春の歌●春の日 [noisy life]
♪上を向いて 歩こう
涙が こぼれ ないように
思い出す 春の日 一人ぼっちの夜
………………
幸せは雲の上に 幸せは空の上に
上を向いて 歩こう
涙が こぼれ ないように
泣きながら 歩く 一人ぼっちの夜
(「上を向いて歩こう」詞:永六輔、曲:中村八大、歌:坂本九、昭和36年)
油断していたわけでもありませんが、いきなり春がやって来てしまいました。
道端ではタンポポを見つけ、青空を仰げば薄桃の桜が今年も咲いております。
最近の出遅れグセは毎度のことですが(ゲート審査が必要かも)、今年はなぜかことさら憂鬱かつ怠惰な毎日で、ふつうなら期日内に終わらせているはずの確定申告もいまだ道なかば。
それでも、ブログの「春の歌」はやっておかねばという強迫観念がありまして、2つばかりひねり出すことにいたしました。
まずはじめは“直球”で「春の日」。
「春の日」が出てくる歌もそこそこ。
「雪の降る街を」(高英男)、「惜春鳥」(若山彰)、カヴァー曲でも「ドミノ」(ペギー葉山)、カレンダー・ガール(坂本九)などが。
GSならブルー・コメッツの「甘いお話」があるし、フォークならフォーク・クルセダーズの「青年は荒野をめざす」や加藤和彦の「不思議な日」があるし、演歌なら小林幸子の「雪椿」にも。
さらに、大人の胸キュンソング「春の日の花と輝く」もありますし。
そんななかいちばんタイムリーなのが日本唯一の世界的ヒット曲「上を向いて歩こう」ではないでしょうか。
最近よくテレビCMで流れています。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」We are the world 方式っていうのでしょうか、タレントたちが一節ずつ歌ってリレーしていく方式。「見上げてごらん夜の星を」版もありますね。
「上を向いて……」は、タイトルだけ聴くと「うつむかないで顔をあげて生きていこうよ」っていう前向きな歌のように思えますが、実はそれほどポジティブな歌ではない。
よく聴くとわかるとおり、上を向くのはただ涙が頬を伝うのがイヤなだけ。
青年は孤独なのです。
こころウキウキの春だというのにひとりぼっちの淋しい夜を過ごさなくてはならない。
どんな辛いこと、悲しいことがあったのでしょうか。
すこしも楽しくない。幸福なんてはるか彼方にあって自分とは無縁。
そんなネガティブというか、どこか屈折している歌なのです。
しかし、この歌がつくられた昭和30年代なかば、そんな青年はめずらしくなかったのかも。
そんなどこにでもいた青年の気持ちを代弁したのが永六輔。
ついでにいえば、作曲は中村八大、歌は坂本九の六・八・九トリオ。
ちなみに昨今のCMの「見上げてごらん……」も作詞は永六輔、歌も坂本九、ただし作曲は“相棒”中村八大ではなく、もうひとりの“相棒”いずみたく。
永六輔のヒット曲の“相棒”はほぼこのふたりといっていい。
永六輔はラジオの投稿マニアから放送作家になった人間。
作詞家になるきっかけをつくったのは中村八大。
当時すでにビッグ4のジャズピアニストとして名を知られていた中村八大が映画音楽を担当することになり、そのなかでの挿入歌を10曲ほどつくることになったとか。
それが昭和34年のこと。
中村としても初体験で、プロの作詞家にどう頼めばいいのか悩んでいたそうで、そんなとき銀座でバッタリ会ったのが、NHKで時々みかけた若き放送作家の永六輔。
そこで単刀直入に歌づくりに付きあってほしいと請願。
中村のファンだった永六輔はふたつ返事。なんでもそのときがはじめて会話を交わしたというのだから運命ですね。
そして、中村八大のアパートでつくったうちの一曲がその年新設されたレコード大賞の受賞曲となった「黒い花びら」(水原弘)。
