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YELLOW/ひまわり① [color sensation]

ひまわり①.jpg

♪ 夏に爛れた 交叉点の黄昏
  今、たしかに見かけた 木綿のシャツに
  刺繍は向日葵 あの女さ……

  愛につけ込む 意地汚い男には
  俺、なれなかった 胸を叩かれても
  あいつは親友 恋してた……
  …………
(「向日葵」詞:ちあき哲也、曲、歌:矢沢永吉、平成2年)

花は昔からよく歌にうたわれる素材。
では、どんな花が最もうたわれているのだろう。
別に統計をとったわけではないが、やはり「サクラ」ではないだろうか。「バラ」は多そうでそれほどでもない。印象が強すぎるのかもしれない。また「サクラ」と違って季節感に乏しいのも多くない理由なのかも。

「サクラ」に匹敵して多いと思われるのが「ひまわり」。これも季節感ならサクラに負けていない。もしかしたら、サクラより多いかも知れない。

その「ひまわり」、たとえばチェリッシュの「ひまわりの小径」のように「ひまわりの××」と修飾語としてつかわれているものではなく、ズバリ「ひまわり」あるいは「向日葵」とタイトリングされた歌だけでも気の遠くなるほどある(大袈裟ですがほんとう)。
そういう意味では「さくら」あるいは「桜」を凌いで、最も多く歌の題名になった花といえるかもしれない。

青い空と白い雲をバックに、われわれを見下ろすほどに育った黄色い花弁のひまわり。その派手やかさ力強さは、夏の象徴として、あるいは“陽性”のキーワードとして流行歌の中でしばしば使われている。そしてその使われかたつまり「ひまわり」の意味も様ざま。

それでは夏が終わってしまう前に百花繚乱「ひまわり」をポップスの世界から。

矢沢永吉「向日葵」
かつて好きだった人を交叉点でみかける。〈マブダチのスケにゃ手を出せねえ〉なんて粋がって身を引いたものの、やっぱり忘れられないというよくある話。今なら思い切って……と思ったり、ダッシュボードにはあの時出しそびれた手紙があったり……。そんな遠い昔ではない思い出。彼女のシャツにプリントされていた「向日葵」。ひまわりのように明るく、人目を惹く存在だったのでしょう彼女は。ひまわりは憧れ。
作詞は永ちゃんではおなじみのちあき哲也。演歌でもポップスでもOKの貴重な作詞家。

Kiroro「ひまわり」
♪太陽に向かって咲くあのひまわりのように ……あなたに会いに行くわ
彼との関係がうまくいっていないわけではない。でも、自分の思いが100%伝わらない不安。明日になったらひまわりのような笑顔で彼に会いに行こう。ひまわりは勇気の象徴。
つまずいても転んでも笑顔で……、とKiroroらしい前向きな歌。同世代の同姓に呼びかけている。

中島みゆき「ひまわり“SANWARD”」
♪あのひまわりに訊きにゆけ どこにでも降り注ぎうるものはないかと
「今日も銃声は鳴り響く」という歌詞があるように反戦のメッセージソング。何に刺激されてこの歌をつくたのか。この歌が出たのは平成6年(1994)。90年代に起こった戦争といえば湾岸戦争とボスニア紛争があるのだが。「ひまわり」をキーワードとすれば後者かもしれない。
花はどんな庭でも香り続けるだろうとうたっているように、「ひまわり」は平和というかヒューマニズムの象徴。
メッセージソングに「ひまわり」が使われるのはめずらしい。

チューブ「ひまわり」
♪あの太陽に もう一度咲かせたいよ 強い風にも負けない ひまわり
夏らしいチューブの歌。一度なくした愛を修復したい再生したいという男の願いをうたっている。ひまわりは愛情。〈今年の夏、ぜったいやり直せる……〉っていささか自信過剰。そういうところが彼女に嫌われたんだって、それは余計なこと。
種をまいて、つぼみになって、もう一度咲かせる……って、やっぱり未練なのは男なんだなぁ。このフレーズよく使うなぁ。自戒。

