その名は●ケメ子 [the name]
♪ きのうケメ子に 会いました
星のきれいな 夜でした
ケメ子と別れた そのあとで
小さな声で いいました
好き 好き
僕はケメ子が 好きなんだ
ララララ……
(「ケメ子の歌」作者不詳、採譜・補作:浜口庫之助、歌:ザ・ダーツ、昭和43年)
何年か前、両親が生まれてきた男の子の名前に「悪魔」とつけて出生届を出したが、受理されなかったというニュースがあった。
「常識の範囲外で、将来いじめの対象ともなりかねない。命名権の逸脱」というのが、所轄の法務局の考え。報道や市民も“親のエゴ”という論調だった。
裁判にまで発展したその結末は、「亜駆」(あく)に変更することで決着。「亜駆」は文字を分解すると「亜 区 馬」だとか。その後、その両親は離婚し、その「亜駆」も改名されたそうだ。
「悪魔」は極端だが、子供の命名には、その親の人柄が現れる。
誰も、自分の子供に「幸福よ来たれ」と思って名前をつけるのだが、それをその段階で当人が了承することはできない。つまり、親のエゴといえばエゴ。
姓名判断の本を読み、辞書と首っ引きで“他の子供とは違うオリジナリティあふれ、かつ画数の良い名前”をとつけてみたら、その年、もっとも多い名前だったりして。
また、悪魔くんではないが、実際とんでもない(本人にとって)名前をつけられてしまい、ものごころつく頃に思い悩む子供だっている。
あきらかにイジメやカラカイの対象になる名前ならば、戸籍を改名することもできるが、その認可や手続きは簡単ではない。
男の子で「ヒモ」「シキマ」、女の子では「カメ」「セミ」という名前が改名を認められたというが、漢字でどう表記しようと、その名前の音感あるいは聞いたときのイメージは決してよいものではなく、やはり命名する親の人格を疑いたくなる。
このカテゴリーを作ったことでもわかるとおり、流行歌には人の名前を冠したもの、歌詞に出てくるものが無数にある。
そんななかで、「そんなヤツいないだろう」と思わせるような奇抜な名前が、上にのせたザ・ダーツの「ケメ子の歌」。アタマのスキャットがニール・セダカNEIL SEDAKAの「可愛いあの娘」NEXT DOOR TO AN ANGEL そのままなことでも知られているGS。
戦前の歌で「茶目子の一日」(平井英子)というのがあったが、ケメ子の「けめ」とは。
たとえば「怪女」とか、「仮女」とか。「君子」の訛りとも。
いずれにしろ、名が体をあらわすのならば、その美貌は期待できない音感。
ところが、このケメ子さん、モテるうえにかなりの猛女。“僕”をいともかんたんに振ってしまうのだ。その断り方が今風の「ゴメンナサイ」(これもなんだか符号化しててコソバユイ)なんてものじゃない。
♪ あなたはかがみを持ってるの はきけをもよおすその顔で
私を好きになるなんて キライ……
「ケメ子の歌」は映画化された。主演のケメ子には当時のアイドル小山ルミが。そりゃ、振られるわなぁ。
ザ・ダーツは京都のバンドで「ケメ子の歌」(これしか知らない)のコミカルな詞は、その前年に大ヒットした「帰ってきたヨッパライ」(フォーク・クルセダーズ)を意識したもの。“ムシ声”を使っているところも同じ。
この「ケメコの歌」はいくつかのバンドにカヴァーされた。また「私がケメ子よ」松平ケメ子 というアンサーソングがでたり、「キナ子の歌」(東京ぼん太)、「ダブ子ちゃん」(Wけんじ)とお笑い界からも参戦組が出て盛り上がった。
カヴァー組のザ・イーグルスは「好きだったペチャ子」をリリースしている。
ケメ子をはじめ、ペチャ子、キナ子、ダブ子などは実際にはあり得ない名前。しかし“異端”があれば正統もある。
この時代のGSには、いかに名前をタイトルにした歌が多かったことか。いくつかあげてみると、
マリアの泉(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)、愛しのジザベル(ゴールデン・カップス)、愛するアニタ(加瀬邦彦とワイルドワンズ)、赤い靴のマリア(加瀬邦彦とワイルドワンズ)、僕のマリー(タイガース)、僕のマリア(ワンダーズ)、いとしいドーチカ(ジェノバ)、帰らなかったケーン(テンプターズ)、バラのエルザ(VIPS)、恋人マミー(クローズ)、愛しのリナ(タックスマン)、赤毛のメリー(ガリバーズ)、恋をしようよジェニー(カーナビーツ)、すてきなエルザ(ライオンズ)、淋しいジェニー(491)、ベラよ急げ(モップス)
マリア、エルザ、ジェニー、あげくの果てがドーチカ……。純和風の良江や和子はどうした!って怒ってはいけない。そういうことが平気だった時代でしたから。
そう考えると「ケメ子」や「ペチャ子」は、そうした“メルヘン・ワールド”に対する、クロスカウンターだったのかもしれない。
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