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その名は●マギー② [the name]

 マギー・ミネンコ.jpg

♪750のエンジン 雨のサタディ・ナイト
 私の彼氏は荒くれ 街のきらわれもの
 だけどブンブン いかすブンブン
 私にやさしきゃ 文句はないさ
  国道ぞいに西へ行く ずぶぬれ本牧
  ヘッドライトの横須賀
 走るブンブン 濡れるブンブン
 背中のかもめが 私のマーク
(「燃えるブンブン」詞:橋本淳、曲:鈴木邦彦、歌:マギー・ミネンコ、昭和49年)
  
日本で「マギー」といえば。
「もちろんマギー司郎マギー審司師弟でしょう」
それはそうだけど、ここでは音楽の話。
彼が「マギー」なのは師匠がマギー信沢だったからだが、では師匠はなぜ男なのに「マギー」だったのか。単純に「MAGIC」からきているのかも。確証はないけど。
いまはそんな話じゃなかった。

あらためて日本のマギーといえば昭和40年代末、日本を一世風靡したかどうかは定かではないが、シンガーでありタレントだったマギー・ミネンコ

当時人気だったバラエティ番組「うわさのチャンネル」のレギュラーで「乳モメ!」の女の子らしからぬギャグでウケていた。和田アキ子、せんだみつお、ザ・デストロイヤーらが出演していたハチャメチャ番組だった。
当時人気の(今でも?)ハーフタレントというか、いやまったくの外国人だったかもしれない。しかし育ちは日本のようで日本語はほとんど日本人並み。

それでもマギーはいちおう歌手で昭和49年「燃えるブンブン」でデビュー。彼氏が不良という設定(彼女も不良?)のハッピーソング?
この少し前にキャロルがデビューして、若者の一部に“不良歓迎”の気分があったのかも。

そのあと同じ年にリリースしたのが「涙の河」。これはカーペンターズのにおいのする(実際彼女は「イエスタデイ・ワンスモア」をカヴァーしている)名曲。

ところがマギーちゃん、全盛期で突如芸能界を引退。何があったのか。家族が猛反対したという話もあるが、出港してしまった船をそう簡単に止められるのか。まぁ原因か結果かは不明だが所属事務所とひと悶着あったことは推測できる。

当時はカナダへ帰ったという話もあったが、現在はロスで夫や子供たちとくらしているようである。歌はうまかったし、今さらだがスタンダードも聞いてみたいと思う歌手だった。

そのマギーちゃんの本名はやっぱりマーガレット・ミネンコ Margaret Petrovna Minenko。
その少し前の昭和43年、まさにGSの退潮がみられはじめた頃デビューしたのがマーガレット

アメリカと日本のハーフで本名はマーガレット・リー・パレット。ファッションモデル出身で、寺内タケシのプロデュースにより、彼の曲「バラ色の妖精(フィードバック・ギター)」でデビュー。そのときのキャッチフレーズ(ジャケットに書いてあった)が「青い瞳のマシュマロ」……うーん。GSサウンドということなら、2枚目のシングル「逢えば好き好き」のほう。こちらも作曲はテリー。
当時の雑誌のプロフに「日本語はヘタ」と書いてあったが、歌を聞くかぎりチャキチャキ。反対に英語が苦手だったりして。

マギーの曲は、マギー・ミネンコのアルバムの中に「マギーのテーマ」がある。これは深町純がつくったインスト。

マギー・ミネンコが芸能界から消えてしばらくした昭和53年に出たのが世良公則とツイスト「マギー」
♪マギー 今夜かぎり終りにしよう
ツイストは昭和52、世界歌謡祭の優勝曲「あんたのバラード」をひっさげてデビュー。その翌年に発売されたファーストアルバム「世良公則&ツイスト」がいきなりオリコン1位に。「マギー」はその中の収録曲。デビュー曲の延長線上にある曲調。
嘘で固めた愛なんかいらない。バイバイしょうぜ。と世良公則が叫んでいる。

なぜか同じ年に出ているもうひとつのマギーの曲が中原理恵「マギーへの手紙」
♪マギー 俺は出て行くよ お遊びは終わりさ
という男歌。内容はこちらもアバズレ娘に振り回されてほとほと疲れ果てた男が弱気にも手紙でバイバイする歌。もうちょっと違う別れ方もあると思うけど。
筒美京平、松本隆のコンビ。

マギーがマーガレットで、ボギーがボガート。ならばバギーは?
残念ながらこちらは人の名前ではなくファッション用語[Baggy]で袋状つまりゆったりしたということ。
そういえば腰回りがピッタリしていて足の部分がブカブカの「バギーパンツ」が流行ったのも昭和50年前後だった。
関係ないか。マギー、ボギー、バギーって語呂がよかったもので、つい。


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tsukikumo

「涙の河」ディスコ調アレンジが曲にピッタリでよかったですね。作曲の中村泰士氏は筒美京平氏のようにコンスタントではないが、ときどきトンでもない超名曲を出してくるのでその都度驚かされます。サビがカーペンターズぽいのは御愛嬌でしょう。南沙織の「17才」がリン・アンダーソン瓜二つと同様、歌手本人の希望だったと推察されます。蛇足ながら揚げ足取りみたいになるので恐縮なんですが「涙の河」は49年、デビュー曲「燃えるブンブン」の次です。
手持ちの資料に拠りますと、「燃えるブンブン」(キングBS-1807)が49年春(3~4月)、「涙の河」(BS-1850)は同49年夏(7~8月)となっています。

歌謡曲にディスコ調が取り入れられたのは私が知る限り、同49年初夏(5~6月)、平山三紀CBSソニー移籍第一弾「熟れた果実」が最初だと思われます。

by tsukikumo (2009-02-14 05:10) 

MOMO

tsukikumoさん、いつもありがとうございます。
また、間違いを指摘していただきありがとうございます。
さっそく訂正しておきました。

「揚げ足」なんて思っていませんです。
間違いに気付いても「あ、間違ってら」で終わってしまいがちですよね。間違えた本人にしてみれば気付かなければ延々と「恥」をさらすわけですから。

本当に感謝しています。甘えるわけではありませんが今後ともよろしくお願いします。
by MOMO (2009-02-16 21:14) 

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