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その名は●中村くん [the name]

中村雅俊.jpg

♪ おーい中村君 ちょいと待ちたまえ
  いかに新婚 ほやほやだとて
  伝書鳩でも あるまいものを
  昔なじみの 二人じゃないか
  たまにゃつきあえ いいじゃないか 中村君
(「おーい中村君」詞:矢野亮、曲:中野忠晴、歌:若原一郎、昭和33年)


大胆というか冒険というか、だいたい流行歌の登場人物は男であれ女であれ名無しの権兵衛。たまに姓名が出てくるけれど、だいたいは苗字ではなく名前のほう。「江梨子」だったり「ごめんねジロー」だったり「サチオ君」だったり。

それが“苗字”を出して、さらにタイトルにまでしてしまうのだから画期的。それがサラリーマンソング「おーい中村君」。ある意味氏名限定ソング。同姓の中村君、中村さん以外の人には興味がないかもしれないし、その中村君が煙ったいヤツだったら、そんな歌聴くのもいや。

その「中村」、日本の苗字で8番目に多いといわれる。ちなみにベスト3は「佐藤」「鈴木」「高橋」だそうだ。

余談だが、苗字というのはだいたいが地名から生まれる(そのほか職業等からつけられるものもあるが)。つまり田、野、山、川、谷などの地形から田中、野口、山本、川上、大谷などという地名が生まれ、そこに住み着いた人がその地名を苗字とするわけだ。
同様に、中村という地名に住んでいた人が中村姓を名乗ることが多くなる。ではその地名はというと、村(群れ=人の集まる所)の中心で中村ということ。

で昭和33年、流行歌をつくるときなぜ中村だったのか。当時、話題になった中村某がいたのだろうか。東映時代劇の中村錦之介ぐらいしか思い浮かばないが……。

まぁ、歌の制作スタッフや作詞家の友達に「中村くん」がいた、そんな類の動機だったのかもしれない。それほど、よくきく苗字ではあった。

これが意外や意外の大ヒット。
歌の冒頭から「おーい、中村君」と呼びかける構成がまたインパクトが強く、子供までがそのフレーズを覚えてしまったほど。全国の「中村くん」が「オーイ!」と呼ばれ、ジョークのネタになったことは充分推測できる。
当時、松竹の看板監督のひとりだった中村登は、街のあちこちから自分の名前が呼ばれるのに嫌気がさし、レコード会社の知人に「発売禁止にしてくれ」と言ったとか。

あまりのヒットに気をよくしたキングレコード、「おーい中村君」の作詞作曲家でアンサーソングを作ってしまった。それがやはり若原一郎が歌った「あいよなんだい三郎君」

ここではじめて、「おーい中村くん」と呼びかけた同僚が「三郎君」だということがわかる。中村君は新婚生活の楽しさを語り、独身の三郎君に「仲人をしてやるから、結婚したらどうだ」とすすめたりして。
しかし、こちらは「おーい中村君」ほどのヒットにはならなかった。若原一郎はその後、別の作家で「あれからどうした中村君」を出したがさっぱりだったとか。

アンサーソングといえば、昭和20年代の「上海帰りのリル」(津村謙)の場合は「リルを探してくれないか」「私がリルよ」など数曲が出てきたし、昭和50年代の「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(ダウンタウン・ブギウギ・バンド)にも「帰ってきた港のヨーコ」があった。

だいたいアンサーソングはヒットしたためしがく、本歌のネタばらしとか新解釈という形が多く、イキじゃない。

それではシンガーの「中村」さんを。
まぁヒット曲の多さからいうと俳優の中村雅俊
いちばんはじめのヒット曲は昭和49年の「ふれあい」いずみたくらしい甘い曲、そのあとの拓郎「いつか街であったら」あたりは素朴でいい感じ。「心の色」あたりになると洗練されてきたというか、地方から出た来た好青年もすっかり都会になじんできた様子。大津あきらの詞がなかなか。
「恋人も濡れる街角」桑田佳祐らしいメロディーラインで好きだったけど、あの歌い方が……。ロッカーの影響だよね。今のJポップではいないのかな、日本語を英語っぽくうたう歌い方。以前、「あれは俺が初めてやったんだ」ってジョニー大倉がテレビで言っていた。そしたらある本でディック・ミネが「あんなの戦前から俺がやってたよ」だって。

女性では中村晃子
GS時代のガールポップス。というか歌謡ポップスかな。まぁGSそのものが歌謡ポップスといえばいえるので、とにかくそんな感じ。
このブログでも何度かふれたけど、「虹色の湖」にはじまって「涙の森の物語」「砂の十字架」「北国の慕情」と懐かしいサウンド。のちにカヴァー曲の「甘い囁き」「恋の綱渡り」の中ヒットもあった。
はじめは女優だったけど、「虹色の湖」のヒットですっかり歌手に。

