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VOICE①高音 [noisy life]

ダークダックス・ロシア民謡.jpg 

♪雪が降ってきた ほんの少しだけど
私の胸の中に 積りそうな雪だった
幸せをなくした 暗い心の中に
冷たくさびしい 白い手がしのびよる

(「白い思い出」詞、曲・山崎唯 歌・ダーク・ダックス他、昭和43年)

ダーク・ダックス高見沢宏さんが亡くなってしまいました。
そのまえには「けいちゃん」こと山下敬二郎さんが亡くなっている。

ともに70代でまだまだという思いです。
昭和30年代がますます遠ざかっていくような。

高見沢さんはダークのなかでトップテナーを担当していました。テナーつまりテノールは男の声域の「高音」ですね。
山下の敬ちゃんもまた、高音のロケンローラーでした。

だいたい日本の流行歌の場合、とりわけソロシンガーでは比較的高音が主流ではなかったでしょうか。音域が広かったりファルセットがつかえたりというケースもなくはないですが。

最近のJポップは、といってもまるで疎いのですが、B’zとか平井堅などはそうじゃないでしょうか。女性ならば広瀬香美、演歌でいえば氷川きよしも高音の部類でしょう。

古に遡って、戦前の歌謡曲ではまさに「高音主流」がみてとれます。

代表的なシンガーをあげると、まずは藤山一郎

ほかでは、
松平晃がそうですし、楠木繁夫もそう。さらに灰田勝彦
またジャズの二村定一中野忠晴がそうですね。

戦後になっても、高音シンガーは続きます。

昭和20年代でいえば、近江俊郎、岡晴夫、小畑実、岡本敦郎、津村謙

さらに30年代になっても、
三橋美智也、春日八郎、若原一郎、曽根史郎、藤島桓夫、真山一郎、三波春夫、小林旭、井沢八郎、白根一男、北島三郎、佐々木新一と出てくるわ出てくるわ。

なんでですかね、この「高音天国」。
ハイトーンの歌声というのは、リスナーにとって心地よいというか、気持ちを高揚させてくれる効果があるのでしょうか。また、高音の方が聴きとりやすく歌詞がはっきりと伝わってくるということもあるのかもしれません。

ただフォークやニューミュージックの時代になると、さすがに「天国」とまではいえなくなります。もちろん井上陽水松山千春など「高音シンガー」もいますが、決して主流ではなく、どちらかといえばマイノリティーになってきます。

となると、戦前から昭和30年代あたりまでの「高音主流」の現象は、クラシックの歌唱法をひきずった、いわば「高音信仰」というか、制作側およびリスナーの大いなる錯覚だったのではないか、という気さえしてきます。

女性の場合は、もともとが男より高音ですし、戦前はいまいったようにクラシックに影響された歌唱法で男性同様「高音天国」だったようです。

そんななかでもよりハイトーンだったのは、小林千代子渡辺はま子、ミス・コロムビア、松島詩子、市丸、小唄勝太郎などが戦前。
戦後では並木路子菅原都々子島倉千代子花村菊江野路由紀子日吉ミミ……など思いつくままに。

最後に、亡くなった高見沢さん、敬ちゃんを偲んで、
ダーク・ダックスロケンロールを。

だいぶ出遅れましたが、みなさま今年もよろしくお願いします。


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冬歌②雪に映える薔薇のごとく [noisy life]

Emmylou Harris Luxury liner.jpg 

I met my darlin' in the springtime
When all the flowers were in bloom
And like the flowers our love blossomed
We married in the month of June

Our love was like a burning ember
It warmed us as a golden glow
We had sunshine in December
And threw our roses in the snow
([Roses in The Snow] written by Ruth Franks, vocal by Emmylou Harris, 1980)

早いなぁ、一年。
いよいよ押し迫ってまいりました。

今年の内に掃除して、今年の内に散髪して、今年の内に支払いを済ませて、今年の内に賀状を書いて、今年の内に正月用の買物済ませて、今年の内にしばらく会っていない友人に会って、今年の内に医者へ行っといて……ってなんなんですかね、この焦燥感。毎年。

まぁ、たしかに区切りがあったほうが、生きてておもしろいんだろうけど、そんなもとっぱらってダラダラ、ヌルヌル暮して行ったってちっとも困らない。
今年は思い切って全部年が明けてからにすっかな。……なんて。

いっそブログの更新もなんて思ったけど、書いてしまいました。

いまさら冬の歌だもんね。こういうのは冬のとばくちでやるもんで、どっぷり冬に漬かってしまってからやるのはちっとも粋じゃない。かといって帰りでもないか。

やっぱり今年の締めはフェヴァリットソングで終わりたいな。
それも久しくやってないからカントリーで。

これは冬に限らずなにかにつけて聞きたくなるフェヴァリットソング「ロージズ・イン・ザ・スノウ」
邦題では「雪に映える薔薇のごとく」なんてなってます。
ちょっと固いというか、叙情がすぎるよね。せいぜい「雪とバラ」とか「雪の上の薔薇」とかね。ピンとこない? そうか。まぁとにかくそういうタイトルです。

春に巡りあい、六月に結ばれた。
ふたりの愛は、冬の太陽や雪の中のバラのように、いつも暖かかった。
でも彼は神に召され、思い出だけが残った。
今年の冬、雪が降ったら、あの丘にある彼のお墓にバラを飾ろう。

という詞も曲も美しい、情感たっぷりのブルーグラスナンバーです。

もちろんオリジナルはエミルー・ハリスEmmylou Harris。

この歌が入った同名のアルバムが発売された頃、わたしは駿河台の坂の途中にある中古レコード店で初めてエミルーをみつけました。

そのアルバムのジャケットは、カントリーシンガーにこんな美形がいるのかというほどの美しい女性の顔のどアップ。

 [LUXURY LINER]という輸入盤で、収録曲のリストをみるとカーター・ファミリーThe Carter Familyの「ハロー・ストレンジャー」Hello Stranger が入っていた。それでおもわず手に取りレジへと向かったというわけ。(いや、それだけの理由で買うかな? 半ばジャケ買いに近かったかも)

しかしこの買物は大成功。
1曲目がアルバムタイトルと同名の「ラグジャリー・ライナー」で、公私ともエミルーに多大な影響を与えたグラム・パーソンズGram Parsons の軽快なカントリーロック。これがまずイカしてました。

ほかにもチャック・ベリーChuck Berryのロケンロール「ユー・ネヴァー・キャン・テル」You Never Can Tell が入っていたり。
また、初めて聴くエミルーのクリスタルヴォイスはイメージと違ったけど、それはそれで魅力的でした。

こうなったらもう“追いかける”しかない。
次の休日秋葉原の石丸電気へ行って「ベスト盤」を購入。これがまた期待を裏切らない“名盤”。

トラディショナルの「見知らぬ旅人」Wayfaring Stranger や「緑の牧場」Green Pastures、オールディーズの「ミスター・サンドマン」Mister Sandman 、ハンク・スノウHank Snowのカントリークラシック「ムーヴィン・オン」I’m Movin’ On 、ドリフターズThe Driftersの「ラストダンスは私に」Save The Last Dance For Me 、おまけにボーナストラック日本限定で「テネシー・ワルツ」Tennessee Waltz とおなじみの曲が目白押し。まさにいいとこ取りの「ベスト盤」。

そんななかでいちばん気に入り、テープにダビングして何度も聴いていたのが初耳だった「ブルー・ケンタッキー・ガール」Blue Kentucky Girl
都会に憧れて旅に出た恋人を想う田舎娘の気持ちをうたってます。
「ダイヤも真珠もいらない、だから帰ってきて」と何やら「木綿のハンカチーフ」を想起させる健気な歌。

そしてその次に買ったのが、いまでもわたしにとってのエミルーの“ベスト盤”になっている[ROSES IN THE SNOW]

