『サンバ』 [noisy life]
♪ …………
あの町 この町 日が暮れて
あの人 この人 ウェディングベル
花の咲くのは これからなのに
蕾のままで いいわというの
ちょっと ちょっと 待ってよ ちょっと
あわてないで お嫁サンバ
女はいつも ミステリー
行かないで お嫁サンバ
一人のものにならないで
あーああ あーああ それが大事だよ
123バ 223バ
お嫁 お嫁 お嫁サンバ
(「お嫁サンバ」詞:三浦徳子、曲:小杉保夫、曲:郷ひろみ、詞56年)
お正月 なにはともあれ おめでたい
というわけで、いまだに正月気分のぬけない1月7日。街はどことなくまだ賑やかしい。
賑やかしい音楽、リズムといえば「サンバ」。
本場リオはもちろん、浅草でもカーニバルには欠かせないリズム。
サンバの出生地はブラジル。元は地方のダンスミュージックで、それがリオでサンバとして確立されたのが19世紀後半といいますから、それほど古いものではありません。特徴は二拍子でくり返される激しい打楽器のリズム。カーニバルなどで見られるあの激しいリズムと陽気な踊りは、しばしばネアカ(古い!)の象徴で“ラテン系”などと称されます。しかし、専門家に言わせると、あの激しさは差別されたり虐げられている人々が悲しみを忘れるため、だそうです。
サンバが世界的な音楽になったのは、その発信地がブラジルからアメリカへ移ったことによって。そのひとりがブラジルのディーバ、カルメン・ミランダCARMEN MIRANDA。
1929年20歳でデビューしたカルメン・ミランダがスカウトされアメリカへ渡ったのが39年。そこで故郷ブラジルのサンバをはじめ、ジャズなど多くの歌を録音し、また10数本の映画に出演します。それほど、インパクトのある容姿であり歌声だったのです。
彼女の「彼女は待っている」DIZ QUE TEMや「ハートがチックタック」TIC-TAC DO MEU CORAÇÃOや「ハロー・ハロー」ALÔ ALÔ、「サウス・アメリカン・ウェイ」SOUTH AMERICAN WAYなどを聴くとサンバの魅力が伝わってきます。
もちろんラテン大好きの日本人もサンバが大好き。それに、なぜか和製サンバは数の割りにはヒット曲が多くぶどまりが良いのです。
古いところでは昭和28年の「春のサンバ」(美空ひばり)。春が来る歓びを歌っています。リズムは偽りなしのサンバ。30年代はマンボやルンバ。
40年代になると森山良子とズー・ニー・ブーの「雨上がりのサンバ」が。「イパネマの娘」を思わせるサンバというよりボサノヴァ風の歌。そして大ヒットした「別れのサンバ」(長谷川きよし)。彼のギターの弾き語りをコピーしたファンもいたはず。もうひとつ忘れてならないのが森山加代子の「白い蝶のサンバ」。早口言葉のような歌詞が印象的でした。そして40年代後半には子供も歌った「てんとう虫のサンバ」(チェリッシュ)。と40年代はまさにサンバづくし。
そしてしばらく鳴りをひそめていましたが50年代に登場したのが「お嫁サンバ」(郷ひろみ)。バカバカしい歌詞がなぜかウケてヒットしました。最近では女優と芸人の結婚式で歌われて話題に。
日本のポップスでサンバサウンドを取り入れている曲はけっこうあります。たとえばポルノグラフィティの「サウダージ」やチューブの「さよならイエスタデイ」。ほかには石川セリの「キ・サ・ラ・恋人」、これもまさにサンバ。
というよりこれらはジプシー・キングスTHE GIPSY KINGS風といったほうがいいのかも。
そして平成の世にでたのがごぞんじ「マツケン・サンバ」(松平健)。キンキラド派手でアナクロチックな衣裳とご陽気ノリノリのサンバ・ダンスで若者にもバカウケ?。まあ、サウダージなどみじんもなくても、“お祭り騒ぎ”もまたサンバの側面であるのなら、それはそれでいいのかもしれません。
サンバにルンバ。むかしトンバというイタリアのスキーヤーがいましたが、それより過去に城卓也歌うところの「トンバで行こう!」という歌謡曲がありました。あのトンバとは何だったのでしょうか。ドドンパの類?
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