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その名は●渡辺さん [the name]

渡辺さん.jpg

♪ 今日は渡辺さんの 結婚式だから
  うちのお父さんが 仲人で
  めでたいめでたい 鯛のおかしら付き
  酒は飲め飲め 花嫁さん
  膝をくずし お皿たたいて 歌をうなれば お父さん
  にっこり笑う にっこり笑う 明日天気になあれ
(「うちのお父さん」詞、曲、歌:南こうせつとかぐや姫、昭和49年)

「うちのお父さん」南こうせつとかぐや姫の4枚目のLP「三階建の詩」の一曲。沖縄テイストの入ったサウンドに、まるでサザエさん一家を思わせる素朴な歌詞。その中にでてくるのが「渡辺」さん。

渡辺さん。ナベちゃん。
学生時代や昔の職場をふりかえると何人かいました。

高校時代の先輩にもいたなぁ。
ハンサムボーイでナルシストで、フェミニストで。自称モテまくり。
「先輩、女の娘の落とし方教えてくださいよ」
というと、真顔になって、
「よく聞いとけよ。まずこうやってな……」
と仮想の相手に強い視線をおくってみせる。いまでいう眼力ってやつ。
「ホンマカイナ」
というのがわれわれ拝聴していた後輩どもの感想だった。

後年、「男はつらいよ」の寅さんが義弟のひろしに恋愛術を伝授しているときに、同じような目つきをするシーンを観たとき渡辺先輩を思い出し、大いに笑った。

そんな「渡辺さん」だが、これまた多い苗字で、「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」に次いで全国5番目。

「渡辺」とは渡部の表記もある(ワタベあるいはワタブと読むことも)。渡邊あるいは渡邉と表記する人もいる。
いずれにしても重要なのは「渡」で、その名のとおり船で人や物を運ぶ、“渡し”のこと。
「部」は今でいう官職で、橋などない時代“渡り”は重要な仕事だった。そうした仕事に携わる人たちが「渡部」と名乗ったのだ。
「渡辺」の方は、そうした“渡り”のある辺りに住み着いた人たちが名乗ったのだとか。

また「渡辺」は嵯峨天皇につながるといわれるたいへんな名前。
嵯峨天皇が「源(みなもと)」の苗字を与えたという嵯峨源氏のひとつだそうだ。
嵯峨源氏の皇子・融(とおる)が源姓をたまわり、その曾孫にあたる綱(つな)が摂津国西成郡渡辺に移住して「渡辺」姓を名乗った。かの酒呑童子や鬼退治をした渡辺綱(わたなべのつな)である。摂津国の渡辺は現在の大阪市内、天満橋南詰あたりと言われている。
そこが渡辺姓の源で、そこから全国へ散らばり広まったとも。

そんな由緒正しき「渡辺」さんを音楽の世界で探してみましょう。では古い(失礼)順に。

戦前の美人シンガーの双璧が李香蘭渡辺はま子
渡辺はま子はエキゾチックな顔つきで、「何日君再来」(ホーリン・ツェン・ツァイライ)や「蘇州夜曲」といった異国情緒(漢字に直しただけですが)にあふれる歌をヒットさせた。
昭和11年3月に発売された彼女の歌が話題になった。

それが「忘れちゃいやよ」で、エロいということで発売禁止になったのだ。
歌詞の1~3番の各終わりが♪忘れちゃいやよ 忘れないでね になっている。この部分がひっかかった。いまならなんで? ということになるが(当時でも発禁になるほどかな)。

今聴いてみると「忘れちゃいやよ」のところは、大袈裟にいうと「わすれちいやぁんよ」と色っぽくうたっている。色っぽい、ただそれだけなのだが、時代かなぁ……。
まあ、その少し前に世情騒然とした2・26事件があったし、「こんなときに何だ!」と軍人あたりがクレームをつけたのでしょう。

彼女、武蔵野音学学校を出て音楽の教師をしていたというから大変身。
軍歌に抵抗はなくはないですが、古関裕而作曲の「愛国の花」なんて、美しいメロディーの歌もうたっていましたっけ。