さだまさし「ひまわり」
♪あんな風に咲けよと 指さした花は 一輪のひまわり
こちらはヒロイン。「ひまわり」は別れた彼が自分に教えてくれた“生き方”。今でも彼を愛している、でもそれはそれ、自分は思い出の街を遠く離れて生きている。彼に言われたとおりひまわりのように前向きに。
もし、彼に伝えることがあるとしたら、「まだ愛している」ではなくて、あなたの言ったとおり「ひまわりのように生きています」と。このへんが女なのかなぁ。
さだまさしには「精霊ながし」の逆バージョンともいえる「向日葵の影」もある。

松山千春「ひまわり」
♪ひまわり ひまわり 時を超え 心に 心に 咲き誇れ
ひまわり畑をふたりで歩いた夏の日。彼女のあどけない笑顔とひまわり。そのときそれぞれ別の道があるのだということを知った。
それでも彼女への愛が色あせぬようにと願う。それは彼女への未練というより、彼女と自分そしてひまわりがあった夏の日、つまり“青春”をいつまでも忘れないように心に刻んでおこうという若者の願い。

山崎ハコ「ひまわり」
♪季節が変わらないうちに 私はひまわり
自分はひまわりだという女性。太陽を追いかけるのだと。では太陽とはなんだろう。男? でもなさそうだ。自然の摂理とか真実とかそういった哲学的なことなのかもしれない。
ひまわりを人間にたとえて、人生を一度の季節になぞって、たった一度しか咲けないそのときを精いっぱい生きたいと叫んでいる。
暗いメロディーはいつものこと。山崎ハコの情念が聞こえてくるよう。

長渕剛「ひまわり」
♪もしも私が風ならば 真夏の空へひまわりを咲かせたい
〈北へ南へ東へ西へ〉ではじまる知られた曲。ケーナ、チャランゴとフォルクローレ思わせるイントロ、伴奏は大自然をバックグラウンドにした曲想なのかも。
〈見上げる空にはひまわりが咲き ひまわりはやがて土に抱かれて眠る〉
と、あるがままに生きて自然に還っていこうとうたっているように聞こえる。ということは「ひまわり」はやはり人間の生き死に、つまり人生。

高田渡「ひまわり」
♪ そうしてそのあと ふかく頭をたれて死んでいった ひまわりたちよ
自分の住む丘に呼びもしないのやってきて、花を開き、やがて枯れてしまったひまわり。ただそれだけの情景を独特のユックリズムでたんたんとうたっている。
高田渡はたびたび内外の詩人の作品にメロディーをつけて発表しているが、この「ひまわり」もバーナード・フォレストというアメリカの詩人の翻訳だそうだ。
「ひまわり」の歌数あれど、風景画を見ているようなもっともシンプルな歌。高田渡の本領発揮。

遊佐未森「ひまわり Napraforgo」
♪あてない旅は黄色いまどろみ 窓の外は ひまわり ひまわり
列車の発車する音ではじまる。窓外に広がるひまわり畑。乗り合わせた若い兵士。きっと休暇で故郷へ帰るのだろう。彼の遠い眼差しがそう語っている。果てしなく続く黄色の中に溶け込んで、やがて現実と幻想の境があやふやになって微睡みの世界に。そんなヨーロッパへのひとり旅の情景が歌われている。ナプラフォルゴとはベルギーの言葉でひまわりのことだとか。
ソビエト映画の「誓いの休暇」のあの人のいい若い兵士を思い出した。あの映画にはひまわり畑のシーンはなかった(と思う)が。構成がすばらしく、戦闘シーンなどみじんもなかったが(多分)強烈な反戦映画だった。
作詞者(工藤順子)もこの映画の記憶があったのかも。

まだまだあるのですが、もういいでしょう。もう食傷気味ですよね。こんなにとりあげるつもりはなかったんだけど、止まらなくなってしまいました。
これほどひまわりづくしだと、夜夢にまで出てきそう。って一度ひまわり畑を歩いてみたいのでむしろ歓迎。


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