その名は●陽子 [the name]
♪忘れられないの あの人のことが 青いシャツ着てさ 海を見てたわ
私ははだしで 小さな貝の舟 浮かべて泣いたの わけもないのに
恋は 私の恋は 空を染めて 燃えたよ
死ぬまで私を ひとりにしないと あの人が言った 恋の季節よ
(「恋の季節」詞:岩谷時子、曲:いずみたく、歌:ピンキーとキラーズ、昭和43年)
今日の午後行われた大阪国際女子マラソンで三井住友海上の渋井陽子がみごと優勝。タイムは2時間23分台でまずまず。それよりも今年の世界選手権出場権を得たいがため、前回惨敗した東京国際女子からわずか2か月のインターバルで出場し、見事権利を獲得してしまったのがスゴイ。
渋井自身も感激して涙をみせていた。オニのいや渋井の目にも涙。 中学時代に渋井と顔も感じもソックリな女の子がいたので、彼女には親近感をおぼえて以前から応援しているんだよね。
そんなわけではないけれど、今日のTHE NAMEは「陽子」を。
陽子といえば昭和43年「恋の季節」でデビューしたピンキーとキラーズのメインヴォーカル、ピンキーが今陽子。この1曲でいわゆる“ピンキラ”は大ブレークしたのだった。
その「陽子」という名前だが、毎度おなじみの某生保会社調べ人気名前ベスト10に入ってきたのが昭和41年。ということは今陽子によって「陽子ブーム」が起きたのではないことがわかる。あたりまえか。
でもたとえば国民的ヒーローやヒロインの名前が子供の命名に影響するということは大いに考えられるが、そういう“キッカケ”が見当たらないにもかかわらず、ある特定の名前の子供が増えてくる(つまりそういう名前をつける親が増える)ということはどういうことなのか。同時代に生きる人間たちは似たようなアイデアを抱くのだろうか。それとも、似たアイデアを抱かせるような“目に見えない”時代の要因があったのだろうか。そうしたアイデアが新聞・雑誌等の情報によってさらに増幅され、「あなたも陽子、わたしも陽子」になってしまうということも考えられなくはない。
とにかく「陽子」は昭和40年代中盤から後半をピークに50年代末まで人気の名前としてかのベスト10にランクインすることとなる。ということは、国民的アイドルに近い存在となったピンキーこと今陽子も、その人気を助長維持するという意味で少なからず影響があったのではと推測される。
ピンキーとキラーズのデビューはかなりセンセーショナルだった。まずは女性のメインヴォーカルにGSスタイルの男4人のバックバンド&コーラスという構成。“ピンキラ”のデビューはGSブームの後期。GSのヴァリエーションだとも考えられる。
ところで、いまにすればGSなどカワイイものだが、当時はその長髪と騒音エレキということで風当たりは強く、NHKでは“出入り禁止”、コンサート会場でもNGのところがあり、一般の大人では蛇蝎のごとく嫌う人間も少なくなかった。
実はピンキーとキラーズの生みの親であるいずみたくも、GSを歓迎しなかったフシがある。つまり“ピンキラ”はGSブームへの“刺客”だったともとれる。
“ピンキラ”はまったくいずみたくのアイデアで生まれたものなのだ。今陽子とキラーズの面々でバンドをつくることになり、それからグループ名が考えられたというのではなく、はじめに「ピンキーとキラーズ」というバンド名があり、それにふさわしいメンバーが集められたということなのだ。 ヴォーカルのピンキーという名前やパンタロン姿、そして全員のダービーハット、キラーズの髭、すべていずみたくのあらかじめのプランだったのだ。
“デカベビー”といわれたほど大柄な16歳の少女はソロ歌手志望で「グループでデビューするのはイヤ」と泣いて抗議したとか。わからないものだ。
有卦に入った“ピンキラ”はその後「涙の季節」、「星空のロマンス」、「七色のしあわせ」とヒットをとばすが、オリコン17週1位というウルトラヒット「恋の季節」ほどではなかった。そしてGS退潮のあとを追うように勢いがなくなり、デビュー4年目でクループは解散、今陽子は念願のソロとして活動していくことになる。ソロとしてヒット曲には恵まれていないが、恩師の遺志を継ぐかのようにミュージカルに新境地を見出している。
ほかではアニソンシンガー新世代の草分け前川陽子。
