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夏歌②下町の太陽 [noisy life]

夏歌②下町の太陽.jpg

♪ 下町の 空にかがやく 太陽は
  よろこびと 悲しみ 映すガラス窓
  心のいたむ その朝は
  足音しみる 橋の上
  あゝあ 太陽に 呼びかける
(「下町の太陽」 詞:横井弘、曲・小川寛興、歌:倍賞千恵子、昭和37年)

恐怖と忍耐の時代が終わり、太陽は燦々と輝くのかと思いきや、そう簡単には。

戦争が終わってもしばらくは苦しい時代が続きます。そうした世相が反映されてか太陽はいっこうに輝いてくれません。
それでも、太陽に夢と理想を託した歌が誕生します。それが、昭和23年に作られ、♪太陽が呼ぶ地は叫ぶ ではじまる「世界をつなげ花の輪に」

「世界をつなげ花の輪に」は“歌声運動”によって生まれた歌でした。
労組が募集した“労働歌”に入選した歌で、職場を中心に親しまれました。
“歌声運動”は当初、共産党のオルグ活動の一環として展開された面はありますが、その後そうした思惑を離れ“ひとり歩き”して、現在にまで続く様々なコーラス活動の礎になったことは確かでしょう。

このような歌、いまでいうとどんなジャンルに入る(入れる必要ないけど、そこはまぁ)んでしょう。労働歌? 革命歌? 歌謡曲ではないしポップスでも……。いずれにしても
「東京ブギウギ」(笠置シヅ子)が大ブレイクしている頃、こういう歌も多くの人にうたわれていたわけです。

そして、昭和27年には、つい最近ふれた記憶のある「ああモンテンルパの夜は更けて」(渡辺はま子)で、
♪モンテンルパに朝が来りゃ 昇る心の太陽を
と。太陽は生きる希望の象徴としてでてきます。

しかし、考えてみれば「世界をつなげ」はインターナショナルな歌だし、「モンテンルパ」は南方フィリピンが舞台となった歌だし、日本国内庶民の太陽という感じはややうすめ。

やはり日本人にとって「太陽」というキーワードが重用視されるようになったキッカケは、昨日も少しふれましたが昭和30年の芥川賞小説「太陽の季節」(石原慎太郎)からではなかったかと思われます。

「太陽の季節」は翌年5月、日活の古川卓巳監督によって映画化。さらに話題となり、巷にはホンモノニセモノ入り交じった“太陽族”の若者たちが闊歩するようになります。
もう少し映画の話を続けますと、その半年後昭和31年の11月には松竹の木下恵介監督が「太陽とバラ」をつくります。この映画は見ていませんが、なんでもアンチ太陽族の内容だとか。

さらに松竹は昭和35年に大島渚監督で「太陽の墓場」を、本家の日活は36年に「太陽は狂っている」(舛田利雄監督)を公開。
さらにさらに洋画では33年に「太陽のはらわた」(クロード・オベール監督)、そして35年にルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演で「太陽がいっぱい」、翌36年にはミケランジェロ・アントニオーニ監督の「太陽はひとりぼっち」と立て続けにヨーロッパの“太陽映画”が公開されます。
これらの内外“太陽映画”に共通しているのは現代の若者(映画はだいたいそうだよね)の蹉跌や挫折を描いた点。

これだけ「太陽」がいっぱい出てくればその認知度も高くなるのは当然。しかし、その太陽のイメージはどちらかというと、反社会的な青春であり若者。

そして“太陽映画”の余韻醒めやらぬ昭和37年、“太陽もの”流行歌のハシリともいえる歌が大ヒットします。
それが倍賞千恵子「下町の太陽」

山田洋次監督初期の同名映画主題歌で、映画(主演・倍賞千恵子)もヒット。

不思議なのはこの歌や映画の指し示す「太陽」の意味が、「太陽の季節」からはじまった負のイメージの「太陽」とは180度異なるということ。

映画「下町の太陽」に出てくるのは“太陽族”とは真反対の貧しく誠実な若者たちであり、「太陽」は彼らのささやかな希望を象徴しています。
どこでどう逆転してしまったのか。いや、一連のネガティブな太陽がイレギュラーなもので、それが「下町の太陽」によって元の姿に戻されたといえるのかもしれません。

こうして流行歌の世界で誕生したポジティブな太陽は、本来の陽性のまま歌い継がれていきます。ただ時代は急激に貧しさから脱却していきます。
ということは「下町の太陽」にあった貧しさが影を潜め、「楽しければいいじゃん」という青春謳歌に変化していきます。それはいい方を変えれば純情からの乖離ということでもありました。

それではその狭間期にあった「太陽の歌」をいくつか。
♪昼は太陽 夜は星 そしてわたしには あなたがいる 「星は太陽」(西田佐知子)
陽気なルンバではじまり、途中いきなりサックスむせびなくムード歌謡風になるという快作。作詞作曲は水木かおる、藤原秀行の「アカシヤ」コンビ。

♪今日も夜が来て 俺に火をつけた 「夜の太陽」(加山雄三)
昭和36年というから「君といつまでも」の5年前にリリースしたデビュー作。これがなんとドドンパ。作曲はかの中村八大。シリーズ第一作「大学の若大将」の挿入歌。

♪遠くできっと待っている ふたりだけの太陽を 「ふたりだけの太陽」(島倉千代子)
東京五輪の年の作品。「涙の谷間に太陽を」という名曲もある。作詞はどちらも西沢爽

♪燃えろ燃えろ 若い若い 若い太陽 「若い太陽」(北原謙二)
エレキ全盛時。橋幸夫「恋をするなら」のようなエレキ歌謡。これがGSにつながっていく。作曲は演歌の大御所・遠藤実

ほかにも、「孤独の太陽」(有田弘二)、「太陽にヤァ!」(舟木一夫)、「恋と涙の太陽」(橋幸夫)などが。歌詞に出てくるものでは、
♪黒い太陽 まぶたに消えて 「硝子のジョニー」(アイ・ジョージ)
♪海の太陽 山の雲 「ああ青春の胸の血は」(舟木一夫)
♪瞳とじれば まぶしい太陽 「瞳とじれば」(倍賞千恵子)
♪あすものぼるよ 太陽が 「潮風を待つ少女」(安達明)

などがありました。
歌謡曲でさえこれほど太陽が輝いているのですからポップスだったら……。もちろんV・A・C・A・T・I・O・Nのシー・サイド・バウンドの時代ですから。
それはまた次々回ということで。

 


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