SSブログ

軍歌②戦友 [noisy life]

軍歌②.jpg

♪ ここは御国を 何百里
  離れて遠き 満州の
  赤い夕日に 照らされて
  友は野末の 石の下
  …………
  思いもよらず 我一人
  不思議に命 ながらえて
  赤い夕日の 満州に
  友の塚穴 掘ろうとは
(「戦友」詞:真下飛泉、曲:三善和気、歌:伊藤久男他、明治38年)


そもそも軍歌とはなにか。
軍隊の中で士気を高めたり戦意を鼓舞するためにうたわれる、あるいはうたう歌が軍歌といわれます。
たとえば♪海の男の艦隊勤務…… という「月月火水木金金」は戦時中の海軍の軍歌ですし、♪天に代わりて不義を討つ……の「日本陸軍」も明治につくられた軍歌です。

では、いちばん古い軍歌はというと。当然軍隊という組織が成立したあとなのですが、それは慶長4年作とも明治元年作とも(西暦では同じ1868年)いわれる「宮さん宮さん」
「トコトンヤレナ節」という別称のある官軍(政府軍)の歌で、日本陸軍の創始者といわれる長州の大村益次郎の作曲。
またよく知られる♪宮さん宮さん お馬(んま)の前に ひらひらするのは なんじゃいな の1番だけをやはり長州の品川弥次郎が作詞したといわれています。

その後、日清、日露の戦争を経て多くの軍歌がつくられました。

上にのせた「戦友」は明治38年といいますから、日露戦争のときに作られた歌。

作詞の真下飛泉(本名・瀧吉)は京都の生まれで、師範学校の教師をしながら唱歌の作詞をしたり、明星派の歌人として知られていました。作詞ではこの戦友が代表作で、ほかには「出征」「凱旋」をつくっています。
この「戦友」は実体験ではなく義兄の体験を聞き書きしたものをまとめたといわれています。14番まである長い歌ですが、実際は「戦績」という長詩の中の「戦友」という一篇を切り取ったものだといわれます。その「戦績」はひとりの男が出征し、苦労をしながら帰国し、やがて村長になるまでが綴られているとか。
真下飛泉は昭和2年、49歳で亡くなっています。

作曲の三善和気は、陸軍教導団といいますから、いわゆる職業軍人を育成する学校の先生をしていて、そのときに作ったのがこの「戦友」。ほかにも真下飛泉とのコンビで作った「出征」「凱旋」のほか、「凱旋」のメロディーを流用した「道は六百八十里」(永井建子のバージョンもある)などの作品を残しています。
大正時代には宝塚少女歌劇団のピアノ教師をしていたことも。こちらは大東亜戦争を生き延びましたが、昭和36年に亡くなっています。

この「戦友」は歌詞もドラマティックだし、メロディーも日本人の胸に染みわたる陰性で、人気の高い軍歌ですが、日中、日米の戦争時代はうたうことを禁じられていたそう。
♪軍律きびしい中なれど これが見捨てておかりょうか
 しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾のなか
という歌詞が、軍律よりも人情を優先させている、ということで禁止になったとか。軍歌はあくまで兵士の士気を上げなくてはなりません。

また「雪の進軍」(作詞、作曲・永井建子)では、最後に♪どうせ生かしちゃ還えさぬつもり と軍隊を非難するような歌詞があったので、「どうせ生きては還らぬつもり」と“自己責任”風に歌詞を改ざんして歌わせたとか。つまり“本音”はいかんと。

昭和に入り、ラジオ・レコードの普及によって歌はますます庶民の間に広がっていきます。そして、戦争中にもうたわれることになりますが、それは軍人向けにつくられた本義での「軍歌」だけではありません。
戦争とまったく無関係な流行歌の本道ラブ・ソングもあったでしょうし(破局へ向かうごとに少なくなっていったが)、戦争を反映させながら国民を鼓舞するような歌(戦時歌謡)もつくられました。それもまたいまでは軍歌の範疇に入れられています。
陸軍省のバックアップで大日本雄弁会講談社が雑誌で詞を公募した「出征兵士を送る歌」などがそう。
♪……いざ征け つわもの 日本男児

