湖②高原列車は行く [a landscape]
♪ 峠を越えれば 夢見るような
五色の湖 飛び交う小鳥
汽笛も二人の しあわせうたう
山越え谷越え はるばると
ララララ…… 高原列車は
ラララララ 行くよ
(「高原列車は行く」詞:丘灯至夫、曲:古関裕而、歌:岡本敦郎、昭和29年)
すべてではないが、歌謡曲とか流行歌の多くはラヴソングであり、そのまた多くはトーチソングや失恋ソング。これは日本だけの話ではなく、外国のポップスもそう。多分。
たとえば、戦争中ヒットした「湖畔の宿」も、失恋した女性がセンチメンタルジャーニーの途中、湖畔の旅館で想い出の手紙を焼くという、なんとも切ないストーリー。歌謡曲の典型。
しかし、流行歌はほかの大衆文化と同じく時代を映す鏡でも。
時代によっては歌謡曲の本流であるネガティヴな気持ちを押し流して傍流が表立ってくることも。
それがまさに終戦後の一時期。
軍国主義の暗く重い時代から解放された人々は明るい歌、前向きな歌を“リクエスト”する。
その第一声が♪赤いりんごに くちびるよせて という「リンゴの歌」(並木路子)だったり「愛のスイング」(池真理子)だったり、「青春のパラダイス」(岡晴夫)だったり(いずれも昭和21年発売)。
翌22年からは笠置シヅ子によるブギセンセーションがはじまる。
そして24年には当時の多くの若者の気分を代表するような歌、「青い山脈」(藤山一郎、奈良光枝)が。
♪古い上衣よさようなら さみしい夢よさようなら
とまさに、戦前の暗い青春との決別をうたっている。
もちろんこういうポジティヴな歌ばかりではない。そこは歌謡曲、♪あの娘可愛いや カンカン娘(銀座カンカン娘/高峰秀子) というウカレ節の陰では「星の流れに」(菊池章子)、「夜のプラットホーム」(二葉あき子)あるいは「君待てども」(平野愛子)といった“本流”が絶えず流れていたことはあらためてことわるべくもない。
そういう時代に「湖」はどう歌われていたのか。
やはり明るく前向きな“青春謳歌”があった。
「高原列車は行く」(岡本敦郎)もずいぶん人々にうたわれた。
わたしがものごころつく頃は、かの歌が世に出てもはや10年は過ぎていたが、それでも耳に残っている。ただしそれは、1番♪汽車の窓から ハンケチふれば 牧場の乙女が 花束投げる の替え歌で♪汽車の窓からフンドシふれば 牧場の乙女がハナクソ投げる という、子どもらしいアホアホの替え歌。
とにかくこの歌では新婚か婚前かは知らないが、カップルの旅行がうたわれている。「湖畔の宿」のようなひとり旅ではない。
そこに出て来る「五色の湖」はまさに、まさにウキウキな二人のカラフルに彩られた未来を象徴している。
古関裕而はほぼ歌謡曲草創期から活躍した作曲家で、そのクラシックの素養をひめた楽曲は、同時代の古賀政男や服部良一とはまた異なった昭和の歌謡曲をつくりあげた。
純和風の泣き節でもなく、かといってジャジーでもないその作風が権力に利用されたのは不運だった。「空の神軍」、「撃ちてし止まん」「海を征く歌」、「フィリピン沖の決戦」、「女子挺身隊の歌/輝く黒髪」、「突撃喇叭鳴り渡る/一億総決起」など、当時の作曲家の中で最も軍歌を作ったのではないか。
戦後は「長崎の鐘」(藤山一郎)、「君の名は」(織井茂子)「フランチェスカの鐘」(二葉あき子)などのヒット曲をはじめ、高校野球でおなじみの「栄冠は君に輝く」や六大学野球、プロ野球の応援歌をいくつもの名曲を作っている。
岡本敦郎は小樽出身で、大正14年生まれというから83歳。
クラシック畑の出身(昭和20年代まではこういう流行歌手が多かった)。デビューは戦後でNHKラジオ歌謡の「朝はどこから」。その歌唱法から立ち居振る舞いまで一貫して清潔感がただよう。それだけにうたう楽曲が限られてしまったのは幸か不幸か。
現役で時々ナツメロ番組に登場する。そこでよく歌うのが「高原列車は行く」と「白い花の咲く頃」。
その岡本敦郎にもう一曲、「湖」が出て来る歌がある。
昭和31年の「自転車旅行」で、2番に♪青い湖ひとめぐり 白いヨットがめにしみる とある。
これは二人旅どころか、数人のツーリングでの青春謳歌。ブラボー、ブラボーという掛け声が入ってノリノリウキウキ。
当時、サイクリングが小ブームになったようで、翌年にはヤッホー、ヤッホーというフレーズとともに「青春サイクリング」(小坂一也)がヒットした。
このように「湖」は明るく輝いていた。それはすなわち、人々そして日本の未来への希望を映し出していた
時はまさに昭和30年代へ。
『もはや戦後ではない』(それでも町々には防空壕の残骸や傷痍軍人の姿があった)という流行語に象徴されるように、日本は急激な復興をとげていた。つまり明るい「湖」への期待は実感を伴うものだったのだろう。
しかし、歌謡曲は歌謡曲、日本人は日本人。
その本流であるペーソス、哀愁、悲しみといった「暗さ」はいつの時代(幸福な時)でもわれわれが求めるもの。そして求めればそれはすぐに現れるのである。
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