SSブログ

波止場②海の掟 [a landscape]

赤木圭一郎.jpg

♪ 俺のことなら 忘れなよ
  赤い星ふる 第三波止場
  海の男の きびしい掟
  銅鑼に消される 恋なんだ
(「海の掟」詞:水木かおる、曲:藤原秀行、歌:赤木圭一郎、昭和35年)

「波止場」と聞くとどうしても思い起こしてしまうのが映画のシーン。

1954年に作られたエリア・カザンELIA KAZAN監督の「波止場」On the waterfrontも波止場ではたらく港湾労働者を描いた名作だった。作品賞、監督賞そして若きマーロン・ブランドMARLON BRANDO の主演男優賞をはじめアカデミー7部門を受賞。満身創痍の主人公が家へ帰っていき、その後ろから彼を支持する多くの労働者が従っていくラストシーンは感動的だった。

それもそうだが、もっと「波止場」のイメージがその匂いとともに浮かび上がってくるのが「日活アクション」

「日活アクション」どころか「日活」そのものが「それって何?」になってしまっている昨今、諸先輩方の顰面を感じつつ少々説明を。

「日活」とは映画制作会社で、映画最盛期の昭和30年代には「東映」「大映」「松竹」「東宝」とメジャーの制作会社5社(新東宝を含めた6社の時期も)で多くの劇場用映画作品を作り続けた。
各映画会社にはそれぞれカラーがあった。たとえば東映は時代劇、のちにはヤクザ映画、松竹なら女性文芸路線など。
そんななかで昭和30年代の日活は吉永小百合に代表される青春ものとアクション路線を得意とした。

そのアクションものが「日活アクション」と呼ばれたのだが。そのきっかけは石原裕次郎の登場によって。裕次郎の主演映画第一作は昭和31年の「太陽の季節」だが、アクションスタイルの萌芽は翌年の「俺は待ってるぜ」あたりから。

その「俺は待ってるぜ」も波止場を舞台にしたストーリーで、その後、日活アクションに「波止場」は欠かせないロケーションとなっていく。

密輸や犯罪のにおいの立ちこめる港町。老舗産業と新興暴力団。流れ着いた謎の男と地元の娘。そしてキャバレー、ホステス、裏切り、喧嘩、拳銃、正義、解明などというキーワードであらわされるストーリーが展開され、ラストは波止場での男たちの抗争と、惚れて惚れられた娘との別れのシーン。
なんで別れなけりゃならないのか、と問われれば、それでなくてはヒーローのカッコがつかないから、と答えるしかない。
いずれにしろ、これが日活アクションのステロタイプ。

蔵原惟善監督のデビュー作でもあった「俺は待ってるぜ」は興行的にも好成績となったが、裕次郎がうたった主題歌もまたヒットした。その出だしは、
♪霧が流れて むせぶよな波止場
だった。

裕次郎とともに日活アクションを背負った看板スターといえば小林旭。裕次郎の“タフガイ”に対して“マイトガイ”という愛称があった。
そのアキラの代表作といえば無国籍映画「渡り鳥シリーズ」。

これも勧善懲悪、恋愛付きヒーローもので、西部劇を思わせるような、馬や馬車、あるいは農場、コルト、ライフルなどが出てきたり。

その第一作となったのが「ギターを持った渡り鳥」
♪別れ波止場の 止まり木の 夢よさよなら 渡り鳥
と、その主題歌の中にもやはり「波止場」が出てくる。

実を言うと、裕次郎もアキラもリアルタイムで見たわけではない。
わたしのリアルタイムの日活アクションといえば、末期の渡哲也。そこから遡って全盛期の日活アクションを観ていったというわけ。

そういうなかで、たしかに、裕次郎やアキラはイカしてた。しかし、それ以上、ダントツにカッコよかったのが赤木圭一郎(今観てもカッコいい)。愛称はトニー

夭折したからというのではなく、その顔立ち、スタイル、身のこなし、セリフ、どれをとってもヒーローで、まさに“ミスター日活アクション”という感じだった。それはすなわち、もっとも「波止場」の似合うアクターだったということ。

トニーが生きていたら、どういう俳優になっていったのか、という興味はあるが、“永遠の21才”というのも、老いて失われるものがないのだから、それはそれで羨ましい。

わずか1年余りのあいだに10数本の映画の主演をこなし、その主題歌をうたった。そのなかで最も知られているのが「霧笛が俺を呼んでいる」。その冒頭には、
♪霧の波止場に 帰ってきたが 待っていたのは 悲しいうわさ
と、お決まりの「波止場」が出てくる。

そして上に歌詞をのせた「海の掟」。これは「拳銃無頼帖」シリーズの3作目、「不敵に笑う男」の挿入歌。

♪赤い星降る 第三波止場
第一でも第二でもなく、第三波止場でなくてはいけない。このフレーズを聴いただけでフィルムノワールの一場面が浮かんでくるほど。

そしてもうひとつ「激流に生きる男」にも。
この映画は当初、裕次郎で企画されていたが、ケガのためにトニーが代役となった。しかしケチのついた作品はどこまでも不吉で、トニーはその撮影中に事故死してしまう。残されたのは早めにレコーディングした主題歌だけ。

♪風に泣いてる 波止場の鷗 何故に昔を 呼び返す
これが歌としてもトニーの最後の作品となった。

なお映画「激流に生きる男」はその後、高橋英樹の主演によって作られている。

そうそう赤木圭一郎の愛称“トニー”は、当時のアメリカの人気俳優トニー・カーチスに似ていたからだとか。断然トニーのほうがカッコいいと思うのだけれど。どっちの?
ただ決してトニー谷に似てたからでないことは間違いない。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。