橋⑤ミラボー橋 [a landscape]
Sous le pont Mirabeau coule la Seine.
Et nos amours
Faut-il qu'il m'en souvienne
La joie venait toujours aprés la peine
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure.
([LE PONT MIRABEAU]ミラボー橋 Paroles de GUILLAUME APPOLLINAIRE, Musique de LÉO FERRE, 1952 )
現在、フランスでガイドブックにも載っている有名な橋といえば、南部のタルン川渓谷に架かるミヨー橋。フランスに興味のある方は周知だが、この橋の主塔の高さは世界一。なんと東京タワーも見上げてしまう343メートル。
しかし日本人(高齢者限定化も)におなじみなのは上にあげたシャンソン「ミラボー橋」。
ミラボー橋は、19世紀末つくられた、パリはセーヌ川にかかる鉄製の橋。
「ミラボー橋」の詞は、詩人のギョーム・アポリネールが1913年に出した詩集『アルコール』に収められていたもの。それを1952年、「パリ・カナイユ」や「ジョリ・モーム」の作曲で知られるシンガー・ソングライター、レオ・フェレによって曲がつけられた。
上にのせた詞の一部ではわかりにくいが、この詞は脚韻がすばらしく、シャンソン・リテレール(文学的シャンソン)の傑作と言われた。
1916年モンテカルロに生まれたレオ・フェレは、第二次大戦後、パリの実存主義の巣窟といわれた、サンジェルマン・デュ・プレでピアノを弾いていた。それから数年後、カトリーヌ・ソヴァージュの「男」や自らが歌った「三文ピアノ」でその名を知られるようになった。辛辣な発言が物議を醸し、当時のラジオから閉め出されるということもあったようだが、見方を変えればそれほど個性的だったということ。
52年の作品「ミラボー橋」は、日本では昭和30年に来日してシャンソン・ブームを作ったイヴェット・ジローの歌で親しまれるようになった。
本家のフェレも昭和62年に来日し、この歌を披露している。
日本でも、石井好子、岸洋子、金子由香利など多くのシャンソン歌手がレパートリーに加えている。訳詞も様々あるが、
『ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの恋が流れる 私は思い出す 悩みの後には楽しみが来るという 日が暮れて 鐘が鳴り 明日は流れ 私は残る …………』
という戦前の堀口大学の訳詞も、いまだ歌い継がれている。
その他、フランスの橋の歌といえば、民謡の「アヴィニョンの橋の上で」がある。
♪橋の上で踊るよ踊るよ 橋の上で輪になって踊る
メロディーが伴えば「あゝ」と思い出す人がいるはず。
歌ではないが、フランス映画で思い出すのが1990年はじめの「ポン・ヌフの恋人」。
セーヌ河にかかるフランス最古の橋、ポン・ヌフ(新橋)で繰り広げられるホームレスの若者と画家を目指す女性の悲劇。当時、ホームレスの若者がショッキングだったが、現代の日本ではさほどめずらしくなくなっている。
もうひとつ、むかし観たフランスの短編映画で「ふくろうの河」というのがあった。
戦時中、ドイツ兵に捕まって橋の上から絞首刑に処されるというフランス兵士の話。首に縄を掛けられ、目かくしされ、橋から突き落とされる。そのときロープが切れて兵士は河の中へ落ちる。彼は背後を遅うドイツ兵たちの銃弾をくぐり抜け必死で泳ぐ。
やがて岸にたどり着き、力一杯走る。森の中を、花畑を、脇目もふらずに走り続ける。目の前に家が見える、家族が待つ故郷の家だ。もう誰も追いかけてこない。
気を急かせながら家のドアを開ける。と同時に暗転、景色が消える。
スクリーンには橋から吊されたフランシ兵士の姿。
わが家への逃避行は、橋から落ちるほんの1秒足らずの間に見た、兵士の夢だった。
この兵士、当然「ミラボー橋」の歌を聞くことなく死んでしまったが、アポリネールの詞は読んでいたかもしれない。
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