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公園④ベンチ(下) [a landscape]

 サンデーパーク.jpg
♪雨が空から降れば 想い出は 地面にしみこむ
 雨がシトシト降れば 想い出は シトシトにじむ
 黒いコウモリ傘をさして 町を歩けば
 あの街は雨の中 この街も雨の中
 故郷も雨の中 電信柱もポストも 故郷も雨の中
 しょうがない 雨の日は しょうがない
 公園のベンチで一人 おさかなをつれば
 おさかなも また雨の中
 しょうがない 雨の日は しょうがない……
(「雨が空から降れば」詞:別役実、曲:小室等、歌:六文銭、昭和45年)

60年代後半から70年代前半にかけて起こった“豊かさ”の中での若者の反乱。
70年安保も反体制の学生、労働者の敗北、体制側の勝利。

西田佐知子「アカシヤの雨がやむとき」が60年安保直後の気分を反映しているのならば、70年安保は上に載せた「雨が空からふれば」
あの街もこの街も雨。しょうがない。という気分が時代を言い当てている。「アカシヤ」ほど流行らなかったけれど。

劇作家・別役実が詞を書いた「雨が空から降れば」は、当時の別の一面も反映させています。

雨の一日に所在なさげで手持無沙汰の若者。彼は学生なのでしょうか。いや、そうではないでしょう。学生ならば友だちに会いにキャンパスへ行けばいい。“たむろ場”になっている喫茶店へ行けばいい。
多分彼は労働者のハシクレなのでしょう。それも、道路工事や建築現場で働く日雇い労働者。今でいえばガテン系のフリーター。当時の言葉でいえば「立ちんぼう」の「土方」。「土方殺すにゃ……」という戯れ歌があるように、雨が降ったらお手上げ。

当時、若者とりわけ学生の間で妙な“肉体労働信仰”がありました。「頭ではなく、からだをつかって生きていくんだ」という意識。
ある者はヴ・ナロードよろしく共同体で農作業を。またある者はスコップ、ツルハシを握っての土方仕事。

“知識”への反抗、自己否定、自虐行動などなど……、理由はいろいろあげられますが要するに“若さゆえ”。良くいえば「若さの特権」、否定的にいえば「若気の至り」。

抜き差しならない状況で土方仕事を余儀なくされている“ホンモノ”に比べたらなんとも脆弱な頭デッカチ。飯場やドヤ暮らしも新鮮なのははじめだけ。1年、2年続けられたら上等で、たいがいは“三日坊主”。
1年続けたとしても、はたしてそこから“社会”が見えたのでしょうか。残ったのは、「もう2度と肉体労働はごめんだ」という意識だけだったのでは。

しかし、“彼”が横道にそれたことを非難できません。少なくともその時は真剣に自分と向かい合っていたはずですから。社会を知ることはできなかったかもしれませんが、少しは自分を知ることができたはずですから。

その肉体によって精神を鍛えようとしたもっと具体的な歌が、「雨が空から降れば」の2年前にヒットした
♪今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ ……
という岡林信康「山谷ブルース」でした。

そして、
♪公園のベンチで目をさましたとき 噴水のまわりには誰もいなかった 「公園のベンチで」友部正人
もまたそうした若者をうたっています。

70年代、駅前の公園には終電に乗り遅れた学生やサラリーマンがよく寝ていました。会社へ向かう通行人の声で目が覚めたり。もちろん冬は無理ですし、固いベンチの寝心地は決していいものではありません。

ある日彼はドヤをあとにしてヒッチハイクで北へ向かう。そして見知らぬ農家に泊めてもらったり、野宿をしたり、川で泳いだりとまるでホーボーのような暮らし。
♪でも僕は知ってるよ あいつを誰も鎖でつなぐ事はできないよ
と、何ものにも代えがたい自由を謳歌しています。

その後、彼はどうしたのでしょう。自由という川を快適に泳ぎ続ける彼も、やがて社会という岸に上がらなければならなかったのかもしれません。

友部正人には公園がよく似合う。ほかにも「公園のD51」「公園の雨」「公園に行けば」があるそう(聴いたことありませんが)。

しかしそうした若者のある意味純粋な考え、行動もつかの間のこと。時代とともに変わっていきます。

50年代にうたわれた五輪真弓「恋人よ」では
♪雨に壊れたベンチには 愛をささやく歌もない
公園のベンチはやはり恋人同士の“場所”として登場。そして、20年前「雨にうたれてこのまま死んでしまいたい」と嘆いたように、ここでもベンチは失恋の思い出のオブジェとしてうたわれています。20年前と異なるのは、その時間の分だけ朽ちてしまっているということぐらい。

もちろん、ベンチはそんな憂鬱な存在としてばかりではなく、
♪いつも素通りしていたベンチに座り 見わたせば 「口笛」Mr.CHILDREN
のように幸せな恋人同士をみつめる空間としても存在するのです。
つまり、半世紀ぐらい過ぎても人間の営みはそんなに変わらないということ。公園のベンチは今日も明日も相変わらず、恋人たちの囁きを聞き、涙雨を受けとめているのでしょう。

そう考えると、よく独りで公園のベンチに座っている人を見かけますが、あれはベンチがその人の心のつぶやきを聞いてあげているのかもしれませんね。孤独の人は自分の心情をベンチに吐露することで少しだけ心が温かくなったりして。これをベンチウォーマーと言います。けっこう無理矢理。


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