さらに38年、この作詞作曲コンビは「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)でふたたびレコード大賞という快挙。同じ年、「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」のタイトルでビルボード週間1位に輝いたことはよく知られています。
いずみたくとの出会いは逆。
ともに一時期、三木鶏郎率いる「冗談工房」にいたのですが、一緒に仕事をすることはなかったとか。
いずみたくが「冗談工房」を辞めたあと、ラジオ番組の音楽をやってみませんかと声をかけてきたのが永六輔。
そのときの永は、ラジオ、テレビの売れっ子構成作家で、前述したとおり作詞家としても華々しくデビューしていた。
そんな縁で「黒い花びら」の翌年、ふたたび永六輔の提案で実現したのがいずみたくのライフワークとなるミュージカルの第1回、「見上げてごらん夜の星を」。
そしてその3年後、その主題歌「見上げてごらん夜の星を」が坂本九によってレコーディングされることになります。
さらに昭和40年から各都道府県に1曲という壮大な計画でスタートした「にほんのうた」も永六輔の企画で、作詞作曲はもちろん「永・いずみ」コンビ。
デューク・エイセスの歌唱で、そのなかから「いい湯だな」などいくつかのヒット曲が生まれることに。
昭和40年代に入り、しばらくして作詞家活動を廃業してしまった永六輔ですが、当時の既存のプロ作詞家と比べても、そのみずみずしい歌詞には才能が煌めいていました。
それにつけても、作詞家は作曲家あっての歌詞であり、その両輪がうまくまわることがヒット曲につながるのでしょう。もちろんその逆もいえることなのですが。
そういう意味でも永六輔は、中村八大といずみたくという素晴らしい“相棒”にめぐりあったことが「名詞」をつくらせたのではないでしょうか。
永ちゃん、じゃなかった永さん、現在ガンで療養中の身だとか。明るくて、それでいて頑固で、どこか屈折している部分もあったりして、昭和のかたまりみたいな人で、いいですね。いつかテレビで見たように、またパリ祭で司会する姿を見てみたいな。
それでは、中村八大、いずみたくそれぞれでの「永六輔作品」のいくつかを。
●中村八大篇
「一人ぼっちの二人」(坂本九)
「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)
「恋のカクテル」(水原弘)
「いつもの小道で」(マイ・カップル)
「ウエディング・ドレス」(九重佑三子)
ほかにも「黄昏のビギン」(水原弘)や「おさななじみ」(デューク・エイセス)、「帰ろかな」(北島三郎)あるいは「夢で逢いましょう」(坂本スミ子)などのヒット曲がありますし、「若い涙」(ジャニーズ)、「芽生えて、そして」(菅原洋一)なんてYOU-TUBEにはない名曲もありました。
●いずみたく篇
「女ひとり」(デューク・エイセス)
「ともだち」(坂本九)
「私の好きなもの」(佐良直美)
「別れた人と」(デューク・エイセス)
「いい湯だな」(ドリフターズ)
それではオマケに中村八大、いずみたく以外のいい作品、いや永作品を。
「二人の銀座」(山内賢、和泉雅子 曲:ベンチャーズ)
「若い季節」(ザ・ピーナッツ 曲:桜井順)
都知事選、なんでも現職が当確だとか。
あゝ……。
まぁ、現職以外っていわれても、一票投じるに値する候補者がいないじゃん、って話もなくはないわけで。無難なんだろうけど……あーあ。
震災の影響もなくはないかも。
誰も新しい風なんか望んじゃいないものね。現状維持、いやせめて現状回復を願っているんでしょうから。
はじめにも書いたように、今年の春はことさら憂鬱。
都知事選の結果が出て、またひとつ憂鬱のタネが増えました。
まさに「ブルー・スプリング」、スプリング・ブルー? いやブルー・スプリングでしょう。直訳すれば青い春、つまり青春?
そうか、青春とは憂鬱な春のことだったのか。
Mashi☆Toshiさん、こんにちは。
元気ですか。
読んでいただいてありがとうございます。
by MOMO (2011-04-12 23:15)