そのほか庶民の口の端にのぼることが多かった軍歌としては、
♪勝ってくるぞと勇ましく 誓って故郷(くに)を出たからにゃ 「露営の歌」
♪守も攻むるも黒鉄の 浮かべる城ぞ頼みなる 「軍艦」
♪旅順開城約なりて 敵の将軍ステッセル 「水師営の会見」
♪肩を並べた兄さんと 今日も学校へ行けるのは 「兵隊さんよありがとう」
♪真白き富士の 気高さを 「愛国の花」
♪荒れた山河をいく千里 よくこそ討ってくださった 「父よあなたは強かった」

まだまだたくさんありますが、このへんで。
戦争を知らないわたしが、こうスラスラといくつも出てくるのもへんですが。

改めてこうした「軍歌」をみてみると、歌には罪はないとはいえ、やはりマトモではないような。どこか、言わせられている、うたわせられている感がぬぐえません。“歌は世につれ”で、世相を反映せざるをえない流行り歌の宿命とはいえ。
例外はあるにしても、あのような時代に生まれた不運な「軍歌」たちの多くは、やはり眠らせておいてあげたほうがいいのかもしれませんが、歴史の“証歌”として残しておくべきなのかも。


nice!(0)  コメント(11) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 11

trefoglinefan

 「兵隊さんよありがとう」はとても愛らしい歌だと思います。いかにも軍国主義的な歌詞なのですが。

by trefoglinefan (2008-09-02 12:14) 

MOMO

trefoglinefanさん、こんにちは。

ご指摘ありがとうございます。「兵隊さんよありがとう」さっそく訂正しておきました。

この歌は子供の視点からつくられた歌ですね。
これが当時の子供たちへの教育であったし、また彼等の共通認識だったのでしょうね。
by MOMO (2008-09-02 14:04) 

うっかりかさご

 「戦績」という歌詞を探しております。ご存知でしたら教えて戴けませんでしょうか。実は私の国民学校6年生在学時の先生から100題に及ぶ歌詞を教えて戴いたのでしたが、旧式のワープロに記録していたフロッピーを無くしてしまい途方にくれております。
 教えて下さった先生も亡くなられ思い出の歌詞でもありまして、どこにか教えていただける方は居られないものかとずっと探しておりまして、偶然、このブログにお目にかかり、藁をもつかむ気持ちで、書き込ませていただきました。よろしくお願いいたします。

by うっかりかさご (2014-12-28 22:52) 

MOMO

うっかりかさごさん、はじめまして。

申し訳ありませんが、存じておりません。
戦績というタイトルではありませんが、作詞した真下飛泉の本のなかに
あるかもしれません。
もう探されたかもしれませんが、本の入手はむずかしいと思いますが、
もし、東京あるいはその近くにお住まいでしたら、国会図書館にあると思いますので、閲覧およびコピーはできると思います。

もし、まだ確認していらっしゃらないのでしたら、一度調べてみてはいかがでしょうか。
遠方にお住まいですと難しいのでしょうが。

とにかくお役にたてずにすみませんでした。

どうしてもという熱意が伝わってきますので、どうかうまく「戦績」とめぐりあうことができるよう祈念しております。

by MOMO (2014-12-30 00:49) 

うっかりかさご

 早速ご教示いただきありがとうございました。
 図書館とは仲良くして貰っておりますので、年が明けたらお願いすることに致します。きっと探し出してくれると思います。

 少し前の話になりますが、大東亜戦争でアリューシャン列島のひとつでアッツ島(玉砕)があります。そこに近いキスカと言う島があります。
 そのキスカで、アッツ島玉砕直後に5000人余の日本軍を無血撤退させた有名な話があって、偶然同じ県内の人でこれに関わった人が居られ、残念なことに亡くなられた後のことで、詳しくお話を聞くこともできず、かくなるうえは図書館へと助けを求めたことがございます。
 その時の各地の図書館へのネットワークにいたく感動したことがありました。
 
