その名は●けいこ② [the name]
♪赤く咲くのはバラの花 白く咲くのは百合の花
どう咲きゃいいのさこの私 夢は夜ひらく
十五 十六 十七と わたしの人生暗かった
過去はどんなに暗くても 夢は夜ひらく
(「圭子の夢は夜ひらく」詞:石坂まさお、曲:曽根幸明、歌:藤圭子、昭和45年)
昭和45年という年は(1970年といったほうがピンとくるかも)、日米安全保障条約が自動延長され、日航よど号ハイジャック事件や中核・革マルの内ゲバ事件あるいは三島由紀夫の自衛隊乱入自殺事件はあったものの政治の季節はあきらかに黄昏期に入り、世間は大阪万博に象徴されるような一見お祭り志向、快楽志向のような雰囲気がただよっていた、そんな年でした。
流行歌の世界ではGSブームが終わりを告げ、和製フォークの時代に。これは今に続く“自分の歌は自分で作る”というシンガー・ソングライターというスタイルが確立され定着していったという意味で画期的でした。
その和製フォークも含め、ポップスとりわけアメリカやイギリスの音楽がはっきりと定着し影響力を増していった時代でもありました。
歌謡曲の中でも、かつて洋楽カヴァーをうたっていた森山加代子、伊東ゆかり、弘田三枝子らがオリジナルのヒット曲を放ち、由紀さおり、いしだあゆみ、渚ゆう子、布施明、ヒデとロザンナ、辺見マリなどポップス調の歌謡曲が主流となっていった時代でした。
そんな中、戦前からの古賀メロディーや人情を描いた詞をベースとした流行歌を「演歌」と命名して“古き良き音楽”を守り、踏襲していこうという動きも。
そうした演歌の世界でヒット曲を続けていたのが、都はるみ、森進一、青江三奈など。
そしてこの45年、新たな演歌の星が誕生します。それが藤圭子。
デビューはその前年の昭和44年「新宿の女」。
そして45年、「女のブルース」と「圭子の夢は夜ひらく」が連続オリコン第1位。続く「命預けます」もヒットして一躍演歌のヒロインに。
そのハスキーヴォイスと無表情と、どこか拗ねたような歌詞が時代の雰囲気をとらえているようで、庶民の共感を呼んだのでした。
また、北海道出身で父親が浪曲師、母親が?女で幼いころから苦労してきたというバックグラウンドも含め、「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞にあるように「私の人生暗かった」とあたかも実人生でも重い過去を背負っているようなイメージ(それが戦略だった)がさらに彼女の虚像を肥大化させていくことに。
さらに小説家や映画評論家あるいはただの評論家? といった斜め思考のいわゆる文化人たちの中から藤圭子論やら藤圭子讃歌をぶつ者たちまで現れて、それはもう。
熱狂がすぎてみれば、藤圭子はたんにその時代を語る“ボキャボラリー”のひとつに過ぎなかったのですが。
文化人に弱いわれわれ単純歌謡曲ファンは以上でも以下でもない流行歌を、演歌を、彼らが言うように“文化革命”(大げさだね)の“ウェポン”になりうるなどと、さもない幻想を抱いちゃったりして……。藤圭子をまさにジャンヌ・ダルクと取り違えてしまったり……。
そうした“狂騒”が大いなる幻影だったことは、藤圭子論が語り継がれることもなければ、その後継者があらわれることもなかったことがはっきり証明しています。
さらにいうならそれから27年後、彼女のまさに分身である宇多田ヒカルが“歌の女王”に祀り上げられたとき、藤圭子は往年のヒット歌手として再注目されたにとどまり、藤圭子論なるものの検証がなされなかったことでも顕か。
もちろんそれは藤圭子の責任でもなんでもないのですが。
ただ、論風去った荒れ地には痩せ衰えた演歌だけが残った。そして“彼女”はつぶやくのでした「私がいったい何をしたというの」と。
それでも藤圭子はいいなぁ。とくにそうしたフィーバーから解熱した昭和50年にリリースした「はしご酒」がジンときます。←つい最近もとりあげたばかりです。いい曲は何度でも。
錦糸町や亀戸、平井あるいは小岩、金町といったいわゆる川向うの下町をまるで流しのようにめぐる地域密着ソング。小松みどりによる埼玉、千葉バージョンもあるとか。
♪よってらっしゃい よってらっしゃい お兄さん
いつものことながらペース配分が下手で。急いでそのほかの歌謡曲・演歌の「けいこさん」を。
藤圭子が引退した頃(今は復帰?)にヒットチャートを賑わしたのが女優・松坂慶子がうたった「愛の水中花」。
五木寛之原作のテレビドラマ「水中花」の主題歌。いまでも常套手段のメディアミックスでヒット。それにバーニーガール姿でうたう松坂慶子のお色気もヒットの要因。作詞は原作者。