このアルバムの魅力のひとつは彼女を支えるスゴメン。
トニー・ライス、ジェリー・ダグラス、リッキー・スキャッグスといったトッププレイヤーはもちろん、ゲストヴォーカリストにやがてグラミー賞アルバム「トリオ」Trioを出すことになるリンダ・ロンシュタッドドリー・パートン、さらにはウィリー・ネルソン、ジョニー・キャッシュといった重鎮も。

曲の構成もブルーグラスにトラディショナルやオールドタイミー、ゴスペルと盛りだくさんで、S&G「ボクサー」Boxerまでというサービスぶり。

でもやっぱりいまだに聴き飽きないのは哀愁たっぷりの表題曲「ロージズ・イン・ザ・スノウ」の魅力。

ところで、エミルーを聴くようになってしばらくして、ライナーノーツや音楽雑誌の記事などを読んで、実はエミルー初体験がかの「ラグジャリー・ライナー」ではないことに気づきました。

なんと知らない間にエミルーを聴いていたというわけです
そんなことが? あるのです。

エミルーがグラム・パーソンズによって表舞台に導かれる前、いろいろなアーチストのバックコーラスを務めていたのですが、レコード化されたその1枚がボブ・ディランBob Dylanの「欲望」Desire。もちろんリアルタイムで購入した1枚でした。

例の冤罪ボクサー、ルビン・ハリケーン・カーターのことをうたった「ハリケーン」Hurricaneが1番目に入っているアルバムです。

「ハリケーン」もいいけど、ラテンテイストの入った「コーヒーもう一杯」One More Cup of Coffee や「オー・シスター」Oh Sister など好きな曲がいくつもあるのですが、事情があってリテイクになった「ハリケーン」以外でエミルーの声が聴けます。
とりわけ美しい曲「オー・シスター」はバックコーラスというよりディランとのデュオ。

ところで冒頭の「ロージズ・イン・ザ・スノウ」をうたっているアーチスト。
YOU-TUBEでみつけたのですが、ヴォーカルはヨランダ・ペテルスJoranda Petersというのでしょうか(自信ない)、オランダ人のようです。演奏は4WDというドイツのバンド。つまりヨーロッパのブルーグラスですね。

ヴォーカルが素晴らしい。エミルー風にうたっていますが、本家よりうまいかも。
バンドの方は、フィドルがヴァイオリンになってたりバンジョーが硬かったりと格調がありすぎる気もしますけど。

日本にだってブルーグラスバンドはいくつもあるのですから、ヨーロッパにあったって不思議じゃありません。
ノルウェーにはヘイディ・ハウゲHeidi Haugeという素晴らしいいカントリーシンガーがいますしね。

最後はもう一度エミルーの「ロージズ・イン・ザ・スノウ」を、ライヴヴァージョンで。彼女のミニスカはめずらしい。

今年一年お付き合いいただきありがとうございました。
それではみなさま、よいお年を。


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冬歌①寒い夜 [noisy life]

男と女・昭和編.jpg

♪(♀)邪魔をしないと誓うから 横へ行ってもいいかしら
 (♂)縁というやつへんなやつ 興味持ったが身の不幸
 (♀)そうねそうかもしれないわ なぜかあなたが気にかかる
 (♂)ひとり飲むのもお酒なら ふたり飲むのもまたお酒
 (♀)これが固めというじゃなし 寒い夜更けがいやなだけ
    ララララ ララララ
(「男と女・昭和編」詞:阿久悠、曲:みなみらんぼう、歌:みなみらんぼう&井手せつ子、昭和53年)

いよいよ寒波がやってくるとか。
冬だものそうこなくちゃ。

今晩も寒いねえ。ってことで今日は「寒い夜」の歌を。

「寒い朝」っていうのは石坂洋次郎の青春小説で、吉永小百合主演で映画にもなりました。
歌も小百合ちゃんと、和田弘&マヒナスターズでヒットしましたね。昭和37年のことです。

で、「寒い夜」っていうのは? これがあるんです。はじめて知りました。
まずそのものズバリ、松山千春「寒い夜」が。
ほかでは郷ひろみ「寒い夜明け」trfには「寒い夜だから」なんていうのも。

寒い夜を過ごすには。
暖房つければいいじゃん、ってそれじゃ味気ってものがない。

やっぱり温まるにはナベだのモツだのをつつきながらアルコールを体内に流し込むのがいちばん。いまはちょうどそんなシーズンだしね。

先日も行ってまいりました忘年会。
最近は少し事情がありまして二次会は欠席、日にちがまたがないうちに帰宅するようにこころがけているのですが、それがいささかもの足りない。

でもまぁ、いいものですね酒の席は。とりわけ気の置けない、縦関係のない席がいちばん、楽しく酔えるし、後味もいいときている。

皆と別れて電車に揺られ、駅から家まで10数分の道のり。
奥歯ガチガチに鳥肌立てて夜道を歩いていても、からだの芯がポカポカ加減で思わず笑みがこぼれて、それを再確認するために小さく声をだして笑ったりして。

冷たい夜風をガードしてくれるこの暖かさの正体は。
そりゃたしかに鍋やアルコールのせいも少しはあるかもしれないけれど、やっぱりさっきまで顔つき合わせていた飲み仲間のせいでしょう。

抑えきれない顔のほころびは、さっきの冗句やバカ話を反芻しているわけで、その“陽性イオン”が夜の冷気を跳ね返しているってこと。

楽しい時間を過ごすには、いきつけの店で、顔見知りと飲むのがいい。
でも、たまには知らない店へ行って、はじめての面々と交流するっていうのも新鮮かも。
別に相手は異性でなくてもいい。異性ならもっといいけど。

ひとりカウンターで飲んでいると、見知らぬ女が隣に座ってもいいか、と声をかけてくる。
チラッと見上げると、決して若くはないけど、分別つきすぎってほどでもない。いまでいうコラサー、いやアラサー近辺。

「なんでオレなんかに……」
なんて、野郎は心にもない謙遜でさぐりを入れる。
「そうね、……寒い夜がいやなのよ」
〈なんでぇ、オレはストーブかよ。でもまぁ、そんなとこかもな。いいよ、気がすむだけあたっていきなよ。オレだってひとりよりかは、その方が暖ったかいんだから〉

そんな歌がみなみらんぼう井手せつ子のデュエットソング「男と女・昭和編」

この歌で注目すべきは作詞が阿久悠だということ。
見知らぬ同士が酒場という空間で出会い、束の間を過ごす。おそらく“看板”になればそれぞれ別の方向へ帰っていき、多分もう二度と逢うことはない。という感想を抱かせる阿久悠独特のクール(ほかの言い方だと気取ったともいいますが)な世界。

これは昭和53年の歌ですが、その4年後、阿久悠はふたたび酒場を舞台に男と女の刹那的な時間を描いた歌をつくります。

それが「居酒屋」
やはりデュエットソングで五木ひろし木の実ナナの歌唱。
今度は「男と女・昭和編」とは反対に男がひとりで飲んでいる女に声をかけるというのがおもしろい。

ふつう、声をかけるのは男でしょう。だから「男と女・昭和編」は稀なケース、というか男の妄想・願望で生まれたワンシーン。

それをいうなら、「居酒屋」だって。
だいたい、女がひとりで飲んでいるシーンなんてめったにお目にかかれない。

たまにそういうケースがあったとしても、声をかけようかどうか迷っていると、
「お待たせ」
なんてしっかり野郎があらわれたりして。

ま、あくまで流行歌の世界ですから、リアリティを追求するとややこしくなっちゃう。

ただ同じ阿久悠が創造した男ではありますが、「居酒屋」の男はいささか三枚目。
「名前きくほど野暮じゃない」
ってカッコつけたはいいけれど、雨が降ってきて、女は
「やむまでここで飲んでるわ」
というと、男は、
「しょうがない、じゃオレも朝まで付き合うか」
と二枚目を気取ってみせる。