 国会図書館も利用したことがありまして、本は無料で送って下さって、たしか返却は有料だった記憶がございます。

 このことを知人に嘆きましたところ、もしワープロのフロッピーが残っていたら再生してあげると言われ、目の前が少し明るくなった気が致します。もし入手出来ましたら、お知らせいたします。

 ほんとうにありがとうございました。

 追記  trefoglinefanさんの書き込みを見せて頂いて国民学校時代を思い出しました。
 特に三題めのお国のために戦死した兵隊さんのおかげです・・・と言うところで涙ぐんだ思い出もあります。六年生でした・・・。
by うっかりかさご (2014-12-30 19:55) 

うっかりかさご

  MOMO様 先日はいろいろ、ご教示戴き有難うございました。図書館へ問い合わせた結果を(途中結果)お知らせいたします。
○ 国立へ問い合わせたところ、デジタル化↓した本があり、歌詞も部分的に残っているそうで、閲覧したいのですが、何か特殊な会員しか閲覧できず、わが町の図書館では閲覧もコピーも出来ないのだそうです。ところが富山市の県立図書館に「戦績」という本があり、とりあえずこちらの方をお願いしました。この本のなかにどこまで掲載されているか不明ですが、取りあえず自分で調べてくれということでした。
 どういう本が届くか、楽しみです。 有難うございました。k



by うっかりかさご (2015-01-08 17:40) 

MOMO

そうでしたか、国会図書館は容易に借りられないのですね。

とにかく、富山の図書館でみつかるといいですね。

ネットでみた情報なのですが、真下飛泉の故郷である京都の福知山市大江町に「真下飛泉資料室」というのがありまして、飛泉にまつわる資料を展示しているようです。
著書もあるようですが、借りることができるかどうかは不明です。

ということは、福知山のほかの図書館にも当然飛泉関連の書籍はあるでしょうし、それこそ図書館経由で借りられるかもしれませんね。

富山の図書館での「戦績」にご覧になりたい歌詞が載っていればそれ以上のことはありませんが、もしうまくいかなければ、福知山の方もあたってみられたらいかがでしょうか。

とにかく、懸案が解決されることを祈っております。

by MOMO (2015-01-08 20:32) 

NO NAME

  MOMO さん有難うございます。素晴らしい道が開けました。

 京都福知山にあるという「真下飛泉資料室」を教えて戴きましたので、電話帳を探したのでしたが、電話がないということで、大江町周辺の地図をネットで調べ、周辺の公共施設を調べましたところ、駅周辺に福知山市大江町支所があり、支所の中に図書館もあるということが判明いたしました。
 
 図書館なら、と希望を持ち、電話局の番号案内から割り出し、早速連絡しましたところ、面倒なお願いを二つ返事で引き受けて下さり、
念願の「戦績」の歌詞を教えて戴けることになりました。

 コピーも快く了解して下さったのですが、図書館と言う公共施設の、そうした利便を図って戴くについては、一度、図書館から私宛に、これに関する費用つまりコピー代とか送料とかが発生しますので、その明細を送ってくださって、こちらが了解し、郵便局の小切手で支払ったのち、それを確認してからコピーを送ってくださるという、ちょっとした手続きを必要とするために、図書館ではもう、コピーも出来ているらしいのですが、その郵便のやり取りで、時間がかかるそうです。

