三つの歌●二葉あき子 [day by day]
♪黒髪 風に なびかせて
夕日に 歌う アヴェマリア
乙女の夢は アマリリス
花のこころを 知るや君
(「純情の丘」詞:西條八十、曲:万城目正、歌:二葉あき子、昭和14年)
またしても訃報です。
昨日、追われるように「エルヴィス」をパソコンに打ち込み、遅い夕食を食べながら夕刊を開くと、二葉あき子さんの訃報が載っていた。
次回もういちど「プレスリー」をやるつもりだったのですが、変更して二葉あき子さんを偲びたいと思います。
彼女の全盛期は戦前から昭和20年代半ば頃あたりでしょうか。
もちろん、昭和30年代に歌謡曲に目覚めたわたしは、その頃を知りません。
それでもナツメロ歌手として、そうした類のテレビ番組で拝見してはいました。
また、いにしえの本には、彼女がいかにビッグスターだったかということが書かれておりました。
戦前では、渡辺はま子、高峰三枝子、ミス・コロムビア(松原操)、李香蘭らと肩を並べる人気歌手だったようです。
二葉さん(本名・加藤芳江)は広島生まれで、昭和20年8月6日の原爆を投下された日、偶然にも慰問団として故郷を訪れていたという。
そして、「その瞬間」は列車で移動中で、トンネルの中だったという幸運。
もし、もう少し列車の出発が遅れていたら、名曲「水色のワルツ」はほかの誰かがうたうことになっていたかもしれない。
そんなエピソードが、戦後苦しめられたヒロポンの話や処女喪失の話などとともに、彼女の自叙伝「人生のプラットホーム」に書かれている。
では、三つの歌を。
① 「純情の丘」作詞:西條八十、作曲:万城目正、昭和14年
この頃の歌謡曲は映画とリンクしていて、この歌も松竹の「新女性問答」という映画の主題歌。乙女チックな詞はいかにも西條八十らしい。
作曲の万城目正は、昭和流行歌の大作曲家で、戦前なら「旅の夜風」(霧島昇・ミス・コロムビア)、戦後なら「リンゴの歌」(並木路子)、「この世の花」(島倉千代子)、「あの丘越えて」(美空ひばり)で知られている。
昭和30年代に高石かつ枝がカヴァーしている。
② 「水色のワルツ」作詞:藤浦洸、曲:高木東六、昭和25年
歌謡曲嫌いの作曲家・高木東六唯一のヒット曲。それでもこの曲以外、美空ひばりや池真理子らに数曲書いている。
昭和歌謡史に残る名曲でカヴァーする歌手も多い。
格調高い詞は、淡谷のり子の「別れのブルース」や「東京キッド」など美空ひばりの初期の歌を書いた藤浦洸。昭和30年代はNHKの「私の秘密」などにも出演していたタレント作詞家。
③ 「なつかしの歌声」詞:西條八十、曲:古賀政男、昭和15年
服部良一のタンゴ、「夜のプラットホーム」とどちらにしようか迷いましたが、やはり古賀メロディーをとりました。
この曲は藤山一郎とのデュエットで、後年は彼のソロとしてうたわれることが多かった。
昭和40年代だったか50年代だったか、東京12チャンネル(地デジ化のいまは違うのかな)のナツメロ番組のテーマミュージックとして使われていたような記憶が。
高木東六ではないですが、歌謡曲が嫌いだった父親が、何気なく口ずさんでいるのを子供だったわたしは、聞きのがさず、記憶に強く刻んでおいた。
そんな思い出のある曲です。
二葉あき子さん、96歳といいますから大往生です。
ご冥福をお祈りいたします。
こんにちは、お邪魔します~
by anjizhu33 (2011-11-14 14:17)
anjizhu33さん、はじめまして。
読んでいただいてありがとうございます。
by MOMO (2011-11-16 22:28)