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軍歌③同期の桜 [noisy life]

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♪ 貴様と俺とは 同期の桜
  同じ兵学校の 庭に咲く
  咲いた花なら 散るのは覚悟
  みごと散りましょ 国のため
(「同期の桜」詞:西條八十、曲:大村能章、昭和13年)

敗戦とともに封印された「軍歌」は昭和35年、突如開封されます。
それはキングレコードが出したLP「懐かしの軍歌集」がきっかけだったといわれています。
しかしなぜ。ひとつは戦後一貫して行われてきた民主主義運動あるいは反軍国主義運動に対する反動ともいうべきものだったのかもしれません。

わたしも子供ごころに、ラジオやテレビから流れる軍歌を聴くともなしに耳にしたものです。記憶に残ることになるのはそのメロディー。
多くの子供たちはその旋律に親しみを覚えたのではないでしょうか。なぜなら、それは子供向けのラジオ・テレビドラマの主題歌によくあるようなメロディーだったから。
たとえば「赤胴鈴之助」しかり「少年探偵団」しかり、「少年ジェット」またしかり。
なぜか、昭和30年代の子供向けドラマの主題歌は軍歌調につくられていました。40年代の「鉄腕アトム」でもそうだし、「ウルトラマン」にもその残滓を感じることができます。

軌道修正。
とにかくそうした軍歌のリバイバルブームが起きたわけですが、そのことに対するリベラリストたちからの“異議申し立て”はあったのか。子供の耳には聞こえませんでしたが。

覚えているのはテレビのニュースで「軍国酒場」というのか「軍歌酒場」というのか、とにかくカラオケなどない時代、みんなで軍歌を放吟している酒場が紹介されていたこと。
当時流行の「歌声喫茶」は若者中心。ならばワシらもとオヤジどもが考えたもの。

軍歌ブームがどのぐらい続いたのかは記憶外ですが、いつのまにか消えてしまいます。昭和40年代中盤、つまり1970年代になると、軍歌は軍国主義復活につながるとばかり、ある意味で“放送禁止歌”に。いまだに、戦争ニュースのBGMを例外として、ほとんど放送から閉め出されている状態です。
軍歌自粛のもうひとつの理由は右翼の街宣車による大音響の軍歌。このイメージもあって電波に乗らないということもあるのかも。

上ののせた「同期の桜」は当時よく耳にしました。
たしか、鶴田浩二がセリフ入りでうたっていました。彼は海軍航空隊で終戦を迎えたそうで、ことのほかこの「同期の桜」がお気に入りのようでした。たしか、特攻隊を描いた映画「あゝ同期の桜」にも主演していたはず。

「同期の桜」は戦争末期に航空隊員を中心にうたわれていた歌で、当時は作者不詳でした。ということはさほど広範にうたわれてはいなかったのかも。
作者が判明したのは、戦後、それも昭和40年代。
本歌は西條八十作詞、大村能章作曲の「戦友の歌」。これは昭和13年、雑誌「少女倶楽部」に西條が書いた詞「二輪の桜」「野崎小唄」「麦と兵隊」(いずれも歌・東海林太郎)の作曲で知られた大村能章が曲をつけたもの。
「二輪の桜」は、
君と僕とは二輪の桜 積んだ土嚢の陰に咲く どうせ花なら散らなきゃならぬ 見事散りましょ国のため
というもの。「君と僕」が「貴様と俺」に変えられている。多分、硬派の飛行機乗りたちが「君と僕じゃ軟派だ」と言って変えたのでしょう。
「貴様と俺」はおよそ西條八十のフレーズではありません。もちろん「二輪の桜」が下敷きになっていることはあきらかですが、どうも“作詞・西條八十”はピンときません。

当時鶴田浩二のほかによく軍歌をうたっていたのは、戦前から名唱を聞かせていた伊藤久男「暁に祈る」「露営の歌」など)、若山彰「空の神兵」「月月火水木金金」など)、アイ・ジョージ「戦友」「九段の桜」など)。それにやはり戦前からの持ち歌「国境の町」「麦と兵隊」をうたった東海林太郎。

こうしてみると、軍歌に向いている歌手は歌がうまく、かつ太い低い声の持ち主ということに。どうりで高音の灰田勝彦に軍歌が少ないわけです。

また広い意味での軍歌ということになると、昭和39年の「明日はお立ちか」(三沢あけみ)も。これは小唄勝太郎(昭和17年)のリバイバルソングで、歌詞もはじめは、出征兵士を送る内容でしたが、三沢盤では男女の別離(単身赴任とか)に変えられています。
♪大和男児(おのこ)の 晴れの旅 (戦前)
♪なまじ逢わねば 泣くまいに (戦後)

また田端義夫小林旭が歌い、その後ドリフターズ、氷川きよしと歌い継がれている「ズンドコ節」
♪汽車の窓から手をにぎり 送ってくれた人よりも ホームの陰で泣いてた
も、元をただせば作者不詳の軍歌で海軍から広まったといわれ、別名「海軍小唄」ともいわれています。上の歌詞は出征するときの様子をうたったもの。

ドリフターズといえば「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」も元は軍歌。
昭和14年に山中みゆきが、兵士の苦労を歌った「ほんとにほんとに御苦労ね」がそれ。というよりその後、替え歌として広まった
♪いやじゃありませんか軍隊は カネのお椀に竹のはし 仏様でもあるまいに
という「軍隊小唄」のほうが知られています。これは「軍歌」というか軍歌のパロディですね。重苦しいあの時代でも、こういう冗歌があったといことはホッとします。

そのほかでは、
♪お国のためとはいいながら 人の嫌がる軍隊に 志願で出てくる 馬鹿もいる
と、かなりストレートな「可愛いスウちゃん」もいわゆる作者不詳の兵隊ソングで、戦後♪身から出ました このサビを という替え歌(「ネリカン・ブルース」)としてうたわれていました。

また以前とりあげた山の歌「穂高よさらば」「電撃隊出動の歌」のメロディーをつかっています。
♪母艦よさらば 撃滅の 翼に映える あかね雲

軍歌があまり聞こえなくなることは平和の証明。これはいいこと。
軍歌もほかの歌と同様、その多くはやがて“死んでいく”でしょう。と思ったらどっこい生きていました。

自衛隊の式典などの行進で「抜刀隊」(扶桑歌というらしい)がしばしば使われていることは知られています。
「抜刀隊」は明治19年、詩人の外山正一の詞に陸軍軍楽隊教師のミシェル・ルルーが曲をつけたもの。覚えやすく勇壮なメロディーですが、ビゼー「カルメン」をベースにしているとう指摘も。
戦時中は陸軍のセレモニーでは、しばしば行進曲として使われたそうです。今でも映像で見ることができるかの“学徒出陣”のときも演奏されていました。
そうした伝統は自衛隊にも受け継がれているということでしょう。

自衛隊の式典ではほかにも「軍艦」「月月火水木金金」「空の神兵」なども演奏されることがあるとか。

名曲はうたい継がれるのか、うたい継がれるから名曲なのか。
とにかく昭和10年代後半の、あの軍歌一色、「うたわぬ聴かぬは非国民」という時代が再現されることだけはご免蒙りたいもの。


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