ところが女は、
「別に(エリカ様風)気にすることないから、さっさと帰ってよ」
とアッサリ。

男にとっちゃ結構ダメージあるよね、こういう躱され方。でも「さっさと」ならまだいいよね、「とっとと」なんていわれた日にゃ再起不能もんだもん。

そんな男はどうするか。
「やっぱり独りで飲むのが無難だなぁ……」
なんて。

そして
♪お酒はぬるめの 燗がいい
 肴はあぶった イカでいい
 女は無口な ひとがいい
 …………

って独り酒の心境に。

これが阿久悠の「酒場三部作」(勝手に言ってる)の三作目「舟唄」(八代亜紀)につながってくる。

実際には「舟唄」は「男と女・昭和編」の翌年につくられた歌、つまり「居酒屋」より前につくられているのですが、順不同? ってことで。

しかし、さすが阿久悠ですね。「酒場三部作」で三人三様の男を描いております。
あなたはどの男にあてはまるのでしょうか。
わたしは……、んなこと聞きたくもないよね、どうでもいいよね。

そう「寒い夜」でした。
歌詞のなかに「寒い夜」が出てくる歌もいくつかあります。

「酒場」がらみでいえば南こうせつとかぐや姫「赤ちょうちん」
♪覚えてますか 寒い夜 赤ちょうちんに 誘われて
とあります。

そのほか「安奈」(甲斐バンド)、「白いブランコ」(ビリー・バンバン)、「夜と朝のあいだに」(ピーター)、「都会の天使たち」(堀内孝雄&ケイ・ウンスク)、「みちづれ」(渡哲也、牧村三枝子)などにも。
そして阿久悠にももう1曲。「ざんげの値打ちもない」(北原ミレイ)の冒頭に、
♪あれは二月の寒い夜
と出てきます。

さてさて寒い夜です、どなたさまも風邪などひきませんように。


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秋歌③失恋の海 [noisy life]

失恋の海.jpg


The lights in the harbor
Don’t shine for me
I’m like a lost ship adrift on the sea

Sea of heartbreak
Lost love and loneliness
Memories of your caress so divine
I wish you are mine
Again my dear
I am on this sea of tears
Sea of heartbreak
([SEA OF HEARTBREAK] written by PAUL HAMPTON and  HAL DAVID, vocal by DON GIBSON, 1961)


いつも通る公園の彼岸花が咲きそろいました。やっと秋らしくなってきました。

で、なんとか秋の歌をもう1曲。

秋になるとつい口ずさみたくなるのが、
♪今はもう秋 誰もいない海……

という「誰もいない海」
淋しくても、つらくても「死にはしない」という詞が新しかった。
でも本心は死にたい思いなのでしょう。それほど辛い失恋だったのでしょう。

トワ・エ・モアでヒットしましたが、秋に似合うシャンソンということで昨年亡くなった大木康子で聴いてみたい。

自分以外に誰もいない海、まさに失恋の海です。
そんなタイトルの歌がカントリーにありました。

「失恋の海」Sea of Heartbreak 。
1961年、ドン・ギブソンでヒットしました。

〈君を失くした僕は海に漂う船みたいなものさ。君が帰ってきてくれなければ僕は永遠にこの海を漂うことになる。もし岸にたどり着き君の腕の中へ戻ることができるならばなんでもする。だから戻ってきておくれよ〉
というハートブレークソング。

ドン・ギブソンは1928年ノースカロライナ生まれで、ネイティヴアメリカンの血を引くカントリー・シンガー。
ドン自身も「失恋の海」や「ロンサム・ナンバー・ワン」Lonesome Number One のヒット曲がありますが、それよりも他人にカヴァーされてビッグヒットとなったソングライターとして知られています。

彼の初ヒット「スウィート・ドリームス」Sweet Dreams はパッツィ・クラインがカヴァーし、さらにはエミルー・ハリスがうたって1976年にカントリーチャートで1位に輝いています。

また「オー・ロンサム・ミー」Oh Lonesome Meはジョニー・キャッシュストーンウォッシュ・ジャクソンらのカントリー・シンガーにもカヴァーされましたが、1970年にニール・ヤングNeil Young がロックにアレンジしてヒットさせ、ロックファンの知るところとなっています。

そしてさらに「愛さずにはいられない」I Can’t Stop Loving You はコンウェイ・トゥエッティキティ・ウェルズをはじめ多くのカントリーシンガーの愛唱歌となりましたが、最大のヒットは、みごとにソウルにアレンジしたレイ・チャールズRay Charlesのヴァージョン。

ではカントリーチャート2位になった「失恋の海」は?

実をいいますと、本家ドン・ギブソンで聴く前に“カヴァーシンガー”で聴いていたのです。おまけにそのシンガーのオリジナルだと思っていたのだから情けない。
それがジョニー・キャッシュJohnny Cash。

そんなわけで、どうしてもこの「失恋の海」はドン・ギブソンではいささか物足りないのです。ジョニー・キャッシュのあのスゴミのある声で聴かないと恋を失くした男の哀愁が伝わってこないのです。
「黒い花びら」水原弘でないとダメなのと同じで。

実は……、実を申しますと、この「失恋の海」、いちばんはじめに聴いたのはジョニーさんでもないのです。ケニー・プライスかって? でもないんです。

実は(しつこいね)、斎藤チヤ子が“初体験”だったのです。
♪港の灯が ひとつずつ 消えてゆく 夜更けよ
っていう安井かずみさんの詞で。

残念ながら斎藤チヤ子盤がYOU-TUBEにないので(ありまし。すぐに消えるかも)、同じ女性の「失恋の海」ということでジョニー・キャッシュの娘ロザンナRosanne Cashで。

チヤ子さんの「失恋の海」は「愛のバルコニー」Papa for Me You Build BalconyのB面でした。
この「愛のバルコニー」、カントリーではないんですけど(原曲はターキッシュな感じ)、なかなかです。日本なので、マイナーチューンの曲をA面にするのは仕方ないかな。

ついでにいうと、斎藤チヤ子の最大のカヴァーヒットはニール・セダカ「小さな悪魔」Little Devil でしょうね。

カントリー向きの声で、英語でうたうともっと上手に聞えて、もったいなかったなぁ、あんなに早く引退するとは。
彼女が続けていたら日本のカントリーミュージックシーンも今とは変わっていたかもしれません。大袈裟かな。

それはともかく、失恋が似合う季節といえばやっぱり秋ですね。
太陽に煽られた熱狂から醒めて冷静になってみると、
「あれっ? よくよく考えてみるとアイツ自分のタイプじゃない。……なにしてたんだろいままで、自分……」
なんて“改心”しちゃって。
夏が過ぎたら秋が来た。なんて古典的なシャレをいってる場合じゃなくて。改心されちゃったほうはたまんない。

海へ行かずとも、公園のベンチか何かに腰掛けて、降り注ぐ枯葉を浴びながら一点をみつめて。
そばを通るオッサンに「いよッ、青年。いいね、物思いにふける季節、秋だねェ」とかなんとか冷やかされて。
物なんて思っちゃいない、ただ放心しているだけなのにね。

でも青年(青女、いや彼女でもいいですけど)、落ち込むことはない。そのうちわかるよ、とりあえず恋をしなくちゃ失恋もできないって。

これから来る冬はゆっくり休んで英気を養い、来年の春になったらまた新たなる恋に向かって走り出せばいいじゃないか。

そう、失恋したらいったん休んでまた走り出す。
これを「失恋レストラン」という。
……時節的に不謹慎だったでしょうか。


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秋歌②虫 [noisy life]

NSP.jpg
♪………………
 夕焼け雲さん 伝えてくれよ
 あの娘の お部屋の 窓際へ
 虫にさされるのは いやだけど
 肩をならべて いたいよと

 こんな河原の 夕暮れ時に
 呼び出したりして ごめんごめん
 笑ってくれよ ウフフとね
 そんなにふくれちゃ いやだよ
 …………
(「夕暮れ時は淋しそう」詞・曲:天野滋、歌:NSP、昭和49年)