そんな渡辺さん、戦後になってまたまた世情を揺るがす歌をうたうことになる。
昭和27年に宇都美清とのデュエット「ああ、モンテンルパの夜は更けて」が大ヒット。実はこの歌、フィリピンモンテンルパの刑務所に戦犯として収容されていた死刑囚2人が作詞作曲した歌なのである。

100人以上の捕虜の中には無実の人間もいたということで、社会的な問題となった。渡辺はま子が現地へ慰問に行ったり、日本から大量の釈放嘆願書が届けられたりと運動の輪がひろがり(政治家、政党も動いたのだろう)、翌年ついにはフィリピン政府を動かし捕虜全員を帰国させる決定がなされた。

“歌が命を救った”ということで、いまだに語られるストーリーである。

戦争から7年8年経っても、その爪痕は至る所に残っていたのである。
昭和も30年代になるとようやく「もはや戦後ではない」と言われはじめる。
そんな頃に登場したのが「東京ドドンパ娘」渡辺マリ

浦和市(現さいたま市)出身の渡辺マリは、ラジオのノド自慢番組で注目され、見砂直照に師事し、彼の楽団キューバン・ボーイズの専属歌手として修行。昭和35年競作の洋楽「悲しき六十才」でデビュー。「東京ドドンパ娘」は2枚目のシングル。ハスキーヴォイスで江利チエミ二世といわれた。

その少しあとに、テレビの司会や映画そしてポップ歌手として人気だっのが渡辺トモ子
その従姉妹でやはり「ダンケシェーン」などのカヴァーポップスをうたっていたのがのちの黛ジュンこと渡辺順子
「恋のハレルヤ」で再?デビューしたときは当時ブームになっていたミニスカが印象的で、いまでもときどきTVでその美脚?を披露してくれている。

昭和50年代では♪現在 過去 未来 と英文法みたいな歌詞が新鮮だった「迷い道」でシンガーソングライター渡辺真知子が登場。
また俳優の渡辺徹「約束」をヒットさせている。

60年代になると渡辺美里がコムロサウンド、「My Revolution」マイ・レボルーションで西武球場を満員に。
そのほかにも女優の渡辺典子、おニャン子の渡辺美奈代、渡辺満里奈がいるが、CDは聴いたことがない。

またジャズなら渡辺貞夫渡辺香津美

いまのJポップは知らないけれど、これだけ多い苗字なので渡辺某がいるのでは。
渡辺はま子から渡辺美里まで、音楽の世界でも「渡辺」の数は多いが、最もビッグネームの「渡辺」といえば、やはり「ナベプロ」こと渡辺プロダクションの創立者、故・渡辺晋とその夫人で現在の会長・渡辺美佐の二人だろう。

そして今一番旬の「渡辺」といえば、「世界のナベアツ」こと芸人の渡辺鐘(あつむ)だろう。「3の倍数でアホになり……」で大ブレイク。ファンに「相方はどうするの?」と余計な心配までさせ、現在テレビに引っ張りだこ(なんて、いまどき言わないか?)。

最近はあの手この手でヴァリエーションをつくっているけど、ビヨンセの渡辺直美ともども正直飽きました。あの芸でもたすのはツラい。本人がいちばん承知しているのだと思う。でも、TV関係者はナベアツがこの先どうなるかなんてこと考えてないから、「ヤレ!ヤレ!」一辺倒。気の毒。

近来希に見る素晴らしくフツーの顔をしているので、役者になってもらいたい。そしてフツーの人の役柄を演じてもらいたい。名バイプレイヤーになること間違いなしと思うのだけど。


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trefoglinefan

「愛国の花」は軍歌とかそういうのを超えて、今でも愛されている歌だと思います。

by trefoglinefan (2008-06-28 08:53) 

MOMO

trefoglinefanさん、こんにちは。

この歌のファンは多いですね。
まさに「名曲」だと思います。
by MOMO (2008-07-02 21:24) 

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