夏歌⑧想い出の九十九里浜 [noisy life]
♪ 別れたあの夏を 忘れられないの
出逢った瞬間(そのとき)に この胸がふるえたの
すいぶんな趣味(このみ)ネって 人は言うけれど
これでも私には 高望みの方だわ
ああ 九十九里浜 夕陽が泣いている
(パヤパヤ)
君だけに愛をと 花の首飾り
好きさ 好きさ 好きさ
ああ 神様お願い
(「想い出の九十九里浜」詞:長沢大幸、曲:織田哲郎、歌:Mike、平成3年)
湘南が出たらこっちもね。
夏はやっぱり海だなぁ、といいたいところだけど、もう何年いや20年近く行ってないな。
10代、20代は行かなきゃ夏が始まらないってぐらい毎年何度も行っていたものですが。
東京から行くとなると湘南か九十九里浜がいちばん手頃。
幼い頃は東京でも神奈川寄りだったので逗子だの葉山だのって湘南が多かった。ところが小学校も高学年になると千葉寄りの街へ引越し。おかげで近場の稲毛、幕張から白里、片貝なんかの九十九里浜へよく行きましたっけ。
九十九里浜とは千葉県北東部の太平洋に面した砂浜で、南の大東崎から北の形部岬までがおよそ60キロ。これは静岡県浜松市の遠州灘に次ぐ長さだとか。
九十九里の名の由来は12世紀に当時玉の浦と呼ばれていたこの地を、源頼朝の命で測ったところ九十九里あった(1里約650mの計算で)からなんだそうだ。
生意気な中高生になると、ほとんど目的はガールハント。その頃になると公平を期してというわけではないけど、湘南へも九十九里へも誘われればどこへでも。
いまでもそうかもしれませんが、同じ関東のビーチでも湘南はどことなく垢抜けていて、九十九里浜は田舎っぽい、というイメージが。歌でたとえるなら湘南がポップスで九十九里浜が演歌みたいな。
よく行っていた昭和40年代の印象では、実際には湘南も九十九里浜もそれほど違わない。太平洋の海はもちろん同じだし、そこへ辿りつくまでの風景も似たような田園風景。ただ、九十九里浜の方が最寄りの駅から海浜までやけに時間がかかったことぐらいの違い。
それと、地元の人の言葉。湘南は水道の水漏れのような「行こうじゃあ」「泳ごうじゃあ」の「じゃあ」「じゃあ」(今のように「じゃん」などと弾まずに語尾の「ん」がフェイドアウトして「あ」に聞こえたもの)。
一方の九十九里浜は東北弁系統で「行くだべ」「泳ぐべ」と語尾に「だべ」や「べ」がついたり。「分かってるっぺ」などと「ぺ」もあったな。
湘南のほうがビーチとして垢抜けたイメージがあったのは、横浜をはじめ葉山や鎌倉が近く古くから文化人や外国人が海水浴場として利用していたこと。それに昭和30年代はじめの“太陽族”現象もあるでしょう。そして決定的だったのが、昭和40年代はじめの加山雄三の登場。いわいる湘南サウンドの夜明け。
そのあと、サザン・オールスターズ、チューブと続いてまさに若者のビーチ=湘南になってしまいました。いまだに九十九里サウンドなんて聞かないものね。
そんななかで出てきたMi-Keの「想い出の九十九里浜」。タイトルだけみればコミックソングかパロディソングかという感じで。実際はGSへのオマージュ。ビーチを湘南にしなかったのは、反骨精神かはたまたウケ狙いか。
サウンドはもろGSですし、上に乗せた歌詞もそう。2番以下にも「バラ色の雲」「長い髪の少女」「遠い渚」、「真冬の帰り道」「落葉の物語」「いつまでもいつまでも」「あの時君は若かった」とGSのタイトルが散りばめられています。
Mi-Keは村上遥、宇徳敬子、渡辺真美の3人組ユニットで、全員「踊るポンポコリン」で知られるBBクィーンズのメンバー。現在は解散して、シンガーとしては宇徳敬子だけが頑張っているようです。
活動中は、そのほかに和製フォーク、カヴァーポップスをカヴァー(ややこしい)したアルバムを出していました。
またこの「想い出の九十九里浜」はアイルランド出身の姉妹グループで昭和50年代に「ダンシング・シスター」や「セクシー・ミュージック」をヒットさせた、ノーランズが英語でカヴァーしています。
「想い出の九十九里浜」のヒットでポップスシーンにも一矢報いた九十九里浜ですが、その他の九十九里の歌となるとやはり純和風ばかり。
まずは昨年不詳の民謡「九十九里大漁木遣り唄」。
♪ハアー ここは九十九里(ア ナンダコリャ) 東浪見ヶ浜は……
三味線、笛、鳴り物、囃し連とにぎにぎしい民謡。九十九里は一宮の玉前神社へ大漁を祈願して奉納されたか。
つづいては昭和10年に作られた歌曲「九十九里浜」。
作曲は「平城山」「ゆりかご」「ひなまつり」などで知られる平井康三郎。詞は歌人の北見志保子。北見の歌集から平井が三首選んで曲をつけた。3番は、
♪わだつみの 太平洋に まむかひて 砂濱白し 九十九里なり
佐藤康子、鮫島有美子、柳兼子など声楽家で聴けます。
その翌年に出たのが音丸がうたった「浜は九十九里」。
♪浜は九十九里 一目じゃけれど なぜに見えぬか 十五夜さまよ
短調の純和風流行歌。音丸は当時流行った“芸者歌手”のひとりだが、実際は芸者ではなく履物屋の娘。ただ幼い頃から常磐津、日本舞踊、小唄、民謡などを習っていて、その声に魅了された古賀政男がスカウトしたとか。
ただこの歌は古関裕而が作曲。作詞は音丸をスターにした「船頭可愛いや」の高橋掬太郎。
時代はズンと飛んで平成3年、都はるみの演歌「九十九里はたそがれて」。
♪九十九里の夕焼けに 好きな人に見捨てられた 女が一人
オーソドックスな短調演歌。アルバム「しあわせ岬」に収められている。
作詞・作曲は細川たかしの「北酒場」「心のこり」のコンビ、なかにし礼と中村泰士。
そのほか、「九十九里浜」を日吉ミミと水森かおりがうたっている。
こうしてみると、「想い出の九十九里浜」がいかに異彩を放っているかがわかる。残念なのはこの歌がキッカケで“九十九里ブームが”とはならなかったこと。
湘南が西海岸サウンドならば、九十九里は東海岸とはいわないけれど、せめてレゲエか何かで売り出せば……、ムリか。
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