『秋歌②いわし雲』 [noisy life]
♪ 見ていてください 遙かな父さん
いわし雲とぶ 空の下
戦さ知らずに 20才(はたち)になって
嫁いで母に 母になるの
(「戦争は知らない」詞:寺山修司、曲:加藤ヒロシ、歌:ザ・フォーク・クルセダーズ、昭和43年)
妻がゐて 子がゐて孤独 鰯雲 安住敦
夏の空に沸き立つ大泡のような入道雲が消え、天高く晴れ渡った空にはいわし雲。
いわし雲は俳句では秋の季語。
雲はその見た目の高さによって低層雲、中層雲、高層雲の3つに分けられ、その下にさらに層雲、高積雲、絹層雲、巻雲など10種類に分類されています。
入道雲つまり積乱雲は低層雲に、いわし雲は比較的高い巻積雲で高層雲に。その高さは5000から1万数千メートルといわれています。
いわし雲は、魚の鱗が集まったような模様をつくり、ウロコ雲とも。通常は空全体を覆うことはなく、一部分に発生するそうです。
その名の由来は、模様が大海原に浮かぶ鰯の大群に見えることからとか。また、その雲の下の海には実際に鰯が集まり、漁師はそれを目処に漁獲を行ったからとも。
また、いわし雲が広がっていると天気は下り坂という言い伝えも。科学的にも、雲が高いということは、対流圏の上層に水蒸気が多いということで、低気圧が発達していることを意味するとか。さらに、ウロコ状の雲ができるということは、上空で強い風が吹いているからといわれている。
いわし雲とは別に鯖(さば)雲というのもあります。こちらは、いわし雲より低い高積雲で、ウロコが大ぶりで、鯖の背中の斑点のようなかたちであることが、その名の由来。
どちらも船乗りがつけた名前だそうです。
「戦争は知らない」。
まあ、ソフトな反戦歌といっていいのでしょう。「さとうきび畑」ともどこか通底するものがあります。
戦争に父親を奪われた女性が二十歳になり、空の彼方の父へ「明日お嫁にいきます」と報告する、ただそれだけの歌ですが、そこはさすがに寺山修司。帽子にいっぱい花を摘んだり、いわし雲がとんだり、夕陽が沈んだりと、あふれんばかりの叙情感で綴られています。
作曲の加藤ヒロシは関西GS、リンド&リンダースのリーダー。加賀テツヤがヴォーカルで、昭和42年3月、タイガースに遅れることひと月でレコードデビュー。関西では絶大な人気を誇ったが、いまひとつ全国区にはなりきれず。
加藤ヒロシは「戦争は知らない」を作った年、草月会館にて寺山修司プロデュースで前衛音楽のコンサートを。
また、この「戦争は知らない」のオリジナルは坂本スミ子ということですが、残念ながら未聴。
似た題名の曲が「戦争を知らない子供たち」。
こちらは昭和46年、北山修作詞、杉田二郎作曲でジローズが歌ったもの。北山の同名のエッセイも大ベストセラーとなり、知名度ではこちらのほうがはるか上。いまでも、フォークの名曲というと必ずこちらのほうが出てきます。
でも、そんなの……、個人的には「戦争は知らない」のほうがGOOD。
他でこの曲をカヴァーしているのは、ザ・リガニーズ、カルメン・マキ、本田路津子、加藤登紀子、おおたか静流など。はしだのりひことシューベルツが解散前にシングルの目的でレコードに吹き込んだということですが、なぜかお蔵入り。
雲をうたった歌は数多ありますが、いわし雲やウロコ雲は少ない。
♪いわし雲が 窓に見えてた 「アメリカ橋」(狩人)
♪鰯雲流れて 夜が来て 「彼岸花」(森昌子)
映画では成瀬巳喜男監督の「鰯雲」(昭和33年)があった。
郊外の農家の日常を描いた佳作で、長男が嫁を迎えるという話がたんたんと描かれていました。
ところで、いわしは漢字では「魚へん」に「弱い」と書きます。実際、岡に釣り上げるとすぐに死んでしまう虚弱な魚のようで、「よわい」→「よわし」→「いわし」と転じたものだとか。
青空のキャンバスに描かれたいわしの群れを見ていると、それを肴に熱燗でもって気に。炊きたてのご飯の上にのせ、一杯のみそ汁と、少々の漬け物だけで食してみるのもまたいい。何杯でもいけちゃう。
それだから天高く、馬とともに人間も肥えちゃうんですよね。
deacon blueさん、"very Thanks"です。
by MOMO (2007-10-18 21:22)