代表曲は何といっても「ひょっこりひょうたん島」。その後、GS時代のガールポップシンガーとしてイメチェンを図ったがうまくいかなかったようだ。ほかに「リボンの騎士」、「キューティハニー」など。
「ひょっこりひょうたん島」は軽快なサウンドで子供たちに大ウケだったが作曲はテレビ・ラジオの音楽を担当していた宇野誠一郎。「ひょっこり~」の前のNHK人形劇「ちろりん村とくるみの木」あるいは連続ラジオドラマ「一丁目一番地」などの音楽を担当、主題歌を作曲している。
ところでこのノリのいい「ひょっこりひょうたん島」だが、はじめ聴いたときどこかで聞き覚えのあるような……、という思いがあった。これに似ていないでしょうか。もちろんコード進行が似ているだけなのですが、ひょうたん島の歌詞でもけっこううたえたり……。
また昭和末期のアイドルに石野陽子(いしのようこ)と南野陽子がいる。
石野は昭和60年「テディボーイ・ブルース」でデビュー。ビッグヒットはなかったが、バラエティなどによく出ていた。現在は女優としてテレビドラマなどに出演している。石野真子は姉。
もともと女優デビューだったのが「ナンノ」こと南野陽子。「スケバン刑事」や「はいからさんが通る」で人気を得た。歌手デビューはやはり60年で、「話かけたかった」、「吐息でソネット」をはじめヒット曲も多い。今も現役でテレビドラマやバラエティに出演。
平成デビューでは久我陽子。女優が先で平成2年に「好きだから」で歌手デビュー。大手モデル事務所の令嬢で、結婚ご一時芸能界を離れていたが最近、女優、歌ともに活動を再開したとか。
女優でも山本陽子、野際陽子、夏樹陽子がいて、野際はTVドラマ「キイ・ハンター」の主題歌「非情のライセンス」をリリースしているし、夏樹はVシネマの主題歌「ごめんねYuji」を深谷次郎とデュエットしている。
当時「恋の季節」では、♪夜明けのコーヒー 二人でのもうと あの人が言った 恋の季節よ
という歌詞の「夜明けのコーヒー」が洒落た口説き文句として話題となった。好きな相手なら少しはにかんで頷けばOK。好みでない男なら「わたし、コーヒー嗜まないの」で一件落着。どちらにしても粋なやりとり。
あれから40年以上が経ち、今でも通用するかな。無理だろうなぁ。そんなこと言おうものなら、好かれていればいいけれど、もしそうじゃなかったらたちまちセクハラ騒動。粋もかえりもあったもんじゃない。現代の男女間では口は災いのもとだものね。
はじめまして。ロムるのは以前から楽しく読ませていただいております。
あまり知られていないのですが(wikipediaのも載ってない)今陽子はピンキラ結成前にビクターより「甘ったれたいの」(岩谷時子:詩 いずみたく:曲)で67年にソロシングルを出しています。
キングに彼女を引き抜かれたビクターは烈火の如く怒りピンキラの刺客として”チコとビーグルス”をデビューさせます。出来上がったモノは上品なピンキラとはまさ正反対でした。廃盤ブームで一躍脚光を浴びるまでは、かなりマニアックな扱いでしたね。
P.S.
プッツン女優の島田陽子が抜けているのはわざとですか?(笑)
by tsukikumo (2009-01-27 02:34)
tsukikumoさん、はじめまして。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
いろいろ裏話にお詳しいですね。今後とも教えていただければウレシイです。
島田陽子はまったく忘れていました。どうしているんでしょうか、あの人はいま。わたしが知らないだけなのかも。
by MOMO (2009-01-28 20:31)
こんばんは。
僕は「陽子」というと、南野陽子さんです。
芦屋のお嬢さんって感じの雰囲気が好きで歌もよく聴いていました。現在もお変わりないキレイさで。
by 都市色 (2009-02-08 19:08)
都市色さん読んでいただいてありがとうございます。
nice!まで、恐縮です。
南野陽子は若いころは可愛いいだったかもしれませんが、典型的な美形ですよね。もうちょっと女優のほうで頑張ればいいのにと勝手なことを思ってしまいます。
by MOMO (2009-02-11 20:38)