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冬の歌①北国 [a landscape]

詩集北国 井上.jpg

♪雲が流れる 北国の街へ
 あなたが生まれた 心の国へ
 ………………
 みつめあう二人 抱きあう二人は
 離れられずに 強く 強く 強く 強く
 かわす口づけ
 ………………
 雲が流れる 湖のほとり
 あなたは 花に
 埋もれて 眠る
 北国のはて
(「北国の二人」詞:橋本淳、曲:井上忠夫、歌:ジャッキー吉川とブルーコメッツ、昭和42年)

寒波が来ております。
どうやら、今年もいつもと変わらない冬がやってきたようです。

で、かなり遅ればせながら「冬の歌」をば。

冬の歌。
テーマはイージーにも「北国」。とくに意味はなし。

「北国が冬かよ」というツッコミも聞こえてきそうです。
そうですたしかに。
「北国の春」(千昌夫)なんて歌もありますし、「赤いハンカチ」(石原裕次郎)の2番では、
♪北国の 春も逝く日
なんて出てきまして、これは完全に惜春鳥さえずる初夏。

奥村チヨ「北国の青い空」だって、ふんいきは隣の人が気になる秋。

それでも鈴木道明の「北国は寒いだろう」(マヒナスターズ)とか、粉雪舞いちる「小樽のひとよ」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)では、
♪北国の街は 冷たく遠い
と出てきたり。

というわけで「北国の冬」ということでここはひとつ。


といっても、「北国」ってどこのことなんだか、わかっているようでわからないようで。漠然と、「北」がつくから北陸とか東北とか北海道あたりだろう、なんて。
じゃ、北九州や京都の北山も「北国」かよ、ねんてまたツッコまれたり。
まぁご当地ソングとは真逆な不特定曖昧なロケーションというのも流行歌の常套手段ではあるのですが。
とにかくお国は寒い北の国、ということで。

そもそも「北国」という言葉、そんなにつかう言葉ではないのでは。
「いやあ、留守してわるかったな、ちょっと1週間ばかり北国へ旅行してたもんで」
なんてまずいわないし、テレビのニュースでも、
「明日の北国は全般的に厚い雲におおわれ、午後からは……」
なんていうわけない。

ではどこでよくつかわれているのか。

おそらく圧倒的に多いのが流行歌。それも歌謡曲、演歌が主流で、J-POPではほとんど聴かない(というのは推測で、正確にいうと、さほど聴いてないからわからない。昭和を意識した楽曲ならあるかも)。
あとは小説や映画といった、つまりエンタメ系の世界。

ということは「北国」(きたぐに)は、比較的新しい言葉なのかもしれない。
江戸時代には「北国街道」があったが、これは「きたぐに」ではなく「ほっこく」。

やはり江戸後期の黄表紙で曲亭馬琴の「北国巡礼唄方便」も「ほっこく」。
最近読んだ大正期に書かれた小説の中に、
〈北国生れの彼が……〉
というところがありまして、軽く「きたぐにうまれ」なんて読み飛ばしましたが、ルビはなく、もしかしたら「ほっこくうまれ」なのかもしれない。

いまでも、辞書を引くと「きたぐに」では出てこないけれど、「ほっこく」なら「北国」で出てくる(いささか古い辞書ですが)。つまり「きたぐに」はスラング?

ではいつの頃からそのスラング「きたぐに」がつかわれるようになったのか。

これは明治大正の小説をすべてチェックするわけにはいかないので、流行歌に限らせていただきましょう(強引)。

流行歌の嚆矢といえば松井須摩子「カチューシャの唄」(大正3年)ですが、その3年後に流行ったのがやはり須摩子の「さすらひの唄」
♪行こか戻ろか 北極光(オーロ)の下を
という有名なうたい出しでご存じの方がいるかも。

それに続く歌詞が 「露西亜(ロシア)は北国はてしらず」で、これは「きたぐに」とうたっています。
作詞は北原白秋で、「ほっこく」ではなく「きたぐに」という言葉で、モダンさを織り込んだのかもしれません。

しかし、残念ながら白秋の「新語」は定着しなかったようで。

昭和初年からはじまる、ラジオとレコードによる「流行歌の時代」でもさほど出てきません。

唯一みつけられたのが昭和10年は大本教が政府の弾圧を受けた12月に発売された「さすらいの恋唄」(東海林太郎)
♪雪の北国 果てもなく 
といううたい出しで、さいごも
♪さすらい悲し いづこ行く どうせ北国 空の涯て

ただ、この歌も実際に聴いたことがないので、「北国」がはたして「きたぐに」だったのか「ほっこく」だったのかはわかりません(知っている方教えてください)。たぶん、「きたぐに」だろうと思うけど、「ほっこく」でもおかしくはない。

それ以外で「北国」という歌詞はみつけられなかった。ちなみに「北日本」なんていまじゃ聴けないスゴイ歌詞もあったけど。

ということは歌の世界でも「北国」つまり「きたぐに」が頻繁につかわれるようになったのは戦後ということになる。
わたしが知っている曲(ほとんどヒット曲)で「きたぐに」が出てくるのは昭和36年にこまどり姉妹がうたった「ソーラン渡り鳥」。作詞は石本美由起。ちなみに井上靖の詩集「北国」が出版されたのがその少し前の昭和33年。これは「きたぐに」と読むようだ。

歌謡曲でつぎに古いのが前述の「赤いハンカチ」で37年。
そして東京五輪の39年には三島敏夫「面影」にも出てくる。

しかし30年代はそんなもので、“北国ブーム”が起きるのは40年代から。

タイトルでみると
昭和40 北国の街(舟木一夫)
昭和42  北国の二人(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)
昭和42  北国のチャペル(ランチャーズ)
昭和42 北国の青い空(奥村チヨ)
昭和43  北国は恋がいっぱい(畠山みどり)
昭和44  北国の町(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)
昭和47  北国行きで(朱里エイコ)
昭和47  だからわたしは北国へ(チェリッシュ)

で、読み方はすべて「きたぐに」。

歌詞の中に出てくるのは
昭和40 函館の女(北島三郎)
昭和41 青い瞳(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)
昭和41 尾道の女(北島三郎)
昭和42 小樽のひとよ(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)
昭和43 スワンの涙(オックス)
昭和46 望郷(森進一)

などがありますし、さらに50年代になるとかの「北国の春」をはじめ、うたい出しに出てくる「熱き心」(小林旭)なんてビッグヒットもありました。

しかし、流行歌の主流が歌謡曲・演歌からポップスへうつるとともに、「北国」も瀕死の状態に。ほとんど聴いていませんが最近の演歌ではなんとか生きのびているのではないでしょうか。

そしていまだに、失意の男女が「北国」をめざしているのではないでしょうか。
そんな彼らはなにに乗ってわざわざ「凍える国」へ向かうのか。
飛行機だろうって? いやいや歌謡曲、演歌では飛行機はめったに乗らない。だいたいは列車ってことに。

その列車ですが、JRに大阪―新潟を結ぶ急行「きたぐに」というのがある。大阪を夜の11時過ぎに出て新潟に着くのが翌朝8時過ぎという、寝台付きの列車だそうで、そののんびり感がなつかしい。
その急行「きたぐに」が来年3月で廃止になるとか。
なるほどー、こうやってひとつの言葉が死んでいくのでしょうね。


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