その名は●ゆかり① [the name]
♪都のともしび たのしく燃ゆれど
わが胸は 露にむしばむ かよわき花
涙にかがやく 初恋も
あゝ短きは 乙女の命
(「ゆかりの唄」詞:佐藤惣之助、曲:古賀政男、歌:ディック・ミネ、星玲子、昭和10年)
まえにもふれたかもしれないが、昭和それも、戦前の女性の名前といえば「×子」のように「子」一辺倒。
たとえば例の生保調べベスト10でも昭和元年から「×子」「××子」によって埋め尽くされている。「子」以外がベスト10入りするのは戦後も32年「明美」によって。
そんななかにあって「ゆかり」はもちろんマイナーな名前だが、さほど奇抜な名前でもなかったのかもしれない。
まぁモダンといえばいえるが、おそらくその意味は「縁」、「えにし、ゆかり」というところからつけられたのだろう。
♪あなたと呼べば あなたと答える
で知られた(知らないか)、「二人は若い」をヒットさせたコンビ(昔はデュオだとかペアだとか言わなかった)がうたう「ゆかりの唄」。清純なる乙女・ゆかりちゃんの歌。
ところがこの歌の歌詞に「ゆかり」はひとことも出てこない。「そんなのめずらしくないだろう」って、それはそうですね。
でも知らない人(わたしですが)が聴くと、「縁(えにし)の歌」と誤解するかも。だが、リアルタイムで聴いた人は決してそんなことはなかった。
実はこの歌「緑の地平線」という映画の挿入歌。
主題歌「緑の地平線」も同じ作詞作曲コンビで、楠木繁夫がうたって大ヒットした。主題歌ほどではないが、この「ゆかりの唄」もそこそこ売れたとか。
映画を観ていないのでウカツなことはいえないが、このなかで「ゆかり」の役を演じていたのが原節子。主演ではなかったようだが、歌ができるぐらいなので準主演ぐらいか。
戦前の日活映画で監督は阿部豊、主演は岡譲治、江川宇礼雄、黒田記代で、この歌をうたった星玲子も本業の女優で出演していた。
戦後になっても「ゆかり」が人気の名前ベスト10に顔を出すことはなかったが、「子」の呪縛から解けたことで「ゆかり」もずいぶん増えたのではないだろうか。
そんななかで最も古い歌手の「ゆかり」(失礼だ)といえば伊東ゆかりだろう。
彼女のデビューは昭和33年、アカデミー映画「戦場にかける橋」の主題歌「クワイ河マーチ」で。しかしほとんど話題になっていない「クワイ河マーチ」はミッチ・ミラー合唱団でヒットした。
ただ、スゴイのは彼女のデビューが11歳ということ。昔でいえばジャリタレ。
その伊東ゆかりがブレイクするのは昭和30年代も後半、カヴァーポップスブームに乗って。
そのブームの中心に位置したのが伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりの“スパーク三人娘”。まぁプロダクションの力が強かったということもあって。
たしか当時三人が司会を務めた音楽番組でたしか「スパーク・ショー」といった。
森永製菓がスポンサーで、当時一般的になりつつあった清涼飲料水、コーラを「スパーク・コーラ」として売っていた。
実はわたしのコーラ初体験はスパーク・コーラだった。缶コーラで、ひとくち飲んでその薬くささに吐き出し、残りを缶ごと放り投げたことを覚えている。それはどうでも。
番組は彼女たちやゲストの歌をバックに素人の若者たちが当時流行っていたツイストを踊りまくるという内容。
アメリカではラジオの時代からそうした「バーン・ダンス」番組があり、それを真似たもので、日本でもしばらくは他にもそうした番組がいくつかあった。
つまり、スパーク三人娘のスパークとは番組から生まれた愛称で、もっといえば製菓メーカーの宣伝にも一役買っていたということ。
補足すれば、その後わたしはペプシのおかげでコーラ大好きになった。それにしてもあのスパーク・コーラはどこへ行ってしまったのでしょう。もういいか。
軌道修正
で、その三人娘の中で最も目立っていたのがいち早くコニー・フランシスのカヴァー「可愛いベイビー」をヒットさせた中尾ミエ。
可愛かったのが園まり。伊東ゆかりがいちばん地味だったという印象がある。
個人的にはルックスなら園まり、歌なら伊東ゆかり。そんなら中尾ミエはどうなるんだって話になるけど。……どうにもならない……。