いきなりの秋ですねぇ。余韻なしのあきですねぇ。……おまけに雨まで降っちゃって。
昨日なんか、低い雨雲が垂れこめて、いつも電車中から見えるスカイツリーのてっぺんが雲の中。それはそれで風情ものでした。

いまは雨も上がって、夜のしじまに耳をすますと、あれはたしかに秋の音。
そうです、ジージーという虫の声

蝉が盛夏を告げる音ならば、虫の音はまさに秋の到来を報せる音。
そんな秋の朝、天気予報で予報士が「もう暑くなることはありません」と断言。
……そこまではっきり言われちゃうと、つい数日までのあの猛暑がみょうに懐かしくなったりして……。

気を取り直しまして。
虫の歌といえば、定番の唱歌「虫のこえ」があります。
♪あれ松虫が鳴いている……
というヤツ。いまの小学生は音楽の授業でうたうのでしょうか。

いきなり「あれ」ではじまるところが唱歌っぽくていいですね。
流行歌じゃこうはいかないでしょ。
いや、待てよこんなのがあったっけ。
♪あれをごらんと 指さすかたに…… 「大利根月夜」田端義夫
こんなのもあった。
♪あれは二月の寒い夜……「ざんげの値打ちもない」北原ミレイ

ちょっと違うね。

とにかく唱歌「虫のこえ」には、松虫に続いて「鈴虫」、「こおろぎ」、「くつわ虫」「うまおい」が出てきます。

こういう具体的な虫の名前が出てくる流行歌もたしかにあります。
たとえば知られたところではチェリッシュ「てんとう虫のサンバ」とか、氷川きよしには「でんでん虫」とか。
変わったところではなぎら健壱「葛飾にバッタを見た」とか。

歌詞に出てくるものではチューブ「あー夏休み」に鈴虫がでてきたり。

ほかにズートルビー「水虫の歌」なんていうのもありましたし。
そんなんでよければ、「泣き虫」、「弱虫」「いじけ虫」なんかもありますし、「腹の虫」に「浮気の虫」って、そんなところまでいくつもりは毛虫、いや毛頭ありませんでして。

ただ、流行歌の場合、虫に関してはあまりディティールに拘らないようで、ただの「虫」とか「虫の音」というのが多いようです。

上に歌詞をのせたNSP「夕暮れ時は淋しそう」の虫は、「刺す」ようなのでかなり限定的。刺す虫といえばハチやアブもいますが、だいたいは蚊でしょう。

NSPは岩手出身の3人組叙情フォークグループで、デビュー当初は “略称”ではなく「ニュー・サディスティック・ピンク」といってました。

ほとんどの曲の作詞作曲をてがけた天野滋さんは残念ながら数年前に亡くなっています。

叙情フォークに徹底したバンドで、ほかにも「赤い糸の伝説」「線香花火」「遠野物語」「雨は似合わない」なんていい曲がありました。
とりわけデビュー曲の「さようなら」
「さよなら」「さようなら」の曲は数々あれど、わたしのなかではNSPがいちばん。

「夕暮れ時は淋しそう」もオカリナを使った叙情的なメロディーにのせて、あまり女の娘にモテそうもない男のつぶやきがとてもユーモラスでユニーク。
彼女になんとか逢いたいんだけれど、でも虫に刺されるのはいやだなぁなんて現実的なことを思っちゃう。

♪ごめんごめん ってすぐ謝っちゃうところがいかにも人が好さそうです。
そういう男が必ずしもモテるとは限らないところが人の世のうらめしいところ。何をいってんでしょ。

ところで、「蚊」の出番は夏ではないかという気もしますが、この歌の場合、「夕暮れ時」とか「淋しそう」という歌詞がどことなく秋をにおわせます。体験上からも秋に蚊がでてもすこしもおかしくない。

実際、俳句の季語にも「秋の蚊」はあります。別の言い方で「哀れ蚊」(あわれが)なんていったりもします。

さだまさしの秋歌「晩鐘」のなかにも、
♪時を失くした哀れ蚊のように
とでてきます。

そんなわけで「夕暮れ時は淋しそう」をあえて秋の歌としてとりあげてみました。

どうやら「虫」は叙情フォークの専売特許(いまどき言わねえだろ)のようで、
「通りゃんせ」佐藤公彦では
♪八月葉月の虫の音は……
とあります。

また、さだまさしの「線香花火」にも
♪虫の音に消えそうな 小さな声で……
と出てきます。

どちらも夏真っ盛りじゃないかって?
たしかに。
じゃ、こんなのはどうですか。
♪秋の夜はふけて すだく虫の音に 「倖せはここに」大橋節夫とハニー・アイランダース

ちょっと、いやだいぶ古かったけど。

まぁ、どれもこれも虫であっても「蚊」ではありませんけれど。

ところで「哀れ蚊」ですが、俳句では「残り蚊」とか「なごり蚊」などともいうようです。

とにかく秋の蚊ですから、夏の勢いはない。蚊遣り線香なんて使わなくても、早晩お亡くなりになることはあきらか。
そんなわけで、昔から「哀れ蚊には殺生はしない」といって見逃してやるのが、“人の道”なんだそうです。必殺キンチョールなんてもってのほか。

哀れ蚊に 仏ごころで ムヒを塗り


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秋歌●宵闇 [noisy life]

フランク永井.jpg 


♪宵闇 迫れば 悩みも 果てなし
 乱るる 心に 映るは 誰(た)が影
 君 恋し 口びる あせねど
 心は 乱れて 今宵も 更けゆく
(「君恋し」詞:時雨音羽、曲:佐々紅華、歌:フランク永井、昭和36年)

ようやっと寝苦しい夜から解放されそうです。

今年は馬鹿馬鹿しいほど暑かった。
そのわりに蝉の声があまり耳に届いてこなかったように思うのですが、気のせいでしょうか。それともあまりの暑さに参ってしまい「鳴く」のをやめたのかも。セミリタイアなんてね。

バカなことをいってないで、気候もよろしいようなのでさっそく秋の歌を。

午後7時になっても薄暮の状態が続いていた夏の盛りに比べるとだいぶ
日が落ちるのが早くなりました。

月の出が日の入りに間に合わない。
そんな夜の入口を「宵闇」といいます。いや、いいました。

いまや夕闇が迫るとそこここの街路灯がかがやきだす仕組みになっているようです(昔は町内会の人たちがヒモを引っぱって歩いたそうです。みたことないけど)。
だからグラデーションのようにだんだん闇が濃くなっていくということはなくなったのでは。

となると「宵闇」なんて言葉も聞かなくなってあたりまえなのかも。

宵闇の 牛の温みと すれちがう 細川加賀

「宵闇」は秋の季語です。
日の入り月の出のタイムラグが生じるのは秋だから、ということのようです。

「宵闇」の歌といえばやはり(私だけかも)、「君恋し」(フランク永井)に尽きます。
なにしろ“うたいだし”から出てくるのですから。

昭和36年の「レコード大賞」ですね。

作詞は時雨音羽、作曲は佐々紅華
いずれも流行歌黎明期の達人です。

とりわけ佐々紅華は、昭和初年の浅草オペラの誕生と発展に一役かったひと。

東京は根岸生まれで横浜育ち。今でいうデザイン学校を出てイラストレーターになるはずだったのが、なぜか音楽の道、それも作曲家へ。

初めのヒット曲が昭和3年の暮れに出た「笑い薬」
作詞も紅華がてがけ、いかにも軽演劇とかオペレッタのワンシーンといった内容。

その直後に発売されたのが「君恋し」。
どちらもうたったのはカジノフォーリー、プペ・ダンサントという当時の浅草エンターテインメントでエノケンこと榎本健一と人気を二分した怪人・二村定一

その「君恋し」が戦争を挟んで約30年後に再ブレイク。
二村定一盤とフランク永井盤を聞き比べると、時代の違いが浮き彫りされてくるから面白い。

二村定一盤は当時流行りのジャズアレンジ。アレンジャーは日本のジャズの草分け井田一郎。井田のバンドを浅草に呼んだのは佐々紅華だといわれています。

一方のフランク永井盤はこれまた名アレンジャーの寺岡真三で、日本仕様のブルースに。

実は昭和30年代の中盤から後半にかけて、つまり敗戦から20年近く経過した頃、“ゆり戻し”現象ともとれる「リバイバルブーム」が起こります。
その代表的な歌がフランク永井の「君恋し」でした。

