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秋の歌③赤い月 [noisy life]

ベトナムの赤い月.jpg

 あゝあああ 見ておくれ
 ベトナムの ベトナムつつむ 月影赤い
 戦火の炎を 天まで焦がす
 風薫る 南十字の 星のもと
 あの娘の歌は いつ聞ける いつ聞ける
(「ベトナムの赤い月」詞:中山正男、曲:遠藤実、歌:三船和子、昭和40年)

青い月があれば赤い月だってある。
赤い月のほうがイメージとしてはリアルかも。

で、やっぱり戦前からうたわれていました。

前回の「青い月」の戦前はディック・ミネの「上海ブルース」でしたが、「赤い月」もなんと上海。

♪紅の月さえ瞼ににじむ 夢の四馬路(すまろ)が 懐かしや

東海林太郎がうたってヒットした「上海の街角で」
で、つくられたのは「上海ブルース」と同じ昭和13年。

この頃というのは日中戦争の最中で、昭和12年の12月にはのちに問題となる南京入城、つまり日本軍による南京占拠が行われ、以後ますます大陸に侵攻していくことに。

話が暴走しそうなので、南京入城に関して詳細はパスしますが、音楽に関係あることをひとつだけ。

日本軍の入城とほぼ同時に、作家やジャーナリストなどで構成された従軍記者たちも南京に入り、その模様を日本の新聞や雑誌に寄稿しました。

そんななかに詩人であり作詞家だった西條八十もいて、「燦たり南京入城式」という一文を雑誌に寄稿している。その中に「支那兵の死体の山」を目撃したと記している。

とにかくそんなわけで? 大都市・上海もまるで日本の占領地のような雰囲気となり、上海を舞台とした歌がいくつもつくられます。

昭和13年に限っただけでも、既出の2曲以外に
「上海航路」(松平晃)
「霧の上海」(松島詩子)
「ガーデンブリッジの月」(松島詩子)
「上海陥落万々歳」(東海林太郎)
「上海だより」(上原敏)
「上海特別陸戦隊」(東海林太郎)
「霧の四馬路」美ち奴
といった具合。

はたして上海で見られた月は青かったのか、赤かったのか。

それは多分、戦火から遠く離れていれば青かっただろうし、戦火が迫っていれば赤かったのではないでしょうか。

そして戦後、終戦から20年を経て、そんな歌があらわれます。

三船和子「ベトナムの赤い月」

昭和40年9月の発売といいますから、ベトナム戦争反対の市民組織べ平連(代表・小田実)結成に遅れること5カ月。

「フランシーヌの場合」(新谷のり子)、「さとうきび畑」(森山良子)、「教訓Ⅰ」(加川良)など長期化するベトナム戦争にNOのメッセージをこめた、いわゆる反戦フォークがうたわれるのが昭和44年あたりからなので、この「ベトナムの赤い月」がいかに時代を「先取り」していたかがわかります。

上にのせた詞は3番のものですが、2番では、
♪ベトナム救う 僧侶の悲願 戦やめよと 身を焼く祈り

と、当時日本でもショッキングな事件として報道された、ベトナム僧侶たちの反戦反米を訴えた焼身自殺についてもふれられていたり。

「ベトナムの赤い月」の作詞は中山正男、作曲は遠藤実
では、いかにしてこの歌は生まれたのでしょうか。

実は、昭和40年、当時の太平住宅の代表・中山幸市が「ミノルフォン・レコード」(現在の徳間ジャパン)を設立。その重役兼作曲家として招聘されたのが、懇意にしていた遠藤実で、この「ベトナムの赤い月」がその第一号のレコード。
遠藤の門下生だった三船和子にとってもデビュー曲。

B面はやはり中山正男作詞の「世界連邦太平音頭」で今井正の映画「キクとイサム」で知られた川田キク(高橋エミ子)がうたっている。

作詞の中山正男は北海道出身の作家で、戦中は雑誌「陸軍画報」を発行する傍ら執筆活動を行っていたガチガチの軍国主義者で、戦後は公職追放にあっている。代表作は映画化もされた「馬喰一代」。

昭和40年当時は「新理研映画」という映画製作会社の代表で、同社は当時ドキュメンタリー映画「動乱のベトナム」を制作していて、ミノルフォンの顧問でもあったことから、流行歌「ベトナムの赤い月」は生まれたようだ。

その後、ミノルフォンからは、山本リンダ千昌夫といったスター歌手が出てくるのだが、中山幸市は設立から3年後に、中山正男は4年後に亡くなっている。

「赤い月」はなにも戦場にばかり出るのではない。
ダッシュでそのほかの「赤い月」を。

「赤い月の下で」中島そのみ 昭和31年
♪今夜は赤い月が出た アパッチ族の出陣だ
キンキンヴォイスのそのみ嬢お得意の和製カントリーソング。これはなぜかインディアンが主役。作詞・作曲は小坂一也とともに“座付作家”の服部レイモンド。
「西部のM型娘」もそうだが、ゲーリー・クーパー、ジョン・ウェインとなぜかアメリカの西部劇俳優の名前が出てくる。

「たそがれの赤い月」ジュディ・オング 昭和42年
♪たそがれ染める 真赤な月を 見つめてひとり 歌う
時代的にもGSの影響が見られる歌謡曲。作曲が「アンコ椿は恋の花」や「さざんかの宿」の市川昭介というのがスゴイ。市川はほかにも橋本淳と組んだGSナンバーがある。
「魅せられて」で女になる前の? ジュディ・オング。ポニーテイルが可愛かった。

「夢見る少女じゃいられない」相川七瀬 平成7年
♪噂話や流行りのギャグなんてもういいよ 赤い月が心照らしてる
ツッパリ娘(そうは見えないけど)のデビュー曲。デビュー当時のベイビーヴォイスが歳とともにいくらか“太って”ロッカーらしくなってきました。←空から目線。「六本木心中」はなかなかだったものね。
でも、相川七瀬、牧瀬理穂、中澤裕子の顔、誰がだれだか……。

「赤い月」さだまさし 平成15年
♪今もあなたが好きですと 言伝(ことづて)をせよ赤い月
お得意の叙情歌であり、惜別の歌。
半文語体で赤い月や赤い星に想いを伝えてほしいとうたっている。月は場所や時間を隔てても不変なものの象徴で、血のたぎるような熱い想いで赤く染まっている。

いちど水がはいってしまいましたが、はじめからの予定でしたので、秋の歌を季節にせかされながらもうひとつやってみました。かなりとっちらかりましたが。
これで今年の秋もなんとか乗り切りました。
ソロソロ冬の準備にとりかからねば。


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MOMO

xml_xslさん、いつもありがとうございます。
by MOMO (2011-10-21 22:44) 

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