SSブログ

YELLOW/れもん① [color sensation]

檸檬2.jpg

♪ 食べかけの檸檬聖橋から放る
  快速電車の赤い色とそれがすれ違う
  川面に波紋の広がり数えたあと
  小さな溜息まじりに振り返り
  捨て去る時はこうして出来るだけ
  遠くへ投げ上げるものよ
  ……
(「檸檬」詞、曲、歌:さだまさし、昭和53年)

色というのは見る人によって様々なイメージを喚起させるが、それでも最大公約数的な共通認識がある。ある調査によると「黄色」YELLOW のイメージは「明朗」、「光明」、「希望」、「溌剌」などでほとんどがポジティヴなイメージ。ネガティヴなイメージとしては「嫉妬、軽薄」など。また中には「危険」などというものもあるが、これは信号からのイメージで「黄色」そのものが危険というより危険を伝達する色ということだろう。

その黄色も明度や彩度の違いでそれこそ色々ある。たとえば金糸雀色は鮮やかな黄色。黄檗色は強い黄色、梔子(くちなし)色といえば赤みがかった黄色になる。
そんな中に「レモン色」がある。これは彩度が高くやや緑がかった黄色のこと。

そのレモンを「檸檬」と漢字で書けば思い浮かぶのが梶井基次郎の短編。
かつてあの夢想的テロリストの心情に共感した若者は何人もいたはずなのだが、いまは。

リンゴやミカンやモモのように手軽で食べるという果物ではないレモン。
にもかかわらずその鮮やかな色と独特な形、さらにはあの思い出しただけで口腔に唾のわき出る酸味で強烈にアピールをしてくるレモン。
それだけに、歌にうたわれることも少なくない。なぜか。やはりあの色と形が若さや明るさを象徴していたり、あの酸っぱさが青春のちょっとした蹉跌を思わせるからかもしれない。たとえそれらが後付であったとしても、あの味覚と同じように鮮明な記憶として“あの頃”が残っているからなのだろう。

多く歌われてきた、またこれからも歌われるであろう「レモン」だが、今回は漢字「檸檬」とタイトリングした歌(もいくつかあるが)を4曲選んでみた。

岩崎宏美「檸檬」
♪ 青い青いレモンを あなたの胸に投げたい
1980年代のアイドル歌謡。
この歌でうたわれている「檸檬」は未成熟な少女のこころ。
好きなのに知らん顔、ならまだしも、わざわざ相手を傷つけてしまう。そのことが自分を傷つけることになるのがわかっていても。そんな、アンビバレンツな思いが交錯するのは大人になっていく途中だから。そういう幼い恋のエンディングを阿久悠が書いている。

さだまさし「檸檬」
♪喰べかけの檸檬 聖橋から放る
70年代を彷彿とさせる重めのメロディー。言葉のジャグラー(言い過ぎかな)さだまさしらしい、カラフルで象徴的なWORDSが散りばめられている。主人公は女性、多分梶井基次郎のファンかもしれない。だから、失恋し心が砕けそうになったとき悪気もなく檸檬を盗む。そして、聖橋の上から空へ向かってその檸檬を投げる。「捨て去るときは遠くへ……」。何を捨てようとしたのか。

それほどさだまさしの歌を偏向して聴いているわけではないが、こういうアナーキーな心情をうたった歌というのはほかにもあるのだろうか。だいたいは“善意”に貫かれた歌だと思っていたのだが。主人公が女性というのもおもしろい。

気になったのは彼女と一緒にいる男の存在。彼女をふった男なのだろうか。そうだといささか違和感があるが、たぶんそうではないのだろう。たんなる“お友達”なのだろう。ただ、彼は彼女のことが好きなのだ。支えてあげたいと思っているのだ。しかし、そういう気持ちを伝えられない。とくにいまは。おそらく、彼女はそういう彼の気持ちを知らない。そこが女の、いや彼女の残酷なところでもある。

とにかくとりあげた4つの檸檬の中では最も“原作”に近いアナーキーなストーリー。


来生たかお「檸檬」
♪檸檬がいくつか 籠の中に 重なって 輝いて
軽快なポップスチューン。軽くさわやかなメロディー。重たくもなく、明日になればきっと忘れてしまうだろう、しかしその時は少し刺激的な出来事のスケッチ。

電車で向かい合わせになった女性の手にした籠に檸檬が入っている。檸檬がなければ「ああ、美人だなぁ」で終わってしまうのだが、その檸檬の色と匂いが見慣れた電車の中の空間を不思議な世界に変えてしまう。やがて彼女は降りていき、檸檬の残り香が。それも電車を降りればすぐに消えてしまうのだが。

全10曲すべて来生兄妹の好きな小説のタイトルで構成したアルバム「アナザー・ストーリー」の1曲。ほかに椎名麟三「永遠なる序章」吉行淳之介「不意の出来事」などがある。(YOU-TUBEも試聴もないのがクヤシイです!)

加藤登紀子「檸檬 Lemon」
回想をイメージさせる軽やかでなつかしいメロディー。大切なメモリーを愛おしむように歌っている。とくにヤマ場があるわけではなく、たんたんと思い出を語るように歌っている。
掛け替えのない人を失い、うちひしがれた日々もあったが、なんとか立ち直ってひとりで歩いていこうと思っている、そんな再び訪れた平穏の日常がうたわれている。
檸檬の木は亡くなった人との思い出だろうか。たぶん、それは彼の亡くなったあとに植えられたものではないか。ただ、そこには残された者の思いと、消え去った者の思いがそれぞれ少しずつ宿って成長を続けている。そんな小さな檸檬の木。その木に実が成ることのささやかな喜びが伝わってくる。

特別意図したわけではないが、こうして4つの異なった「檸檬」を並べてみると、4人の女性がひとつの人格に統合されてしまうような気がしてくるから不思議だ。

つまり、ある女の人生の一面を観賞した思いになるのだ。この4つの曲の主人公たちの“人格”には梶井基次郎が描いた「檸檬」の主人公の資質が、少しずつ内包されているように感じられるのだが。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

YELLOW/ひまわり③YELLOW/れもん② ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。