その兆候があらわれはじめたのは前年の昭和35年。
佐川ミツオがうたった「無情の夢」。これもジャパニーズブルース。
オリジナルは昭和10年に児玉好雄がうたったもの。作詞作曲は「燦めく星座」のコンビ、佐伯孝夫佐々木俊一

そして翌36年にはドドドーン(というほどでもないけど)登場。


まずは日活のトップスターだった赤木圭一郎「流転」
オリジナルは「妻恋道中」に続く同名松竹股旅映画の主題歌。上原敏、藤田まさと、阿部武雄のトリオは前作と同じ。
そんな日本調歌謡曲をこれまた日本流ブルースにアレンジして銀幕スターがうたっていました。

わずか1年で主演映画10数本という激走ぶりで燃え尽きてしまった赤木圭一郎。歌はおせじにも上手とはいいがたいですが、いい味をだしていました。(贔屓なもので……)

続いてカヴァーポップス全盛の中、「加代ちゃん」もやってくれました。
「パイのパイのパイ」
これは元々大正時代に救世軍が演奏していたものを、演歌師たちがそのメロディーを借りて「東京節」などに作り替えたもの。
しかし、さらに遡れば、アメリカは、南北戦争でうたわれた「ジョージア・ソング」Marching Through Georgia が大元に。ということはやっぱりカヴァー曲だった。

そして真打ち・井上ひろし
彼こそリバイバルソング歌手の名にふさわしい。

まずは昭和35年、彼の最大のヒット曲となった「雨に咲く花」
これはやはり映画の主題歌として昭和10年に発売された関種子のカヴァー。その後多くの歌手にカヴァーされた名曲中の名曲。これまた……。リバイバルソングは和製ブルースが定番だね。

続いて「並木の雨」
これは昭和9年にミス・コロムビアがヒットさせている。

そのほか戦前ではないが、以下の昭和20年代の歌3曲もカヴァー。カッコ内はオリジナルシンガー。
東京ワルツ(千代田照子)
別れの磯千鳥(近江俊郎)
山のロザリア(織井茂子「牧場のロザリア」)

そのほか37年38年の“青春歌謡”全盛時には、
その名前からもわかる高石かつ枝「旅の夜風」(霧島昇、ミス・コロムビア)をはじめ、戦前の大ヒット映画「愛染かつら」の一連の曲や、二葉あき子「純情の丘」などをカヴァー。

本間千代子「三百六十五夜」(霧島昇、松原操)を。

神戸一郎青山和子のデュオで「青い山脈」(藤山一郎、奈良光枝)を。

さらに三沢あけみ「明日はお立ちか」(小唄勝太郎)
これは昭和17年に小唄勝太郎でヒット。作詞作曲は「無情の夢」と同じ佐伯孝夫と佐々木俊一。
年代からも推測できるとおり、元々は軍歌で出征兵士を送る妻あるいは恋人というストーリー(歌詞が一部違う)。あまり勇ましく感じられないのは、軍歌苦手、艶ばなし大好きの作詞家のせい。

とまぁ、長々とリバイバルソングを並べてまいりましたが、元はといえば秋の歌、「宵闇」だったはず。それが脱線したままあらぬ方向へ(いつもだろって話もありますが)。

でもこれじゃあまりにもシマラナイので、最後に「宵闇」の歌をふたつばかり。ともになぜか昭和51年の歌。
「翳りゆく部屋」松任谷由実
「大阪ラプソディー」海原千里・万里

でも「君恋し」、なんで♪口びるあせねど なんだろう。


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夏歌③青葉 [noisy life]

アラモ②1960.jpg

Wo...wo...
A time to be reaping
A time to be sowing
The green leaves of summer
Are calling me home
Twas so good to be young then
In the season of plenty
When the catfish were jumping
As high as the sky
…………
([THE GREEN LEAVES OF SUMMER] words by P.F.Webster, music by D.Tiomkin, vocals by THE BROTHERS FOUR, 1960)

これは映画「遥かなるアラモ」(1960年)の主題歌。

1836年、テキサス州のアラモ砦での独立義勇軍とメキシコ軍との戦いという史実をもとにつくられた映画。
義勇軍を率いたのが西部開拓の英雄、ジム・ボウイ。そしてさらにアメリカン・ヒーローのデビー・クロケットまでが参戦したが、13日間に及ぶ戦いは数にまさるメキシコ軍の勝利に終わり、ジム、デビーとも壮絶な最期をとげる。

映画ではデビー・クロケット中心に描かれ、その主役には監督も兼ねたジョン・ウェインが扮していた。ジム・ボウイには“くせ者”リチャード・ウィドマーク

この3時間に迫ろうという大作は、アメリカでは興行的に失敗したようだが、日本ではそこそこヒット。
西部劇にはめずらしい悲劇的な最期が日本人の感性にあっていたのかも。

この映画の主題歌が同名の「遥かなるアラモ」The Green Leaves of Summer 。
ブラザース・フォアThe Brothers Four がうたいヒットしました。

実は、この映画が公開される直前にブラザース・フォアは「グリーンフィールズ」Greenfields をヒットさせていて、この「遥かなるアラモ」のヒットで日本のあるヒットパレードでは、2曲がベスト10の1位2位という快挙をなしとげます。
それが1960年、昭和35年の11月のこと。

その頃わたしも小学生ながら洋楽に目覚め、ブラフォーのレコードを買いました。
当時よくあった33回転の4曲入り(コンパクト盤なんていってた)。

目当ては「グリーンフィールズ」で、あとの3曲は「遥かなるアラモ」、「七つの水仙」Seven  Daffodils、「朝日のあたる家」The Houses of The Rising Sun? だったかな(記憶があいまい)。

ブラザース・フォアはワシントン大学の学友4人組で、この「グリーンフィールズ」は60年にビルボードで2位になった曲。

アメリカではその少し前の1958年にキングストン・トリオThe Kingston Trioの「トム・ドゥーリー」Tom Dooley がビルボードの1位になり、そのあたりからトラディショナルソングやP.D.を現代風にアレンジしたモダンフォーク・ムーヴメントが起きはじめます。
           
その動きは日本にも波及するのですが、その一波がブラフォーの「グリーンフィールズ」でした。つまり日本のフォークブームの魁はキングストン・トリオではなく、ブラザース・フォアだったことになります。

そして、第二波がハイウェイメンHighway Men の「漕げよマイケル」Michael Row The Boat Ashore 、第三波がPPM「パフ」Puff で、以下キングストン・トリオ「花はどこへ行った」Where Have All The Flowers Gone、再びブラザース・フォアの「500マイル」500 Miles、そしてジョーン・バエズJoan Baezの「ドナ・ドナ」Donna Donnaへと続いていきます。

実は「遥かなるアラモ」の映画は封切りから数年後に“3番館”で観たのであってリアルタイムではありませんでした。
当時、洋楽には目覚めましたが、洋画はまだまだでした。

そしてそれからほぼ3年後、ブラフォーがまた映画の主題歌をうたってヒットパレードの第1位に。
もちろんわたしはシングル盤を買いました。そして、どうしてもその映画が観たくなり、親にねだって何とかロードショーで観ることができました。

それが「北京の55日」55 Days at Peking

これも実際の歴史上の事件を基につくられた映画。
清朝末期の1900年に排外的な秘密組織が連合国と戦った「義和団の乱」がその事件です。

その連合国には日本も加わっていて、映画はもちろん連合国側から描かれていました。

まぁ欲に目がくらんだ欧米諸国と日本が中国という他人の家へ土足で侵入し、抵抗分子を力づくでねじ伏せるというのが実際なのですが、当時のわたしは主演のチャールトン・ヘストンの勇壮さに拍手、エヴァ・ガードナーの美しさにウットリってなもんで、単純無知な中学生を絵にかいたようなものでした。

