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RED/紅い花② [color sensation]

剣と花.gif 


朝靄を衝いて 剣を振ってたら
紅い花びらが 眉に落ちてきた
冴えた白刃に 触れたのか
宥して(ゆるして)くれよ 名もない花よ
(「剣と花」詞:萩原四朗、曲:上原賢六、歌:石原裕次郎、昭和46年)

「紅い花」「赤い花」が男にとって好きなあるいは好きだった女の象徴であるのは単純明快だが、なかにはもう少し複雑な「紅い花」もある。

「剣と花」は昭和42年に週刊誌に連載され、のちに単行本となった立原正秋の長編小説。

原作は主人公の石津文三郎とその母違いの妹・千代子の近親相姦を軸にして剣と愛を貫こうとする主人公の滅びの美学が描かれている。

昭和47年、日活が映画化した。その「剣と花」はリアルタイムで観た。
監督・舛田利雄、主演・渡哲也。「無頼」や「大幹部」シリーズでお馴染みのこの「取り合わせ」を見逃すはずはない。ちなみに「舛田・渡」の最高傑作は「紅の流れ星」(軟派の渡が最高)だと思っている。

「剣と花」ははじめにもふれたように文芸作品。それまでのヤクザ映画、日活アクションとはいささか違った。

それでも渡哲也は期待を裏切らなかった。
父親譲りの剣道の達人で妹を愛してしまうヒーローをみごとに演じていた。木刀で匕首を持ったヤクザ者たちを蹴散らし、一方ではバーのママと同棲したり、その店の女の子に手を出すというだらしなさ。硬軟併せ持つ現代のヒーローをみごとに演じていた。ラブシーンは相変わらず下手だったが。それもまたあの時代のヒーローにふさわしい。←何が何でも褒めるぞという態度だね。

そもそも現代劇で“スーパーマン的”ヒーローは描きにくい。
描くのであれば時代錯誤のチャンバラ映画だろう。鞍馬天狗、怪傑黒頭巾、丹下左膳、眠狂四郎、木枯紋次郎とバッタバッタと人を斬り、斬られても死なないスーパーヒーローは時代劇ならでは。

昭和40年代の仇花・ヤクザ映画はその“代用品”だった。それも最後の。

そんな中で公開された「剣と花」は、現代劇でありながら剣の達人という強いヒーローを主人公に据えた。ある意味うまい設定だと思う。まさか射撃の名手というわけにはいかないし(高倉健主演の「駅(ステーション)」では健さんが元射撃のオリンピック選手という刑事を演じていたけど)。

もちろん剣道の有段者が棒きれを振り回して他人に怪我をさせれば通常より重い罪になるのだろうが。
「剣と花」の主人公文三郎は、若いころ木刀でヤクザ者たちに重傷を負わせ、段位をはく奪されたという設定。それでもヤクザ相手の立ち回りは何度かあった。原作より派手でふんだんだったのは、日活の“得意ワザ”だったから。

当時、映画がなかなか面白かったので、そのあとすぐ原作を読んでみた。
原作の幅と奥行きを2時間足らずの映画に求めるのは酷というもので、文三郎と千代子に焦点を絞ったドラマはそれなりにうまく作られているという感想を覚えた。

とりわけ小説の文三郎と渡哲也はみごとに重なった。いつものヤクザ映画より少し長めの坊ちゃん刈りもよかった。反対に千代子を演じた新藤恵美は原作からのイメージとはかなり異なった。原作の静かで底恐ろしい千代子を演じるには新藤恵美の顔立ちは派手すぎ、演技は熱が入りすぎていた。

とはいえ、通常の封切り映画(当時の)であからさまな近親相姦はまずい。という懸念があったのだろう、たぶん。映画では主人公がそれを思いとどまるという正反対のエンディングで締めくくられている。

これはいささか無理がある。
原作、映画とも文三郎は父の遺言どおり、兄姉の非難に耳を貸さず、義母と妹を守りながら古い屋敷を継いでいく決心をするのだが、映画のように一線を越えずというのはいかにも不自然。妹の兄に対する思いはどう解消されるのかがまったく曖昧。原作を読まなければそんなことも思わなかったのだが。

