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VOICE⑥裏声・其の一 [noisy life]

坂本九.jpg

 おまえは 僕を 泣かしたけれど
 いまでは 彼に 棄てられ泣いてる
♪HATS OFF TO LARRY 
彼はもう 君のもとには 帰らない
辛いだろうね さあお泣き CRY CRY CRY
涙が 涸れるまで

君は僕に 冷たい言葉で
サヨナラを 言ったね
HATS OFF TO LARRY
彼もきっと 冷たい言葉で 別れを言った
辛いだろうね さあお泣き CRY CRY CRY
すべてを わすれるように
(「花咲く街角」詞:漣健児、曲:DEL SHANNON、歌:坂本九、昭和37年)

いよいよVOICEも佳境に入ってまいりました(何のことやら)。

今回は「裏声」「ファルセット」なんていったりしますね。
声楽家や音声学者の方々にいわせると、いろいろその定義も難しいようですが、ここはラフに裏声=ファルセットということで。
つまり、音域のリミットを超えて出るひっくり返った声、つまり裏声ということ。

Jポップがたまに耳に入ってくるのですが、けっこう裏声をつかうシンガーいますね。名前がわからないのが恨めしいのですが(曲名もだろ)。

まぁ、若ぶっていえば平井堅なんてそうですし、ちょっとまえならミスターチルドレンとかL’Arc-en-Ciel のヴォーカル(知ってるけどいわない)も駆使してました。

裏声ってセクシーなんでしょうか。それになんとなく歌が上手く聴こえたり。
カラオケでも上手にうたいこなせばヤンヤヤンヤ(死語か)だったり。

その裏声、すなわち声をひっくり返すといえば、カントリー・ミュージックがおなじみ。といってもそれは古の、つまりいまでいうカントリー・クラシックの時代の歌でありシンガーの話。
いまのポップスやロック(ヒップホップだって)に接近したカントリーでは無用の長物と化しているのかもしれませんが。

とにかく戦後、昭和20年代に、ジャズやハワイアンとともに日本に上陸し、一部の洋楽ファンから熱烈に支持されたのがカントリー&ウエスタン。
カントリーに心を奪われた当時の青少年諸君は、あの「裏声」にシビレちゃったのではないでしょうか。

そんな日本のカントリーシンガーのなかから人気者(アイドルなんていわなかった)が出てきます。それが小坂一也

昭和29年、和製カントリーの「ワゴン・マスター」でレコードデビュー。小坂の師匠であるレイモンド服部の作曲で、見事に「裏声」が取り入れられています。

32年にはなんと古賀メロディー「青春サイクリング」がヒット。さすがに、古賀政男が直接歌唱指導したとあって「裏声」は封印されていますが。なんでも師匠は歌謡曲をうたうことを強く反対したとか。

その後は映画会社松竹と専属契約を結び、歌よりも役者稼業に力を入れるように。

33年に爆発した「日劇ウエスタン・カーニバル」に出ていないのは、その時すでに“ビッグ”になっていてマネジメントができなかったからでしょうか。
ある雑誌で「日劇」を観た感想を「俺ももう引退かな」なんて冗談半分にいってたり。

平成9年に病死しますが、晩年はカントリーシンガーとしてのコンサートに積極的だったり、ファンには嬉しい姿をみせてくれました。
自作で「グッド・ハーテッド・ウーマン」を彷彿とさせる「パパはシンガー」なんていう泣かせる曲もうたっていました。

カントリーはすぐにロカビリーに取って代わられてしまい、そのロカビリアンたちも歌謡曲やポップスに転向を余儀なくされるのですが、そうした元カントリー・シンガーたちが、別の“土俵”にあがっても、むかしとったなんとやらで「裏声」を披露してくれることがありました。以下のふたりもそんなシンガー。

「骨まで愛して」 城卓也
「どうにかなるさ」 かまやつひろし

またロカビリーはテレビの時代になって「カヴァーポップス」として延命していきますが、そんななかにも「裏声ソング」があふれていました。その多くはカントリーの影響を受けた“小裏声”でしたが。

弘田三枝子「ルイジアナ・ママ」九重佑三子「シェリー」清原タケシ「恋の一番列車」などはいずれも印象に残っています。

そんななかでも“裏声大将”といってもいいのが坂本九
たとえば「花咲く街角」、たとえば「ステキなタイミング」、たとえば「カレンダー・ガール」など。そしてかのオリジナル「上を向いて歩こう」だって、ところどころにその片鱗が。

ところで前述したように、戦後日本に津波のようにやってきた洋楽。そんななかで「裏声」が聴けたのはカントリーばかりではありません。

ザビア・クガートペレス・プラード、あるいはトリオ・ロス・パンチョスの来日で、昭和20年代後半から30年代にかけてブームが起きたのがラテン。
日本人でもアイ・ジョージ坂本スミ子宝とも子らが人気に。

そんななかで「裏声」といえば、やはり「ラ・マラゲーニャ」。これはカントリーのような「小裏声」ではなく、どこまでのばすの? というほど長い裏声。その部分にくると観客はヤンヤヤンヤ(まだいってる)。

そしてもうひとつ、昭和20年代から30年代にかけてカントリーと比肩するほど人気が高かったのがハワイアン。
あれからウン十年、みんなどっかへ行ってしまいましたが、大橋節夫ポス宮崎バッキー白片……。ヴォーカリストならエセル中田南かおり、そして日野てる子

そのハワイアンでもときおり「裏声」を聴くことができました。日野てる子はオリジナルの歌謡曲「夏の日の想い出」でも。

こうしてみると日本の「裏声」は戦後、洋楽が運んできたと思いがちですが、そんなことはありません。
日本の歌謡曲にもファルセットを頻発する、それもとびきりの上手さでうたう「裏声シンガー」がいるのです。
そうです、かの女王・美空ひばりです。

たとえば「哀愁波止場」だったり、「ひばりの佐渡情話」だったり、「りんご追分」だったり、「津軽のふるさと」だったり、「みだれ髪」だったりと。
これはもう「ひばり節」といっていいほどですね。

どれもこれもいまの演歌歌手がカヴァーしたがる歌。みんなあのファルセットに魅かれてうたいたくなっちゃうんでしょうか。とにかく流行歌手として、ファルセットの精度と美しさに関しては日本一といってもいいんじゃないでしょうか。

それはさておき、昭和30年代から40年代にかけて、美空ひばりとはまた違った歌謡曲のなかでの「裏声」の流れが起こります。
残念ながら、時間となりました(勝手に決めてます)。この続きは次回ということで。


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