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VOICE⑦裏声・其の二 [noisy life]

和田弘とマヒナスターズ.jpg 

♪あきらめられないこの願い
 泣いて船場のこいさんが
 芝居の裏の雨の夜
 お百度まいりの法善寺
 くすり問屋のあの人に あの人に
 どうぞ 添わせて
 どうぞ添わせて おくれやす
 おくれやす
(「お百度こいさん」詞:喜志邦三、曲:渡久地政信、歌:和田弘とマヒナスターズ、昭和35年)

前回、カントリーとハワイアンで「裏声」が頻繁につかわれていたことにふれましたが、実はカントリーよりもハワイアンの方が日本では“先輩”なのです。

そもそもカントリーが日本に入ってきたのは戦後ですが、ハワイアンは戦前からすでにあったのです。

明治期にはじまった移民により、日本とは因縁浅からぬ関係にあったハワイ。
大正時代に本場のハワイアン・バンドが来日し、演奏をしたという記録があるそうですが、日本初のハワイアン・バンドが誕生したのは昭和4年。
本場ハワイ生まれの灰田有紀彦率いる「モアナ・グリー・クラブ」がそのバンドでした。
そして、そこでヴォーカルをつとめていたのが弟の灰田勝彦
本場仕込みの裏声を十二分に披露していたわけです。

しかし、“遠くて近い国”といっても戦争となれば別、アメリカの領土であるいじょう敵国に変わりはないのです。
当然ジャズと同じくハワイアンも“敵性音楽”として封印されてしまいます。

それではいうことで、灰田兄弟は昭和15年から17年にかけて歌謡曲をつくります。そしてヒットしたのが「森の小径」「鈴懸の径」

そして終戦。灰田兄弟は晴れてハワイアンを演奏できるようになり、洋楽というか音楽そのものに飢えていたファンが日劇をはじめ、実演の行われる劇場に殺到します。
なにしろ「ぜいたくは敵」の戦時中、音楽もまた“ぜいたく品”だったのですから。

そんな劇場の観客席の中に、灰田兄弟のハワイアン、とりわけスチールギターに酔いしれ、いつか自分もハワイアンを演りたいと考えていた若者がいました。
それが、のちに自らのバンドで一時代を築くことになる和田弘

和田弘がバッキー白片とアロハ・ハワイアンズをやめ、マヒナスターズを結成したのは昭和28年。当初は先輩の山口銀次がいて、「山口銀次とマヒナスターズ」というバンド名でした。1年後に山口が脱退し、「和田弘とマヒナスターズ」と改名。
そのときに、ヴォーカルの松平直樹やウクレレとバックコーラス、とりわけ「裏声」の佐々木敢一らが加入します。

マヒナスターズの仕事場は主にダンスホール。また夏場になるとお決まりのビヤガーデン。
もちろん演るのはハワイアンですが、レパートリーを広げるため、また客へのサービスとして石原裕次郎のヒット曲など、歌謡曲も演るようになっていきます。これには歌謡曲通だった松平によるところが大きかったとか。

そのマヒナの歌謡曲を聴いて「いける!」と受け止めたのがビクターのプロデューサー。
さっそく契約、そしてレコーディングへと話がすすみます。それが昭和32年のこと。

当初は、ビクターのヒット曲、それも「哀愁の街に霧が降る」とか「東京の人」、あるいは「好きだった」などの吉田メロディーのヒット曲。
これがなかなか好評で、翌33年に初めてのオリジナル「泣かないで」をリリース。

はじめはさほどでもありませんでしたが、その4カ月後に出した「夜霧の空の終着港(エア・ターミナル)」がNHKでうたったこともあって大ヒット。その影響で「泣かないで」も注目されることに。

同じ年の松尾和子をフィーチャした「誰よりも君を愛す」がレコード大賞を受賞。
以後、
35年 お百度こいさん
36年 北上夜曲(feat.多摩幸子)
37年 寒い朝(feat.吉永小百合)
39年 お座敷小唄(feat.松尾和子)
40年 愛して愛して愛しちゃったのよ(feat.田代美代子)
41年 銀座ブルース(feat.松尾和子)

とヒット曲を連発。のちのムード歌謡といいますか、ムードコーラスの原形をつくります。またメインヴォーカルに女性をフィーチャするというスタイルもマヒナによってつくられていきます。

そしてこれらのヒット曲には、ときには前面にときにはさり気なく佐々木敢一の「裏声」を聴くことができます。

その後、41年には黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」で、43年にはロス・インディオス「コモエスタ赤坂」とラテン出身のコーラスグループがヒットを放ち、44年には「長崎は今日も雨だった」内山田洋とクール・ファイブが、49年には敏いとうとハッピー&ブルー「わたし祈ってます」が続き、ムードコーラスは全盛をむかえます。

そして、彼らの歌の多くは「女歌」で、そのひとつのテクニックでもあるかのように「裏声」がつかわれていました。
また、44年にはソロでも箱崎晋一郎「熱海の夜」で「裏声」を聴かせてくれました。

いまではあたりまえの、ソロにしろコーラスにしろ男がうたう「女歌」の原点もおそらくマヒナの「裏声」にあったのではないでしょうか。
さらにいえば、その後演歌はもちろん、フォークやニューミュージックでうたわれた男の「女歌」のはじまりもマヒナだったのではないでしょうか。
さすがに「裏声」はほとんど聴こえませんでしたが。

さいごにつけ加えておきたいのは「日本の裏声」。
元ちとせ中孝介で広く知られるようになった奄美諸島の民謡、島唄
なぜ沖縄になくて奄美諸島だけにあるのか不思議ですが、その「裏声」はカントリーやハワイアンより頻繁に駆使され、まるでヨーデルに近いものまであったり。

奄美民謡で「裏声」がつかわれるようになった理由はいくつかあるようですが、そのひとつは神に近づく巫女のように「男が女を真似る」ということ。
つまり、のちのムードコーラスの発想と同じ。
そういえば、男がうたう「女歌」の原点のひとつマヒナスターズの「お百度こいさん」を作曲した渡久地政信は奄美大島育ち。
…………なんとなく話がととのったようなととのわないような。ユーレイヒー……。


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MOMO

シャッター・ガラガラさん、読んでいただいてありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
by MOMO (2011-02-21 23:14) 

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