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夏歌①この太陽 [noisy life]

夏歌①佐藤千夜子.jpg

♪ あてない旅と 知るものの
  せめてを頼む 恋心
  荒れ野の果ての 太陽よ
  明日は結んだ 手にのぼれ
(「この太陽」詞:西條八十、曲:中山晋平、歌:佐藤千夜子、昭和5年)

爽やかな風ふきわたる秋が待ち遠しい今日この頃ですが、寝苦しい夜に戦く季節がやってまいりました。

いささか出遅れた感はありますが、今年も夏の歌を。
今回は趣向を変えて“特集”形式でやってみようかと。つまり夏にふさわしいテーマを決め、そのテーマにちなんだ歌をはじめにいくつか取りあげてみようかと思っています。
で、そのテーマは「太陽」

「太陽」が若者の“おともだち”になったのはそんなに古いことではないはず。
江戸時代、チョンマゲ、モモワレの若い衆が「夏だ!海だ!」「太陽の季節よ!」なんて話は聞いたことがありません。だいたいその頃は「お天道さま」「お日さま」などで「太陽」なんて言葉が日常会話の中にあったのかどうだか。

太陽が青春や若者に身近になったのは戦後も戦争の傷跡がようやく癒えはじめ、気持ちも懐具合もいくらか余裕がでてきたあたりから。具体的にいえば昭和30年代も半ば頃、「レジャー」なんて言葉が流行語になった(昭和36年)頃かもしれません。
その当時、えっ?日本人ってこんなに海が好きだったっけ? というぐらい各地のビーチは人であふれんばかりの状況になってきたというわけでして。
「太陽族」なんて大人の顰蹙をかうような言葉もありましたが、概ね太陽は「若さ」、「希望」、「歓び」といったポジティブな気分の象徴となって現在に至っています。

では、昭和が始まった頃、つまり流行歌が誕生した時代、「太陽」はうたわれていたのでしょうか。
すべてを調べたわけではありませんが、日本の流行歌の場合、うたわれる頻度は太陽よりも太陰つまり月のほうが圧倒的に多かったようです。
流行歌もまたある意味風雅をうたう「歌」なわけでして、“叙事的”な太陽よりは“叙情的”な月の方が日本人の精神には合っていたのでしょう。

それでも当然太陽もうたわれています。文字どおり“陽性”の太陽を抒情的にしてしまうという日本人のセンスで。それが「夕陽」。
そのほか、抒情的かどうかは別として、「朝日」や「朝ぼらけ」「曙」など朝の太陽もときおり出てきます。

「太陽」という言葉はそれ自体が詩的ではないと考えられていたのか、あまり出てきません。

昭和5年の映画の主題歌で「この太陽」(佐藤千夜子)というのがあります。
「東京行進曲」をはじめ当時の売れっ子コンビ中山晋平・西條八十の作品で、映画共々ヒットしたようです。その歌詞の最後に、
♪ 荒野のはての太陽よ 明日は結んだ手にのぼれ
とあり、これは「太陽」という言葉が出てくる流行歌の中ではかなり古いものではないかと思います。それも今と同じように太陽は別れ別れになったふたりの希望の象徴としてうたわれています。ということは、太陽をそうした捉え方をする感覚が昭和初期もあったということでしょうか。

ほかにもいくつか「太陽」が出てくる流行歌はありますが、ほとんどは“叙事的”なもの。
たとえば、
♪赤い太陽の照る渚 珊瑚礁(リーフ)に砕ける波の音 「カナカの娘」小唄勝太郎、昭和8年)
これは南国の島をうたったもので、太陽は南の島にふさわしい背景。

♪赤い太陽に 流れる汗を 「月月火水木金金」内田栄一、昭和15年)
有名な海軍の軍歌で、作詞は海軍中佐の高橋俊策、作曲は戦前なら「急げ幌馬車」(松平晃)、戦後なら「憧れのハワイ航路」(岡晴夫)「赤いランプの終列車」(春日八郎)のヒット作がある江口夜詩
余談ですがこの「月月火水木金金」というタイトル、若い人にはわかるかな。ヤングサラリーマンならばあなたの一週間がこのようだと考えてみればいいのです。

ほかでは、
♪昇る太陽に 両手を会わしゃ 「日輪兵舎」(井口小夜子、昭和16年)
♪空に燦めく太陽の 「緑の処女地」小畑実、藤原亮子、昭和17年)
という歌があります。どちらも歌詞の内容から開拓の歌のようです。日輪とはまさに太陽のこと。大地に太陽の恵みをとうたっています。ただ、他国の土地を開拓してはいけません。

抒情的な太陽はないかと探してみたらもうひとつありました。
♪昇れ二人の太陽よ (「青春華」ディック・ミネ、服部富子、杉狂児、昭和15年)
これぞ青春賛歌。あゝ青春はただ一度という歌詞も出てきて太陽は青春の象徴になっています。作詞は「夜霧のブルース」「白虎隊」で知られる島田磬也。作曲の杉原泰蔵は元々ジャズピアニストで、「風の又三郎」の主題歌の作者としても知られています。

そしておそらく戦前最後の「太陽」の歌と思われるのがこれ。
♪いざ見よ南の 輝く太陽 「ラバウル海軍航空隊」灰田勝彦、昭和19年)
作詞佐伯孝夫、作曲古関裕而はビクター対コロムビアの専属スタッフ、戦時下でなければありえない組み合わせ。佐伯孝夫の数少ない、そして最も知られた軍歌。

またまた余談ですが、この歌とよく間違われるのが、
♪さらばラバウルよ また来る日まで
「ラバウル小唄」。これは昭和15年の流行歌「南洋航路」の替え歌(作詞・若杉雄三郎は同じなのでリメイク?)で昭和19年に流行りました。こちらのほうが庶民的でしょうね。

そのほか、第二の国家といわれた「愛国行進曲」(昭和12年)では、
♪見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば 
という歌詞が。旭日はもちろん太陽のこと。

なにしろ暗い時節、先の見えない日本では若者たちにも太陽は輝かなかったようです。

はじめに江戸時代には「太陽」なんて……といいましたが、江戸幕末期を舞台にした名画「幕末太陽傳」がありました。これは昭和32年の作品で、まさに当時流行の太陽族にあやかったもの。江戸時代にだってこんな破天荒な若者たちがいたんだぜ、という川島雄三監督のメッセージ。湘南とはいきませんが、当時海辺だった品川が舞台でした。日活の作品で石原裕次郎小林旭がチョイ役で出ていたのもスゴイ映画でした。


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MOMO

アコさん、ありがとうです。

旅行記あと少しでエンディングですね。
by MOMO (2008-07-17 22:29) 

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