いまなら彼女のカヴァーの代表曲というとリトル・エヴァの「ロコモーション」だろうが、当時はそれよりもコニー・フランシスの「大人になりたい」やエディ・ホッジスの「恋の売り込み」のほうがよく流れていたような。
その少しあとにイタリアのサンレモ音楽祭に出場(「恋する瞳」)するなどして、カンツォーネというかイタリアンポップスやフレンチポップスをうたいレパートリーに幅をもたせていったのはファンなら周知。マジョリー・ノエルの「そよ風にのって」やウイルマ・ゴイックの「花のささやき」はその代表曲。
さらにさらに伊東ゆかりのスゴイところは、昭和40年代に入り、トレンドが変わって歌謡ポップスが主流になると、いきなりオリジナルの「小指の思い出」をヒットさせたこと。
30年代末に園まりが「何も云わないで」「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」で大ブレイクしたのだが、みごとにそれに追いついたかたち。
以後「恋のしずく」「朝のくちづけ」「知らなかったの」「あの人の足音」と立て続けにヒットをとばし、「ゆかり」ブームをつくった。
三人娘では地味で内気だったが、ポップスのキャリアはいちばんあったわけで、サンレモという海外遠征も自信になったのか、その後、シンガーとしてだけでなく、音楽番組の司会やコンサート活動を含め、三人の中では最もタレント性を開花させたのではないだろうか。
昭和50年代にはいっても、パティ・キムのカヴァー「1990年」や川口真全開(作曲)の「逢いびき」、宮川―安井コンビの「青空のゆくえ」、その安井かずみ、いずみたくの「おしゃべりな真珠」、リタ・クーリッジのカヴァー「あなたしか見えない」など名曲をうたい続けていった。
もちろんいまでも健在でコンサート活動を続けていて、ときおりテレビやラジオへも。
で、最後になっていうのもナンですが、実は伊東ゆかり、本名は「信子」だそうだ。名は体を表すというが、なるほど地味な名前(とはいえ戦前はけっこう人気だった。もういいか)。きっと私生活は地味な人なのだろう。
それにしても「ゆかり」という芸名誰がどうやってつけたのか知らないが、大成功だった気がする。
「スパーク・コーラ」初めて知りました。カルピスのまがい物で森永コーラスというのは記憶にありましたが、こらもいつの間にか消えてしまいましたね。
「青空のゆくえ」宮川泰氏の大傑作ですよね。これは昭和44年の作品ですね。
その後デビュー当初から長年居たキングを後にしてコロムビアに移籍(レーベルはデンオン=デノン)46年に「誰も知らない」の大ヒットがあります。
その後「陽はまた昇る」や「深夜放送」などのスマシュヒツトもありましたがキング時代のような華々しい活躍ではありませんでした。
by tsukikumo (2009-04-18 22:27)
二人は若い♪
今月の歌として、歌っていました!
この歌を歌ったら、新婚当時を思い出したわという方がいらして
「あなた」「なんだい」の、タイミングの話でもりあがりました。
伊東ゆかりさん
多分、同じ年なので、
小学生でデビューの記事を読んだ覚えがあり、(私も小学生時)
それ以来、同時進行で活躍を見守っていた感じがします。
三人娘のなかでは、一番近しく感じていました。
by toty (2009-04-20 02:42)
tsukikumoさんこんにちは。
三人娘のなかでは「ゆかり派」のようですね。
三人の中ではいちばんレコーディングも多いでしょうし、ヒット曲も多く、息の長い歌手&タレント活動をしていますね。
「青空のゆくえ」は名曲ですね。たしかこの曲で安井かずみが作詞賞をもらったんじゃなかったかな。宮川泰の曲もよかった。
by MOMO (2009-04-20 21:15)
戦前はデュエットソングばかりだったらしいですが、そんな中でもいまだに残っている歌ですよね、「二人は若い」。
「今月のうた」ってもちろん合唱ですよね、デュエットじゃないですよね。
うーん、女性にも人気の伊東ゆかりか。
息が長いはずだ。
by MOMO (2009-04-20 21:18)