そのしばらく後に、中島みゆきの「すずめ」で再デビューしたのが、元ピンクレディーの「ケイちゃん」こと増田けい子。
少しさかのぼって昭和37年「明日天気になあれ」でデビューし、現在も演歌歌手として活動しているのが小宮恵子。昭和38年、元プロ野球の大投手金田正一の弟金田星雄とデュエットした「幸せを掴んじゃおう」のヒット曲が。
もうひとり、昭和43、4年GSサウンドをうたっていたのが麻里圭子。筒美京平-橋本淳作品の「裸足のままで」や鈴木邦彦-水島哲の「そんな夢」など。それにTVアニメ「サインはV」の主題歌もうたっていました。現役でブログにはフラワーデザイン講師もやっているとか。
アイドルでは島崎恵子がいます。昭和48年にリリースした「思い出さないで」は当時主流だったフォーク歌謡で「誰もいない海」を思わせるしっとりした曲。それ以前に朝倉マリというステージネームでうたっていたらしい。
再び藤圭子。
巷に「女のブルース」が流れていたころ、ガキだったわたしには“藤圭子論”や“怨歌論”などチンプンカンプンで。
ただ、いまあらためて藤圭子を聴くと、当時、生意気にもネオン街のはしくれで蠢いていた自分の恥ずかしき映像の数々が浮かんできたりしちゃって……。
でも、流行歌ってそんなものなんじゃないでしょうか、ねぇ、お兄さん。
しばらくお休みというこですがお疲れ様でした。
今まで暖かいコメントを有難うございました。
これからもどうぞ健康でご活躍下さいますように。
by レモン (2009-07-01 15:43)
レモンさんこんにちは。
反応が鈍くてすみません。
あたたかいコメントをありがとうございます。
ブログは50の手習いではじめた興味深い「趣味」ですので、できるだけ早くリスタートしたいと思っています。
その折には変わらないお付き合いのほどをお願いします。
レモンさんのブログは毎回読んでいますし、そのうちまたコメントもさせてもらいますので、よろしくお願いします。
by MOMO (2009-07-06 15:39)
≪カチューシャ≫の告知など~快く、スペースを貸していただいて
有難うございました
その他、MOMOさんの懐の深さに心惹かれます~☆
又、お目にかかりましょう、それまで・・・
Till We Meet Again!
by ≪カチューシャ≫ (2009-07-08 23:58)
いつもの本屋へ客注した本を受け取りに、ついでに求めたミステリーを一冊。読み進み己の勝手な推理が膨らみかけたとき、二十ページに及ぶ落丁。[過去に一度だけ経験]不思議なことにページナンバーは印刷されている。そんな気分でThe WeaversのSO LONGを聴きました。
とりわけCWの項目ではレコードリストを捲り、みつけると埃を払い針をおとすのが楽しみでした。
リストに記載漏れしているレコード[たいていはHistory類]から探るのは一仕事ですが、それも楽しみのひとつです。
Lee CashのHistory of country
The nashville sound AC1940~(ライマン公会堂 録音)
OPRY LAND AC1950~
この三つのシリーズからほぼ見つかります。
項目別のエッセイではヘェーッと云うことがよく記されていますネ。
よくご存知と云うか、よくお調べになっていると云うか。
とあれ、できるかぎり早期の再記述を願ってやみません。
おからだ御大切に。
by 武部 剛 (タケシ) (2009-07-17 11:28)
カリーナさん、返信遅れてすみません。
こちらこそたびたび“お運び”いただいて恐縮しております。
もちろん再開のつもりでおりますので、そのときはまたよろしくお願いいたします。
by MOMO (2009-07-26 23:57)
武部さん、はじめまして。ありがとうございます。
音楽に関しては雑食系ですが、CW系はモルヒネみたいなもので、もはやなくては生きていけません(大げさです)。
一日一回、カリントーじゃなくてカントリー(似てないですか?)。
おっしゃるとおり、好きな割には知識がないので調べて書いてました。
初対面?にもかかわらず健康を気遣っていただき恐縮しております。
健康のほうは一病息災(二病ぐらいかな)でぴんぴんしております。ただどうしても心身ともに時間がとれない状況に陥ってしまい「閉店ガラガラ」(もはや死ギャグ)となっております。
そんなわけで年内復帰をめざしておりますので、その節はまたよろしくお願いいたします。
ところで武部さん、ブログをやっていらっしゃるのならば、ぜひ「住所」を教えていただけるとうれしいのですが。
by MOMO (2009-07-27 00:10)