しかし、いずれにしてもこの映画を観たことで、それまでの東映時代劇を卒業し、洋画を観倒す(大袈裟!)ようになるのですから、何がキッカケになるかわからない。

しかし洋画初心者としては、役者にしか目がいきません。
監督はもちろん、その音楽をつくったのは誰かなんてまったく興味なし。

ですから、その「北京の55日」と「遥かなるアラモ」の音楽を担当したのが同じ人間だなんてまるで気づかない。
それを知ったのは大分あとになってから。

それが映画音楽の巨匠、ディミトリー・ティオムキンDimitri Tiomkin。

ティオムキンはその名前からも想像がつくようにロシア人。
1895年生まれといいますからロシア革命のときは二十歳そこそこ。
ドイツ経由でアメリカへ渡ったのが30歳すぎで、社会主義革命を嫌って祖国を捨てたことが想像できます。

「遥かなるアラモ」もロシアのウクライナ地方に伝わる民謡をベースにして作ったとも。

もともとはピアニスト志望でしたが、バレリーナだった妻の助言で映画音楽の道へ。
戦前から映画音楽を作りはじめ、1937年には「失われた地平線」でアカデミー賞にノミネートされるほどに。

しかし本当に才能が開花するのは戦後で、1952年の「真昼の決闘」、その2年後の「紅の翼」で2度のオスカー受賞者になっています。

戦後といえば、先だって「ジェニー」のところで少しふれたジェニファー・ジョーンズの「ジェニーの肖像」もティオムキンの音楽。

最後の作品となった1969年の「チャイコフスキー」まで160本あまりの映画音楽をつくったといわれます。オスカー受賞作以外のヒット作品のいくつかを並べてみますと、

「スミス都へ行く」(1939)、「ジャイアンツ 」(1956)、「友情ある説得」(1956)、「OK牧場の決斗」(1957)、「老人と海」(1958)、「許されざる者」(1959)、「リオ・ブラボー」(1959)、「アラモ」(1960)、「ナバロンの要塞」(1961)、「北京の55日」(1963)、「ローマ帝国の滅亡」(1964)……

ほかに、テレビ番組の「ローハイド」の音楽も担当していて、かの有名な主題歌も彼の作品。

ふりかえってみれば「グリーンフィールズ」や「遥かなるアラモ」がヒットしていた頃は、まだビートルズThe Beatlesの「抱きしめたい」I Want to Hold Your HandもベンチャーズThe Venturesの「ダイヤモンド・ヘッド」Diamond Headも日本には上陸していませんでした。(その直後怒涛のごとく2つの波はやってきましたが)

そしてピート・シーガーPeet Seager やボブ・ディランBob Dylanをはじめとするプロテスト・ソングがの季節がはじまり、日本でも岡林信康高石友也らの新しいフォークの風が西から吹いてくるのは、もう少し先のことでした。

これで今年のナツメロ、いや夏歌も無事終わりました。ヤレヤレ。


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夏歌②浴衣 [noisy life]

浴衣.jpg 

浴衣のきみは 尾花(すすき)の簪(かんざし)
 熱燗徳利の首 つまんで
 もういっぱい いいかがなんて
 みょうに 色っぽいね
(「旅の宿」詞:岡本おさみ、曲:吉田拓郎、歌:吉田拓郎、昭和47年)

先日の土曜日、雨の予想がみごとに違えて青空。
仕方なく重い腰をあげて外出へ。
千駄木に用事があったので、とりあえずそれだけは済ましてしまおうと。

で、用事を済ませましたがまだ迷ってます。
そのままメトロへ向かって家へ帰っちゃおうかって。
と歩いていたら、不忍通りの彼方からバスが一台。ふと目の前をみると停留所が。

近づいたバスの額には「浅草寿町行」の文字。
この間のいいこと。そこまでされたんじゃ、乗らないわけにはいきません。

すげえ。バスは超満員です。
もしかして、皆さん浅草へ? ほおづき市へ?

なことないわな。
バスは西日暮里駅を通り、三ノ輪駅を通るんだから、そこでゴソッと……。

ゴソッと降りずに、逆にドカっと乗ってきちゃった。

そんなわけで車内がガラガラになったのは終点の2つ前の「浅草六区」で。もちろんわたしもそこで降りたんですが。

浅草寺は本堂が大改築中で境内が狭くなっていて、そのせいで混雑もハンパじゃなかった。
それでも、小一時間ほど見て歩きました。

冷やかしのつもりだったんですけど、ついついひと鉢買ってしまいました。
なにしろ「ものずき」ですから。

人出はやっぱり中高年が多かったのですが、若い人もチラホラ。それと外国人も。

その若い人の中には浴衣を着た人が目立ちました。それもカップルでっていうのが数組いましたね。どっちから言い出したんだか……。でもいいよね。

ただ、その着こなしがどうも……。
わたしはまるで和服は着ないし、ましてや浴衣なんか子どもの頃以外はホテルで着るぐらい。だけど着こなしの上手下手はわかるんだな、なんとなく。

とにかくどの娘も、どのカップルも浴衣というより子どもの寝間着って感じで。
まるで粋じゃないんだなぁ。

すれ違う浴衣のどれもこれもが同じようにシマリがないので、「もしかしたら、こういう着方が流行りなのかな……」なんて思ったり。なわけはない。

たまに粋に着こなしてるなって浴衣に出会うと、これが30凸凹の大年増。

ほおづき市09.jpg


さすが、キャリアが違うね。昨日今日着たんじゃないのよって雰囲気が出てました。

若者諸君、ただ着りゃいいってもんじゃないぞ。
ちったあ研究しとくれよ。
まぁ、ひとりで着るのは難しいってことはわかるよね。だから着付け師がいるんだから。
ヘアスタイルもそれなりにで、軽く着れるようで意外と難しいだよね、粋に着るってことは。

