SSブログ

その名は●ボニー① [the name]

俺たちに明日はない.jpg 


My Bonnie lies over the ocean
My Bonnie lies over the sea
My Bonnie lies over the ocean
Oh, bring back My Bonnie to me

Bring back, bring back
Oh bring back My Bonnie to me to me
Oh bring back, Oh bring back
Oh, bring back My Bonnie to me
([My BONNIE] Traditional of Scotland)

数日前池内淳子さんの訃報。
何回か前の拙ブログ「その名は●エリー」でも少しふれましたし、最近白洲正子の回顧録で池内さんが主演した「花影」のヒロインの話(白洲正子と映画のモデルになった女性は友人だったそうです)を読んだ折、映画「花影」での彼女の演技が頭のなかで再生されたもので、ことさら感慨深く新聞の訃報記事を読みました。
典型的な和美人でした。加藤泰&中村錦之助の「遊侠一匹」のおきぬさんもよかったなぁ。

池内さんの訃報が載った新聞に、5段抜きぐらいの大きな扱いでもうひとつの訃報記事が掲載されていました。
アメリカの映画監督、アーサー・ペンです。

1958年の「左ききの拳銃」がデビュー作。
子どものころ、銭湯にポスターが貼ってあったのを覚えています。それから「見たい見たい」と思いつつ、実際に観たのはそれからかなりあとで、二十歳はゆうに過ぎていました。
主演のビリー・ザ・キッドを演じたポール・ニューマンがカッコよかった。

その4年後の62年には主演のアン・バンクロフトと助演のパティ・デュークがともにアカデミー賞を獲った「奇跡の人」。

そして66年にはわたしの“青春シネマ”のひとつ「俺たちに明日はない」
当時いわれていたアメリカン・ニューシネマを代表する作品のひとつですね。

原題は[BONNIE & CLYDE]。ボニー・パーカーとクライド・バロウの男女2人組のギャングの話。

冒頭シーン。
ムショから出所したばかりのクライドが盗むクルマを物色しているところ。それを2階の窓から退屈で瀕死状態のボニー(これが寝起きで全裸)がみつけてからかう。
2階の女が気にかかるっていうシーン。櫻は咲いてなかったけど。
2人はすぐに意気投合、クルマを盗んでレッツゴー。
このファーストシーンはいまでも覚えています(10数回観てりゃあたりまえか)。

映画の内容もすばらしかったのですが、主演のボニー・パーカーを演じたフェイ・ダナウェイのクールでイカしていたことったら。

それまでのわたしの女性遍歴、いや洋画“女優遍歴”はというと、クラウディア・カルディナーレとかロミー・シュナイダーとかミレーヌ・ドモンジョとか、どちらかというと派手な顔立ちで、肉感的な方々ばかり。

それがフェイさんはスレンダーなからだつきにシャープな顔立ち、男に媚びないストイックなフンイキというチェリーボーイには初体験のタイプ。完全にイカレちゃいました。

もちろん、とうぜんのごとくその後フェイちゃん(だんだん慣れ慣れしくなってる)を追いかけました。
「華麗なる賭け」、「恋人たちの場所」、「小さな巨人」、「チャイナタウン」……どれを観てももの足りなさが残るばかり。
あの「ボニー・パーカー」のカケラもありませ。
そりゃそうだよね、高倉健さんじゃあるまいし毎回同じキャラクターで出る訳ゃないもの。

しかし、わたしにとってのフェイ・ダナウェイはボニー・パーカー以外の何ものでもないのです。だから「チャイナタウン」で諦めました。もう観るのはやめようって。

再び「ボニー&クライド」の話。
「俺たちに明日はない」の魅力は、ストーリーの面白さ、衝撃的なラストシーン、イカしたフェイ・ダナウェイ、のほかにもうひとつ。それが音楽。

主題歌にはフラット&スクラッグスLester Flatt & Earl Scruggsが演奏する「フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン」Foggy Mountain Break Down がつかわれていて、それがなおさらストーリーを盛り上げていました。

当時マウンテン・ミュージックやブルーグラスを聴き始めたころで、それも何度も劇場へ足を運ばせる理由のひとつになった、というわけです。

いずれにしても、あの映画はフェイ・ダナウェイ、いや「ボニー・パーカー」とともに忘れられない映画になっています。
映画のタイトル風にいえば「わが青春のボニー」、「マイ・ボニー」ですね。

「マイ・ボニー」My Bonnie といえばスコットランドのトラディショナルソング。

日本ではロックにアレンジしたビートルズThe Beatlesで知られるようになりました。
実際には1962年にトニー・シェリダンTony Sheridan がロケンロールにアレンジしてリリースしたもので、そのバックをつとめたビート・ブラザーズThe Beat Brothers がのちのビートルズThe Beatles 。

日本のシンガーでは翌63年(昭和38年)に、漣健児訳詞の「恋人は海の彼方に」スリー・ファンキーズ飯田久彦がカヴァー。

ところで、不思議に思うのはボニーの性別。てっきり女だと思っていたのですが。

あるウェブに書いてあったのは、スコットランドではこの「マイ・ボニー」のボニーとは
スチュアート家のチャーリー王子のこと、つまり男だと。
王子の別名が「ボニー・プリンス・チャーリー」なんだとか。

イングランドとの戦いに敗れた王子は「必ず戻るから」という言葉を残して大陸へ逃げてしまいます。そしてスコットランド人はその言葉を信じてずっと待っていたと。

それでこの歌「マイ・ボニー」には、「ボニー戻ってきて」という願いがこめられているのだそうです。

たしかにボニーが女の恋人ならば、はじめのYOU-TUBEで女性がうたうのはいささか変ですね。王子だったら納得がいきますが。

しかし、トニー・シェリダンやビートルズが絶叫しているのは、王子ではないですよね。あきらかに海を渡ったガールフレンドに対してのように聞えますが。

実はボニー両性具有だったのです。というのはウソで、スコットランドでは両方の解釈が並立しているようです。

スコットランドの言葉でBonnieというのは、美しい、可愛い[pretty, beautiful]という意味があるそうで、「マイ・ボニー」の場合、ふつう男性がうたえば「愛しい恋人よ」となり、女性がうたうと「愛しいわが息子よ」と母親がうたうかたちになるのだそうです。
「愛しいわが娘よ」と父親がうたってもよさそうですが、通常、子どもが海を渡るという場合、女ではなく男が一般的だったそうですから。

思い出しましたが、映画「俺たちに明日はない」には若き日の(はじめから老けてたけど)ジーン・ハックマンがクライド・バロウ(ウォーレン・ビーティ)の兄貴役で出てまして、彼がいかにも陽気な南部人って感じで、いくつかアメリカンジョークをかましていました。

なかでもよく覚えているのが、病気でいまにも死にそうな母親のために、牧場を営む息子が牛乳を飲ませようとする話。

自分のところで飼っている牛から絞ってきた牛乳を飲ませようとするのですが、この母親大の牛乳嫌いでいっこうに飲まない。
そこで息子一計を案じて、絞って来きた牛乳にブランデーを混ぜて飲ませてみた。
するとなんとかうまく飲んでくれた。

それから毎日母親にそのブランデー入りの牛乳を与えると、日に日元気になっていった。
そしてある日、牛乳を飲み干すとロレツの回らない言葉で母親が息子にこういった。
「いいかい、あの牛だけは絶対によそに売っちゃだめだよ」
って。

いつものことながら馬のし……、いやとにかく長くなりました。
「ボニー」の続きは次回の最終回で、ということで。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

秋歌③失恋の海その名は●ボニー② ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。