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夏歌③太陽はひとりぼっち [noisy life]

 夏歌③太陽がいっぱい.jpg

Le nuvole e la luna espirano a noi avanti
Si, ma pertanto io ho reso me
E di ch'io ho logico di piú vero amore
e so ho logico indietro il cuore
La radioattivita' un brivido di vita
ma tu, ma tu di piú, di piú
〔雲も月も二人の目の前で消えて行く そう、でもこれでわたしは気がついたわ わたしは何にでも理性的 本当の恋にも わかってるの、わたしの心の中でも わたしは理性的放射能が身体の中を通り抜ける でもあなたはあなたはもっともっと激しい〕

(「太陽はひとりぼっち」L'ECLISSE TWIST words & music by GIOVANNI FUSCO, vocal by MINA, 1961)
*訳詞はCDの解説のもので訳者は無記載。

昭和30年代日本列島をギラギラと灼きはじめた太陽。
前回もふれましたが、それは多分に映画の影響が大きかった。

いまでこそ映画といえばハリウッド一辺倒ですが、この頃はフランス、イタリアをはじめとするヨーロッパ映画が輝いていました。
もちろん作品の数からいえば、当時からアメリカ映画が断然多かったのですが、その時代性、質の良さではヨーロッパ映画でした。

戦前に黄金時代を謳歌したアメリカ映画が戦後、ストライキやその反動のマッカーシズムで停滞を余儀なくされている間、ヨーロッパ映画は花開いていきます。そんななかからたくさんの名曲も生まれていきました。

まずは何といってもイタリアのネオ・リアリズム。
1940年代だと不朽の名作「自転車泥棒」(ビットリオ・デ・シーカ監督)をはじめ、「無防備都市」「戦火のかなたに」(いずれもロベルト・ロッセリーニ監督)など。50年代には「屋根」とかネオ・リアリズムではないけど、ファンタジーの「ミラノの奇蹟」なんか好かったなぁ。

日本と同じ敗戦国でありながら、あの毅然としたスタンスとバイタリティ。あれはきっとレジスタンス運動があったか否かの違いなんでしょうね。

フランスはというと50年代末から起こったヌーベルバーグにアンチ・ロマン。
クロード・シャブロール(いとこ同志)、フランソワ・トリュフォー(大人は判ってくれない)、ジャン・リュック・ゴダール(勝手にしやがれ)、アラン・レネ(去年マリエンバートで)、ルイ・マル(死刑台のエレベーター)とまさに監督百花繚乱。

そんななかで最もエンターテインメントの要素を打ち出していたのがルネ・クレマン
1945年の「鉄路の闘い」からはじまり、「海の牙」、「禁じられた遊び」、「居酒屋」と話題作を世に出し、60年に公開されたのが「太陽がいっぱい」PLEIN SOLEIL

貧しさからの脱出をはかる若者の犯罪、そして衝撃的な結末。主人公を演じたアラン・ドロンがクールでした。そのストーリーの背景には太陽と海がありました。
そしてこの映画をさらに盛り上げたのがのちに名曲「ゴッド・ファーザー」を作るニノ・ロータNINO ROTAのテーマ曲。暗くて甘いこの映画音楽はアンチヒーローの若者の心情をみごとにあらわしていました。

この「太陽がいっぱい」という邦題は、日本で公開の数年前から言われていた“太陽族”あるいは“太陽の季節”に合わせたものではなく、ほぼ直訳。ただ、太陽がいっぱい、つまり複数あるという意味ではなく、太陽の光をいっぱいに浴びて満たされているというような意味。まさにラストシーンで、完全犯罪を成功させたと思ってデッキチェアに座り完全犯罪を成し遂げた満足感に酔いしれる主人公の心境。

とにかくフランスと日本の“太陽”が偶然に重なったというわけ。

その翌年に公開され、やはり印象的なテーマミュージックを聴かせてくれたのが「太陽はひとりぼっち」L'ECLISSE
こちらはイタリア・フランスの合作映画で監督はアンチ・ストーリーのミケランジェロ・アントニオーニ。主演はこれまたアラン・ドロンとモニカ・ヴィッティ

アントニオー二の映画はある種難解映画で、ストーリーを追ったり、セリフや映像から意味を探ろうとするとワケがわからなくなる映画。ただ、よくいわれる“疎外感”“不毛の愛”という概念はよく伝わってきます。
原題のエクリッセは「失墜」とか「失敗」という意味で、アラン・ドロン主演でもあり多分に“太陽ブーム”を意識した邦題かもしれません。ただ原題には「日蝕」という意味もあり、まるで太陽と無関係でもなさそう。