で、「浴衣の歌」。まさに夏の象徴です。
真っ先に思い浮かぶのはやはり歌い出しが「浴衣の~」という上に詞をのせた「旅の宿」

「浴衣」が出てくる歌っていうのは、だいたいがお祭り・縁日の思い出なんだけど、この「旅の宿」はタイトルどおり、カップルで行った温泉宿での一幕。

岡本おさみの詞がいいね。

他では、拓郎ならば「リンゴ」「落陽」「祭りのあと」、「おきざりにした悲しみは」、「からっ風のブルース」、「いつか夜の雨が」なんていいなぁ。

拓郎以外なら森山良子「歌ってよ夕陽の歌を」森進一「襟裳岬」「地下鉄に乗って」由紀さおり「ルーム・ライト」岸田智史「きみの朝」南こうせつ「美映子」なんかもね。

彼はまさに吟遊詩人ですね。今でもまだ旅をしているのでしょうか。

それでは逝く夏を惜しんで(まだ早い)、浴衣のオンパレードを。

まずは流れ上フォーク系から。

♪二人でこさえたおそろいの 浴衣も今夜はひとりで着ます 「精霊流し」グレープ
 「線香花火」にも♪キミの浴衣の帯にホタルが…… ってあります。

♪夜は夜 そう 浴衣に花火 「あー夏休み」チューブ
ストロボ効果みたいに見えたり消えたりの浴衣。花火には浴衣だ。

♪浴衣姿 がまぶしすぎて 「夏祭り」ジッタリン・ジン
 字切りがわるい歌だけど、何度も聴いてると逆にそれがよくなっちゃうんだな。


♪ゆかた着てすましてる かわいいよ「夏まつり」井上陽水
 自転車の後ろに乗せた妹のこと。ガールフレンドじゃないところが新鮮。

歌謡曲・演歌だって、いえどちらかといえばこちらのほうが本流かも。

♪揃い浴衣でおけさ節 踊って明かした 「おけさ唄えば」橋幸夫
 こちらは盆踊りなのでオソロの浴衣。「和」ですね「倭」ですね。

♪浴衣のお前 抱き寄せて 別れをそっと 打ち明けた 「螢籠」志賀勝
 こんな別れって現実にあるのかな。ないから美しいんだろうね。

♪揃いの浴衣の 若い衆が 「無法松の一生/度胸千両入り」村田英雄
 こちらもお祭りの光景。和太鼓や三味線はフォークやポップスにはない味です。

♪ゆかた姿の すてきなあなた 「ふりむかないで」ハニー・ナイツ
 東京、札幌、仙台、名古屋、大坂、博多と全国縦断するナンパ師の歌(ウソです)。

♪そぞろ歩いた ほおずき市の 浴衣姿がうれしくて 「ほおずきの町」ちあきなおみ 
 前回もすこしふれましたが、浅草寺「ほおずき市」の思い出。

♪粋な素足に しぼりのゆかた 「お祭りマンボ」美空ひばり
 浅草育ちの“おばさん”だもの、そりゃ粋でしょうよ。目に浮かぶようです。

ところで「旅の宿」、名曲なんですけど、この曲が流れてくると、知らなくてもいいのに知ってしまったなぎらけんいちの替え歌が耳によみがえってくるんです。
それは、
♪土方のきみは すすけたフンドシ…… って。
ぶちこわしですよね、岡本さんの名詞を。それに差別用語らしいし。スイマセン。


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夏歌①ほおずき [noisy life]

浅草寺ほおづき市.jpg

♪ほおずき ほおずき まだ鳴らせない
ほおずき ほおずき もし鳴らせたら

胸にたまった 恨みごと こめるように
いつでも 鳴らして いたっけね 紅いほおずき
おまえにしてみた あの仕打ち
今ごろくやんでいるんだよ

ほおずき ほおずき まだ鳴らせない
ほおずき ほおずき もし鳴らせたら
おまえの寂しさ わかるだろ
(「ほおずき」詞:ちあき哲也、曲:杉本真人、歌:渡哲也、昭和53年)

夏です。
浅草寺でほおずき市がはじまっています。
でも雨です。

久しく行っていないし、仕事も一段落したので今年は、って思っていましたがこの雨ではねえ……。どうしたものか、まぁ明日の気分しだいということで。

ほおずきの思い出はやっぱりこどもの頃。

わたしの家の傍に3姉妹が住む大きな屋敷がありまして、そこの女学校に通う長女がなぜかわたしを可愛がってくれまして。
切れ長の目に、口元のホクロ。当時はともかくいま思い出すとかなり艶っぽい女性でした。

流行歌のてほどきを受けたのがそのお姉さんでしたし、映画にも“虫よけ”としてよく連れて行ってもらいました。山本富士子の「夜の河」とかチンプンカンプンの映画でしたが。

そのお姉さんがほおずきを上手に鳴らしていましたね。
キュッキュキュ、キュッキュキュってね。

ほおずきは「鬼灯」あるいは「酸漿」と書くナス科の植物で、橙色のサヤのなかに同じ色の丸い実がなります。
その実を皮が破れないようによくもみほぐします。そして楊枝などで穴をあけ、なかの実をそっと掻きだして皮だけにするのです。

その皮を口にふくみ、穴のあいたところに舌先をあててフッと吹きます。するとキュッキュと音が出るのです。
といっても実は、わたしは吹いたことがないのです。

毎年例のお姉さんがほおずきを数個持ってきて、「○○ちゃんもやんな」ってくれるのですが、生来の根気のなさ、不器用が災いしていつも皮を破り、失敗してしまうのです。

ですからわたしのほおずきの思い出は、吹けなかったという情けなさと、上手に吹いていたそのお姉さんのことだけ。

ちょうどその頃、お姉さんが好きだった歌手が神戸一郎。(わたしもお姉さんの強いプッシュでファンになりました)

その神戸一郎がうたってヒットした曲が「恋人をもつならば」
西條八十の作詞で2番にこんな詞があります。
♪黒襟姿に洗い髪 明治の名残の黄楊の櫛
 酸漿を 噛みながら 
ホテルの粋なバルコンで リルケの詩集を読む美人
 ああああ 恋人を持つならば
 夢のある夢のある そんな人

YOU-TUBEにないのが残念でした。

これ以外にも「ほおずき」の歌はいくつかあります。

いちばんポピュラーなのは「グレープ」というかさだまさし「ほおずき」でしょうか。
「精霊流し」「無縁坂」同様の叙情フォークで、昔好きだった彼女と行ったお祭りで鬼灯を買った思い出がうたわれています。

ほおずきの他にも、「綿菓子」「下駄の鼻緒」「風鈴」「団扇」「花火」と夏を伝えるキーワードがいくつもちりばめられているこれも夏歌。

この歌も好きですが、マイ・フェヴァリットは上に詞をのせた渡哲也「ほおずき」

昔一緒に暮らしていたけど自分のせいでどこかへ逃げて行ってしまった女。
すぐに追いかければよかったのに、へんな意地がじゃまして「あんな女なんか……」って。
そういえばよくほおずきを鳴らしてた。
そのときはどうってことなかったのに。いまになってみるとあの少し頬をふくらました表情がふとした時に浮かんでくる。

あれから何年。
ちょっとした気まぐれでほおずきを買ってみた。そして中味を取り出し口にふくんで、アイツのように吹いてみた。けどうまくいかない。
なんでこんな他愛のないことをするんだろうか。
ばかばかしいと思いつつ、万が一、音が出たらもしかして……。

なんていう男の「未練節」です。

作詞作曲は「吾亦紅」のコンビ。この歌は感情移入が過多でちょっとうたえませんが。

どちらも好きな作家ですが、とりわけちあき哲也は演歌、ポップスを問わずの器用な作詞家。
最大のヒットは今話題の庄野真代がうたった「飛んでイスタンブール」
これは「ほおずき」と同じ年の少しあとに出たヒット曲。

ほかでは矢沢永吉にも多くの詞を書いていて、なかでもポピュラーなのが「止まらないHa~Ha」

ジャニーズ系では少年隊「仮面舞踏会」近藤真彦「ヨイショ!」など。
演歌ならちあきなおみ「かもめの街」門倉有希「ノラ」
フォークなら因幡晃「忍冬」五十嵐浩晃「ペガサスの朝」

そのほか、加藤和彦と組んだゴールデン・カップス「たった一度の青春」狩人「国道ささめ雪」なんかもありました。

これらのうち「かもめの街」、「忍冬」、「国道ささめ雪」は杉本真人とのコンビです。

杉本真人ちあきなおみ「紅い花」とか小柳ルミ子「お久しぶりね」「今さらジロー」などのヒット曲がありますが、好きなこの2曲をYOU-TUBEで。
「五月雨ワルツ」

「ベサメムーチョ」

ほかでは、浅草での同棲時代の思い出をうたったちあきなおみ「ほおずきの町」、やはり浅草での失恋をうたった木の実ナナ「紅ぼおずき」があります。
どちらも吾妻橋が出てくるのがおもしろい。
また、耐えてあなたを支えますって演歌嫌いがいちばんイヤがるストーリーの「ほおずき」松原のぶえがうたっています。

哲兄ィは昔の女のことが忘れられずになんとか音を出そうと「ほおずき」を噛んでいます。
わたしも幼少の頃の切れ長の目のお姉さんを偲んで(死んだわけじゃないけど)、昔できなかった「ほおずき」にトライしてみるかなって言ったら、連れが「ものずきがほおずきってか?」だって。お粗末。

(以下ひとり言)
ところで、ワールドカップの決勝は明後日でしたっけ。応援していたアルゼンチンは負けたし、サブのドイツも負けたし、こうなったらスペインでもオランダでもいいや。
でも、午前3時はやっぱり無理だな。朝のニュースで見るしかないな。

日本が負けて視聴率はかなり低いだろうな。
それにしても、日本チームへのあの称賛ぶりおかしくないかい?
ベスト16だよ、ベスト4ならともかく、あの成績で総理大臣に会いに行くかい? 地方自治体から表彰されるかい? ふつう。「健闘しました。パチパチパチ」でいいんじゃないの。
あれじゃ国民栄誉賞だってもらいそうな勢いだもの。

ハードルが低すぎたんだね。下手すりゃハードル地下に埋まってたなんて話も。
それにマスコミも、開会前にあまりにも岡ちゃんを叩きすぎたもんで、バランスとるべしと必要以上にもちあげてるんでないの?

