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その名は●石本美由起 [the name]

青木光一.jpg


♪春には 柿の花が咲き
 秋には 柿の実が熟れる
 柿の木坂は 駅まで三里
 思い出すなァ ふる里のョ
 乗り合いバスの 悲しい別れ
(「柿の木坂の家」詞:石本美由起、曲:船村徹、歌:青木光一、昭和32年)

昭和21年に世に出た「リンゴの唄」も明るかったが、その2年後に石本美由起さんが作詞した「憧れのハワイ航路」(岡晴夫)も底抜けに明るかった。

軽快なマーチのイントロから
♪はーれたそらー そーよぐかぜー
とはじまるカラオケでマイクを握る人たちは一様に笑顔のはず。若者だってこのノリのいいナツメロで奇をてらったりして。

腹を十分に満たすことのできなかった時代に、はたして流行歌がなんらかの慰めになったか否かは疑問もありますが、少なくとも巷に流布していたということは歓迎されたのではないでしょうか。

あのウキウキしてくるような伴奏と旋律、そして3年前まで憎っくき敵だった、アメリカはハワイへ憧れちゃう、旅行しちゃうという突拍子もない歌詞。
はじめ度肝を抜かれ、やがて笑いがこみあげてくるという当時のリスナーたちの顔が浮かびます。

「憧れのハワイ航路」の発売が昭和23年の10月。石本さんは、そのほぼ半年前の同年4月、小畑実「長崎のザボン売り」でキングレコードから作詞家デビュー。

その後コロムビアレコードへ移り、青木光一(僕は流しの運転手)、美空ひばり(悲しい酒)、島倉千代子(東京の人さようなら)、コロムビア・ローズ(リンゴの花は咲いたけど)、こまどり姉妹(浅草姉妹)と、女性シンガー中心にヒット曲を提供してきた。

そのデビューのいきさつや、石本さんの略歴についてはウィキペディア等を参照していただくとして、石本さんが歌謡界に残したもうひとつの功績についても少し。

西條八十の「蝋人形」に代表されるような、いわゆる「歌謡詞」の同人誌というものが戦前からありました。それが敗戦後、昭和20年代から30年代にかけて“花盛り”となります。そのことから「欲しがりません勝つまでは」だの「撃ちてし止まん」だのとどこか殺伐としていた戦前の青年たちが、いかに愛の歌、恋の歌に飢えたいたかがわかろうというもの。それはともかく。

石本さんはそうした同人誌からプロになった人で、その後みずから同人誌「新歌謡界」を主宰し、多くのプロを育てました。
そのなかでも星野哲郎は出世頭。

当時、若者向け雑誌でも「歌謡詞」の投稿欄があり、星野哲郎はその投稿マニア。
そのうちのひとつが雑誌「平凡」で入選。その選考委員だったのが石本さん。

石本さんは星野哲郎へ直々の手紙を書き、同人に誘ったとか。それが昭和27年のこと。

その後、昭和30年代に入り、星野哲郎の才能が開花し、「自動車ショー歌」「アンコ椿は恋の花」「三百六十五歩のマーチ」「みだれ髪」など多くのヒット曲を書いていったのは周知。

そのほか「新歌謡界」から巣立った作詞家には、やはりつい先日亡くなった、松井由利夫(「未練の波止場」松山恵子、「男傘」井沢八郎、「はしご酒」藤圭子、「箱根八里の半次郎」氷川きよしなど)がいます。ほかにも、

若山かほる(「草笛のうた」岡本敦郎)、水木かおる(「アカシヤの雨がやむとき」西田佐知子)、岩瀬ひろし(「毬藻の歌」安藤まり子)、南沢純三(「青春がギラギラ」松平マリ子)、猪又良(「大利根無情」三波春夫)らが。

というように、先輩、西條八十が、佐伯孝夫、サトウハチロー、門田ゆたか、丘灯至夫などの弟子を育てたように、石本美由起さんも多くの作詞家を育て歌謡界に貢献しました。

歌謡曲がおおざっぱにいってポップスと演歌に分離する前から、時流に左右されることなく、一貫して和の心象風景を描き続けてきた稀有な作詞家でした。

最後にYOU-TUBEで聴けるヒット曲のいくつかを紹介して、石本美由起さんのご冥福を祈りたいと思います。

ブラジルの太鼓 伊藤久男
渡り鳥いつ帰る コロムビア・ローズ
柿の木坂の家 青木光一
港町十三番地 美空ひばり
逢いたいなぁあの人に 島倉千代子
ソーラン渡り鳥 こまどり姉妹
さすらい小鳩 都はるみ
長良川艶歌 五木ひろし
矢切の渡し ちあきなおみ

 


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コメント 2

レモン

美空ひばりの歌でなかなかいい歌だと思う曲に石本美由起さんの名前がよくあるのでどんな女性なのかと訝ったことがあります。
この石本さんも亡くなりこれから時代はどう移り変わっていくのか、そしてその時代に素敵な言葉を刻みつける匠達がこれからも後に続くことを願います。
by レモン (2009-05-31 22:05) 

MOMO

レモンさん、こんにちは。

あたりまえのように思っていましたが、いわれてみればたしかに男で「みゆき」は珍しいですよね。

シンガー・ソングライターがあたりまえになった昨今(それはそれでいいことだと思いますが)、プロの作詞家というのは絶滅職種になっていくような気さえします。

傾きかかった「世界」から才人が生まれることはとても難しいです。
by MOMO (2009-06-01 21:10) 

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