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島③伊豆大島 [a landscape]

伊豆大島三原山.jpg
♪海は夕焼け 港は小焼け
 涙まじりの 汽笛がひびく
 アンコ椿の 恋の花
 風も吹かぬに 泣いて散る
 東京の人よ さようなら
(「東京の人さようなら」詞:石本美由起、曲:竹岡信幸、歌:島倉千代子、昭和31年)

「大島」はその名のとおり大きな島のこと。といってもそれは相対的な場合が多く、島が点在するなかでいちばん大きい島を「大島」と呼んだり。
したがって日本にはたくさんの「大島」が存在する。
たとえば鹿児島県の奄美大島があり、福岡県には筑前大島があり、山口県には周防大島、宮城県には気仙沼大島が……、というように。おそらく当地ではたんに「大島」と呼んでいるはず。

そんななかで地元の民謡は別としてもっとも早く流行歌としてとりあげられたのが、東京の伊豆大島。そしてその歌が前々回ふれた昭和3年の「波浮の港」

「伊豆大島」は東京都(大島町)に属し、伊豆七島最大で、かつもっとも本土に近い所に位置する。それでも東京の竹芝からだと高速艇で2時間弱かかる。以前はその倍以上かかっていた。今でもゆったり8時間かかる夜行便もあるとか。
で、船はかの波浮港に着くのかと思うとそうではない。大島には元町港と岡田港の二つがあり、潮の加減でどちらかに停泊するという。波浮港はもともと風待ち港で、いまでは漁港やマリーナになっているそうだ。
また熱海からなら1時間足らずだし、およそ30分という飛行機(羽田、調布でともに1日2便)もある。

「伊豆大島」は当初「流人の島」として存在した。伊豆七島の中でもいちはやく流刑の島として利用された。そのはじめは7世紀まで遡る。
有名なところでは修験道の開祖といわれる役行者(えんのぎょうじゃ)、源為朝、キリシタンのオタ・ジュリア、赤穂浪士の遺児たちなどがいる。
しかし18世紀になって「大島では近すぎる」という意見が出たかどうかはしらないが、さらに遠方の三宅島や八丈島にとって代わられることになる。

この島は三宅島と並ぶ火山島で、島のほぼ中央にある標高800m弱の三原山からはときおり火柱があがり(御神火といって崇められた)、時には大爆発を起こす。最近では昭和61年に大噴火があり、島民1万人(ほぼ全員?)あまりが本土へ避難した。

その三原山の御神火と椿、そしてアンコがかつては大島の三大キーワードとされたようで、大島をうたった歌詞の中にもしばしば出てきた。
椿は島の代表的な花卉で、毎年2、3月に「椿まつり」が開かれている。とりわけ泉津をはじめとする「椿トンネル」が壮観とか。

もうひとつの「アンコ」とは島の娘のこと。「姉っこ」の訛りだといわれ、紺絣に赤い前垂れ、頭には絞りの手ぬぐいという独特のスタイル。
今の若い女性はそんな恰好はしないが、観光客用にそんなコスチュームの島娘が出迎えてくれる。

と観光案内はこれくらいにして。

昭和3年の「波浮の港」以来、ちょっとした大島ブームが起こり、8年には「燃える御神火」(藤山一郎)「大島おけさ」(小唄勝太郎)などいくつかの大島ソングが世に出た。その8年というのは三原山での自殺が“流行”した年でもあり、不本意ながら伊豆大島はいちやく“全国区”になってしまった。

以後地元の民謡歌手大島里喜がうたう伝承歌「大島節」「大島あんこ節」が巷に流れ、新民謡ブームで「音頭」や「小唄」や「くずし」がいくつも作られた。
流行歌でも「夢の大島」(松平晃)、「大島月夜」(南邦雄、市丸)、「大島つばき」(青葉笙子)などが発売され、「島唄」といえば伊豆大島というイメージが定着したほど。

戦後になっても大島ソングは健在で、昭和23年には、
♪出船の汽笛のむせぶを聞けば 島の娘のあゝ目がうるむ
という和製ブルースの「大島ブルース」(林伊佐緒)があるし、翌年には
♪たそがれは 紅の花散る波浮港
という純日本調の「大島情話」(小唄勝太郎)が。
「大島情話」は同名映画の主題歌で作曲は「かえり船」(田端義夫)倉若晴生。うたった小唄勝太郎は前々回でふれたとおり、「島唄」最初のミリオンセラー「島の娘」をうたっている。

またその翌年の昭和24年には岡晴夫「アンコ可愛いや」が。
♪島の御神火 燃えたつ夜は……
以後「アンコ」が大島ソングには欠かせないキーワードとなる。

そして上にのせた「東京の人さようなら」も。
前年「この世の花」でデビューした島倉千代子「りんどう峠」に続く3番目のヒット曲。

旅の男と島の娘アンコとの束の間の恋。二人の想いは海に隔てられ、汽笛にかき消されて行く……という「島唄」の定形。
それを岡晴夫は男の立場から、島倉千代子はアンコの立場からうたっている。
以後大島ブームというより「アンコブーム」に。

♪燃える三原の 御神火ながめ 「アンコなぜ泣く」藤島桓夫 昭和32年

♪島の娘は他国の人に 惚れちゃならぬと 「アンコ悲しや」松山恵子 昭和35年

♪赤い椿に アンコさんが泣いたエ 「島のアンコさん」小宮恵子 昭和39年

と続いて昭和39年にはメガヒット「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)が。
♪三日おくれの 便りをのせて 船が行く行く 波浮港
都はるみの原点。当時アンコのコスチュームに身を包んだ少女が精いっぱい唸っていた姿が思い浮かぶなぁ。

しかしこの歌以後「伊豆大島」や「アンコ」の歌はフッツリ。
まさに日本の経済発展と歩調を同じくして大島から観光客の数が減っていった。世はレジャーブーム、さらにはディスカバージャパンが連呼されるものの、人々のめざす島は沖縄へ、サイパンへ、ハワイへと。

こうしてみると、なんだか昭和40年を境に日本がガラッと変わってしまったような気がする。いい方向に変わってきたと思いたいけど。

そうそう、話は変わって、伊豆大島は日本一の女性の喫煙者が多いところらしい。
だって言うでしょ、
♪俺のアンコは煙草が好きで いつもプカプカプカ
って。……ウソですよ。伊豆大島の女性のみなさんスイマセン。


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コメント 2

tsukikumo

>この歌以後「伊豆大島」や「アンコ」の歌はフッツリ。

昭和30年代やせいぜい40年代の初め頃までは南国ブームってありましたよね。やはりその時代の冬は本気で寒かったし火鉢や湯タンポで暖をとるのが普通の時代、南の島に憧れがあったからだと思います。
暖房器具が完備され、おまけに暖冬気味の昨今、そのブームが去ったのも当然なのかもしれません。
by tsukikumo (2009-03-01 17:09) 

MOMO

tsukikumoさんこんにちは。

そうですね、当時「南国」というとエキゾチックでほんとに日本からはるか彼方という日本人共通のイメージがありましたね。

いまなら「南国ってどこよ?」っていわれるかもしれませんね。
by MOMO (2009-03-02 22:04) 

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