ポップス系では中村あゆみも。「翼の折れたエンジェル」がヒットしたのは昭和60年(1985)。いまでもときどきナツメロ番組に出ている。

演歌では「河内おとこ節」中村美津子
歌はうまいし、気さくでスター性充分なんだけどどうしてもあのヘアスタイルがかつての都はるみとかぶる。エピゴーネンとはいわないけれど、後発の不利は否めない。

いまだったら「友達の詩」中村中。“癒し系”はあまり得意じゃないけれど、いいよね彼女。中島みゆきをポップにしたような感じでね。歌も上手だし声も好きだな。その声といい歌い方といい、誰かに似てるんだけど思い出せない。

平成のポップスでは中村一義「セブンスター」「再会」は聴いたことがある。いまは100sというバンドで活動中とか。
ほかでは、JAYWALKのヴォーカルが中村耕二。和製のボサノヴァを聴かせてくれる中村善郎もいる。

ちあきなおみ「喝采」細川たかし「心のこり」で知られる作曲家中村泰士。かつては美川鯛二という名のロカビリアンだった。作曲家といえばかの中村八大もシンガーとして自作の「太陽と水と土を」を吹き込んでいる。
また、中村メイコトリロー(三木鶏郎)メロディーをいくつか歌っている。懐かしい「田舎のバス」は子どもの頃兄哥連が歌っていたっけ。
♪田舎のバスは オンボロぐるま
なんて、「馬鹿にすんな!」のクレームでうたわなくなってしまったのかも。

ところで「おーい、中村君」の歌詞に出てくる“伝書鳩”。これまた時代を感じさせる言葉。いまからちょうど50年前で、もちろんインターネットはもちろん、ファクシミリなどもない時代。
当時、どこの新聞社もその社屋の屋上にたくさんの鳩を飼っていた。それが伝書鳩。鳩の帰巣本能を利用して、記者が取材のため地方へ行く時などその鳩を持って行くのだ。そして、急ぎの原稿やマイクロ写真を鳩の足管につけたり、背中に背負わせたりして本社へ向けて飛ばすのだ。
時代の最先端をいくマスコミがそんなことをやっていた。そんな時代。
その後、通信機器が発達して鳩はお払い箱。ちりぢりになってしまった。今、公園などにいるドバトは、その末裔だとか。


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toty

はじめまして。

いつだったか、歌詞を知りたくて検索した際、
こちらにお邪魔して以来、歌に関するお話を
楽しく拝見しております。

懐かしい名前に混じり、最近の歌にもお詳しいので
いろいろお聞きしたくなります。

名前でくくった最近の話、そうそう、そういう人もいたなと懐かしいです。また、お邪魔させていただきます。
by toty (2008-06-22 18:34) 

MOMO

totyさん、はじめまして。

読んでいただきコメントまでも、ありがとうございます。

詳しくなどないんです。
最近思い出せないことが多く、調べ調べ悪戦苦闘しながら打ち込んでおります。

これからもよろしくお願いいたします。
by MOMO (2008-06-22 22:18) 

Mashi☆Toshi

中村晃子「虹色の湖」
黛ジュン「恋のハレルヤ」
市川染五郎「野バラ咲く路」
いしだあゆみ「太陽は泣いている」
など、「ひとりGS」って呼んでいました。(^^)


by Mashi☆Toshi (2008-06-23 22:47) 

MOMO

Mashi☆Toshiさん、いつもどうもです。

「ひとりGS」って聞いたことがあります。
市川染五郎もそうでしたか。

GSともども、ポップス歌謡前史っていう感じですね。


by MOMO (2008-06-26 22:05) 

ももはは

実家の母の旧姓が『中村』なので、この歌のことはよく聞かされました。しかも、ものすごい音痴バージョン。きっとちゃんとしたリズムがありメロディーがあるのでしょうが、私はこの歌詞を見ると、母の音痴な歌が頭の中を駆け巡ります。NHKでリクエストすればかけてくれるかな、一回もと歌を聴きたいです。
by ももはは (2008-06-27 05:54) 

MOMO

ももははさん、こんばんは。

若原一郎が健在なら、ナツメロ番組にでも出てくるでしょうが。
あれほど一世を風靡した歌も忘れられていくんですね。

そうですね、もはやNHKのそれもラジオでしょうね、こういう歌を放送するのは。
音痴は遺伝しないでしょうが、ももははさんは大丈夫ですか。
by MOMO (2008-06-28 21:13) 

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