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その名は●けいこ① [the name]

岸恵子2.jpg


♪久しぶりだね けいこ きれいになったね けいこ
 恋の数だけ美しく 女は変わる
 君はセクシー(マンボ) 秘密がにおうよ(マンボ)
 紅いキャンドルライト フロアにゆれる
 はじめて出逢った夜 ふたりで踊ったマンボ
 信じられないけいこ 君が人妻なんて
 逢えてうれしいけいこ 夢のようだよけいこ
 返したくないマンボ(マンボ) 今夜はふたりさ
(「けいこのマンボ」詞:たかたかし、曲:吉田正、歌:殿さまキングス、昭和52年)

上にのせた殿さまキングス「けいこのマンボ」の「けいこ」、漢字ならどう書くのかな。
個人的に思い浮かぶのは「恵子」。まぁ、たんに親戚にいるからというだけのことですが。人それぞれでしょうね。

某生保会社リサーチによると、その「恵子」は戦後、昭和21年からベスト10に名を連ね、28年から36年まで、30年の2位を除くとナンバーワンとなった人気の名前。その後、「子」が不人気になっていくなか昭和50年代はじめ頃までベスト10に顔をのぞかせていた、まさに昭和を代表する女性の名前のひとつ。

最もピークだった28年から36年といえば、まさに戦後の復興期。高度経済成長がうたわれはじめた昭和37年までの、日本人が苦しくもがんばり続けた時代。

そんな時代になぜ「恵子」が人気になったのでしょうか。
戦前からそこそこ人気のあった名前のようですが、それを決定的にしたのが、先日とりあげた菊田一夫原作「君の名は」の列島横断的ヒット。
まずは昭和27年のラジオの連続ドラマから火がつき、翌28年には松竹によって映画化されたことはすでにふれました。そのヒロイン真知子に抜擢されたのが26年に女優デビューした岸恵子。彼女はこの「君の名は」三部作によって国民的女優に。彼女の唯一のレコード「花のいのちは」も制作されました。
すべてとはいわないまでも、そのヒロイン「岸恵子」の影響が少なからずあったのでは。

その岸恵子少し先輩にあたる女優には淡路恵子が。SKD(松竹歌劇団)出身で昭和30年代初頭、やはり映画「この世の花」シリーズで人気に。ただ淡路恵子は芸名で本名は綾子。

ほぼ同時期に「マドロス娘」で歌手デビューしたのが松山恵子
3年前に亡くなりましたが、生前は紅白・小林幸子の原形ではないかと思えるほどの異様に大きなスカートとマイクを握る白いハンカチがトレードマーク。

32年「未練の波止場」、33年「だから言ったじゃないの」、34年「お別れ公衆電話」と立て続けにヒット。
昭和30年代には紅白歌合戦の常連でしたが、そのわりに知名度がいまひとつだったのはマーキュリーというマイナーなレコード会社に所属していたためだったかも。

しかし、ファンからは「お恵ちゃん」と親しまれ、庶民的な歌手をまっとうしました。

その松山恵子も芸名で、本名は岡崎恒好(つねこ)。芸名の苗字は出身が愛媛県なのでそこから。名前の恵子はもしかしたらやはり岸恵子や淡路恵子の人気にあやかったのかも。

もう少し古いところでは今となってはめずらしい“NHK専属歌手”荒井恵子が。
昭和24年のNHKのど自慢全国大会優勝という華々しい経歴ですが、“半公務員”のためNHK以外のメディアには出演しなかったそうです。もちろんレコード会社にも所属していなかったので当時はレコードの発売もなかったとか。

NHKラジオ番組のテーマソング「楽しい喫茶店」やラジオ歌謡(今でいうみんなの歌のようなもの)の「森の水車」「そりよ走れ」は“レコード解禁”となった今は聴けます。

ほかでは、昭和20年代後半、「東京バイヨン」や「東京ティティナ」などポップスというかラテンのリズム歌謡で人気となったのが生田恵子
宝塚少女歌劇団出身で、本場ブラジル仕込みというふれこみで、その後起こるラテンブームの魁となったひとり。「東京ティティナ」「東京バイヨン」などのオリジナル(前者はほとんどチャップリンを借りていますが)も。
彼女も芸名で本名は八重子。残念ながら10数年前に亡くなっています。

ところで戦前から戦後の昭和30年代の初めころまで、少女たちのアイドルといえば。
いまならテレビタレントや女優、あるいはJポップシンガーでしょうが、テレビ黎明期であり映画や流行歌が大人のものだった時代、彼女たちが熱中したのは童謡歌手、それも同性の女の子。……こういう時代を経てヤングガールの意識も変わっていき現在に至るのです。蛇足だけど。

とりわけ人気のあった童謡“三人娘”が古賀まさ子、小鳩くるみ近藤圭子
彼女たちの歌はレコードやラジオから流れ、その人気は少女雑誌の表紙やグラビアを飾るほど。古賀まさ子の「子鹿のバンビ」や近藤圭子の「海ほおずきの歌」はレコードもよく売れ、子供たちの愛唱歌になったとか。

なかでも容姿が飛びぬけていた近藤圭子は童謡歌手から脱皮すべくテレビドラマを中心とした女優としても活躍。童謡から歌謡曲への脱皮を図った時期もあったとか。
ところが不倫による心中未遂事件を起こしてそのまま芸能界から引退。いたいけな少女童謡歌手も年を経ればふつうの女性になり、恋愛もするのだという現実を実感させられる事件でした。

恵子ほどではありませんが、その「圭子」もまた当時は人気の高い名前。
昭和40年代に入ると一世を風靡する「圭子」が出てくることになります。


唐突ですがマイケル・ジャクソンの突然の死亡には言葉がありません。

もうひとつ驚いたのは彼が50歳(にもなっていた)ということ。
美容整形すべてに反対するわけではありませんが、あんなハンサムボーイがなんで……、という思いは以前からありました。完璧を望んだのでしょうか。

もちろん自殺ではありませんが、60歳、70歳の己が姿を見せたくないという“図らざる意思”なんてものも思い浮かべてしましました。プレスリージョン・レノンのときもそうでしたが。

才能あるアーチスト(本当の意味で)が亡くなったことは悲しい出来事ですが、マイケルが諸々の精神的、肉体的苦痛から解放されたことはまちがいありません。


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