その名は●コニー [the name]
I got home last night at 10 past 2
My folks turned blue their tempers flew
I got to be in bed at quarter to 10
There go those rules again
Too many rules, too many rules
Folks are just fools making too many rules
I pray the stars above I haven't lost your love
Cozes there are too many rules
…………
([TOO MANY RULES]wards & music by STIRLING/TEMKIN, vocal by CONNIE FRANCIS, 1962)
60歳前後の音楽好きに、「コニーといえば?」と訊けば9割以上はコニー・フランシスCONNIE FRANCIS と答えるのではないだろうか。
1950年代末から60年代前半にかけ、アメリカン・ポップスの女王として君臨したコニーだが、日本でも洋楽ファンのみならず、アーチストとりわけ女性シンガーに与えた影響も大きかった。
コニーはイタリア系のアメリカ人で1938年、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
ローティーンの頃からテレビでうたっていたというから“栴檀は双葉”よりのくち。
しかしメジャーになるまで数年を要したようで、初ヒットは11枚目のシングル「フーズ・ソーリー・ナウ」WHO'S SORRY NOW。これはスタンダードの名曲。17歳のとき。
それからはご存じのとおりヒット曲の連発。
初の全米1位は60年の「エヴリバディ・サムバディ・フール」EVERYBODY SOMEBODY FOOL 。これは本当にいい曲。
日本で最もヒットしたのは「可愛いベイビー」PRETTY LITTLE BABY 、そして「ヴァケーション」VACATION 。それ以外でもいい歌がたくさんあるので、当時好きだった(今でも)極私的ベスト6(中途半端)を順不同で。
「大人になりたい」TOO MANY RULES
「間抜けなキューピット」STUPID CUPID
「ボーイ・ハント」WHERE THE BOYS ARE
「カラーに口紅」LIPSTICK ON YOUR COLLAR
「想い出の冬休み」I'M GONNA BE WARM THIS WINTER
「夢のデイト」SOMEONE ELES'S BOY
66年に初来日したが、ピークは過ぎていたし、ポップスのトレンドも変わっていて再ブレイクとはいかなかった。またのちに不幸な出来事が続いたが、歌手活動はやめなかった。
彼女には当時の多くの白人ポップシンガー同様、カントリーの下地があり、ハンク・スノウHANK SNOWの「ムーヴィン・オン」I'M MOVIN' ON なんかイカしてる。ほかにもラテンからシャンソンからカンツォーネからと、なんでもござれの器用な歌姫。とはいえジャズはあの軽い声なので、どれを聴いてもポップな感じがしてしまう。もっともアップテンポでスウィンギーな「スワニー」SWANEE などはなかなか。いまも?歳で現役。その姿はYOU-TUBEで見ることができるが、「クラス会に行かない」タイプの方にはおすすめできない。
コニーConnie は当時アメリカでもそこそこ人気のある名前だったらしく、そのまま単独の名前というケースもあるが、コンスタンティアConstantia やコンスタンスConstance などの愛称であることが多い。
コニー・フランシスもコニーは愛称で本名はコンチェッタ・ローザ・マリア・フランコネロConcetta Rosa Maria Franconero 。
彼女とほぼ同年代に活躍し、やはり本名がコンチェッタなのがコニー・スティーブンスCONNIE STEVENS 。
歌手としても「シックスティーン・リーズンズ」SIXTEEN REASONS のヒット曲があるが、日本ではテレビドラマ「ハワイアン・アイ」や映画「パームスプリングの週末」など、女優としての知名度のほうが高いかも。とにかく、60年代、まだブロンドに免疫がなかった日本人にはとてもまぶしいアメリカン・ガールだった。
