夏歌⑩傷だらけの軽井沢 [noisy life]
♪ 黒いレースの ガウンをまとい
夜が静かに ボクらをつつむ
さそわれるまま あなたと歩く
言葉いらない 二人の世界
ここは天国 軽井沢
素敵な恋が 心のとびら ひらくのよ
ラララ……
(「傷だらけの軽井沢」詞:橋本淳、曲:筒美京平、歌:ブレッド&バター、昭和44年)
夏歌の終わりは山というか、避暑地・軽井沢。
避暑地あるいは林間学校のメッカとして知られる信州・軽井沢は、古くは浅間山を望む中山道の宿場町。
それが日本有数の避暑地(別荘地)として知られるようになったのは、明治18年にカナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーが別荘を建て、住み始めてからとか。
その後大正時代に西武、東武といった開発会社が力を入れ、リゾート地として形成されていきます。また堀辰雄、室生犀星、立原道造など多くの文人が別荘を構え、作品の舞台としたことで、格調高い別荘地としてその名が浸透していくことになります。
さらに軽井沢の名を高めたのが昭和30年代前半の“テニスコートの恋”。現天皇、皇后が出逢った場所としてグレードはさらに上がることに。
また1970年代にはジョン・レノンがオノ・ヨーコとともにたびたび軽井沢で静養する姿が目撃され、その知名度は若者にも浸透。
そんなわけで軽井沢をうたった歌も少なくありません。
そこからも、軽井沢が住み心地はともかく日本一知られた避暑地であることがわかります。
そんななかでかなり古いと思われるのが昭和9年につくられた「軽井沢音頭」。
♪山の涼風 軽井沢チョコ ヨササノエッサイサイ
のんびりとした音頭で、いまでも盆踊りでは歌われているのでしょうか。作詞作曲は「東京音頭」のコンビ西條八十&中山晋平で、小唄勝太郎がうたっていました。
当時は日本各地で新民謡や音頭をつくるのがブームとなり、西條・中山もずいぶん作っています。ちなみに「東京音頭」はその前年昭和8年の作。
では戦後というか、昭和30年代の軽井沢をうたった歌を。
「軽井沢物語」鰐淵晴子
♪ 二人が出逢った 高原は 空も澄んでる軽井沢
昭和38年の吉田正の作品。ジャズ風で避暑地の恋を謳歌している恋人たちをうたっている。ミッチーブームから5年あまりが経っているのにいまだに、歌詞のなかにテニスコートが出てきたり。
鰐淵晴子は母親がドイツ人のハーフで子供の頃は天才バイオリニストといわれました。その後女優に。代表作には恵まれませんでしたが近年複数の映画が対象となって毎日映画コンクールの助演女優賞を受賞しています。
吉田正でもうひとつ。翌39年リリースの「国道18号線」フランク永井・松尾和子
♪東京軽井沢 切ない愛を 運ぶ国道 ああゝあ 18号線
お得意のムード歌謡。彼女が軽井沢、彼が東京(多分)の遠距離恋愛をうたったもので、かれは国道18号線でクルマを走らせ彼女の元へというストーリー。今なら関越道、上信越道ですが、まだハイウェイのない頃の歌。
2番に白樺林がでてきます。「軽井沢物語」と「国道18号線」、作詞は前者が山上路夫、後者が宮川哲夫と異なりますが、二つの歌に共通する歌詞が「白樺林」。軽井沢に限らず高原や避暑地のキーワード。
昭和40年代も中盤、西暦でいうと1970年代以降はフォーク、ニューミュージックでしばしば登場するようになります。
まずは上に歌詞をのせたブレッド&バターの「傷だらけの軽井沢」。
これが彼らのデビュー曲。橋本・筒美のウレセンコンビ。つまりスタートは歌謡ポップスでした。
