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冬歌①冬の色 [noisy life]

 

♪ あなたから 許された 口紅の色は
  からたちの 花よりも 薄い匂いです
  口づけも かわさない 清らかな恋は
  他人からは 不自然に 見えるのでしょうか
  いつでもあなたが悲しいときは
  わたしもどこかで泣いてます
  恋する気持に疑いなんて
  入れるすき間はありません
  あなたなら 仲のいい 友だちにさえも
  微笑んで紹介が できるわたしです
(「冬の色」詞・千家和也、曲・都倉俊一、歌・山口百恵、昭和49年)

「冬の色」とはどんな色なのか。人それぞれの映り方はあるでしょうが。
曇り空だったり、雪だったり、葉を落とした街路樹だったり、とにかくモノトーンに近い色。なかにはたき火やストーブあるいはサンタクロースの赤を思い浮かべる人もいなくはないでしょうが。やはり水色だったりベージュだったりと寒色系をイメージする人が多いのでは。

♪ 狭霧消ゆる 湊江の という唱歌の傑作「冬景色」でうたわれている世界も、やはりモノトーンの感じ。

山口百恵はTVのオーディション番組「スター誕生」をパスし、昭和48年5月「としごろ」でデビュー。14歳。
「冬の色」は7枚目のシングル。初めてオリコンチャート1位になった曲。そのジャケットは、およそ15歳の少女とは思えない退廃的な雰囲気が。アイドルたちのジャケット写真といえば、白い歯をのぞかせた清潔感と爽快感が定番。山口百恵のデビュー盤もそう。
彼女が“不機嫌”になったのは5枚目のシングル「ひと夏の経験」から。

その前の「春風のいたずら」と、その表情を比較してみれば“何かあったの?”という想いを抱かされるはず。おそらく、その「ひと夏の経験」から、それ以後の彼女の“路線”が決定されていったのでしょう。

山口百恵については、すぎるほど語られているのでいまさらですが、不思議な歌手でした。
とりたてて歌が上手いわけではなく、かといって驚くほどの美形というわけでもなく。どちらかといえば、暗い過去に裏打ちされたカゲがあったりして。

“山口百恵ブーム”が1970年代という時代の、一側面を現していたことは間違いないでしょう。怒りを発散する時代が終わり、その怒りは内面深く沈殿していき、行く先を捜して彷徨している。今考えれば、そんな印象がありました。

昭和55年10月、33枚のシングルと32枚のアルバムをつくり、21歳で引退。歌手活動は8年未満。

その後の潔さはみごと。元来芸能界と水が合うという人間ではなかったのでしょう。

「冬の色」。
たいへんな歌です。彼氏に口紅まで決められ、浮気をされても平気。さらには殉死まで考えていると。男にとってはまるで玩具かペットかというぐらい都合のいい彼女ともとれます。フェミニストから見たらとんでもない女。

しかし、一昔前、いや二昔、三昔前あたりまでは、こういう女性もめずらしくありませんでした(今でも?)。つまり、男に寄り添わなければ生きていけない女。その原因はもちろん男が作った都合の良い社会に。いちばんの理由は経済的な自立不可。
そういう既成の社会で育った女性が、“心ならず”も我慢と忍耐で男に従っていったのは、ある意味仕方のないこと。

それから数十年経って、働く女性は増え、男女雇用機会均等法も制定され(機会というのがミソ)、一見女性の本音発言の機会も増えたようには感じます。

しかし、ほんとうに男と女は対等にやりあうようになったの? という疑問は。

昨今の若い恋人たちを見ていると、あきらかに女性がリーダーシップを握っているようにみえる。選択権は彼女に、と……。
その反面DVが増えているとも。とくに結婚後のそれは悲惨な結末に終わる場合もあるとか。

まるで、女性が本性をあらわしたことに対して、男どもがうろたえ、それを押さえ込もうと殴る蹴るという行動に出ているようにみえます。
この“体力差”はいかんともしがたい。もし、日本でもアメリカ並みに銃の携帯が認められるようになったら、女性に射殺される男どもはたいへんな数にのぼるのでは。

話があさっての方へいきそうなので強制終了。

で、かの従順なる山口百恵嬢だが、やっぱり“スジ金入り”のウーマンだった。その成長ぶりは驚くばかり。
♪これっきりですか という「横須賀ストーリー」(昭和51年)での失恋を経て男を見る目が変わったのでしょうか。。

「イミテーションゴールド」(昭和52年)では完全に♪ごめんね 去年の人と またくらべている とラヴゲームで完全に彼女が主導権を握っています。
そして♪ 坊や いったいなにを教わってきたの という「プレイバックpart2」(昭和53年)で、もはや男を見下ろす“グロリア”にまで。

こうしてみると、山口百恵を“大人の女”にしたのは、千家和也ではく、阿木燿子。やっぱり“父親”よりも賢明なる“母親”に育てられるべき?

最後にむかし、酒場でウケた不謹慎な小咄をひとつ。

ある朝、山口百恵が死んでいた。
警察がやってきて、まず都倉刑事が
「これは他殺だな」と。
しかし、遅れてやって来た宇崎刑事は、
「いや、これは自殺に間違いない」
と、どちらも自分の主張を譲らない。
そこへやってきた平岡刑事がひと言。
「きみたち二人とも間違っている。他殺でも自殺でもない。山口百恵は菩薩である」
チャンチャン。


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コメント 2

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平岡正明刑事(デカ)が亡くなって既に3年くらい経ちます。
彼のジャズ評論、また歌謡曲評論が好きでした。
by お名前(必須) (2015-04-08 22:14) 

MOMO

どこのどなたか存じ上げませんが、古い記事にコメントしていただきありがとうございました。

おかげで、忘れていた百恵さんの歌をたらふく聴かせていただきました。そのついでに、このブログにも音をはりつけました。

平岡正明は多才な人でした。ジャズ、歌謡曲、落語、カラテ………
とりわけ歌謡曲論にはシンパシーを感じておりました。
by MOMO (2015-04-10 21:34) 

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