カントリーでは「ワンス・ア・デイ」ONCE A DAY のビッグヒットがあるコニー・スミスCONNIE SMITH。個人的なことだがこの歌はわたしをカントリーの世界へ招待してくれたフェヴァリットソングの一曲。こちらのコニーは60年代のカントリー・チャートを賑わせたシンガー。ほかに「ジャスト・ワン・タイム」JUST ONE TIME や「シンシナティ、オハイオ」CINCINATI, OHIO などのヒットもあるが、ハンク・ウィリアムスHANK WILLIAMS の「アイ・ソー・ザ・ライト」I SAW THE LIGHT あるいはセイクレッドソングの「偉大なるかな神」HOW GREAT THOU ART なども胸に沁みる。本名はコンスタンス・ジューン・メイドウConstance June Meador。
ポップス、カントリーとくれば次はジャズ(いい加減言ってます)。
コニー・ボスウェルCONNEE BOSWELL は1930年代から50年代にかけて活躍したジャズ・ヴォーカリスト。その前身は妹2人とトリオを組んで20年代から30年代に一世を風靡したボスウェル・シスターズBOSWELL SISTERS 。
36年に解散後、ソロで活動するとともに何本かの映画にも出演した。1976年69歳で亡くなっている。
コニーのスペルがCONNEE なので、コンスタンスやコンチェッタの愛称ではなく、本名なのかもしれない。
ジャズではもうひとり、コニー・ラッセルCONNIE RUSSELL がいる。
1959年に2枚のアルバムを出しただけで消えてしまったというB級(CDの解説に書いてあった)ヴォーカリスト。こういうシンガーは星の数ほどいたのかもしれない。
そのうちの1枚「ドント・スモーク・イン・ベッド」DON'T SMOKE IN BED を聴くかぎり艶のあるというのか、女っぽいというのか好きな声。アルバムタイトルも憂いがあっていいし、エリントン・ナンバーで多くのシンガーがうたっている「プレリュード・トゥ・ア・キス」PRELUDE TO A KISS も胸にくる。
マット・デニスMATT DENNIS の「エンジェル・アイズ」ANGEL EYES はコニー・フランシスもうたっているので聴き比べてみると、ハートブレイク・ソングにしては忙しないのがフランシス盤。その演奏に目をつぶってもラッセル盤のほうが断然色っぽい。
コニー・ラッセルはジャケットを見るかぎり、アン・マーグレットANN MARGRET 似の美形。だからホメているわけではないのですよ。
おまけといったら失礼かもしれないが、最後は日本のコニーCONY 。
1981年、某化粧品メーカーのイメージソング「キッスは目にして」をうたったザ・ヴィーナスのヴォーカルがコニー。ポニー・テイルに落下傘スカートと50年代を意識したファッションも受けてヒット。曲は60年代カテリーナ・バレンテCATERINA VALENTEがうたいザ・ピーナッツがカヴァーした「情熱の花」TOUT L'AMOUR(PASSION FLOWER)のリメイク。歌詞は“企業用”に阿木燿子によって作りかえられている。
その「情熱の花」の元歌はベートーヴェンBEETHOVENの「エリーゼのために」。ロックンロールにされて。まさにベートーヴェンはぶっ飛んだ。
おそらくコニーはコニー・フランシスの名前を拝借したものだろう。そのスペルをなぜCONYにしたのかは不明。
ところで、某ウィキペディアを見ていたら、コニー・フランシスの髪型がポニー・テイルというようなことが書かれていた部分があったが、どうもそういうイメージがない。でも逆に見てみたいな、そのコニー・テイルというヤツを。
momoさん今日は
コニーといえばコニーフランシス、当然ですよね
カントリーといえばジャズ、これももちろんです。
イヤーなんだか話が合いますね。(笑い)
でもmomoさんさすがにレパートリーが多いですね。
以前コニフランシスが「あの人は今」のような番組で取り上げられているのをみましたがちょっと淋しかったです。
by コニーフランシスいいですね (2009-01-24 12:04)
すみませんコメントはレモンです。
by レモン (2009-01-24 12:06)
レモンさん、いつもありがとうございます。
そうですね歌手やタレントは晩年どうするかが難しいですよね。いけるところまでいっちゃうのか、それともある時点でまったく露出しなくなるのか。わたしは後者にしてもらいたいな。
とくにファンだとさみしですからね。ファンではなくても先日の南田洋子のドキュメントは少しいやな感じがしました(そのわりには見てるけど)。そういう点では原節子やちあきなおみは徹底してますね。
by MOMO (2009-01-25 21:55)