まぁ、そんなことで内容的にも「太陽はひとりぼっち」は「太陽がいっぱい」ほど一般受けはしませんでした。
にもかかわらずこの映画が記憶に残っているのは、その主題歌のせいかも。

主題歌L'ECLISSE TWISTの作詞・作曲は「情事」他アントニオーニの映画音楽を担当しているジョヴァンニ・フスコGIOVANNI FUSCO。ただ作詞はアントニオー二と書かれている資料も。シンガーはミーナMINA が知られていますが、映画の中でも彼女がうたっていたのかどうかは不明。映画の原題にツイストを付け加えたのでもわかるとおり、この時期欧米ではツイストブーム。主題歌も軽快なダンスミュージックに仕立てられています。
日本では園まりがカヴァー。

そして、その流行のツイストを主題歌に使ったイタリアの“太陽映画”が翌年、つまり1961年にも。
それが、カトリーヌ・スパークが主演した「太陽の下の18才」DICIOTTENNI AL SOLE。これは観ていないので詳細はわかりませんが、青春映画とのこと。なお、邦題は直訳だそうです。
主題歌の邦題は映画のタイトルどおり「太陽の下の18才」あるいは「サンライト・ツイスト」ですが、原題はGO-KART TWIST。イタリアのポップシンガー、ジャンニ・モランディGIANNI MORANDIが歌いました。日本では木の実ナナ伊藤アイコがカヴァー。

作曲はエンニオ・モリコーネENNIO MORRICONE 。彼はのちに「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「ニュー・シネマ・パラダイス」も手がけますし、「荒野の用心棒」他多くのマカロニウエスタンの音楽も担当しています。まさに天才。

ほかでは、その少し後にメルナ・メルクーリが出演した「太陽は傷だらけ」と「太陽が目にしみる」、あるいはスウェーデン映画の「太陽のかけら」など印象的なスクリーン・ミュージックがありました。ただ、いずれも原題は“太陽”とは無関係のよう。


とにかく第二次世界大戦終結後の1940年代半ばから、50年代そして60年代にかけて、ヨーロッパ映画には活気がありました。
そしてその頃はまた映画音楽の名作がいくつも世に出た時代でもありました。そして名優たちが演じた映像と共に忘れがたい映画音楽が流れていたのです。

フランスならば「女と男のいる舗道」「シェルブールの雨傘」(ミシェル・ルグランMICHEL LEGRAND) 、「男と女」「白い恋人たち」「雨の訪問者」フランシス・レイFRANCIS LAI
)など。
イタリアならば「道」「カビリアの夜」「若者のすべて」「ロミオとジュリエット」(いずれもニノ・ロータ)、そして「鉄道員」「誘惑されて棄てられて」「刑事/死ぬほど愛して」
「ブーベの恋人」
カルロ・ルスティケリCARLO RUSTICHELLI)など。

それにしてもあの頃はよく映画を観てました。よくそんな時間があったな、と思うほど。
まぁ、パソコンもTSUTAYAもなかったし。
それがいまや年間に何本観るかって程度。今年はまだゼロ。お盆休みにでも避暑がてら冷房のきいた映画館でも行ってみるかな。なんか面白い映画ありませんか?


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コメント 2

Mashi☆Toshi

太陽はひとりぼっち・・・内容が難しく、また音楽も地味ということで、ヘラルド映画の担当者が頭を抱え、なんとか日本ウケするような音楽をつけようと、ある企てをしたんだそうです。
白羽の矢が立てられたのは、当時ナンバーワンのピアニスト兼アレンジャーの寺岡真三氏。
アルトサックスがツイストのリズムに乗ってむせび泣く、あの曲が作られた・・・コレット(岡)テンピア(寺)楽団と名付けられた「にわかバンド」の演奏が、あの映画にダビングされた・・・という説が有力なんですが・・・。
by Mashi☆Toshi (2008-07-19 20:09) 

MOMO

へえ、そうなんですか。
当時そういうことはしばしばあったとは聞いていましたが。
どの程度までやったのでしょうか。まさかあのメインテーマの作曲まで? 

ありえない話ではないかも。
大橋巨泉が「日本のレスター・ヤング」と評したテナーの尾田悟さんもずいぶん外国映画のゴースト・ライターをやったそうで、嘘か誠か「女と男のいる舗道」までそうだと何かで読んだ記憶があります。
by MOMO (2008-07-19 22:58) 

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