 杓子定規と言えばそれまでながら、公共物の貸し借りは、それくらいの手続きが必要なのは致し方のないところでしょうね。
 
 10年近くも悩み続けたことなので1週間など、何ともありません。とても嬉しいわくわくするような時間です。

 ちなみに、「真下飛泉資料室」は大江町の駅の2階にあって、展示品はあるらしいのですが、どうも専従の管理する方もないのだそうです。一方大江町駅にも電話がないのだそうです。

 取らぬ狸の皮算用とやら、でも歌詞を入手しましたら何をさておいても MOMOさんにお知らせいたします。

 富山県立図書館の方は、これはこれで、読むのを楽しみにしています。いろいろピントを下さり、有難うございました。
by NO NAME (2015-01-09 21:12) 

うっかりかさご

  MOMO さん有難うございます。素晴らしい道が開けました。

 京都福知山にあるという「真下飛泉資料室」を教えて戴きましたので、電話帳を探したのでしたが、電話がないということで、大江町周辺の地図をネットで調べ、周辺の公共施設を調べましたところ、駅周辺に福知山市大江町支所があり、支所の中に図書館もあるということが判明いたしました。
 
 図書館なら、と希望を持ち、電話局の番号案内から割り出し、早速連絡しましたところ、面倒なお願いを二つ返事で引き受けて下さり、
念願の「戦績」の歌詞を教えて戴けることになりました。

 コピーも快く了解して下さったのですが、図書館と言う公共施設の、そうした利便を図って戴くについては、一度、図書館から私宛に、これに関する費用つまりコピー代とか送料とかが発生しますので、その明細を送ってくださって、こちらが了解し、郵便局の小切手で支払ったのち、それを確認してからコピーを送ってくださるという、ちょっとした手続きを必要とするために、図書館ではもう、コピーも出来ているらしいのですが、その郵便のやり取りで、時間がかかるそうです。

 杓子定規と言えばそれまでながら、公共物の貸し借りは、それくらいの手続きが必要なのは致し方のないところでしょうね。
 
 10年近くも悩み続けたことなので1週間など、何ともありません。とても嬉しいわくわくするような時間です。

 ちなみに、「真下飛泉資料室」は大江町の駅の2階にあって、展示品はあるらしいのですが、どうも専従の管理する方もないのだそうです。一方大江町駅にも電話がないのだそうです。

 取らぬ狸の皮算用とやら、でも歌詞を入手しましたら何をさておいても MOMOさんにお知らせいたします。

 富山県立図書館の方は、これはこれで、読むのを楽しみにしています。いろいろピントを下さり、有難うございました。
by うっかりかさご (2015-01-09 21:36) 

うっかりかさご

 MOMOさん ついに「戦績」入手いたしました。それと単行本で一冊「真下飛泉その生涯と作品」こちらは富山県立図書館蔵で1989年出版です。
 京都福知山市立図書館大江町分館のご厚意で、第一章の「出征」から最終章の「村長」までの詩文のコピーを送って戴きました。
 聞けばこの図書館は、昨年の水害で被害を受けられたそうで後始末も大変だったそうです。コピーは「飛泉抄」より とありました。
奥付がないので、発行年代は不明ですが、目次によれば250ページあります。
 もし、歌詞がご入用ならば、お送りしますので、私のEメールに住所お知らせ下さればお送りいたします。michi282@atbb.ne.jp
いろいろ有難うございました
 
by うっかりかさご (2015-01-26 18:18) 

MOMO

うっかりかさごさんへ。

よかったですね。
「なにがなんでも」といううっかりかさごさんの情熱のたまものですね。

年を取ると気力体力とも衰え情熱のかけらもなってきますから、見習いたいものです。

コピーの件、気をつかっていただきありがとうございます。
250ページといえば膨大な量ですし、ご厚意だけいただきます。

もしブログをやってらっしゃるのでしたら、おそらく著作権も終了しているでしょうし、ネットに公開されると、同じように関心のある方にとってはうれしいことだと思います。

いずれにせよ、懸案が解決したことよかったですね。
by MOMO (2015-01-30 20:35) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。