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森林③THIS LAND IS YOUR LAND [a landscape]

 

This land is your land
This land is my land
From California to The NewYork island
From the redwoods forest to the Gulf Stream waters
This land was made for you and me
([THIS LAND IS YOUR LAND]わが祖国 words, music and vocal by WOODY GUTHRIE, 1940)

「森林」は英語でforest あるいはwoods だろうが、どう違うのか、日本の「森と林」のような違いがあるのか否かは知らない。またgrove という言い方もあるようだが、こちらは規模の小さな森あるいは林のことらしい。

広大な領土を誇るアメリカには当然のごとく砂漠もあれば森林もある。
砂漠はさておき、森林で名高いのがカリフォルニア州一帯にあるレッドウッドの森。
全長720㎞、幅36㎞という途方もない「レッドウッド国立公園」をはじめいくつかの森がある。時としてそんな場所で大規模な山火事のニュースが伝えられる。

レッドウッドとはアメリカスギとも呼ばれるが、正式名称はセコイアのこと。成長すると樹高は100mあまりに達するという。レッドウッド・フォレストにはそんな巨木はそれこそ林立しているらしい。実際に訪れた人の話では、物心ともに己の存在が矮小化されてしまうようなロケーションだとか。考えてみれば、あの日光の杉並木の3倍近い巨木があちこちに立っているのだからそのスケールの大きさは想像できる。

ウディ・ガスリー「わが祖国」THIS LAND IS YOUR LAND で歌われている[redwoods forest]もカリフォルニア州にあるセコイアの森のことだろう。

ちなみに同じ歌詞に出てくる[Gulf Strem]は「メキシコ湾流」という潮の流れのことで、カリブ海、メキシコ湾からフロリダ半島を通って大西洋へと流れる。
日本の“黒潮”と同じ暖流で、その一帯の気候を温暖に保つ原因となっているそうだ。

ただ、[From the redwoods forest to the Gulf Stream waters]は、特定の地域ということよりも、森林つまり大地も海もすべて、という意味だろう。

ウディ・ガスリーについては、いくつかの自伝や評伝が出版され、その生涯は映画化もされているので改めて詳しくのべる必要はないが、一口で言うと、「アメリカの良心的吟遊詩人」ということになる。

ちょうどジョン・スタインベックが描いた「怒りの葡萄」、1920年代のアメリカ、あの大恐慌の嵐の中を吹きさらされながら放浪したフォークのシンガーソングライターで、プロテストソングの“父”といってもいい。

[DUST BOWL BLUES]砂嵐のブルース、 [DO RE MI]ド・レ・ミ、 [VIGILANTE MAN]番人、 [I AIN'T GOT NO HOME]住む家とてなく、 [HARD TRAVELIN']つらい旅路 など実体験をもとにした名曲をいくつも作っている。

そのなかで日本でも最も知られているのが「わが祖国」。1970年代前後のフォークコンサートでは、しばしばこの歌が観客ともども合唱された。当時の日本では反体制=反国家だったと思うのだが、そのなかで「わが祖国」がどのような思いで歌われ、また支持されたのか。個人的には正直複雑な思いがあった。それはともかく。

ところでこの「わが祖国」だが、メロディーはガスリーのオリジナルではない。1920年代、フォークソングの原形ともいえる“オールド・タイム”あるいは“マウンテン・ミュージック”を歌っていたカーター・ファミリーTHE CARTER FAMILY が歌った「この世が火と燃えるとき」WHEN THE WORLD'S ON FIRE というセイクレッド・ソングが本歌だと言われている。

ガスリーの功績は、プロテストソングを確立したということも大きいが、ほかの偉大なミュージシャン同様、その後のアメリカのミュージックシーンに少なからぬ影響を及ぼしたことだろう。

つまり多くの“ガスリー・チルドレン”を作ったということ。その代表的な存在がピート・シーガーPEET SEEGER であり、ボブ・ディランBOB DYLANだろう。

ほかにも、息子のアロー・ガスリーARLO GUTHRIEはもちろん、ブルース・スプリングスティーンBRUCE SPRINGSTEEN、エミルー・ハリスEMMYLOU HARRYS、リトル・リチャードLITTLE RICHARD、U2など多くのミュージシャンにその魂が受け継がれている。

日本でもその影響を受けたフォークシンガーは少なくないだろうし、とりわけ近年亡くなった高田渡の歌にはガスリーの影響が色濃く残っていた。

あの9.11のあと、「わが祖国」が復活するのではないかと思ったが、“まるで”だった。その代わりにイヤというほど聞かされたのが「ゴッド・ブレス・アメリカ」GOD BLESS AMERICA。この歌はたしかガスリーの嫌いな歌ではなかっただろうか。

アメリカという国はいつになっても好きな部分と嫌いな部分が混在している。歴史が浅いわりには奥行きがあって、その本質がつかめない。アメリカを知ろうとするとなぜか深い森に迷い込んでしまったような印象を覚える。

日本人と日本という国は、戦後一貫して“アメリカン・コンプレックス”から抜け出せずにいる。それは「英語が流ちょうである」とか「長くアメリカで生活した」とか「アメリカ人の友人が多い」という個人のレベルの問題ではなく。

しかし、いつかはそのコンプレックスが解消される時がくるだろう。はたしてあと、どのぐらいかかるのか。はたまた、どんなかたちでそれは実現するのか。
そのとき、多くの日本人は自分の国を何のわだかまりもなく「わが祖国」と呼んでいるのだろう。


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