でもさ、岡ちゃん、もしかしてすべて計算ずくであの「前哨戦」負けてたんじゃないのかね。全部勝ってたら、ベスト16ぐらいじゃファンもマスコミも納得しなかったでしょうから。
だからワザと負けてハードル土中に埋めさせたんじゃなかろか。

もしそうだとしたら、岡ちゃんってドエリャー監督ですよ。

な、アホな。


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春の歌●デイジー [noisy life]

デイジー.jpg

♪心開けば見えてくる 青い青い風の中
 忘れ過ごした過ぎた日の あのなつかしい青色の
 あのなつかしい想い出が
 …………
 デイジーやパンジー 咲いていた
 遠い 遠い あの野原
(「遠い遠いあの野原」詞:松山猛、曲:加藤和彦、歌:森山良子、昭和47年)

春が近づいています。
で、やっぱり春の歌をなんとかひとつでも。

やっぱり季節を象徴するには花がよろしいようです。
この時期花といえばサクラですね。
自宅前の小さな公園の一本桜も満開です。肌寒いのが難ですが。

でもサクラはもういいですよね。Jポップでも辟易するぐらい多いのではないでしょうか。
いま、聴いてみたいと思うのはむかし聴いていまだ耳に張り付いているトリオ・ロス・パンチョス「サクラ」。あの独特のイントネーションと印象的なアレンジをもう一度。音源もありませんし、YOU-TUBEもないようなので、なおさら聴きたい。

なわけで、サクラは諦めてやはり春の花とされているデイジーを。和名でいいますとひな菊ですね。

その名のとおりキク科の花卉で、ヨーロッパが原産、日本にやってきたのは明治期、と植物図鑑に書いてありました。ものすごくたくさんの花びらがあるように見えるのは、いくつもの花が集まっているからだとか。キャレンいやカレンな花ですよね。
色は赤以外に白やピンクがあるとか。

しかしあまり路傍や野辺で見かけたことはありません。たいがいはどこかの家の前のプランターや鉢で育てられているのではないでしょうか。

そのデイジーの出てくる歌ですぐ思い浮かぶのが上に歌詞をのせた森山良子「遠い遠いあの野原」

1942年、19歳のとき「この広い野原いっぱい」でデビューしてから5年後の歌です。
そのタイトルからもわかるとおり、デビュー曲の“セルフアンサーソング”のようなものですね。

いまでもそうですが、デビュー当時は「和製バエズ」なんていわれるほど高音やファルセットがきれいでしたね。でも、本人は「美しい声」といわれるのに相当抵抗があったそうです。で、この曲でもディレクターの「ファルセットで」というリクエストに抗って地声で“強行突破した”とか。

5年でもうナツカシズムかよ、という声もありますが、その間「ふたつの手の思い出」、「雨上がりのサンバ」「悲しき天使」、「まごころ」、「恋人」、「禁じられた恋」とヒットの連発でレコード大賞(大衆賞)までとってしまうという多忙な日々だったようですね。そんな濃密な5年間なら通常の10年くらいに感じても不思議じゃないですね。

残念ながらオリジナルがYOU-TUBEにありませんでした。でもアグネス・チャンのカヴァーがありました。
アグネスもカントリーが好きだし、森山良子もスタートはカントリーですからね、って関係ないか。

気を取り直して、この歌の魅力は、もちろん森山良子の歌唱がいちばんですが、その旋律と詞もまたすばらしい。松山猛、加藤和彦は知ってのとおり「イムジン河」のコンビ。

加藤和彦はごぞんじのとおり昨年の10月に亡くなりました。
もしこのブログが中断されずに続いていたなら追悼をこめて記事をUPしていたと思います。
半年遅れになってしまったので、いまさらという思いがありますが、好きな曲ベスト3をあげて自分なりに帳尻を合わせておきたいと思います。

「僕のそばにおいでよ」
これは加藤さんの曲ではない。エリック・アンダーソンEric Andersonの[Come to my bedside, My Darling]のカヴァー。
「おいでよ僕のベッドへ」の邦題で岡林信康高石ともやもうたっている。カントリーのアレンジだからというわけではないが、加藤版がベスト。とても自由を感じさせてくれるラヴソング。

「不思議な日」
これまた松山猛とのコンビでつくった歌。このコンビにはほかにも「オーブル街」やCMソングにもなった「家をつくるなら」がある。
大昔、この歌がかの絶望的映画「渚にて」に触発されてつくった(作詞家が?)というような話を何かで読んだような、あるいは何処かで聞いたような気がする。

「サイクリング・ブギ」
ごぞんじサディスティック・ミカ・バンドのBoogie Woogie 。
歴代女性ヴォーカル加藤ミカ、桐島カレン、木村カエラと並べると加藤さんの女性の好みがわかります。それと元奥さんの安井かずみさんも。
聞き慣れているせいで、初代がいちばんいいな、やっぱり。

そうでした春の歌、デイジーの話でした。
といいつつ、もはや予定オーバーなので、いつもながらの取ってつけたようなデイジーソングを2つ3つ。

(比較的)よく知られているのがさだまさし「デイジー」
♪……最後のわがまま 君の髪のにおいの向こうで揺れてた 鉢植えのデイジー

「悲しきデイジー」というタイトルでもいいぐらいの“サヨナラソング”。
「忘れないで僕だけは君の味方」「たとえ別れても変わらない君への愛」「たとえ世界を敵に回しても僕は君の味方」ってずいぶん強気だなぁ。

ならなんで別れるの? って思っちゃう。こんなに未練なのだから自分からサヨナラをいったわけはない。当然ふられたんでしょう。
だったらカッコつけないで「別れないでくれよぉ」「捨てないでくれよぉ」と懇願しちゃったほうが人間らしい。
それじゃ歌にならない? そのとおりですね。歌にはまたナルシズムが必要なわけで。

男より女のほうが現実的です。こんな歌も。
「雛菊の地平線」松田聖子
♪ひな菊の道 白や薄紅紫の花 地平線に続く道を歩き出すの

旅する乙女の歌です。物見遊山じゃありませんよ。
聖子ちゃんは「愛は険しい山道のよう……」といっております。それでも、「彼と決別してひとりで生きていこう」、「ほんとうの愛を探しに行こう」と健気にも自立の旅に出て行くのです。

最後はGS。タイガース「花の首飾り」
♪花咲く娘たちは 花咲く野辺で ひな菊の花の首飾り やさしく編んでいた

湖辺の娘たちが白鳥になったり、また娘に戻ったりというストーリー。
もちろんあの「白鳥の湖」をヒントにつくられたメルヘン歌謡。

メルヘンというなら森山良子の「この広い野原いっぱい」もどこかオトメチックといいますか、メルヘンのにおいがします。
それから5年の月日が流れ、「この野原」は「あの野原」へと変わってしまいました。
何があったのでしょうか。いろいろなことがあったのでしょうね。

それでも野原の原形は保たれ、春になると花々が彩りを添えてくれるのですからまだまし。
わたしの「思い出の野原」なんていまやマンションの下。

では春にちなんでナゾカケをひとつ(強引)。
野原とかけまして。
(野原とかけまして)
小学生の写生とときます。
(野原とかけまして小学生の写生ととく、そのこころは)
どちらもクレヨンがつきもので。

それにしても最近たまにTVに出ているお笑い芸人の“ねずっち”? ってスゴイですね。「ととのいました」がバカ早。あれがすべて即興でやっているとしたら、落語家もかなわない。おそらく日本一のナゾカケ芸人ですね。


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