ATGならともかく通常の封切り映画では近親相姦はタブーなので、このあたりが限界だったのかもしれない。それにしてもよく原作者がこうした改竄を許したものだ。
まぁ原作と別物と考えれば、それなりに堪能できる映画ではあったのだが。

上にのせた流行歌「剣と花」は、クレジットの「歌・石原裕次郎」でもわかるとおり、映画の主題歌ではない。映画公開の前年にレコードが発売されている。もちろん映画の主題歌ではないし、挿入歌としてうたわれることもなかった。ちなみに、すこし前衛風の真鍋理一郎の音楽もよかった。

どういう経緯だったのかは知らないが、もしかしたら当初裕次郎主演で企画されたのかもしれない。それがなぜ翌年の渡哲也主演になってしまったのかも不明だが、年齢的にもキャラクター的にも裕次郎よりははるかに渡のほうがハマリ役。

しかし不思議なことに、こと流行歌に関しては「剣と花」と裕次郎との違和感はない。

で、この「剣と花」だがレコードのいわゆるB面で、A面が「地獄花」。当然こちらの方がヒットした。
もちろん「地獄花」も小説「剣と花」の“イメージソング”なのだ。

つまり歌の世界では数少ない(というかほかにあるのかな?)近親相姦ソングなのである。もっとも、原作を知らなければ、映画を観なければ、たんなるラヴ・ソングあるいは不倫ソングで通用するのだが。

♪俺たちに 明日はない あるのは ひかる瞳……
ではじまる「地獄花」の詞はより原作に“忠実”につくられている。

とりわけ間奏ではいる浅丘ルリ子の、
「……そんなに地獄が怖いのですか。誰も二人の世界には入ってこれないのですよ。……怖いのはあなたがわたしを裏切ったときだけです」
という男を煽動するセリフは原作ほぼそのまま。

映画にはもちろんなかったが、原作では主人公が妹を抱きながら「地獄の花だ、地獄の花だ」とつぶやくところがある。裕次郎の「地獄花」はそこからきている。
「地獄花」は、あの真赤な花を咲かせる「曼朱沙華」すなわち彼岸花の別名でもある。

いずれにしても3コーラスめの、
♪地獄がなんだ 滅びるのが アア………… この世がなんだ
という詞でもわかるとおり、「地獄花」は「船頭小唄」「昭和枯れすすき」に匹敵するほどの退廃的な歌でもある。

裕次郎にはほかにも「紅い花」の歌がある。
♪紅い野バラがただひとつ 荒れ野の隅に咲いている 「こぼれ花」
この花は恐ろしい花ではなく、オーソドックスな昔の「あの娘」を思わせる花。

またデビュー曲の「狂った果実」では、
♪……燃え上がり 散っていく 赤い花の実
とうたわれている。

話をもどして、映画「剣と花」は他でも小説とは異なる設定がいくつかあった。
その中のひとつで、原作にはない人物が何人も出ていた。
そのひとりが、主人公・文三郎がバーのママから乗り換えるホステスの夫。原作では気の弱いギャンブル狂のダメ夫だが、映画では“ドス健”という刑務所に入っているヤクザ者。このへんが日活アクションの片鱗。

ドス健は出所して女房の浮気を知り、文三郎に決闘を挑み返り討ちにあう。そのドス健を演じていたのが渡哲也の仇役としては欠かせない青木義郎
もう亡くなってしまったが現代ヤクザでその存在感をアピールした好きなバイプレイヤーだった。

青木義郎が「青」なら、この映画の「赤」つまり「赤い花」も出演していた。
それは新藤恵美の演じた千代子でもなく、ホステスで主人公の愛人の夏純子でもない。渡哲也に捨てられるバーのマダム・冬子を演じていた赤座美代子。これまたいい女、いや女優。わたしの青春時代の「赤い花」のひとりだった。


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