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RED/風船 [color sensation]

赤い風船.jpg

♪ 赤い風船 手に持って
  走ったりころんだり 笑ったり
  いつもひとりで たわむれている
  可愛い坊やは 空が好き
  
  赤い風船 手を離れ
  青空にふわふわと 飛んでった
  坊やびっくり 追いかけようと
  大きな通りに 飛びだした
(「赤い風船」詞:水木かおる、曲:小林亜星、歌:加藤登紀子、昭和41年)

アルベール・ラモリス「赤い風船」がリバイバル公開(同監督の「白い馬」と併映)されているとか。

1956年というから昭和31年に制作された短編映画。
わたしごとだが、この「赤い風船」は記憶の中でもっとも古い映画なのである。

まだ小学校へ上がる前だったと思うが、父親に連れられて見に行った記憶がある。その父親の話では、それ以前にも西部劇などに連れていかれたそうだが、その記憶はない。

とにかく幼いなりに強烈な印象が残った映画だった。
これから観る人もいるだろうから、内容を話すのは差し控えるが、とにかく笑いがあって、悲しみがあって、驚きがあってというファンタジー。

成人してから再び見る機会があったので、その時の記憶はたぶんに大人の感性で書き換えられてしまったきらいはあるが、赤い風船と少年の織りなす悲しみや驚きの出来事は5、6歳の記憶として残っていると思っている。とくに赤い風船と青い空の印象は憧憬ともいえる映像として脳ミソに刻まれている。

今、風船というと銀色のビニールやアルミ地に画や文字がプリントされているものが大半(UFO風船というらしい)だが、むかしは赤、白、黄、青、緑など原色のゴム風船ばかりだった。
なにかの拍子に突然音を立てて破裂したり、“主人”の手からスルリと抜けて空に飛び上がっていったり、あるいは部屋の中で手で突いて何日も遊んでいたら、ある日シワシワになって萎んでいたりと、子供に対して小さなドラマを作ってくれたのも風船だった。

そもそもゴム風船の歴史はそれほど古くはないらしい。
今から70年あまり前というから日本でいえば昭和10年代前半、アメリカでつくられたという。しかし、明治42年に出版の滑稽話を集めた「うしのよだれ」という本の中に大道でゴムの風船玉売りのことが書かれているそうで、そのゴム風船とはどんなものだったのだろう。

そういえば、戦前の日本で子供が風船で遊んでいたという話は知らないし、小説や童謡にも登場したという話は聞いたことがない。太平洋戦争末期には風船爆弾などという物騒なものも存在したので、一部にはあったのかもしれないが、一般的になったのは戦後なのかもしれない。

歌で「赤い風船」といえば上にのせた加藤登紀子のものと、その7年後の浅田美代子のものが思い浮かぶ。
加藤盤は、デビュー曲でたしかその年のレコード大賞新人賞受賞作品だった。加藤登紀子はシャンソンコンクールで優勝して、石井好子の秘蔵っ子として登場したが、歌謡曲でもなく、ポップスでもない独自の歌をうたってきた。
その間「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」「愛のくらし」「灰色の瞳」「百万本のバラ」と不定期ながらヒット曲を続けてきたのは幸運というかみごとというのか。

この「赤い風船」は風船に夢中になって交通事故に遭う子供の悲劇をうたったもの。結末は違うがラモリスの映画の影響が感じられる。

作曲は「北の宿から」「ピンポンパン体操」「レナウン娘」と多彩な才能をもつ小林亜星
作詞の水木かおるは大正15年の東京生まれ。昭和20年代、30年代には歌謡詞の同人誌というのがあり、彼もそうした同人誌の出身。
「アカシアの雨がやむとき」「東京ブルース」(西田佐知子)「霧笛が俺を呼んでいる」(赤木圭一郎)「くちなしの花」(渡哲也)「みちづれ」(渡哲也、牧村三枝子)などのヒット曲がある。10年ほど前に亡くなった。

浅田美代子の「赤い風船」は、彼女の出演したテレビ番組でうたわれたもの。
音程が不安定で、よく笑いの対象にされていた。それでもシングル、アルバムを出し続けていったのだから豪気、というかそれでもいいというファンがいたのだろう。

こちらはなぜか握りしめていた風船が、手をすり抜けて……という淋しい少女の話。それでも、
♪もうじきあの あの人が来てくれる きっとまた 小さな夢もって
と希望を捨てない。

作詞はこういう少女の気持ちを“映像化”するのが上手かった安井かずみ
作曲は筒美京平。めずらしくメジャーコード。「お世話になりました」(井上順)とか「真夏の出来事」「フレンズ」(平山みき)とか「さらば恋人」(堺正章)などもそうだが、筒美京平のメジャーコードはなかなか。

また「赤い風船」といえば西岡たかし率いるフォークグループ「五つの赤い風船」がある。
その最大のヒット曲「遠い世界に」には、
♪遠い世界に 旅に出ようか それとも 赤い風船に乗って……
昭和40年代の雰囲気あふれた和製フォーク。よくフォークコンサートのエンディングにつかわれたり。

ほかでは飯田久彦が出演した映画の主題歌「あの娘に幸せを」には、
♪青い夜空に 飛んでいく 真っ赤な風船……
が出てくる。

話は戻ってラモリスの映画「赤い風船」だが、観に行こうかどうか迷っている。
30年ぶりに3度目の鑑賞をすべきか、はたまた見送るべきか。

有名な比喩で、人生とは両手にいっぱい風船を持った子供が歩いていくようなものだ、というのがある。子供が成長するにつれて風船はひとつまたひとつとその子の手からはなれて空へ消えていってしまうというのだ。
そして、やがて子供の手からすべての風船が消えてしまう。その時が大人になったとき。

たしかに大人に風船は似合わない。しかし、なかには成長してもいまだに風船を手放していないと思っている大人がいる。それはたんなる錯覚かも知れないのだが。
実はわたしの中にもそうした“錯覚”がたぶんにあって、映画「赤い風船」を観ることで、握っていたはずの風船が無いことに気づかされるようで決断がつかないのである。


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