。
だいたい平成の時代に「ズック靴」はないだろう。
そういうところとか、谷川俊太郎や寺山修司の名句をシレッとつかってみたりしているところが個人的には気に入っています。
②許されない愛(沢田研二)
やっぱり「絶望感」を出すにはバラードでなけりゃ。
これは不倫にピリオドを打つという流行歌の定番「あきらめ節」。なるほど絶望感は出ています。
その詞はいずみたくグループの山上路夫。暗い旋律はワイルドワンズの加瀬邦彦。
そしてなによりも、沢田研二の「泣き節」がその絶望感をより高めています。役者やのぉ。
昭和47年のヒット曲で、その翌年にやはり加瀬邦彦が今度は安井かずみと組んでつくった「危険なふたり」でレコード大賞をとることに。
個人的にはそのふたつの曲の間につくられた、やはり安井・加瀬コンビの「あなたへの愛」が沢田研二のベストソングなのですが、絶望のかけらもないラヴソングなので、いつかまた、ということで。
ところで、奥田美和子の歌ではないですが絶望の果てとは。
そうです自ら命を絶ってしまうこと。つまり最も大きな絶望。
去年もそうだったようですが、毎年3万人もの自殺者がでているとか。
その自殺が出てくる、あるいはほのめかす歌もいくつかあります。
たとえば、「このまま死んでしまいたい」とうたう「アカシヤの雨がやむとき」(西田佐知子)。
自殺者がふえているという新聞記事を“引用”した「傘がない」(井上陽水)。
そして、まさにこれから自殺しようとしている女性を主人公にした「帰らざる日々」(アリス)。
さらには貧しさと世間に絶望しての道行き、「昭和枯れすすき」(さくらと一郎)など。
しかし、ここでの三つ目の歌は、また別の意味で世を儚んでいる歌を。
③マリリンモンロー・ノーリターン(野坂昭如)
「この世はもうじきお終いだ」と、末法思想のお題目のようにはじまる昭和46年の歌。
歌手・野坂昭如絶頂の頃。ほかにも「バージン・ブルース」とか「終末のタンゴ」、「黒の舟唄」、「花ざかりの森」などいい歌がいくつもありました。
これらの歌はすべて桜井順の作詞作曲(作詞は“能吉利人”のペンネームで)。野坂と桜井は三木鶏郎グループ「冗談工房」の仲間。
それにしても、この歌のヒントになっているのがマリリン・モンローが主演し主題歌をうたった「帰らざる河」であることはもちろん、この歌そのものももはや忘れられているのではないでしょうか。
野坂さん、脳梗塞に倒れながらも、いまだ健筆をふるっているとか。
しかし、あらためて考えると、希望があるから絶望するんだな。
希望が大きければ大きいほど、絶望も深くなる。
だとすれば、希望なんかもたなければ、絶望することもない。
だけど、やっぱり希望がないと生きていけない。おもしろくない。
そう考えると、「希望」を抱くにしても、ささやかで小さいもののほうがいいのかも。
せいぜい中ぐらいで、決して大きな希望などいだかない方がいい。「ちっちぇい奴だ」などと、他人からどんなに詰られても。
これを「希望中小」といったりする。
いつまでたってもシリアスになりきれないわたしです、許してやってください。
いま、流れているのは斎藤チヤ子の「失恋の海」。なにしろ80数曲、5時間弱ランダム設定のMDなので、まだ当分聴いていられます。では。
カラオケへ行ってよく歌う歌が「黒の舟歌」、
けっこう暗い歌も好きなのです。
レコードを買いだした時期、
長谷川きよしのアルバムで、覚えたもの。
つい先日は、タイガースの再結成をテレビで見ました。
グループサウンズ時代はあまり気にならなかったのですが、
沢田研二もいいですね!
by toty (2012-01-22 23:05)
totyさん、返事がおくれましてすみません。
「黒の舟歌」、長谷川きよしと野坂昭如、甲乙つけがたいです。
ほかでは加藤登紀子や石川さゆりがアルバムにいれてます。
名曲なんですね。
タイガースはみてませんが、再結成ということは瞳みのるが加わったんでしょうか。でも、長すぎですね、戻ってくるのが。
by MOMO (2012-01-31 23:23)
瞳みのるが戻ってきたのです。
すべて、その番組で知ったのですが、
タイガーズの忙しさやもろもろの気持ちを経験したら
受験なんて大したことなく、
希望の大学に入って、高校の先生になっていたそうです。
そのギャップに驚きました。
トークの場面、ちょっと理屈っぽいというか
教師っぽいなと思いながら、聞いていました。
ブランクあっても、ドラムたたいていました。
by toty (2012-02-01 01:00)
そうでしたか。
むかしから理屈っぽいイメージがありました。
何かの番組で音楽評論家の司会者が「最近の世界の傾向は……」
なんて語ったら、ピーが、
「傾向なんてないんだよね」
と言って、周囲を凍らせていましたから。
そこが彼の魅力でもあったのですが。
by MOMO (2012-02-07 11:59)