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公園⑥日比谷 [a landscape]

松本楼③.jpg
♪夜霧の日比谷ゆく人も 隅田の流れ見る人も
 恋に身をやく シルエット
 君は新宿 僕は浅草
 しのび泣く 恋に泣く 東京の人
(「東京の人」詞:佐伯孝夫、曲:吉田正、歌:三浦洸一、昭和31年)

前に少しふれましたが、東京で初めての洋風公園、日比谷公園の開園は明治36年6月1日。
前年の起工式からほぼ1年あまりで完成。その形式はドイツの公園を模したもので、広さは約16万平米というから、よく例えにあげられる東京ドームがおよそ3個半分。広いのか狭いのか……。

開園当初は初もの好きの“江戸っ子”や近隣のビジネスマンたちが足を運び、歩行もままならないほどの大混雑だったとか。
現在もあるフランス料理店の松本楼は開園と同時にオープン。

また日比谷公園といえば野外音楽堂が有名ですが、こちらのオープンは2年後。初演奏の栄誉に浴したのは陸軍軍楽隊と海軍軍楽隊で、当日、ロッシーニ「ウイリアムテル序曲」ドビッシー「タンホイザー」などが演奏されたそうです。ただしこれは小音楽堂でのことで、大音楽堂が完成したのはそれからさらに18年後の大正12年。

ところで大昔の日比谷はどんな所だったのでしょうか。
遡って行くと、公園になるまえは陸軍の練兵場、つまり兵士の訓練場でした。その前つまり江戸時代は毛利、島津、鍋島といった大名の上屋敷が置かれていました。さらにその先、江戸幕府以前はというとこれがなんと比々谷村という“漁村”だったとか。
現在でも日比谷公園は皇居の目の前にありますが、当時その付近まで海浜だったというから驚き。

ちなみに比々谷つまり「日比谷」の語源は、海苔などを採取するため海に立てる竹や木を?(ひび)というところからきているといいます。「や」は谷ではなく、同じ生業のひとたちの集まりの「屋」ということ。つまり「?屋」→「比々谷」→「日比谷」に。

いずれにせよ、文明開化の明治より東京の“名所”となった日比谷公園、昭和の時代になると、なぜか男女のデートスポットとして注目されるようになります。
たとえば、大正時代の演歌師がうたった「東京節」(パイノパイノパイ節)(大正7年)には、
♪東京の中枢は丸の内 日比谷公園両議院
と出てきます。

となれば本格的な流行歌の時代、昭和に入ったらさぞや。
ところが、そこそこ知られた歌の中に日比谷公園をみつけることは難しい。というかない。

たとえば昭和4年の大ヒット曲「東京行進曲」(佐藤千夜子)には東京の地名がいくつか出てきます。これは、当時の代表的な“遊興地”をうたうことで、いかにも“東京”を強調しようという意図。
で、その地名とは「銀座」、「丸ビル(丸の内)」、「浅草」、「新宿」の4ヵ所。銀座も丸の内もニアミスだけれど日比谷公園はハズレ。

戦後のヒット曲でいち早く「日比谷」が登場したのは昭和24年の、
♪日比谷は恋のプロムナード 上野は花のアベック 「東京の屋根の下」(灰田勝彦)
佐伯孝夫、服部良一
という「銀座カンカン娘」の作詞作曲コンビで、東京を「希望の街、憧れの都」で「二人の夢の東京」とうたっています。

まさに日比谷公園や上野公園がデートスポットの代表的な場所だった時代。
それで思い出すのが昭和22年に封切られた黒澤明監督の「素晴らしき日曜日」。貧しい恋人同士が束の間の休日をいかに過ごすかというストーリー。
ごくありふれた若者たちの日曜日が天才監督の卓越したアイデアとエピソードで綴られていきます。なかでも印象的だったのかラストシーン。

二人は人気のない日比谷公園の野外音楽堂に入り込む。そして彼が見えない観客を背にして見えない楽団に向かってタクトを振りはじめる。するといきなり彼女がカメラ視線になり「皆さん、日本中の貧しい恋人たちに暖かい拍手をお願いします」「わたしたちが希望や夢を描けるように応援して下さい」というようなセリフで観客(映画を観ている人間に対しても)に訴えかけます。
すると無人の観客席から拍手が起こりはじめ、シューベルト「未完成交響曲」が聴こえてくるという演出。
数多の日本映画のなかでも印象に残るラストシーンのひとつではないでしょうか。

30年代に入って早々の上に詞をのせた「東京の人」も佐伯孝夫の作詞。作曲はその後二人で多くの名曲をつくっていくことになる吉田正
哀調を帯びた曲風ですが、その詞は当時の都会を書かせたらピカ一だった“東京の達人”佐伯孝夫の面目躍如。ちなみに彼が生まれたのは現在の東京駅構内というからさもありなんです。

そしてもうひとつ、東京オリンピックの年にうまれたのが、
♪雨の外苑 夜霧の日比谷 「東京の灯よいつまでも」(新川二朗)
どうやら日比谷は夜霧が似合うようです。そういえば二人の仲をかくしてくれる「夜霧よ今夜も有難う」(石原裕次郎)なんて歌もありました。
昭和39年日本の絶頂期にヒットしたこの歌。とりわけいろいろなかたちで地方から東京へ出てきた人たちに人気があったようです。

いまだにテレビドラマ「電車男」や「HERO」などのロケーションに使われるほど人気の日比谷公園ですが、最近では派遣村や焼身自殺という新聞の社会面にも載って話題に。
よくもわるくも何かと話題になる東京のロケーションのようです。

ところで「日比谷」の名称は、公園はもちろん、その名を冠した公会堂あるいは図書館、通り名、さらには地下鉄の駅名にみることができますが、周囲を囲む有楽町、内幸町、霞が関のように日比谷何丁目何番地という番地名はないのです。
唯一この公園だけが「日比谷公園」とされているのです。つまり所在地でいうと日比谷公園は、東京都千代田区日比谷公園になるのです。やっぱり一風変わった場所です。


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レモン

「素晴らしき日曜日」 この映画 僕もテレビで放送されているのを見たことがあります。正月番組だったか日曜日に放送されたのか思い出せませんがそんなに前ではないです。
二人だけの夜の公園で夢を語りつつも気弱な男、そしてそれを励ます女性の強さを感じさせるようなストーリーだったと思います。
アメリカ映画で「素晴らしき哉、人生!」というのもレンタルビデオでみました。”素晴らしき”という所だけが同じなだけですが(笑)

シューベルトの未完成交響曲は高校の音楽の授業でオーケストラのスコアを与えられ勉強させられました。訳もわからずレコードから流れる音と音符を見ながらため息をついていたのを思い出します。

日比谷公園という住居表示があったんですか。知りませんでした。


by レモン (2009-05-16 08:59) 

MOMO

レモンさん、こんにちは。

「日曜日」も「人生」もどちらも素晴らしき映画ですね。
両作品ともにほぼ同じ時期につくられたというのもおもしろいですね。

クラシックは苦手な人でも学校教育のおかげでいくつかは耳なじみの曲があるはずで、「未完成交響曲」はそのひとつですね。

ジャズやポップスがほとんど聞こえなかった戦前から終戦直後にかけてクラシックは洋楽の王様だったんでしょうね。

ちなみに皇居の住所は「千代田区千代田1番地」だそうですね。
by MOMO (2009-05-19 20:42) 

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