波止場①波止場だよお父っつあん [a landscape]
♪ 白髪めっきり ふえたけど
ホラ 縞のジャケツは まだ似合う
せめてあたいが 男なら
親子二代の マドロスなのに
泣けて 泣けて 泣けてきちゃった
……ねえ お父っつあん
(「波止場だよお父っつあん」詞:西沢爽、曲:船村徹、歌:美空ひばり、昭和31年)
またまた美空ひばり。
「波止場」というのは、まだ死語廃語にはなっていないと思うが、文字どおり波を止めて船を接岸させる場所のこと。つまり港の一部で、通常海に突き出ている。埠頭ともいうが、こちらもあまり聞かなくなった。
桟橋も似たような設備だが、波止場というと土やコンクリートで固められてしっかりしているが、桟橋は鉄材や木材でつくった簡易的なものという違いが。
港が多くうたわれた昭和30年代、こうした「波止場」、「埠頭」、「桟橋」もよく耳にした。
その多くは“別れの場所”としてうたわたのだが。
美空ひばりの「波止場だよお父っつあん」は、男女の別れではなく、昔船乗りだった父親の手を引いて、その娘が懐かしい港を案内するというストーリー。
父親は盲目だが、その汐の匂いや汽笛の音で過ぎし日を懐古する。
上にのせた歌詞は3番だが、1番に盲目の俗的な言い方があるため、テレビやラジオではあまり放送されない。
その歌詞には、「波止場」はもちろん、「古い錨」、「マドロス」、「岬」、「船」、「汽笛」、「港」、「マスト」、「縞のジャケツ」と港をしのばせることばがふんだん。
「ジャケツ」とはジャケットつまり上着のことで、同じく美空ひばりの「ひばりのマドロスさん」(昭和29年)にも、
♪縞のジャケツのマドロスさんは
と出てくる。
「お父っつあん」というのは江戸言葉で、父親の「ちち」が訛った「とと」に敬称の「お」と「さま」がついた「おととさま」がさらにくだけたもの。江戸だけでなく関西でもつかわれていたという説もある。
その江戸言葉「おとっつあん」は昭和30年代でもまだ生きていた。とりわけ下町ではしばしば耳にした。
もっとも、これはある程度成長した子供が父親に対して言う言葉で、年端のいかない子供は「ちゃん」と言った。
父親の「お父っつあん」に対して母親の江戸言葉は「おっ母(か)さん」となる。東京では明治末期まではこの言葉が普通だった。
島倉千代子に「東京だよおっ母さん」(昭和32年)があり、やはり昭和30年代にその言葉が“生存”していたことを裏付けている。
波止場の歌。
美空ひばりにはほかに、やはり船村・西沢コンビの「ある波止場の物語」、そして船村徹作曲の「哀愁波止場」がある。
とにかく題名に「波止場」がつく歌は多く、昭和30年代にヒットしたいくつかをあげてみると、
「あの娘が泣いてる波止場」三橋美智也
「未練の波止場」松山恵子
「別れの波止場」春日八郎
「波止場気質」藤島桓夫(オリジナルは昭和13年の上原敏)
昭和40年代以降では、森進一の「女の波止場」、「波止場女のブルース」や森晶子の「波止場通り なみだ町」、石川さゆりの「波止場しぐれ」などが。
また桟橋は大津美子の「白い桟橋」があり、やはり40年代以降では森進一の「雨の桟橋」森晶子の「なみだの桟橋」がある。
そのほか、桟橋という歌詞が出てくる歌には「他人船」(三船和子)、「せんせい」(森晶子)、「女の港」(大月みやこ)があり、上田正樹の「悲しい色やね」にも、
♪桟橋に停めた車にもたれて
と出てくる。
「埠頭」もありそうだが、これがなかなかない。
すぐに思い浮かぶのは松任谷由実の「埠頭をわたる風」。
戦前の歌では岡晴夫の「港シャンソン」「広東の花売り娘」に埠頭(バンド)という言葉が出てくる。
ところで波止場ソングには欠かせないマドロスのファッションだが、上の歌詞にある“縞のジャケツ”だが、そういう船乗りのイメージがない。
たしかにボーダーのイメージはあるが、それはシャツ(Tシャツ)。そのへんのアバウトさが歌謡曲のおもしろさかもしれない。
ただ縞のジャケツにしろ、縞のシャツにしろ、あくまでイメージの世界であって、その当時の船乗りの多くが、そうしたいでたちをしていたわけではないのだが。
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