不倫のにおいもする避暑地の恋。なんといっても「傷だらけの軽井沢」というタイトリングがスゴイ。よっぽど恋の痛手がキツかったようです。
「傷だらけの……」といえば「天使」と帰ってきそうですが、若い人なら「ラブソング」かも。しかし「傷だらけの天使」の放映がはじまったのは昭和49年。この歌のほうが古い。
歌でいうと、鶴田浩二の「傷だらけの人生」が昭和45年、西城秀樹の「傷だらけのローラ」が昭和49年と、やはり「傷だらけの軽井沢」のほうが先行。ついでにいうと、もっと古いのが昭和31年の映画でポール・ニューマンが主演した「傷だらけの栄光」。実在の世界チャンプの半生を描いた佳作でした。劇場版「あしたのジョー」で同名の挿入歌がありました。作ったのは荒木一郎。
軌道修正。
つづいてダ・カーポの「センチメンタル軽井沢」
♪北軽の白樺林 白い風 それは揺れる私の 子守唄
かつて夏にふたりで来た軽井沢をひとりで秋に訪れるというセンチメンタルジャーニー。
文人が宿泊したことで知られる旅館・油屋も出てきたりして。曲は昭和50年代の歌謡ポップスの甘さにあふれています。
変わったところでは伊勢正三の「軽井沢のキリギリス」。
♪海に行けるかも知れない 冬が来る前に……
命尽きる冬を前にしたキリギリスが、人間どもが話していた“海”とやらに一度でいいから行ってみたいと思い、連れていってくれる誰かを捜しに人家へ入っていくというメルヘン。軽井沢という言葉はまるで出てきません。でも軽井沢のキリギリスなんだと。同じキリギリスでも軽井沢の彼らはさんざいい思いをしたということでしょうか。
そして昭和60年に出たのがさだまさしの「軽井沢ホテル」。
♪軽井沢ホテルで別れた 白樺が霧に滲んで消えた
とこれまた軽井沢定番のキーワードを連ねた傷心ソング。軽井沢には別離が似合うのでしょうか。やたら多いですね。避暑地の恋ほど色褪せるのが早いものもないのでしょうね。経験はありませんが。
「軽井沢ソング」で幸せいっぱいというのは、
♪二人だけの愛を誓う 軽井沢で
という「避暑地の恋」(チェリッシュ)ぐらいかも。
つづいて60年代のアイドル、荻野目洋子の「軽井沢コネクション」。
♪軽井沢コネクション あゝ夏のまま生きられたらいいね
ティーンネイジャの短い夏。プールサイド、仕掛け花火、シネマハウス、スケートボードと若者の夏のアイテムをちりばめて。作曲は「傷だらけ~」と同じ筒美京平。作詞は売野雅勇。
筒美京平ではもうひとつ、つなき&みどりの「雨の軽井沢」。これはムード歌謡風。
そういえば、なんでもロッケンローラーの鮎川誠が、「ジャージの二人」という軽井沢を舞台にした映画に出るとか、出ているとか。
鮎川誠の下手ウマな演技(予想)でも観に行ってみるか。でもなぁ、いつだって邦画には裏切られるからなぁ……。
軽井沢という地名は出てきませんが、たぶんこれは軽井沢でしょう。
ホームに降りると
もう高原の香り
今年もあなた来てるかしら
避暑地の町に
ロータリーを抜ければ
旧道は華やいで
戸塚省三作詞作曲 歌・須藤薫
SUMMER DREAM (1980)
そのほか、
村田和人 「SUMMER VACATION」
稲垣潤一 「夏の行方」
などの歌詞の舞台は、たぶん軽井沢でしょうね。
by Mashi☆Toshi (2008-08-04 20:06)
Mashi☆Toshiさんありがとうございます。
いずれも知らない歌ですが、SUMMER DREAMはそれっぽいですね。
あと思い出したのは狩人の「コスモス街道」も中山道がでてきてやっぱり軽井沢のイメージですね。
それにしても暑いですね。そちらはいかがですか。
by MOMO (2008-08-08 20:25)